4 春祝祭

「では、二百年前のお生まれなのですか? ずいぶんと長く生きておられるのですね」

「死に損なっただけだ……長生きしたかったわけじゃない」






「今日はリンゴをいただきました。ライゴウ様もいかがですか?」

「いらん。何も食べなければ、その内死ねるかもしれんからな」






「ライゴウ様。どうしてあなたは死を求めているのですか?」

「死にたいからだ。生きることの本質は絶望だ……希望を失った時こそ、真の意味で人は死ぬ。生き永らえても苦しいだけだ」

「希望が無ければ、生きることには絶望しかないのですか? だからあなたは死を望むのですか? つまり、希望を失ってしまったから?」

「…………」

「……よく分かりません」




   ○   ○   ○





 世界ではいくつかの暦が使われているが、もっとも一般的なのがユートム歴である。


 一年を十二の月、六つの曜、そして三十の日に分け、霊峰ダイテンザンで雪解けが確認された日を二月一日と定める。その報がもたらされるまでは一月が続き、ほぼ確実に三十日を越える。一月が長月という別名でも知られているのはそのためだ。

 一月が長引いた分が食い込むために、二月は数日から数十日経過してから始まることが多く、二月一日という日を実際に過ごせる者は限られる。幻月と呼ばれる由縁である。


 フィルウィーズに今年のダイテンザンの雪解けの報が届いたのは、一月四十六日のことだった。今年の気候は比較的温暖で、二十日前には雪解けが確認されていたそうである。


 翌日には二月二十一日となり、そのさらに十日後……今年の場合は三月一日に、フィルウィーズでは例年通り“春の訪れ”を祝う祭が華やかに行われた。






 陽気を含んだ風が頬を撫で、様々な出店や料理が並び、人々は楽しげに歌い踊る。


 初めて見るそんな光景を、慈乃は街の広場の貴賓席から不思議な気持ちで眺めていた。

 隣に鷹揚に座っている渚が、破顔一笑して話しかけてくる。


「どうしたね、さっきから? せっかくの祭なんだ、もっと気楽に楽しみなさい」


「はい……ですが、本当によろしかったのでしょうか? このような正式な祝いの場に、神子である私が、畏れ多くも神官長のお供を仰せつかるなど」


「復活の呪文で多くの人々を救った準一等神官が何を言ってるんだい。噂の聖女を一目でも見てみたいっていう奴は少なくないんだ。ジングウの外に出るのは初めてで、緊張しているのは分かるが、いつものようにしていればいいさ」


 渚から気軽に言われて、そういうものかと納得する。改めて祭が行われている広場を見回してみると、明らかに足を止めてこちらに注目している者を少なからず発見した。


「神官長の隣にいる神子は誰だ? 見たことの無い娘だが……」

「もしかして聖女様では。今年で十四になられたとのことだから、歳格好も合う」

「なんと、あれが話に聞くフィルウィーズの至宝……!?」

「ユートムの小さな欠片! こんなところでお会いできるとは」


 同じく貴賓席に座る街長や商会長たちと渚が談笑する中、周りに勧められるまま、慈乃は運ばれてきた料理に口をつけてみた。美味しいのだろうとは思うが、ジングウの食堂のごく薄い味付けに慣れた慈乃の舌の感覚からすると、少々味付けが濃過ぎる。


 フィルウィーズはグース大陸とゾウェ大陸の間に広がる、大狭海に面した都市である。海産物が手に入りやすい一方で農耕と牧畜も盛んで、食べ物が美味しいことで有名だ。


 穀物の買い付けのため、あるいは海産物や雑多な品の売り込みのため、昔から交易も盛んで物流も豊富。国家に属さない都市としてはかなりの規模で、自治の意識も高い。

 温暖な気候に相応しく、暮らす人々も陽気な者が多い。それでいて郷土愛が強く、過去この街を手に入れようとした権力者に対して激烈な抵抗をしたことでも知られている。


 ……などと、これらは全て渚から今教えてもらったばかりの知識なのだが。


 入れ替わり立ち替わり訪れる街の者たちに渚と一緒に挨拶をしたり、勧められた料理を楽しんだり……そうやって、祭の空気に慈乃がようやく慣れてきた頃のことだった。


「なんだ、何があった?」

「重竜が暴れているらしいぞ!」


 遠方より響いてきた悲鳴と喧騒と咆哮とが次第に近づき、ややあって広場に巨大な獣が現れる。ちょっとした小屋ほどの体格と兜のような頭部を持つ四本足の竜――野生の竜を運搬用として数世代に渡って飼い慣らした、重竜と呼ばれる家畜である。

 本来は気性の穏やかな動物なのだが、一度興奮すると野生の血が目覚めるのか徹底的に暴れ狂うという困った性質を持つ。そのため街へ直接入れることは通常禁止されている。


 ……と、本には書いてあった。祭の準備で特別に街の中まで連れ込まれ、そこで何かの拍子に理性を失い暴走した、といったところだろうか?


「祭の余興にしちゃ物騒だね。慈乃、危ないからこっちにおいで」


 渚が席を立ち、そう促してくる。彼女の後に続こうと立ち上がり……そこでふと悪寒を感じて、慈乃はクルリと身を翻してその場を飛び退いた。


 ほぼ同時に、先ほどまで慈乃のいた空間に重竜が突進する。イスと机と天幕を吹き飛ばし、その先にあった小屋までも粉砕。平然とした様子で、再び慈乃に向き直った。


「せ、聖女様を狙っているのか!?」


 街の者たちが慌てふためく。挙動を冷静に観察し、慈乃は重竜が自分の着ている服……布をたっぷり使った、ヒラヒラした神子装束に反応していることに気がついた。


 恐らく逃げても追いかけてくる。それでは怪我人が増えるだけだ――ならば!


 重竜が倒した天幕に使われていた、自分の背丈ほどの棒を拾い上げる。振り心地を確かめ、その一端を重竜の眉間に突き付け、慈乃は人ならぬ相手を一喝した。


「鎮まりなさい」


 短く、鋭く――宣戦布告である。善を為すことがユートムの教えなれば、悪と戦う時もある。神子の身ではあれど超神に仕える者として、そのための術は心得ている。


 重竜が咆哮と共に慈乃に迫る。街の者たちが悲鳴を上げる。そんな中、慈乃は棒を水平に構えて編み上げた浄言を解き放った。

 風が吹き荒れ、大気が踊る。見えない壁に阻まれたが如く、慈乃の眼前で重竜の突撃が唐突に停止。なおも進もうと足を動かすが、無意味に地を掻くばかりだった。


 街の者たちがどよめく。慈乃の構えた棒に沿い、極小かつ高密度の嵐が発生している。それが不可視の障壁となって、重竜の巨体を受け止めたのだ。

 そのまま棒を軽く振るい、突撃を後方へと受け流す。不意に支えを失った重竜が派手に転倒し、再び起き上がって振り返った時にはもう、慈乃は次の攻撃の準備を整えていた。


「鉄槌の風!」


 放たれた風の槌が重竜を直撃する。巨体が真横に吹き飛び、地面をゴロゴロと転がってようやく止まる。巨獣が完全に気絶しているのを見て、人々は快哉を上げた。

 重竜を鎮められたことに安堵している慈乃に、難しい顔をした渚が寄ってくる。


「こっちにおいで、と言ったろう。怪我でもしたらどうするつもりだったんだい」

「……申し訳ありません、神官長。こうするのが最良だと思えたのです」

「わははは、別に怒ってるわけじゃないさ。お前の言う通り結果としちゃ悪くないしね。さぁ、ジングウから応援を呼んできて、怪我人の治療を始めようじゃないか」


 宙にあるものは落下し、熱した空気は舞い上がる……世は無数の理で成っている。

 その理を連鎖的に反応させ、僅かな力から強大な威力を発生させる技術が浄言である。この通り慈乃のような少女が竜を昏倒させることさえ可能だが、修得は極めて困難だ。


 必要とされるのは、森羅万象の理に通じる莫大な知識と、それを瞬時に参照して膨大な演算の解を導く常人の域を超えた計算力――脳が未成熟な幼少期以前からの徹底した訓練により形成された、特殊な神経回路を持つ者のみが、それを実戦の場で自在に振るう。

 それでも慈乃の年齢でここまで使いこなすというのは天賦の才としか言いようがなく、復活の呪文を体得したことも含めて、聖女と呼ばれる由縁にもなっているのだった。


 暴れ竜によって負傷した人々を、ジングウから駆けつけた神官たちと一緒に診て回る。幸いなことに、それほど大きな怪我をした者はいないようだった。

 一通りの処置を終え、他に治療待ちの者はいないかと、怪我人を集めている天幕の外に出る。暴れ竜の被害について、渚が街長たちと話し合っていた。


 改めて辺りを見回して――意外なものが目に入る。


 見覚えのある金色の髪の青年が、街の門へと向かって歩を進めていた。

 間違いなくライゴウである。急にどうして出てきたのだろう。気になって、追いかけて……その背中を見失ってしまったところで、名前を呼ばれて足を止めた。


「慈乃!」


 振り返った先にはミィの姿があった。片手には鍛錬で使う杖を握り、額には包帯を巻くという物々しい格好である。怪我をしているのか、包帯には赤い染みがついていた。


「その格好は……どうしたのですか? もしかして、あの重竜に?」

「重竜? なんのことです? ……それより慈乃、この辺りで彼を見ませんでしたか?」

「彼?」

「あなたが連れてきた、あの不死人です」


 視線と口調に意志がある。何かを為そうという覚悟を感じる。

 それがかえって不穏だった。去っていったライゴウと、怪我をしながらもそれを追おうとしているミィ。いったい何があったというのだろう。


「ライゴウ様ならば、先ほどこの通りを街の門へ向かって歩いておられましたが……」

「なるほど、門へと向かって……祭に乗じて外に出るつもりですね。ならば先回りして」


 何やら口走りながら去ろうとして、ミィが不意にこちらを振り返る。不思議そうに目を細めて、繁々と慈乃を見詰めてくる。なんとなく居心地が悪かった。


「慈乃……あなた、どうしてあの男の名前を知っているのですか?」

「教えていただいたのです。それよりミィ、ライゴウ様を追ってどうするのです? あの方が去るというなら、見送ってさしあげればよいではありませんか」


「できればそうしたいのですが……あの男はユートム教団を、あるいは世界全体をも揺るがしかねない存在。故に野放しにはできないと、神官長からご指示が出ているのですよ」

「世界を揺るがす……ライゴウ様が? それはどういうことなのですか?」

「話は後で。あなたは神官長のところに戻りなさい」


 今度こそミィが歩き去る。足早に移動しながら、途中で同じように鍛錬用の杖を構えた神官と合流して何やら相談しつつ、雑踏の中へと消えていった。


 あとに残された慈乃は、それを混乱した頭で見送って……背後の気配に気づいてそちらを見る。いつの間にやら、ライゴウがそこに立ち尽くしていた。


「ライゴウ様」

「世話になった。お前たちでは俺を殺せないようなのでな、他を頼ることにした」


 簡潔に言って、ライゴウが歩き出す。ミィたちが向かったのとは逆の方向だ。

 先ほど姿を見せたのは、追手を欺くためであるらしい。慌ててその背を追いかける。


「お待ちください! どこへ行かれるのですか」

「アルメルティだ。魔法がずいぶんと盛んだと聞いている」


「あなたを野放しにはできないと、神官長が仰せです。ジングウにお戻りください」

「それに従わねばならん道理がどこにある。そちらにはそちらの考えもあるのだろうが、人を問答無用で牢に閉じ込めるような連中の指示にいつまでも従うつもりは無い」

「閉じ込められていたのですか?」


 予想もしない言葉を耳にして、足を止めて尋ねる。その口調に何か感じるものがあったのか、ライゴウも歩みを止めて慈乃を見た。心底呆れたような顔をしていた。


「……どうも話が噛み合わない気はしていたが、本当に気づいていなかったのか」

「も、申し訳ありません。まさか、神官長がそのようなことをしていたとは」

「話し相手になってくれたことは礼を言っておく。良い暇潰しになった」


 それが別れの挨拶だとばかり、ライゴウは踵を返して去っていった。


 待ってくれとも、ジングウに戻ってほしいとも、もう言えなかった。それは善なる行いではない。超神ユートムを奉ずる者として、そんなことを強要するわけにはいかない。


 ならばなぜ、渚やミィはユートムの教えに反するようなことをしたのだろう?

 きっと、何か深い考えがあるのだ。“そうしなければより大きな災いが避けられない”とでもいうような、自分には及びもつかない理由が。あるいは、それこそがミィが言っていた『世界を揺るがしかねない』という何かなのではあるまいか。


 ライゴウを野放しにすることはできない。しかしジングウに閉じ込めるのも何かが違う……そもそも彼自身がそれを望んでいない。ならば、自分はどうすればいいのだろうか。


 考えるまでもない。答えは一つだ。


「失礼します。これ、いただいてもよろしいでしょうか?」


 近くの出店に寄って、天幕用の大きな布を一枚、自分の背丈ほどの丈夫な棒を一本調達する。浄言を用いて生み出した気流の上に布を敷き、そこにちょこんと正座する。

 今ならまだ追いつけるはず。気流を操り、布を天高く上昇させた。


「わぁ……!」


 それはすごい光景だった。フィルウィーズの街並みが一望できる。この浄言を用いたのは初めてだが、こうまでうまく行くと気分がいい。

 これが今まで自分のいた世界の全てで……善を為すために、自分はここを旅立つのだ。


 街から伸びるいくつかの街道を見下ろす。その内の一つ、西へ続く道にそれらしい人影を発見し、空飛ぶ布をそちらへと移動させていく。

 金色の髪、見送ったばかりの背中。間違いない、ライゴウだ。


 高度を一気に下げて、彼の隣にまで空飛ぶ布を移動させる。


「ライゴウ様、御機嫌よう」


 会釈する。歩を止めて、こちらを向いて、ライゴウは怪訝そうな表情を浮かべた。


「まず、私たちの行いを謝罪いたします……ですが、神官長があのような仰せを出したということは、何かしらの意味があるとも思うのです」


「だからあくまで連れ戻す、というのか」


「それはユートムの教えに反します。あなたを野放しにはできない、虜とするも善の行いではない……ならば道は一つ。あなたのこれからの旅に、私も同行させていただきます」


「邪魔だ。帰れ」


「その提案は受け入れかねます。今まで大変な失礼をしてしまった分あなたのお力になることが、ユートムの教えに適うことともなりましょう」


 明快に言い切る。ライゴウは何も言わず、ただそんな慈乃を眺めていた。


 長い長い沈黙の末――小さく息を吐いて、ライゴウは答えた。


「好きにしろ」

「はい、そうさせていただきます。それでは参りましょう」


 こうして、慈乃の旅は始まった。

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