3 出立


「ライゴウ様!」


 ザンが倒れたのを見て、ライゴウの側へと駆け寄る。軽く血を振り払うと、ライゴウはザンが使っていた剣を拾ってあれこれと調べ始めた。


「重さと硬さはあるが、切れ味は劣悪だな。叩き切るといった使い方をする類の剣か」

「ずいぶんお詳しいのですね。ライゴウ様は剣士だったのですか?」


 そう尋ねる。慈乃の顔を一瞥し、ライゴウは吐き捨てるように「ああ」と答えた。


「改めて礼を言う。助言、助かった。倒すとなると厄介な相手だった」

「そんな、お礼を言わねばならないのは私の方です。私を救ってくださったこと、心より感謝いたします。しかしあのような奇怪な術があるとは……世界は広いのですね」


 ザンの死体を見やる。剣を捨てると、ライゴウは荷物をまとめ始めた。


「移動するぞ。血の匂いを嗅ぎつけて、すぐに狼がやってくる」

「では、生き返らせましょう」


 そう提案する。珍しくライゴウがポカンとしていた。


「……生き返らせる? この連中をか」

「はい。今から浄文の構成を考えて、日の出と共に始められるようにしておきましょう」


 荷物の中から灯りと測量道具を取り出し、早速準備に取り掛かる。そんな慈乃を、ライゴウは理解できないといった面持ちで眺めていた。


「他はともかく、このザンという男はお前も殺そうとしたのだぞ」

「それとこれとは別です。ユートムの使徒として、死者をそのままにはできかねます」

「そこに死者がいれば、何者であろうと生き返らせるというのか」

「はい! 異端認定された者ならともかく、それが私たちの使命ですから」

「……理解できん」


 生者を一冊の本に例えるとする。この時、肉体は装丁なども含めた本そのもの、精神はその本に書かれている全ての文章だと捉えることができる。


 ならば“魂”とは何に該当するものなのか――インクである。


 人が死を迎えるというのは、先ほどの例えで説明するのなら、燃やされたり風化したりといった形で本がその状態を保てないほどに損壊する……ということである。

 同時に文章も本から剥がれ落ち、本に書かれていた時の形を失い、ただのインクの状態となって霧散する。そうやって散っていったインクは新たに生まれる別の本に文章を書き加える際にどこからともなく集められて使用され、こうして生命は循環していく。


 だが、この“本から剥がれ落ちたインク”は、しばらくその形を保つのである。それを観測し、精密に分析することで、本の形状を再現するに足る情報が手に入る。


 この情報に従い本を再構築。そこに、回収したインクを文章もそのままに貼り付ける。こうして生前と同じ肉体、同じ精神、同じ魂を持った人間が完成するという寸法だ。


 五人分の魂を観測、回収、分析し、肉体を再構築するための情報を集める。この時気をつけなければならないのは、このまま復活の呪文を使うと蘇った直後にまた死んでしまうということである。死因となったダメージもそのまま再現されてしまうためだ。


 一人一人がどうやって死んだのかを調べ、蘇生と同時にその傷は治るように浄文を組む必要がある。要求されるのは高度な医学知識と桁外れの演算能力、加えて一種の勘だ。

 手間も時間もかかるその作業を続け、日の出と共に浄文陣を描き始める。ちなみに日中しか復活の呪文が許されていないのは、神官の負担軽減と暗い中での作業でミスをしないようにするための二点が主な理由である。


わがまえのゆうとむよ

 ひよつきよゆめようつつよ

 とわなるせつなる

 よろずをなすちょうじんよ

 畏々かしこみかしこみもうしそうろう


 ともあれ。かくして。


われうれうはもうじゃのなげき

 われこばむはしせるつらなり

 われもとめるはゆきさるたましい

 われみちびくはおのれとうつしみ

 われうたうはいのちのよろこび


 再び焚き火を熾したライゴウが、無表情に見守る中。


めいかいのもんのはざまより

 はかなきみたまよめぐりてかえれ

 あまつちのことわりをこえて

 かみなるいりょくをあらわしたもう

 しんにしんにねがいたてまつる


 名も知らぬ四人の男と、ザン=ミナモトは蘇生した。






「いやぁ、助かった。ありがとよ聖女様」


 傭兵たちは復活を喜び、慈乃への感謝を口にした。眠い目を擦りながらそれに応じる。

 ザンはまだ目覚めていない。恐らく自分が蘇ったことに気付いていないのだろう。


「……ではあなた方は、ライゴウ様が誘拐犯だという話を信じて、私を助けるために来てくださったのですか?」

「ああ。あっちこっちのジングウで大々的に言ってたんで、すっかり信じ込んじまった」

「聖女様らしい神子が、ジャルハンの飯屋で説法しながら働いてるって情報を掴んでな。急いで駆けつけて、こうして森の中まで追い掛けてきたってわけさ」


 どうやら誤解が誤解を招き、大変なことになっているようである。このままでは彼らのような者たちにいつまた狙われるか分かったものではない。


「誤解を解かなければ……ライゴウ様、一刻も早くアルメルティに向かいましょう」

「……まぁ、異論は無い」


 彼にしては含みのある言い方である。それを見て、自らを鑑み、この事態を招いた原因が何かを考え、そして慈乃は理解した。


 ――つまり、これが恥ずかしいという感情か。




   ○   ○   ○




 空飛ぶ布に乗って去っていった聖女と誘拐犯(だと思っていた男)を見送り、傭兵たちは眠り続けるザンへと視線を移した。彼らにとっては、他ならぬ自分自身の仇である。


「……どうする?」

「決まってるだろう。コイツを仕留めたってことになりゃ、オレらの名も挙がるしな」


 傭兵の一人が倒れたままのザンに近づく。その首を落とそうと剣を振りかぶり――次の瞬間、逆に無数の剣を全身に突き立てられて倒れ伏した。

 無拍子で飛び起きたザンが、闇色の疾風となって驚く傭兵たちの間を駆け抜ける。ついさっき生き返ったばかりの傭兵たちは、血と肉の塊と成り果てて再び絶命した。


「……クソが」


 ザンが忌々しげに吐き捨てる。その両の瞳には暗い炎が宿り、顔は激情で歪んでいた。


 昨夜からの一部始終が脳裏から離れない。御することのできない激しい衝動が魂を縛り上げる。どうすればいいのか分からないが、どうしたいのかだけは分かっていた。


「殺してやる……殺してやるぞ、ライゴウ=ガシュマールウウウウッ!」


 この日、ザン=ミナモトは生まれて初めて本気で誰かを殺したいと思った。

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