2 無敵城塞


「アレですか」

「おうよ、アレだ」


 空に、巨大な物体が浮いていた。


 実に都市一つ分もの大きさの大岩……巨岩……否、山塊である。元々は浮遊石の鉱脈であり、二百年以上昔の地震で空へ飛び出したのだという。

 それを確保、回収し、対白の魔王用の移動要塞としたものが、この壮絶な冗談のような飛行物体……城塞都市ガガンの始まりであると言われている。


 くり抜かれたその内部に搭載された無数の兵装。全面に施された堅固な城壁と魔法障壁による、絶対無敵の防御力。

 小回りできない弱点を補うための、二百を数える飛竜隊。戦巨竜と正面から激突しても揺るがない、鍛え抜かれた重装歩兵とそれを率いる百戦錬磨の指揮官たち。


 その戦力は五大国にも迫ると言われる傭兵組織――それがガガンである。

 白の魔王戦への投入こそ間に合わなかったものの、成立して以来この都市が参加した側の国家が戦争で負けた例は一度も無い。


「オレも見るのは初めてだ。聞いてた以上にトンデモねェな」

「為すべき行いを為すのみです……それで、どう潜入するのですか?」


 そんな無敵城塞に今、一人の神子と一人の忍者が挑もうとしていた。




   ○   ○   ○




「トミー=ボナンザ……クアンプール出身の行商人か」


 兵士が許可証を一瞥してから本人を見る。杖を手にした、三十過ぎのでっぷりと太ったメガネ男……本人で間違いはなさそうだ。


「ガガンでの商売を希望しているそうだな」

「ええ。ここの兵隊さんはたいそう羽振りが良いそうで……へへへ」

「ふん、確かに給料はいいがな。それで商品はなんだ。嗜好品と書いてあるが」

「そりゃあなた、荒くれぞろいの場所に運ぶ嗜好品ったらアレですよ……入ってこい!」


 メガネ男が外に向かって叫ぶ。フード付きの白いマントで全身をすっぽり覆った小柄な人物が、どこかためらいがちに天幕の中へと入ってきた。

 立ち居振る舞いに気品がある。清涼な風のような雰囲気をまとった、この場にはあまりにも不似合いな存在だった。


「おいっ! 教えた通りにするんだ!」


 メガネ男が怒鳴る。ビクッと体を震わせ、白マントの人物がフードを外した。


「ほう……」


 十代半ばの少女である。色白の肌、円らな瞳、整った目鼻立ち。まだあちこちに幼さを残すものの大層な美貌の持ち主で、今はそこにどこか脅えた表情を浮かべていた。

 少女が恐る恐るマントを左右に広げていく……現れたのは一糸まとわぬ未発達な肢体。一言も無しに凝視していた兵士たちの誰かがゴクリと喉を鳴らした。


「おい……奴隷売買は禁止されているぞ」

「はっはは! そんな悪いことしませんよ、これは“家政婦”でございます!」

「ほう、家政婦……家政婦ねぇ」

「家事は一通り仕込んでありますが、あっちの方はネンネでさぁ!」

「そういうのが好きなのもいるが、まだガキじゃないか。一回で壊れっちまうぞ」


 少女のヘソの下を舐めるように眺めて兵士たちが笑う。目に涙を浮かべて、少女は唇を噛み締めた。


「これ、いくらだ? なんならここで買ってやるぞ」

「ひっひひひ。そこはまぁいろいろと、高い値をつけてくださった方にお譲りしようかと……まぁ、買い手がつかなかったら三日後のオークションにでも出しますよ」

「ハッ! オークションに家政婦とはな!? まぁいいだろう、ガガンへのパスを発行してやる……しっかり稼いでくるがいい」

「はぁ、いやいや、こりゃ、ありがたい! では皆さん後ほど……おら、行くぞ!」


 メガネ男に怒鳴られ、少女が半泣きになりながら彼と共に天幕を後にする。兵士の一人が胸に触ろうと手を伸ばしたが、それを直前でスルリとかわして走り去った。


「……あれ?」

「何やっとるか。次の者、入れ!」






「いや~、最後ヒヤッとしたぜェ。あそこはちょっと触らせてやらなきゃダメだろ」

「…………」

「しかし、アレだな。御嬢もなかなか芝居が上手いじゃねェか。特にホレ、あの泣いてるところとか。アイツら完全に騙されてたぜ」

「……のです」

「は?」

「本当に泣いていたのです!」


 無敵のガガンに唯一弱点があるとすれば、補給に難があることだろう。

 何しろこれだけの巨体に加え、人員の数も桁違いだ。戦をすればもちろんのこと、そうでなくとも日々すさまじい量の物資を必要とする。


 そのためガガンは、定期的に同盟を結んでいる都市に赴いては大量の物資を補充するのを常としていた。そのおこぼれに与ろうと、ガガンへの逗留を望む行商人は少なくない。

 そこを利用して、慈乃とザンは商品とそれを扱う行商人という設定でガガンへの侵入を試みたわけなのだった。


「大体どういう発想なのですか、商品が私というのは! 提案された時は気が遠くなりましたよ?」

「それが一番面倒がねェんだよ。実際に兵士どもメロメロだったじゃねぇか」


 都市としてのガガンは、大きく分けて四つの区画に分かれている。

 職人や商人といった一般の者たちが暮らす第一区画。主に兵士が住む第二区画に、将校の屋敷がある第三区画。最後に、司令部などの重要施設がある第四区画。

 区画の数が大きくなればなるほど立ち入りの制限が厳しくなる。慈乃たちは第一区画にて宿を取り、それぞれが持ってきた荷物を紐解いているところだった。


 ザンが変装用の服を脱ぐと、彼が詰め物に利用していた二人の荷物がバラバラ落ちる。衝立を挟んで服を着替えながら、集めた情報を再確認した。


「ここにライゴウ様が囚われている、という情報は本当なのでしょうか?」

「まず間違いないだろう。あの時にライゴウが樹海で取っ捕まったとして、各国の動きを見りゃある程度は予測できる。捕まえた後はまた派手にドンパチやってたみたいだし」


「確か、ガガンはライゴウ様をユートム教団に対する手札ではなく、商品として見ている……三日後のオークションに出品される予定ということでしたね」

「そゆこと。潜入にも成功したし、それぞれ独自に行動する予定だし、ぶっちゃけやり方も目的も重ならねェし、そろそろ頃合いだと思うんだよな。お~い、御嬢」


 何がですか、と振り返ろうとして、喉元に剣を突きつけられる。

 その両目に、切っ先に、彼特有の粘っこい殺気を濃密に纏わせてザンが笑う。


「オレはライゴウを殺したい。御嬢がヤツをどうしたいのかよく知らねェが、少なくとも殺したいワケじゃねェことくらいは分かる。つまりオレらは競争相手だ」


「…………」

「妙な感じで続いてきたが、いつまでもってワケにはいかんわな。ここらで敵を一人減らしておくか? “聖女殺し”って肩書きも悪くねェし……どうすっかなァ、御嬢?」


「……………………ここで私を殺せばあなたも死にますが、それでよろしいのですか?」

「へ?」


 ザンが視線を落とす。慈乃の持つ杖の一端が、彼の心臓の位置に突き付けられていた。

 目を凝らせば、そこに凝縮された風が絡みついていることが分かる。今制御を失えば、その全てが解放されてザンの心臓を撃ち貫くだろう。


 しばし無言で睨み合う……先に引いたのはザンの方だった。


「ぐげげげ。怖い目するようになったなァ、御嬢。ちょっと前ライゴウの後ろで震えてたのが嘘みたいだ。今の御嬢を見て聖女様扱いするヤツなんざ、どこにいねェよ」

「好きなように言いなさい。私はただ、為すべき行いを為すのみです」

「カッコイイなァ。きっと人も殺せるようになるぜ、その言葉吐きながらよ。最初の一人にはされたくねェし、オレはちょいと河岸を変えさせてもらうぜ」


 ザンが荷物をまとめて部屋を出る。最後に扉を締める前に振り返った彼に、慈乃は素直に頭を下げた。


「ありがとうございました」

「は?」

「あなたにはいろいろと言いたいことがありますが、とてもお世話になったのも事実ですので。あなたに助けていただかなければ、私が今日ここにいることはなかったでしょう」


「……いや、あの……御嬢、ここはお互いにシビれる台詞言って別れるところだぜ?」

「では、今の言葉が私からのシビれる台詞ということでお願いします」


 そう告げる。石でも噛んだような複雑な顔をして、ザンは慈乃の前から去っていった。


(……これで一人きり、ですか)


 もう誰にも頼れない。改めて見回した部屋の中は、なんだかひどく広く感じた。

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