2 残忍


 ジャルハンとアルメルティの間には、広大な森林地帯が広がっている。

 地図も無く、昼なお暗い魔性の森である。アルメルティの魔法実験の廃棄物処理場で、得体の知れない怪物がうろついているという真偽不明の噂も流れている。ジャルハンからアルメルティへ向かう場合、この森を大きく迂回するルートが一般的である。


「ですが、直線で行けば近道できるのも事実です。ここは空からまっすぐ進みましょう」


 そんな慈乃の提案をライゴウも受け入れ、二人はその魔性の森へと進路を取った。


 一日で渡り切るには距離があるので、森の中で一度野宿することになっている。どこか休めそうな場所は無いかと、空飛ぶ布の速度を緩めながらのんびりと移動した。


 太陽が西に傾いた頃になって、サラサラと流れる綺麗な小川を発見する。ここなら飲み水にも困るまいと、降り立って日の出ている内に野宿の準備を始めた。

 ライゴウに教わりながら食べられる野草を採り、焚き木……枯れ木の枝を集める。森の中を歩く内、不意に視界の隅に鮮烈な色彩を認め、慈乃は足を止めてそちらを見やった。


 それは、崖の中腹に咲く一輪の花だった。ごく淡く色づいた雪白の花弁が目に映える。小さな花なのに、一度見たら二度と忘れないような強い印象があった。


 あれはなんという花なのだろう。少なくともフィルウィーズでは見たことが無い。


「シロムクの花か。そういえばそういう季節だったな」


 背後から声。振り返ると、焚き木を抱えたライゴウがそこにいた。


「シロムク……それがあの花の名前なのですか?」

「そうだ。グース大陸東部の花なんだが……こんなところに咲いているとは珍しい」


 話を聞きながら白い花を見詰める。一途に鮮やかに、それは命を輝かせていた。


「……花は、何故咲くのだろう」


 出し抜けにライゴウが呟く。慈乃が視線を向けると、彼は物憂げに言葉を続けた。


「花はいつか枯れる。枯れずに咲き続ける花など無い。滅びることが最初から決められているのなら、それが避けられぬ定めであるのなら、花は何故咲こうとするのだろうな」

「それは……実りを成すためなのではないでしょうか?」

「この辺りで咲いているのはあの花だけだ。鳥が種を運んだのか、あるいは誰かがここに株を植えたのか……いずれにしろ、一輪だけでは実りを成すこともできまい」


 言って慈乃が集めた焚き木も一緒に抱えると、ライゴウが荷物を置いた場所へと戻っていく。彼を追いながら、慈乃はもう一度だけ振り返ってみた。


 咲き誇るただ一輪の花は、どこか寂しげに見えた。






 焚き木に火を点け、小川で水を汲み、料理を作る。わざわざ調味料や調理道具まで荷物の中から持ち出して初めての料理に挑む慈乃を、ライゴウが呆れながら眺めていた。


「……荷物は増やさないよう努めるのが旅のコツだぞ」

「そうなのですか? ジングウの料理長も、ジャルハンの食堂の主人も、このようにして食事を用意していたのですが……」

「街での食事と旅での食事は別物だ。まぁ、好きにしろ。火の番は俺がする」


 素っ気なく言って、ライゴウが焚き火へと視線を落とす。相手にこれ以上会話を続ける意志が無いことを感じ取り、慈乃は少し落胆しながら食事を済ませて横になった。


 布に包まって夜空を見上げていると、自分は旅に出たのだという実感が湧いてくる。

 小川のせせらぎ。聞いたこともない奇妙な鳥の声。火の粉が弾ける音。静かで、不気味で、それでいてなんだか懐かしいような……不思議な感覚だった。


「……ライゴウ様」


 気が付くと、慈乃は傍らにいる青年の名を口にしていた。


「あなたが死を望むのであれば、私はそれを止めるつもりはありません。ですが、分かりません……なぜあなたは己の生を忌み嫌い、死を望むのですか?」


「……それは、お前に話さねばならないことなのか?」


「そういうわけではありませんが……疑問が尽きないのです。死を恐れる、生き延びようとする、それは生者の常です。百年前、聖者クオンが復活の呪文を完成させた時、人々はこの上無く喜んだと聞いています。なのに、どうしてあなたは――」


 真逆の道を行こうとするのか……そう続けようとして、言葉を飲む。


 チラリと目を向けた先にいるライゴウが、何かを深く考え込んでいる。苦しいような、切ないような、まるで深い古傷を自らさらに抉ろうとするような、痛々しい表情だった。


「……復活の呪文とやらは、二百年前の死者でも蘇らせることができるのか」

「その……無理です。人の死後、魂が記憶を留めておける時間は五年から十年と言われています。それ以前に死んだ人を生き返らせることは、私たちにも不可能です」

「そうか……なら、いい」


 慌てて夜空に視線を戻す。ライゴウの言葉は、なんだかとても寂しそうに聞こえた。


 ライゴウが生き返らせたい相手。二百年前に死んだ誰か。それは何者なのだろう。

 ぐるぐるぐるりと思索が巡り、破裂音と共に視界が白く染まったのはその時だった。


「……!?」


 目と鼻に猛烈な刺激を感じる。息が苦しい涙が止まらない、何も見えない分からない。いったい何が。直前に何かが爆ぜる音が聞こえた……煙幕?

 咳き込みながらも思案して、そんな結論に達したところで、包まっている布ごと強引に抱き上げられる。状況の変化に身と心が追い付かない。


「聖女様はお助けした! あとは誘拐犯だ、やっちまえ!」


 間近で聞こえる聞き覚えのない声。喧騒が響き、誰かが叫び、誰かが倒れる。


「…………な、なんだと」


 自分を捕まえている何者かの手が強張る。布から顔を出して周りを見回すと、焚き火の辺りに倒れ伏す二人の男と、立ち尽くすライゴウの姿があった。


「ライゴウ様!」


 必死にもがいて拘束から逃れ、ライゴウに駆け寄り、改めて背後の何者かを振り返る。帯剣し革の鎧と鎖帷子とで武装した、傭兵か賞金稼ぎといった風情の人物だった。


「つい反撃した。先に仕掛けてきたのはお前たちだ、異存は無いな」

「……どうやら相当な腕利きらしいな。ちと荒っぽくなるが、賞金がかかってるんでな」

「待ちなさい! どのような謂れで私たちを襲うのですか。あなたたちは何者なのです」


 男が剣を抜くのを見て、ゆるりと進み出て一喝する。埒外の言葉をかけられたという風に男が慈乃を見る中、森の中からガサリと音がした。


「……おい、なんで聖女様が誘拐犯を庇うんだ?」

「俺が知るか。何しろ大した色男だ、子供といっても女は女ってことじゃねぇのかい」


 茂みの中から、弓を手にした男が現れる。どうやら何か壮大な誤解が生じているらしいことに慈乃が気づいたところで、不意に立て続けに鈍い音が響いた。

 剣の男が前のめりに倒れる。その背には、七本もの剣が突き刺さっていた。


「こ、これは……」


 一本は頸椎を断ち、一本は神経叢を抉り、二本は肩口から斬り込んで肺を潰し、残りの三本はそれぞれ異なる角度から正確に心臓を貫いている。どれ一つ取っても致命傷という攻撃を瞬時に七回も繰り返す、異常な攻撃性を感じさせる殺し方だった。


「 ぐ げ げ げ げ げ げ げ げ …… 」


 森の闇の中から怪笑が響く。弓を持つ男が露骨に顔色を変えた。


「あ、あの殺し方……まさか……まさか!?」

「何か心当たりがあるのですか? あなた方の仲間……ではないようですが」

「仲間!? ふざけるなッ、アレはそんなモンじゃない! ヤツが、あのザン=ミナモトが聖女誘拐犯を狙ってるって話は本当だったんだ!」

「ザン……?」

「“無尽剣”! “一城首”! か、勝てるわけがねぇ……こんなところで!」


 踵を返して男が逃げ出す。その前に突如として現れた影が、無造作に彼を切り捨てた。いかなる技によるものか、一瞬で無数の斬撃を受けた死体が血煙りと共に倒れ込む。


「ぐげげげげ。そうだよなァ、こんなところじゃ死ねねェよなァ。ここで仲間が死んでるのを伝えなきゃ、復活の呪文をかけてもらうこともできねェもんなァ」


 黒目黒髪に黒いヒゲを生やした、痩身の男である。黒を基調とした装束を身にまとい、両手には柄に小さな輪のついた鍔の無い剣を下げていた。


「一人は逃げ伸びて、ユートムの使徒に泣きつかねェとなァ。もう無理だけどよ」


 焚き火の近くに倒れていた二人にもトドメを刺して、剣についた血をペロリと舐める。傭兵風の男が持っていた剣を拾ったライゴウが、慈乃を庇う位置に無言で進み出た。


「よう、賞金首。恨みは無いがどうでもいいが殺す。抵抗しろ、その方が楽しい」

「賞金首? ……ライゴウ様が?」


 黒装束の男が慈乃を見る。微塵も隠す気の無い濃密な……もはや下品といって差し支えない域に達した殺気を浴びせられ、ほとんど本能的にライゴウの背に隠れた。


「そうだよ。こっちのカッコイイ兄さんは、ユートム教団が指定した賞金首だ。ズバリ、罪状は聖女誘拐! なんとビックリ金貨三千枚だとさ。太っ腹だよなァ、おい」

「聖女誘拐? ……誤解です! 私は自分の意志で、ライゴウ様の後を追ったのです!」

「へぇ、じゃあ駆け落ちか。聖女様を惑わすとは、兄さんなかなかやるねェ」

「か、駆け落ち……? 違います、そのようなつもりでフィルウィーズを出たわけでは」

「どうでもいいんだよ、ンなことは。オレの前に殺していいヤツがいて、殺していいヤツがオレの前にいる……このザン=ミナモトにとってはそれが肝要、それで十分」


 黒装束の男――ザンが、両手に剣を構えて体をグウッと沈みこませる。ライゴウが慈乃を軽く後ろに突き放した。


「離れていろ。死ぬぞ」


 ザンの足元が爆ぜる。二本の剣を縦横無尽に振り回し、ライゴウを轟然と攻め立てる。


「ぐげげげげげげ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ!」


 その顔は喜悦に歪み、口からは涎が垂れ、明らかに殺戮に酔っている。それでいてその剣筋には寸分の乱れも無い。食らえば即致命傷の斬撃が、暴風雨のごとく吹き荒れる。


 ライゴウがそれを避ける。見切る。防ぐ、受ける、止める、往なす、押さえる、弾く、流す、凌ぐ。無数の剣戟の果てに生じた僅かな隙を逃さず、踏み込んで肩をブチ当てる!


 同じ速度でザンが退く。体当たりは不発。そこにザンが両手の剣を投げつける。一本は体を強引にねじって回避、その勢いを利してもう一本は切り払う。


 ライゴウがさらに踏み込み、丸腰になったザンに斬りつける。響き渡る鋼の悲鳴。どこから取り出したのか、ザンの両手には新しい剣が握られていた。


 慈乃の心臓が数回脈打つ程度の間に起きた攻防である。目で追うのがやっとだ。固唾を飲んで見守る――それくらいしかできない。


「なるほど無尽剣か。先ほどお前が殺した男が言っていたな」

「ぐげげげ、楽しいなァ。久々に楽しいぜ。強いヤツは大歓迎だ……殺し甲斐がいがある!」


 ザンが後方に大きく跳ぶ。宙にある内に、今度は一本ずつ、時間差をつけて両手の剣を投げつける。ライゴウがそれを一本ずつ切り払い、間合を詰めんと前に出る。


「ぐげげげげげげげ!」


 距離を取って着地したザンの哄笑が響く。見せつけるように眼前に掲げたその両の手の指の間に一本ずつ、合計して片手で四本両手で八本もの剣が握られている。


「死ね死ね死ね死ね死ねェ! 死ね死ね殺す殺す殺す殺す死ね殺す死ね死ねぇえッ!」


 八本の剣が放たれる! 四本は切り払い、二本は避け、一本は外れた。しかし、途中で不自然に軌道を変えた一本がライゴウの肩口に突き刺さる。


「ぬっ……」


 よく見れば刃が湾曲している。そのために空中で軌道が変わり、避け損なったらしい。


「ラ、ライゴウ様……っ!」

「ぐげげげげげげ! そらそらそらそら次々行くぞォオオオオッ!」


 ザンの手に新たな剣が現れる。立て続けに投げつける。あのものは直線を、あるものは曲線を描いてライゴウに迫る。容赦の無い剣の雨が降り注ぎ、ライゴウがそれを防ぐ。


 さらに剣の雨が続く。三回、四回、五回、六回――


(あんなことをすれば、すぐに手持ちの剣が尽きるはず! それまで耐えれば……)


 七回、八回……十回……十三回……!


(そんな……はずが……)


 ザンの剣が尽きる様子が無い……いったい何本隠し持っている!?


 恐るべきはしかし、ライゴウもまた然り。初回の一撃以外は全て防ぎ切っている。防御に専念するあまり足は止まっているが、それを差し引いても驚異的な技量だ。

 ザンが剣を投げ、ライゴウがそれを防ぐ。見る見る内に剣の山が築かれていく。壮絶な攻防を少し離れて見守っていた慈乃は、その異変に気づいて思わず声を上げた。


「ライゴウ様、後ろです!」


 ライゴウが咄嗟に背後を見やる。両手に剣を構えたザンがそこにいた。


「ぬっ……!?」


 正面には剣を投げるザン。背後からは剣を手に迫るザン。

 幻術の類ではない。本当に二人いる。


 さすがに防ぎ切れぬと判断し、ライゴウがその場を飛び退く。待ってましたとばかりに茂みから飛び出したもう一人のザンが、ライゴウの腹部に剣を突き立てた。


「ぐ……っ!」


 ザンがライゴウの腹を深々と抉る。ザンがライゴウの脳天を叩き切る。ザンがライゴウの心臓を串刺しにする。斬る、刺す、刻む、砕く、潰す、殺す! 殺す! 殺す!


「「ぐげ! げげげ! げげげげげ!」」


 三人のザンに滅多斬りにされ、ライゴウは肉塊と成り果てて地に伏した。


「ミナモト忍法、分身の術ってな。たまげたか? 恐れ入ったか? 死んだか? あ?」


 最初と最後に現れたザンが消えて、残ったザンが愉悦を顔に浮かべてライゴウの亡骸を足蹴にする。慈乃はといえば、その様を声も無く見ていることしかできなかった。


「こんなモンか。まぁ、強かったけどよ」

「なぜこのようなことを……誤解だと言ったではありませんか!」

「どうせ生き返るだろうが。死体にして連れてくことのどこに不都合があんだよ」


 ザンがニタニタと笑む。逃げなければと頭は命じているのに体が動かない。ズカズカと大股で近づくと、ザンは無遠慮に慈乃の顔を眺めてきた。


「……綺麗な頭蓋骨してんなァ。こんなに形がいいの初めて見た」


 動けないでいる慈乃のアゴを片手で掴み、めつすがめつ観察する。振り解こうと足掻くがビクともしない。そのまま首やら腕やら、こちらの体を無遠慮に触ってきた。


「ほっそい首だな、オイ。片手で簡単に折れそうだ。手足も細いし、胸板も薄いし、肌もなまっちろいし……誘拐犯は歯応えがあったが、聖女様の方はザコかよ」

「……私を殺すのですか」

「当然だろ。これで今日から“聖女殺し”、オレもなかなか箔がついてきたじゃねェか」


 ザンがどこからか剣を取り出し、切っ先を慈乃の首に突き付ける。その冷たさに思わず後ずさると、歩調を合わせてゆっくりと前に進んできた。

 戦わなくては、抗わなくては、そんな意識はとっくに霧散していた。暴れる重竜のそれなどとは比較にならない、自分のみに向けられた“本物の殺意”が心を挫く。


「そもそもオレはユートムの使徒って連中が大っ嫌いだ。代々暗殺者だったオレの里は、お前らのお陰で商売あがったり。で、最後の後継がこのオレってわけだ」

「その恨みを……私で晴らさせろと?」


 背に何かが当たる。大木の幹まで追い込まれた。腰が抜けその場に座りこむ。


「里の恨みとかはどうでもいい。だがオレはそういう場所で育ち、そういう技を学んだ。せっかく苦労して会得したんだ、使ってやらねェとオレも技もカワイソウだろ?」


 ザンの双眸に喜色が浮かぶ。肌を貫き心を犯し、魂さえ嬲るような殺気が押し寄せる。

 膝が震える。感情の動きを抑えられない。声を出さずにいるのがやっとだ。


「何より、オレは人殺しが大好きだ。だから殺す。誰でも何人でも老若男女皆殺す」


 冷たい針のような悪寒が総身を蝕み、体の自由を奪う。呼気と思考は乱れ、ただ自分はこの男に殺される、もう逃げられないのだという事実だけが頭の中を支配する。


「高潔な聖女様ってな、どんな悲鳴を上げんのかなァ……蹴り飛ばした犬みたいにキャンキャン吠えんのか? 首を折ってやった小鳥みたいにギエ~、って変な声で鳴くのか?」


 そんな己をどこか遠くで眺めているような感覚に陥りながら、慈乃はそれを理解した。

 ――これが、恐怖というものなのか。


 復活の呪文があろうと、蘇られると知識として理解していようと、死ぬのは恐ろしい!


「まぁ、たっぷり聞かせてくれ。まずは両手両足切り刻んでやらァ」


 思わず瞳を閉じ、全身を強張らせ――その時だった。


「質の悪い男だな。この時代に生まれたことを感謝しろ」


 ここ十日ほどの間に何度も聞いた声が耳朶を打つ。目を開けてそちらを見れば、無数の剣を受けて惨殺されたライゴウが、しかし傷一つ無い姿で立ち上がっていた。


「ライゴウ様……!」


 安堵とも喜びともつかない何かが胸に湧き上がり、恐怖を吹き飛ばす。思わず彼の名を口にする慈乃を見て、ザンは驚きより怒りを双眸に浮かべて背後を振り返った。


「……おい、お前は殺したはずだぞ」

「面白い技を使う。少しは期待したが、お前にも俺は殺せぬらしい」

「なんで生きてやがる……復活の呪文をかけられたわけでもねェのに……!」

「その娘には手を貸してもらっている。害を為すというなら止めさせてもらうぞ」

「うるせェ! 生きてるんじゃねえよ、オレが殺したヤツがあああッ!」


 ザンが吼える、同時にその身が四体に分身する!


「死ね! 死ねよ! 死ね! 死ね死ね死ね死ねぇえええええッ!」


 四方八方から斬りかかる。隙を狙って死角を突いて、激烈な斬撃が間断無く降り注ぐ。だが信じ難いことに、たった一本の剣を手にしたライゴウが、それを悠然と防ぎ切る。


「テメエ、誘拐犯ッ! さっきは手ェ抜いてやがったな!?」

「お前の力量がどの程度か知りたかったのでな。だが、それもこれまでだ」


 一瞬にも満たない間隙を縫って、ライゴウの剣が一閃する。四人のザンの内の一人が、胴を横薙ぎにされて地に倒れ……霞のように消えて無くなった。


「外れか」

「それが本物だとでも思ったか? ンな甘い術じゃねェ!」


 ザンの分身がさらに増える。六人のザンが緩急をつけながら激しい出入りを繰り返し、ライゴウに猛攻を加える。しかし揺らがず、ライゴウはさらにその二人を斬って捨てた。


「無駄だ! 無駄だ!」


 斬られたザンが消滅し、さらにザンの数が増える。八人になったザンが、目まぐるしく位置を変えてライゴウを攻め立てる。慈乃の眼にはもう、黒と銀の旋風の中でライゴウが剣舞を舞っているようにしか見えない。


 剣の腕はライゴウの方が遥かに上だ。だがザンには分身の術がある。

 倒されても倒されてもまた増える。それが戦力の拮抗を生み出している。


(本物はどこかに隠れている……? でも、さっきは普通に分身を生み出していました。分身も分身を生み出せるということでしょうか? ……つまり分身と本物は同じ存在?)


 閃く。叫ぶ。声を届ける。


「ライゴウ様、分かりました! その分身は全て本物です! 同時に倒してください!」


 八人のザンの動きに、一瞬の動揺が走る。それが慈乃の推測の正しさを物語っていた。

 刹那、ライゴウが八人のザンの周囲を駆け抜ける!


 信じられないという顔をして、八人のザンが同時に地に倒れる。一人また一人とその姿が消えていき……最後に、一人分の遺体だけがそこに残った。

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