EX 運び屋の一日 3/3

 夕方。赤い太陽が雲の隙間から見えている空。

 埠頭近くの貸し倉庫の並ぶ場所にベックはクロスラインを止め、静かにタバコをくゆらせていた。


 左手には大昔の小型のカセットレコーダーのような記憶保存機器メモリードライブが握られている。

 やがて彼以外誰もいない埠頭にもう一台の車がやってきた。


 一見するとなんの変哲もない黒い車だったが、そのナンバープレートを見ると警察の覆面パトカーであることを示す番号が刻まれている。

 覆面パトカーからは降りてきたのは、物静かな雰囲気を漂わせる短髪の女性だ。


「……記憶は?」


 開口一番にそう訊ねてきた彼女にベックは左手のレコーダーを投げ渡す。

 彼女は受け取ると、中身を確認するために目に装着しているコンタクトディスプレイに情報を無言で読みこませて再生する。


 今回、ベックに与えられた依頼は南部の一部の町を仕切るマフィアの首領ドンであるマーシャル・アレクセイが持っていた偽造記憶を盗むことだ。

 依頼者はロック・シティ署に勤務する刑事である目の前の女性。


 今のご時世、同意のない記憶改竄や記憶消去は違法とされ禁止されている。


 目標ターゲットであったマーシャルは複数の殺人や強盗などに関わっており、その露見を防ぐために目撃者などに偽造記憶を植えつけて容疑を隠蔽していたのだ。

 そのため警察がいくら逮捕して起訴しようともマーシャルの雇った弁護士たちによって証拠不十分に持ち込まれてしまっていた。


 だが、時代は変われども犯罪者を起訴するための証拠を正規のルート以外で手に入れる警官もいるのは変わらない。


 今回の依頼主である目の前の女性がそうであり、偽造記憶を奪うためにベックは数週間、彼の行動を調べ上げ、そして今日奪った決行したのだ。

 やがて記憶の精査が終わったのか、彼女が顔を上げる。


「後始末は?」

「心配するな。もらった報酬分は働いてちゃんとやったさ。あとはアンタの側の仕事だ」


 偽造されたものとはいえ保有者から合意なく記憶を奪うことは記憶管理法に抵触する行為だ。

 そのため公的にはベックはこの件には一切関わっていないことになる。


 恐らく手に入れた偽造記憶でマーシャルを起訴するであろう彼女は、記憶の出所に関しては特命で送りつけられてきたとしか言わないだろう。


 別にベックはそれで構わない。金と自分のポリシーに反しない限りは口を出すつもりもないのだから。


「そう。ならいいわ」


 そっけなく彼女は言って車に乗り込もうとするが、ベックはひとつだけ聞きたいことがあってそれを引き止める。


「アンタは俺を使うことに躊躇いはなかったのか? 揺らいだことはないのか? 自分の正義が」


 一瞬動きを止め、彼女は顔をベックのほうに向ける。


「ない。正義や悪なんていうものは立ち位置ひとつで変わるでしょう? だから正義なんて曖昧なものを私は信じない。私は自らの心にある信念に従って職務を果たすだけ。そのためならなんだって利用する。遠慮なく、ね」


 きっぱりと言い放つと、彼女は運転席へと乗り込んでパトカーを急発進させて去っていく。

 それを静かに見送ってから、ベックはタバコの紫煙をゆっくりと吐き出した。



 ―――――



 数日後。

 日課である筋トレを終えたベックはガレージの新聞入れから落ちた新聞を拾い上げていた。


 何気なく拾った新聞を開いて見ると、一面にはマフィアの首領ドンであるマーシャル・アレクセイが起訴されたことが写真付きで報じられていた。

 それを一瞥してからガレージから二階へと上がると、いつもと同じようにジュリアがエプロン姿で朝食を机に並べている。


「あれ? 随分と早かったんですね」

「あぁ、まぁな」


 適当に答えて両足をデスクの狭い隙間に乗せながら、そそっかしく室内を動き回るジュリアを目で追う。

 ジュリアの足音だけが妙に大きく聞こえたが、ベックが口を開く。


「なぁ、正義は法律と同義だと思うか?」

「いいえ、違うんじゃありません?」


 ジュリアが即答し、さらにベックが訊ねる。


「その理由は?」


 訊ねられたジュリアは怪訝な表情でこちらを見る。

 ベックの脳裏には法ではなく自らの信念を貫くと言い放ったあの女刑事の姿が浮かんでいた。


「法律が絶対的な正義だとしたら世の中はもっと平和だからです。みんなが法律という名の正義に同調するんですから」

「だが、人は法律こそが正義とばかり振り回しているぞ。法律こそ人の守るべき正義であるかのように」

「前提が間違っているんじゃありませんか? 正義は自分の中に少しずつ培っていくもので時が経てば色んな形に姿を変える。法律はその正義を培うための規範であって正義そのものではないと思いますよ」


 そう返され、ベックは内心驚く。

 まさかそんな言葉がジュリアから返ってくるとは思わなかったのだ。


「言ってくれるな。この半年でそんな反論が出来るようになるとはな」


 彼女の成長ぶりに苦笑交じりに呟くと、ジュリアはいつもと変わらない朝食のメニューをベックの所に置いて肩を竦めた。


「良くも悪くもあなたの影響ですよ、ベックさん」

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トランスポーター~記憶、運びます~ 森川 蓮二 @K02

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