第22話 四面楚歌の半荘戦


 ※ ※ ※




 状況を整理しよう。


 近江匡の側としては単純明快だ。

 真樹を人質にとられて、匡もまた拘束された。現在は、麻雀ルームにて、七人の男たちに囲まれて監禁状態である。


 そして、羽柴組について。


 室内にあった死体は、羽柴組の組員のものらしい。

 そして、匡が取り押さえたのは、今日のポーカー勝負でディーラーを務めた男だ。

 流れとしては、五十嵐の敗北によって、責任を追求されたディーラーが、雲隠れしようとしたところを組員に発見され、争いとなった。そして、その中で誤って組員を射殺してしまい、そこを匡に見つかったという形だ。


 すでに日付は変わっているので、現在クルージングは4日目。明日の昼まで逃げ切ればよかったディーラーからすると、なんとしても隠れたかったのだろうが、不運が続いた形になる。


 そこからは、匡も知っている流れである。

 意識を取り戻したディーラーから事情を聞き出した三司馬は、拘束されたディーラーを蹴り飛ばすと、組員に命じて、別室へと連れて行った。

 続けて、同じく拘束されている匡と真樹の方を見下ろす。


「まあ俺としては、最初からお前が犯人だなんて思っちゃ居なかったけどな。近江」


 拘束された匡を見下ろしながら、三司馬は気分よさそうに言う。見下ろすというのがよほどうれしいのか、彼の表情からは笑みが消えない。


「お前は拳銃なんか使わねェだろうし、そもそも殺す意味がない。だからこの場で鉢合わせしたのはただの事故ってことなんだと、分かっている」

「はん。だったらとっとと解放してくんないかね」


 縛られていても態度そのものは変わらない匡は、不敵な態度を崩さない。

 隙あらば噛みつかんばかりの勢いで、三司馬に言う。


「不当な監禁もいいところだろう。なんだ? 羽柴組は何の落ち度もない堅気を食い物にするのが仕事なのか? ああん?」

「ふん。相変わらず態度がでかいなぁ、近江」


 挑発するような響きで三司馬が言う。


 近江匡と三司馬修成の関係は、少々ややこしい。

 そもそもは、対立関係としては三司馬と森口の仲が悪いのが前提としてある。双龍会の英雄とでもいうべき男・森口に対して、彼をよく思わない三司馬は、ことあるごとにいさかいを起こしていた。それは内部抗争と言うには小規模ないさかいだったが、一触即発ともいえるものだった。


 しかし、それはどちらかと言えば、三司馬側の一方的な敵愾心が目立つ争いであり、森口の方は大して相手にしていないようだった。だからこそ、大きな抗争になることはなかった。

 そう。一年前までは。


「前々から、森口の奴が目をかけていたから面倒な奴だとは思っていたが、まさかこんなところでも邪魔になるとはなぁ。ふん、五十嵐が負けたと聞いたときは、何事かと思ったぞ」

「別におれは、あんたの邪魔するつもりはねェよ。行く先々で勝手にアンタらが暗躍しているだけじゃないか」

「言うじゃないか。こちらからすれば、順調に物事を進めているところで、急に横から入り込んでくる邪魔者って印象なんだよ、お前は」


 一年前もそうだった。


 海外マフィアとの麻薬の取引に、仲介業者を介したのだが、その仲介業者がへまをやらかして物資を紛失してしまった。その失せ物の捜索依頼をとある業者にだしたのだが、それが匡の所属する興信所だった。


 近江匡はその手腕で失せ物をすぐに発見したのだが、それを横取りと判断した海外マフィアが、彼らを殺しにかかっていった。そしてそれを羽柴組は契約破棄と見てしまい、争いは三つ巴になったのだ。


 何より面倒だったのは、その時匡が助けを求めたのが、森口敏和だったという点だ。


 いったい何をどうやったか知らないが、めったなことでは争いに参入しない森口が、その時は率先して介入してきたのだ。

 結果、海外マフィアは半壊。羽柴組も痛手を負い、それまでの森口組とのいさかいが本当にお遊びに思えるほどに、大きな被害が出た。



「まったく、あのときはずいぶん世話になったよなぁ。だからこそ、こうして幸運にもお前を拘束できたんだ。簡単に放すつもりはねェよ」


 三司馬の言葉に、匡は内心で舌打ちをした。


 しかし――もはや今ではどうでもいいことになりつつあるが、これで成瀬の借金が羽柴組経由ではないことは分かった。もし彼らが犯人なら、ここで匡を拘束してここまで喜びはしないだろう。


 まあ世の中そうそうすべてがつながっているというわけではないということか、と内心思いながら、匡は頭を切り替える。


「なら、何をすれば解放してくれるんだ? 金か? だったら勝ち分の半分くらいは溶けちまったけど、五千万くらいなら残ってる。とっとと取れよ」


 別にそれで許されるとは思っていないが、とりあえず話を進めるためにもまずこちらから提案をしてみる。


「かっ。わかってねェなぁ。金なんざで、憎いてめぇを許せるかよ。確かに五十嵐の負けは損失だが、どうしようもないほどじゃない」

「じゃあ、いったい」

「なあ。近江よぉ」


 心底面倒そうに、三司馬はいらだちに顔を歪めながら、匡に向かって言った。


「今、森口がこの船に乗ってんのは俺らも知ってんだよ。そして、あいつらが、俺らの仕事のあら捜ししてんのもな」

「……さぁ。おれには何のことかさっぱりわかんねぇな」

「とぼけんなよ。ここ数時間、六階で浪川組の連中が虱潰しに回ってんのを知ってんだよ。その中に、森口も居た。あいつとお前が一緒の船にいて、関係がねぇわけないだろうが」

「あいにく、おれは別件だよ。森口さんの仕事には関わってないから、とっとと開放してくんねぇかな」


 ちょっとした手助けをしておきながら、素知らぬ顔をして言う匡だった。

 しかし、そんな匡を前に、三司馬は大仰にため息を付いてみせる。


「例えそうだとしても、もうお前は関わっちまってるよ。近江」

「……。どういう、意味だよ」

「言葉通りだ」


 そこで三司馬は、先ほどまで死体があった場所を見る。

 今は片付けられているが、血の跡や、散乱した麻雀牌などはそのままになっている。三司馬はそこに近づくと、麻雀牌の一つを拾ってみせる。


 遠目からでも分かる、金属製の牌。

 ちらりと見た時点で、薄々察してはいた。


「こいつを見られたからには、お前らを解放するわけにはいかないんだよ」

「…………」


 余計なことは言うまい。

 そう口を閉じている匡であったが、そんな彼を見て、三司馬は確信を深めたようだった。


 おそらくあの麻雀牌は、プラチナ製なのだろう。

 遠目から見るに、本来の麻雀牌と変わらないようだが、近くで見ると、表面の文字などはそれほど手間がかかっていない、シールを張っただけのようだった。それらは後で溶かして加工しなおせばいい。それまでの隠れ蓑として、麻雀牌の形が取られているだけだ。


 匡が見つけたチップにしてもそうだが、この船には、同じようなプラチナ加工の用具がたくさんあるのだろう。それらは一見してはプラチナに見えないように加工されているが、あとで集めてインゴットとして加工しなおせば、元の価値ある形になる。


 商品トレードとして、ギャンブル用品を受け渡す。それがプラチナの裏取引の実態といったところか。


「こういう形に加工するだけでも、結構手間がかかっててな。だが、その分の手数料はもらえるから、かなり割のいい商売でよ。顧客としても、税金払うよりは安い値段で済むから、互いに良い関係ってわけだ」

「……聞いてねぇよそんなこと。おれたちは今日、何も見聞きしてないから、開放してくれや」

「ならねぇよ。これを森口に知られる訳にはいかない。なにせ、ここのシマは、取引にうってつけなんだ。みすみす手放せねぇよ」


 そんな風に言いながら、三司馬は匡を見下ろす。

 その表情には、先程までのいらだちが消えて、代わりに、嬉しそうな感情が浮かんでいた。


「まあ、場合によっては、考えないでもないがな」

「……条件があるってか。金だったら、さっき言った分しかないが――」

「そんなんじゃねぇよ。そんなもんじゃぁ、意味が無い。なあ、近江」



 爬虫類じみた冷たい瞳で見下しながら、しかしその表情は喜色に染めながら。

 三司馬修成は、なぶるような口調で言う。



「お前、を握っているんだってな?」

「…………」



 匡は視線を動かすのをぐっとこらえた。

 その代わり、三司馬の顔をひと時も見逃さないように観察した。

 三司馬の瞳は、動かない。しっかりと匡を見下しているのを確認して、そっと胸をなでおろした。


 そんな匡の心中を尻もせず、三司馬は嬉しそうな様子を隠そうともせずに言う。


「聞いたぜ。てめぇがそれをネタに金を借りたってよ。お前良く無事だったなぁおい。あいにく借金は返済したからどの業者も内容までは教わっていないらしいが、あの森口が放っておくくらいだから、根拠のある話じゃないか」


 森口は近江匡に甘い。


 それは、二人を知る人間ならば薄々察することのできることだった。その甘さは付き合いの長さから来るものだと判断されることが多いが、しかし身内であろうとも非情さを見せることのある森口が、近江匡にだけ甘いのはなぜか。



「おかしいとは思ったんだよ。とくにあのドラッグの争奪戦の時だな。本来なら、あんな外部の抗争に、森口が出張ってくるようなことはありえないんだ。それなのに、お前を助けるためだけに、あいつは海外マフィアと俺らを敵に回した。戦争資金だって、あの弱小事務所じゃあきついもんだったはずなのにな」

「はは。おれは森口さんに可愛がられてるからな。子分がこまってりゃ、親分が助けてくれるのはよくあることだろ?」

「身内なら、そうだろう。だがお前は組に所属しているわけじゃない。そういうけじめはしっかりつけるのが森口と言う奴だ。それがわからないお前じゃないだろう?」



 さすがに敵愾心を持っているだけあって、森口のことをよくわかっている。


 いよいよまずいことになってきた。

 ここを切り抜けるには、それこそ『森口敏和の弱み』を晒す必要があるのかもしれないが、しかしそれをやらかしたら、匡の命はない。


 いや、それ以前に、この現状において、問題なのだ。


 匡は視線を動かしたいのをぐっとこらえる。どうやらまだ、三司馬は気付いていないようだ。匡と真樹を拘束しているというこの状況は、彼が思っている以上に匡にとってピンチで、そして三司馬にとって有利であるということを。


「ふん。やっぱり、『ただ』じゃあ教えないだろうな」


 匡の意志の強さを知っている三司馬としては、それ以上問い詰めても答えるとは思えなかった。


「はん。なら、拷問でもするか? それとも、金でも積むか?」

「拷問か。それはいい案だ。お前を痛めつけられれば俺の気も晴れるし、情報も知れるってんならお得だ。――だが」


 見下ろしてくる冷たい瞳は、思いのほか冷静にこの状況を判断している。


「お前は目先の楽をとって逃げるような人間じゃない。そもそも、弱みをばらした時点で、お前は森口に地獄を見せられるのが決まっている。なら、生半可な拷問じゃあ、しゃべったりしないだろう」

「よくわかってんじゃないか。まあ、それでも、限度はあるがね」



 不敵にもそんな風に返す。拷問で問題が済むのならば、それでもかまわないと匡は思っていた。


 匡が当てにしているのは、榎本の存在である。


 ことがこういう状況に陥った以上、黒幕は確実に龍光寺紗彩だ。そして、彼女に騙されて匡がここにいる以上、待ち合わせ場所には榎本が一人で向かっているはずである。いつまでも来ない匡をずっと待っているほど殊勝な女ではない。まず間違いなく、探してくれる。


 紗彩が榎本まで騙している可能性は除外できる。榎本に嘘をつける人間がいるのならば見てみたいくらいだった。彼女の超能力としか言いようがない能力は、現実をことに特化している。もし榎本が紗彩と対面さえすれば、匡が拉致されたことは一発で判明するだろう。


 だからこそ、時間稼ぎで問題が済むのならば、それで手を打ちたかった。

 最悪でも、四日目の一日乗り越えさえすれば、クルージングが終了する。


 そんな風に思っていた匡だったが、三司馬から予想外の提案が飛んできた。


「正攻法じゃあ、お前から直接情報を引き出すのは難しいだろう。――だが」


 言いながら、三司馬は移動して麻雀卓に手を置いた。


「勝負なら、別だろう?」

「……どういう意味だ」

「言葉どおりの意味だ。ここはギャンブルクルーズだ。そしてこの部屋には、ちょうど麻雀卓がある」


 にやりと笑って、三司馬は言った。



「麻雀で勝負をしようと言っているんだよ、近江」



 突然の三司馬の提案に、匡は戸惑いを隠せない。一体この男は、突然何を言い出すというのだろうか。


「その勝負を受ける理由が、どこにあるっていうんだよ」

「お前が勝負に勝てば、無条件で解放してやる」


 思ってもいない勝利時の処遇に、またしても匡は驚かされた。


「その代わり、お前が負けたら、森口の情報をもらう。もし逆らうならば、そこの連れの女を殺す。どうだ?」


 三司馬の提案を、匡は吟味する。

 はっきり言ってこれ以上ないという条件だ。もっとも、勝利時に三司馬が約束を守る保証はどこにもないので、そこは彼を信じるしかないが、それでもここで丸一日三司馬の責め苦に耐えるよりは、ずっとましだ。


「……勝負の内容は?」

「アリアリの半荘戦。プレイヤーはお前のほかは、こちらから選出する」

「少ない。半荘一回じゃあ、運の要素が強すぎる。せいぜい五回。せめて三回はやらせろ」

「なら、半荘三回戦だ。その合計点で高い方が勝ちだ」

「……賭けは? どうせ金賭けろって言うんだろ」

「ああ、そうだな。森口の情報は別として、金の賭けもなければ、面白くないなぁ」


 匡の言葉ににやりと笑いながら、三司馬は言う。


「千点につき百万。それくらいの余裕があるだろ? 精算は半荘三回が終了した時点でってことにしとこう。俺とお前の一騎打ちだ」

「…………」


 匡は目を伏せた。

 そして、そっと顔をあげ、自然な仕草で真樹の方を見る。


 真樹はおびえた様子で匡を見ていた。状況についていけていないのか、精神的にも疲弊しているようだった。一番恐れていたのは彼女に危険が迫ることなので、それが先送りにされるのならば、ここで勝負を受けるのは悪くない。


「わかった」

 匡はうなずいた。

「その条件で、勝負してやる」




 ※ ※ ※




 麻雀。

 四人で台を囲み、136枚の牌を使って行うゲーム。手牌の13牌と、引いてくる牌とで役をそろえ、その点数を競うというルールだ。

 ゲームのルールは少々複雑だが、運と駆け引きの双方のバランスが良いこのゲームは、発祥である中国だけでなく、日本やアメリカなど、世界各国で楽しまれている。


 一般的に麻雀はギャンブル要素の強い遊戯という認識が高く、それ故に勝負の際は金品のやり取りが行われることが多い。

 カジノがまともにない日本においては、一番メジャーなギャンブルと言える。



 さて。

 そのまま部屋にある麻雀卓で勝負することになった。

 匡の提案に対して、三司馬が出した勝負内容は次の通りだ。



・半荘三回勝負で、合計点数の高い方が勝ち。

・匡以外のプレイヤーは全員羽柴組から出す。

・負けた方は、トップに対して『点数の差×千円』の金額を払う。足りない場合は、真樹か匡のどちらかを担保とした借金とする。

・匡が勝った場合は無条件解放。匡が負けた場合は、森口の情報を渡すこと。




 『半荘』とは、四人に親が二回ずつ回るのを一試合と考える形式だ。


 負けた時は、かなり苦しい立場に置かれるだろう。

 しかし、このままでは殺されるのも目に見えているのだから、どちらにしろ変わらないと考えてもいいだろう。


 勝負の前に、匡が耳打ちしてきた。


「悪いな。真樹ちゃんの分くらいは、稼いでくるから」


 少しだけ申し訳なさそうな顔をした後、にぃっと、余裕がある笑みを浮かべていた。


 こういう顔の時の匡は信用できる。


 目の前の事態を全力で楽しんでいるときの匡は、無敵だった。

 これまで真樹が見てきた中で、こうした笑みをした時の匡が失敗したところを見たことがなかった。


 真樹は人質ということで、匡の後ろに立たされた。拘束こそ外されたものの、すぐそばに組員の人間がついている。抵抗したら命はないものと思え、と脅された。


 麻雀卓の四つの席のうち、一つは三司馬が座り、他二つは羽柴組の人間だった。そんな圧倒的に不利な状態でも、匡は普段と変わらないように軽口をたたいた。


「おうおう、こりゃ本当に四面楚歌だね。こんだけひどい状況に立たされるくらいの業だから、随分と前世はむちゃやったんだろうなぁ」

「お前の場合、今世で作った業の方が重そうだけどなぁ」


 くつくつと三司馬が笑い、それに合わせるように卓に座った他の二人も笑う。

 匡の正面には三司馬が座っている。匡から見て右側には、黒いスーツにサングラスをかけた男が座り、左側には、赤いジャケットを着た金髪の男が座っていた。それぞれ、黒屋と赤下というらしい。


 そして、いよいよ第一試合が始まった。


「それじゃ、俺の親からだな」


 そう三司馬が言って、卓の中央にあるボタンに手を伸ばした。

 それでサイコロが回り、出た目によってどこから牌をとっていくかが決まる。


 麻雀について、真樹は簡単なルールしか知らない。自分に配られた十三枚の牌と、卓上の山からツモる(引いてきた)一枚を合わせて、役を作るゲーム、というくらいは知っているが、あとは聞きかじりの中途半端な知識だ。


 だから、匡に配られた牌を見ても、それがいい配牌なのかそれとも悪いのか、判断はつかなかった。



(えっと、漢数字の書かれた牌が多くて、あと字のついた奴も多いから)



 字牌と同じ色の数字牌だけを使った、『混一色』という役があるが、それができるんじゃないか、という予想を立ててみる。


 しかし、真樹の予想に反して、匡はどんどんと字が書かれた牌を捨てていく。それどころか、漢数字の牌すらも捨てていき、いつの間にか匡の手牌には、青い丸が描かれた牌が多くなってきた。


 九順目くらいになって、ようやく真樹にもわかる言葉が飛び出した。


「リーチ」

 緑の棒が三本書かれた牌を卓に出しながら、匡がそう宣言した。


 確かリーチは、和了あがりの一歩手前だったはず、と真樹は思い出す。つまり、匡は今有利ということか。


 真樹の目にもはっきりとした形で戦況がわかったため、どこかほっとした気持ちになる。


 しかし、その気持ちもつかの間だった。

 続けて右隣のサングラスの男が牌を捨てた瞬間、三司馬が宣言した。



「ロン」



 そして三司馬が自分の手牌を倒す。


 ロンも知ってる。――誰かが捨てた牌で和了あがる時に使う言葉だ。


 三司馬の手牌は、漢数字の牌、青い丸の牌、緑の棒の牌がバランスよくある牌だった。そして、三司馬の和了に必要な牌が、サングラスの男が捨てた牌だった。



「え、味方なのに」


 思わずそんなつぶやき声を漏らしてしまった。

 それに対して、三司馬が笑いながら言う。


「勘違いしているみたいだけどな、お嬢さん。麻雀に敵も味方もないよ。あがれるんなら、いつだってあがってトップを目指すのが麻雀さ」


 そして、三司馬はサングラスの男から点数を表示する棒を受け取る。

 続けて卓に穴が開き、その中に全員が卓の上の牌をすべて落とした。

 その時に、匡が笑いながら皮肉気に言った。



「真樹ちゃん。今みたいなのを、差し込みっていうんだよ」

「え?」

「要するに、仲間内で誰かを勝たせるのさ。そうすることで、敵が強い手をあがろうとするのを妨害するんだよ」

「でも、それじゃあ差し込みをした方は、点数が減るじゃないですか」

「それでも、敵に点数を取られるよりましだろ? この勝負、最終的には俺と三司馬で、点数が高いほうが勝ちなんだから」



 言われてみればその通りだと、言われて今更のように気付く。

 そんな真樹と匡の会話に、三司馬が笑いながら言った。


「まさか汚いなんて言わないよな? 近江」

「当たり前だろ。そういうのも戦略だっつーの。ま、やりにくくはあるけどな」


 そんな軽口を返しながら、匡は先を促した。


 卓の上に牌が積まれる。

 親の三司馬が先ほどの勝負は勝ったので、そのまま親続行だった。さっきと同じように、三司馬がボタンを押し、サイコロが回る。


 それからの試合の流れは、真樹にはよくわからない展開が続いた。


 真樹は麻雀をただ同じ種類を集めればいい絵合わせだと思っていたのだが、匡のやり方を見るに、それは違うのだと察し始めた。匡は、たとえ同じ字牌が四枚そろっていても、ためらいもなく一枚捨てたりする。それにどういう意図があるのかわからないのがもどかしかった。


 気付いたのは、匡がそれ以降一回もリーチを仕掛けていないことだ。

 しかし、リーチをかけなくても三回、匡はあがっていた。リーチがなくてもあがることができると言うことをそこで知ったのだが、ではなぜ、最初はリーチを仕掛けたのだろうか。


 正直よくわからないままだったが、少なくとも匡が善戦しているらしいことだけは、その様子から伝わってきた。




 試合は二週目の親に突入していた。



 不穏な空気が流れ出したのは、三司馬の二回目の親の時だ。

 匡が捨てた牌を、三司馬がロンした。



「ロンだよ、近江」

「は? いやお前、そりゃフリテンだろ」


 これまで相手にロンされても一度も抗議をしなかった匡が、納得いかないとでも言うように言って、卓上の、三司馬の捨て牌を指差した。


「三順前に自分で捨てて……って、おい」


 匡が目を丸くし、続けて厳しい表情をして、三司馬を見つめた。


「お前、どういうつもりだ」

「さあ。何のことだ?」


 とぼけた風に三司馬が言う。



(えっと、フリテンって確か……)


 麻雀は、自分が一度捨てた牌では、他者からあがることができない、というルールがある。おそらく匡が抗議しているのはその件だろう。


(でも、近江さんが出した牌、三司馬さんが捨てた中にないし……)


 しかし、匡が根拠もなしに抗議するとは思えなかった。身内としてのひいき目もあるかもしれないが、何より匡は意味のないことをする人ではない。


(ってことは、すり替え?)


 麻雀のイカサマで、卓上の牌と自分の手牌を周りに気付かれないように交換する、というのがあることは知っていた。トランプにしてもよくある話だ。しかし、それが行われていたとしても、今証明する手段はない。


「…………」


 匡は無言で数秒ほど三司馬を見つめた後、軽く息を吐いて、諦めたように言った。


「わかったよ。ほら、親の満貫・一万二千点」


 点数棒の乱暴に掴んで、匡は三司馬に渡した。

 点数を聞く限り、結構大きな負けだったらしい。




 問題は次も起きた。


 後ろから見ていると、匡の手が一種類に統一されているのに気付いた。青い丸の牌だ。一種類でそろえると、点数は高いのではないだろうか。


 期待して見ていると、三司馬が出した牌に匡が反応した。


「それロンだ。高いぞ」


 先ほどの件もあったからか、匡はかなり嬉しそうに言って手牌を倒す。

 しかし、そこで左隣から、赤ジャケットの男が口を挟んだ。


「待てよ。俺もロン。頭ハネだ」


 その言葉に、上機嫌だった匡の顔が苦く染まる。


 頭ハネとは、複数ロンが重なった際、優先順位の高い方のロンが有効になるというルールだ。

 この場合、ロン牌を捨てた人から反時計回りに優先順位がある。


 苦々しそうな匡には構わず、赤ジャケットは三司馬に軽く謝った。


「いやあ、悪いっすね。三司馬さんの親、飛ばしちゃって」

「いや、よくやった。危うく近江にさっきの分取り返されるところだった」


 軽口をたたきあいながら、三司馬たちは点棒の受け渡しもせず、早々に牌を片づけにかかった。


 そこで、匡が鋭い言葉を飛ばした。



「おいこら! 今の手、もう一回見せてみろ!」



 匡が立ち上がりながら怒声を放った。


 その声があまりにも怒りに満ちていたので、後ろで見ていた真樹も、思わずびくりと身体を震わせてしまった。


 匡は怒っていた。


 イライラした仕草を見せることがあっても、めったに激情することのない匡が、あからさまに怒りを表していた。

 初めて見る匡の怒りに、自分が怒られているわけでもないのに真樹は身を固くする。

 それに対して、怒りを向けられている三司馬たちは飄々としている。



「どうかしたか? 近江」

「今の手。だろうが。三萬の暗刻のうち、真ん中の一個が二萬だった」

「あー、悪いな。確認しようにも、もう牌を混ぜちまった」


 悪びれもせずに、赤ジャケットは目の前で混ぜられている牌を見せつける。

 それに対して匡がかみついた。


「ふざけんじゃねぇぞ! だいたいてめぇ、なんで点数の表明も点棒の受け渡しもせずに牌崩してんだ。これまでと手順が違うじゃねぇか!」

「まあまあ近江。落ち着けよ」


 匡をなだめるように、三司馬が仲裁を入れた。


「こいつの役なら俺が覚えてる。ほら、三千九百ザンクだ」

「てめぇもだ三司馬! お前だって率先して牌を混ぜやがって!」

「言いがかりだって」


 匡の怒気に対して、いっそ挑発的なまでに、穏やかに三司馬が言う。


「赤下が混ぜ始めたから、俺もついやっちまったんだ。まあそう喧々するもんでもねぇだろ。高い手があがれなかったのは残念だが、そう怒るなって。赤下も、うっかり手順を間違えただけさ。なあ?」

「そうっす。いや、悪いとは思ってるぞ?」


 まったく悪いと思っていない口調で、赤ジャケットは肩をすくめながら言った。


 その様子に、匡はまだ何か言い足りない顔をしていたが、怒りをぐっとこらえたのか、仏頂面で席に座る。


「次だ」


 まだ声に怒りの調子が抜け切れていない。

 見たことのないそんな匡の姿に、真樹は心配になって思わず声をかけてしまう。



「近江さん……」

「悪い、真樹ちゃん」


 こちらを振り向かないまま、申し訳なさそうに匡が言った。


「みっともないとこ見せちまった」

「そんなこと……」

「イカサマはされたほうが悪いんだ。現場を押さえられなかった時点で、俺の落ち度だよ」

「でも!」

「心配するな」


 ちらりと横顔だけこちらを向けて、彼は落ち着けるように言った。


「ただ真樹ちゃんは、どんと待ってりゃいいんだよ」



 そうして、気障にウィンクなんかを飛ばして、彼はまた三司馬たちへと向き直った。

 そうしたらしくない行動が、余計に匡の不調を物語っているように思えた。



 完全にアウェイな麻雀勝負は、ここからだった。




 ※ ※ ※





 午後一時を回っても、榎本は手掛かりの一つもつかめていなかった。


 広すぎる船内は多種多様な施設があるため、そのすべてを回るだけでも気の遠くなるような時間がかかる。

 ましてや、客室にでも拉致られていれば、もはや探しようもない。


 もちろん、真っ先に匡の客室は調べたが、不在だった。真樹すらもいなくなっている。龍光寺家から支給されたゲスト用マスターIDカードを利用して中に入り家探しをしたが、手掛かりになるようなものはなかった。


 榎本は可能性を考える。


 これがもし、龍光寺紗彩、ひいては龍光寺比澄による策略ならば、どういう手段がとられるか。


 いったん落ち着くために自室へと戻る途中だった。

 龍光寺紗彩から電話がかかってきた。


「こんばんは。占い師さん」

「……サーヤちゃん。悪いけど、龍光寺比澄に変わってくれへんか?」

「どうかしたか? 占い師」


 声色が変わる。

 男性的な口調。男性的な印象。


 電話越しにいる龍光寺比澄に向けて、榎本は関西弁をかなぐり捨てて、乱暴な口調で食って掛かる。





 本来、榎本の言葉は凶器のようなものだった。


 人の関係性を視ることのできる彼女は、他者との境界線をたやすく踏み越えることができる。彼女にとっては何気ない一言が、本来の言葉の意図以上の力を持って、相手に届くのだ。

 だからこそ彼女は普段、エセ方言で自身の距離を起き、言葉を弱めている。


 その拘束を解き、相手を言葉で凌辱するために、榎本はなりふり構わず噛みつく。


「匡君に何かあったら、ただじゃおかないからな。晴孝さんの依頼なんて関係あるか。私の手で、お前を徹底的にしてやる」

「好きにしろ。ただ私は、彼の『器』を試しているだけだ」

「試す? だって。ふざけるな。お前程度の『』が、本物の天才を試すだなんて、片腹痛い! 近江匡は、すら圧倒するくらいの大物だぞ!」

「本物? あなたが言っている意味がよくわからない。私は私だ」


 ああ、ダメだ。

 やはり電話越しでは届かない。


 榎本の言葉は、相手と対面して初めて力を発揮する。普段の飄々とした態度からは想像もできないほどに切羽詰まった様子を見せながら、榎本は電話越しに怒鳴る。


「今どこにいる。今すぐ行ってやるから答えろ」

「あなたのすぐ後ろだ」

「は? なんだって?」


 疑問を口にした、その瞬間だった。



 榎本の身体が突き飛ばされた。



 彼女の身体は平均よりも少し小柄である。たとえ少女の体躯であっても、不意を討てばたやすく突き飛ばされるくらいに軽い。

 どうやら、対面の部屋のドアを開けて、中で待っていたらしい。完全に奇襲を受けた形になった。


 突き飛ばされた先は、ビリヤードルームだった。

 需要は低いものの、ビリヤードでの賭けのために用意されている個室。使用されていない個室は、普段扉をあけっぱなしにされていた。


 そこに、榎本は突き飛ばされた。


 腰をしたたかに打って顔をしかめているところに、扉が絞められた。そして、マスターIDを利用した電子ロックがかけられる。


「ちょ、マジか」


 すぐに扉を叩いたが、それで答えてくれるわけがない。


 中からIDカードを使って会場を試みるが、上位権限による施錠なので開錠ができない。


 室内を見渡したが、完全な個室のようで、換気扇があるほかは外とのつながりが完全にたたれているようだった。


 最後の望みとして内線を取ってみたが、栓が着られているようだった。携帯電話で助けを呼ぼうにも、この船に知り合いらしい知り合いはいない。



 榎本友乃恵は閉じ込められた。




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