2 神弟


 聖都クオンツァ。聖者クオンが生誕した地である。


 グース大陸の東端、リュウグウ列島に位置するユートム教最大の聖地。その教徒ならば一生に一度は巡礼することを願う場所。

 季節によって鮮やかにその色合いを変える景観。この地方独特の、木材のみを組み合わせる技法で造られた小奇麗な家々。


 世界中のどこにも類を見ない特有の自然と文化に恵まれたこの地のことを、“ユートムのおもちゃ箱”などと呼ぶ向きもある。その絶大な権力をもっていかなる国家の干渉をも退ける同宗派の最大拠点――それこそがこの都市だった。






 ジングウを訪れた慈乃は、護所の一室へと案内された。


 草を緻密に編み込んだ敷物に覆われた部屋へと通され、そこでとある人物と面会する。両膝を地につき、脇を締め、拳と掌を胸の前で重ねて深々と頭を下げる――ユートム教団における最大の礼の姿勢を取り、慈乃は彼への敬意を表した。


「お会いできて光栄です。フィルウィーズの神子、東雲慈乃と申します」

「こちらこそ会えて嬉しいですよ、ユートムの小さな欠片。ようこそ聖都クオンツァへ」


 尋常ならざる風格を備えた、大柄な老人である。皺だらけの顔は穏やかな笑みを湛え、対面する者の心を落ち着かせる。首に下げるは希少な鉱物が混ざり合った三種金の聖具。上品に飾られた神官服が、老人がただならぬ地位にあることを示していた。

 神弟――ユートム教団の最高位に位置する人物である。


「フィルウィーズからの巡礼、無事に果たされたようで何よりです。いかがでしたか?」

「世界の広さをこの目で見て、己の小ささを感じてまいりました。旅の中で学んだ様々なことは、ジングウの中だけでは学べなかったでしょう」

「素晴らしい旅だったようですね。旅の中で血肉とした経験は、これからのあなたの修行の大いなる助けとなることでしょう。後学のため詳しく話してもらえますか?」


 厳かな――それでいて有無を言わさぬ口調で神弟が言う。私的な面会という形を取り、慈乃の旅を“巡礼”と断じるところからすると、教団はライゴウと無関係であることを、少なくとも公の場では装いたいようだ。


 乞われるまま旅の全てを語る。ライゴウのこと、知っている限りの彼の秘密、旅の中で出会った者たち。時折り神弟が質問を挟み、それに返答する。

 雰囲気こそ穏やかだが、まるで尋問のような――いや、実際に尋問なのだろう。全てを話し終えると、神弟は慈乃に歩み寄り、慈愛に満ちた微笑を浮かべてその手を取った。


「神子の身ながら、それほどの難行をよくぞ乗り越えましたね。あなたの成した行いは、後の世のユートムの使徒たちの誉れとなるでしょう」

「そのようなお言葉をいただけるとは、望外の喜びです。右も左も分からず、ただ必死に考え無我夢中に振る舞っていただけだというのに」


「それこそが、あなたが真摯に修行に励んできたということの何よりの証左なのですよ。さて、これからどうされる。望まれるのならフィルウィーズへ送り届けてさしあげるが」

「お心遣い、感謝の言葉もありません。ですがお許しいただけるのであればしばらく逗留し、この聖都クオンツァでしか学べないことを学びたいと思っております」


 柔らかく細められた目の奥で、しかし瞳は笑っていない。そんな神弟の視線を正面から受け止めて、慈乃は己の望みを口にした。


「聖者クオンの記した『冥界踏破』……その原本の閲覧を私にお許しください」

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