3 火種


 日が西に傾いているのを見て、慈乃は儀式の間を後にした。

 今から復活の儀式用の浄文陣を描き始めると、終わるのは日没後になる。渚に諭されて以来、慈乃は日が沈む前に儀式を切り上げるよう心掛けていた。


 護所にある食堂へ向かう。そこで幾人もの神官が、書類の山を前に忙殺されていた。


 例の噴火以来、復活の儀式を待つ者の整理や寝泊まりする場所の斡旋、復興支援などの事務手続きで、フィルウィーズのジングウはかつてない慌ただしさの中にあった。


 街の有志や近隣から応援で駆けつけた神官の手も借りて、総動員体勢で対応している。用務所だけでは作業する場所が足らず、食堂の一部もこうして利用されているのだった。


 手早く食事を済ませ、水飴の入った小瓶をもらう。忙しく慌ただしく仕事をしている者たちの横でのんびりするのも憚られ、慈乃は食堂を出てジングウの外れへと足を運んだ。

 蔵を増築しようと雑木林を切り開き、そのままになっている場所である。ジングウ自体が小高い丘に建てられているため、ここからはフィルウィーズの街が一望できる。いつも静かなところで……というか、自分以外の者が訪れているのを見たことが無い。


 ここならば誰の邪魔にもならないだろう。切り株に腰を下ろし、小瓶の封を切る。立て続けに浄言を使用すると脳を酷使する。その疲労の回復には糖分の摂取が効果的なのだ。


 夕日に染まった街を眺め、西の地平に昇る黒い煙――今も噴煙を吐き出すティエンティ山を見詰める。噴火で命を落とした人たちを蘇らせることはできても、彼らが生まれた街に戻るには、長い時間と大変な努力が必要になるのだろう。

 そのために為すべき行いを、自分も為していかなければ。すべからく世に善を為すことこそユートムの教えであり、その使徒である者の務めだ。


「……そういえば」


 ふと、一人の青年のことが頭に浮かんだ。


 月夜の境内で出会った、あの人物――不死者を語り、それを証し、この身に死を与えることは可能かと問うてきた、奇怪で理不尽で慈乃の理解の範疇を越えていた青年。


 どうするべきか分からず、あの後ですぐに渚と引き合わせた。同じ方法で己の不死性を証明した彼に渚は目を丸くし、共にいたミィは死霊の類と決めつけて浄言を叩き込んだ。

 今にして思えば、きっと自分は驚いていたのだろう。結局彼の身柄は渚が預かることとなり、同時に「この件は口外無用に」と強く言い含められた。それからどうなったのかは分からない。ジングウにいるのか、どこかに逗留しているのか、あるいはフィルウィーズを去ったのか……全てが月の見せた幻だったのではないか、とさえ思う。


 何しろ、慈乃はあれ以来一度もあの青年の姿を見ていない。護所も含めればジングウの敷地はそれなりに広いが、半月もの間遠目に見かけることさえ無かったのだ。


 果たしてあの青年は何者で、どこに行ってしまったのだろうか。理由は分からないが、そんなことが唐突に気になった――と。


「そこに誰かいるのか」


 背後から、あの夜に聞いた声が耳に入ってきた。






「さて、話を聞こうか」


 用務所の一室――神官長用の私室で、渚はミィと向かい合って座っていた。


 人払いは済ませてある。浄言を用いて風を御してあるので、盗み聞きへの対策も万全。

 逆に言えば、そうまでしても秘密にしたい話を、これから始めようというわけだ。


 用意していた資料に目を落としつつ、ミィが慎重に口を開く。


「刺殺、斬殺、撲殺、毒殺、絞殺、圧殺、溺殺、墜殺、焼殺、凍殺。他にも思いつく限り様々な殺し方を試してみましたが、あの男がなぜ死なないのかまったく分かりません」


「正真正銘の不死者ってわけかい。何らかの理由で、生命力と再生力が人外の域に達しているってことはないのかね? 呪詛とか特殊な薬とか、そういったものでさ」


「それはその通りなのですが、それだけでは説明がつきません。八つ裂きにした体を別々の場所に保管しても、しばらくするとそれが消滅し、いずれかの付近に本人が完全な姿で復活するのです。どれほど細かく刻んでも、結果は同じでした」

「再生能力が高いのは一因でしかなく、アレの不死性の本質は別にあるってことかい」


「そう思われます。“死に拒絶されている”としか言い様がありません。本人が言うには二百年前に冥界に赴いた際に冥王と会い、禁を犯した罰としてこういう体にされた、と」

「冥王……冥界の王か。聖者クオンの伝説にも名前が出てくる存在だね。まさかユートムの大きな欠片以前に、生きて冥界を踏破した者がいたとは思わなんだ」


「その後は死を求める旅を続けて、ティエンティ山の火口に身を投じてようやく死ねたと思っていたが、土の中で動けなくなっていただけでまだ生きていた……とのことです」

「この間の噴火で送り返されてきたわけか。にしても、白の魔王の時代の人間とはねぇ」


「当時の文献と一致します。二百年前の人間という点については、恐らく事実でしょう」

「その内に当時の世相の話でも聞いてみたいもんだ。けど、なんだってまた冥王はあの男に不死なんてくれてやったんだ? 罰というより褒美じゃないか」


 腕を組んで考え込む。復活の呪文は、死を覆す技術である。だがそれは死ぬ直前の状態に戻せるというだけで、若返らせたり、不治の病を治したりすることはできない。

 そのため老衰や治療法の無い病で死んだ者は、復活させても長くは生きられない。それが復活の呪文の力をもってしてなお、人の命の限界なのだ。


 だが、本当にあの男が不死者なのだとすれば、不老の身であるのだとするなら、その謎を解き明かせば人は永遠を生きられることになる。死を克服するどころか、死を超越した存在になれる。それはあまりに魅力的な話だが――


「……あの男がここにいることを知っているのは?」

「細かい事情まで含めて知っているのは神官長とわたし、調査に携わった者たちと、あとは慈乃くらいですが……このまま匿い続けるのは難しいかと」


「まぁ、ジングウは誰かを捕まえておくための施設ってわけじゃないから仕方無いさね。土蔵の座敷牢に客が入っていることくらい、薄々察している神官は少なくないだろうよ」


「今のところ本人に逃げ出そうという素振りは見られません……どうなさるのですか?」


 あまりにも魅力的な話だ。それは事実なのだが……正直な話、手に余る。


 フィルウィーズのジングウは比較的規模の大きな方だが、自分たちだけであの男の不死の謎を解き明かすのは難しいだろう。実際、半月かけて調べさせた結果が今のミィの報告である。時間が経てば経つほど、彼の存在を秘匿し続けるのは困難になる。


 世界最大宗派であるユートム教を快く思わない国や組織は少なくない。あの男の存在は火種になりうる。いつまでもこのジングウで抱えておくのは危険だ。

 聖都クオンツァに連絡して指示を待つ……要するに丸投げするのが一番簡単だが、中央の権力争いに巻き込まれることもありうる。下手に話を持っていくのも考えものだった。


「いっそのこと、解放しては? いつまでも手元に置いておくよりは良いと思いますが」


「それも考えたんだが、あの男が二百年前に冥界を訪れていたとなるとよろしくないね。冥界踏破は聖者クオンの有名な伝説だ。その百年前に同じことをやった者がいる、なんて話を広められると……教団の面目は丸潰れ、火の粉がここまで飛んでくるかもしれない。まったく厄介な荷物を背負いこまされたもんだよ」


 嘆息しながら、渚は資料に記されている、不死の男の名を口にした。






「ライゴウ=ガシュマール……豪壮な響きのお名前ですね。ライゴウ様、とお呼びすればよろしいでしょうか?」


 土蔵の裏手、高い位置にある格子窓に話しかける。好きにしろ、との返事があった。


 あの青年――ライゴウは、あれから半月の間、ずっとこの土蔵に入れられているのだという。今まで見掛けなかったのはそのためであるらしかった。

 しかし何故そんなことに? 慈乃が尋ねると、憮然とした口調で声が返ってきた。


「俺がここにいることが周囲に知られれば、面倒が多くなると思われたのだろう。時代が変わっても、人間というのは進歩しないものだな」

「……なるほど」


 ユートム教の神官は、その資格として身も心も清らかであること――つまり未婚であることが求められる。そんな者たちが集うジングウに彼のような青年が長く逗留しているとなれば、確かに不審に思われるかもしれない……理屈というより感覚的にそう判断する。


「本に書いてありました。あなたのような人のことを、女ったらしというのですね」

「……あえてこれだけ言っておくが、本以外からも知識を得るべきだと思うぞ」


 面倒を避けるためというのは、つまりそういうことなのだろう。ライゴウの言葉を自分なりに解釈して納得すると同時に、蔵の外に出してもらえない彼のことが哀れに思えた。


「ライゴウ様。折りを見て、私はまたここに参ります。その時は今日のようにお話を聞かせていただけますか?」

「お前と話を? ……なぜそんなことをしなければならんのだ」

「本以外からも知識を得るべきと言われたのは、他ならぬライゴウ様ではありませんか」

「余計なことを言ったか」


 後学のためにも是非に、と頼み込む。ライゴウは無言で考え込んでいるようだった。


 ライゴウがこの蔵に入れられているのが渚の指示である以上、慈乃にはどうすることもできない。だが、こうして話し相手になれば多少は気も紛れるはずだ。

 つまり、これは善なる行い――ユートムの教えに適う行為。恥じることなど何もない。


「暇潰しにはなるか……好きにしろ」


 しばしの沈黙の後で、ライゴウはそう返答してきた。

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