第8話 平和の価値

 洞窟ねぐらに戻ろうとする僕の進路をふさいだまま、祈りと敬礼を混ぜ合わせたような、奇妙な姿勢で言葉をつむぐ少女。


「……仇が討ちたいのなら……。……力を、貸すつもりは無い」

「いいえ、復讐が望みではありません。どうか、私と共に来て、ローレシアの大宰相殿ヴェズィールに、この街で起こったことをお話し下さい」


「……話をするだけなら、君一人で十分だよ。……僕が行けば、かえって面倒なことに、なるんだろうね?」

「いいえ、その様なことはございません。大宰相殿に訴えを取り上げて頂くには、二人以上の者の証言が必要なのです。――なにとぞ、お願い致します」


「……頭数が必要なら、別に僕である必要は無い。……誰か、別の人を探すと良い。……山向こうには、同胞の街があるんだよね?」

「はい、ですが、見ず知らずの私が訪ねて行っても、話を聞くどころか、街に受け入れてくれる保証すらありません。――お願いです、どうか……」


「……面識はなくても、同じ民族かどうかは、見れば分かるのじゃないかな?……君も、言ってたよね。……銀色の髪と、空色の瞳。……その容姿が、君の身元を証明をしてくれるよ」

「――お願いします、どうか、私たちの運命を、少しなりと哀れに思って下さるのならば、お力を貸して下さい」


 まるで話の噛み合わない会話。この少女は、そうまでして喰い下がって、いったい僕に何をさせたいのだろう。その宰相とやらがいる街まで道中の安全を保障して、首尾良く宰相と対面した暁には、助け舟を出して欲しい――と、いうのは、少女の本心なんだろうか?


 今日、彼女にとっては、余りにも大きな出来事が起こった。生まれ育った街が焼き滅ぼされて、恐らくは、父母兄弟とも死に別れの憂き目に遭った。――だから、混乱しているのかも知れない。混乱して理由も良く分からないまま、近くにいる誰かに、取り敢えず依存しようとしているのかも知れない。


 ――いや、けれども、しかし。


 忘れてはいけない、人間の本性は邪悪だ。それは、この目の前にいる少女だって例外じゃない。宰相と謁見えっけんするには、手土産がいるだろう。なら、家を焼かれ、財産を失った目の前のこの少女に、いったい何が用意できる?――自分自身か、でなければこの、世にも珍しい人語を操る化け物・・・・・・・・くらいじゃないか?


 ――だから、宰相のところまで、僕を連れて行きたいのじゃないだろうか。そう考えた方が、まだに落ちる。


「……綺麗ごとはいらない。……本心が聞きたい。……いや、君がどれだけ、自分の本心を理解しているのかが知りたい。……宰相と会って、トルキアで起こった事柄を伝えて……それで、君はどうする?」


 少女の表情は、変わらない。不思議そうな仕草も、困惑した気配もない。――つまりこの少女は、問い掛けを返されて、少しも動揺していない。


「――分かりません、それは、大宰相殿がお決めになる事です。ですが、放って置かれることは無いでしょう。大宰相殿がローレシアの軍を動かせば、多くの者が救われます。私も、私たちの同胞も」


「……ローレシアの軍が、君たちを救う?」

「はい、必ずや。ゴンドワナを打ち破って、街道の街々に平和を取り戻して下さいます」


「……それで、君はどうするの?」

「私は――。もし、宰相殿が兵を動かすのであれば、一兵卒として志願します」


「……それによって、君は何を得るんだ?」

「何も――。損得で動くのでは、ありません。ただ私は、同胞が苦しむ姿を、手をこまねいて見ていたくないのです」


 筋の通った少女の受け答えは、見事なものだった。それはもう、腹の底に何かを隠しているのじゃないかと疑った自分が、恥ずかしくなる程に。――けれども、だからこそ、気に入らない。彼女は、自らの望んだモノが、どれだけの価値を持つモノなのか、これっぽっちも分かっていない。腹の底から込み上げる怒り。――ああ、こんな感情は久しぶりだ。


「……小娘。……お前は、自分が何を望んだのか、分かっていない。……お前が望んだのは、平和ではなく、流血。……王道ではなく、血で血を洗う修羅の道だ」


「……お前が望む平和は、ゴンドワナの民草の血を流して、初めて成立する。……お前が望む安息は、彼ら全てを野晒のざらししかばねとするまで、決して訪れない。……敵にそれだけの代償を支払わせた上で、もし、お前が何も望まないのなら……。……彼らはいったい、何のために死ぬ、いや、殺されるんだ?」


「……お前たちだって、羊や山羊をほふれば、当然その肉を喰らうはずだ。……肉だけじゃない、皮も、骨も、毛皮も、役に立つモノは全て、使おうとするはずだ。……獣を屠るだけ屠って、何もしないなどという愚行は、許されない」


「……だから、人を殺すなら、殺した人間の数だけ、お前は楽しめ。……それが、せめてもの供養だ。……大勢の人を殺すなら、殺した数に見合う享楽で、我と我が身を楽しませろ。……それを善しと認めぬ者に、他者の命を奪う資格はない。……これは、皮肉でも何でもない。……私が言っていることの意味が、分かるか、小娘?」


「……お前が平和を、それも、流血の上に築く平和を望むのであれば、流した血の量に見合うだけの、大いなる欲望を抱け。……野心も覚悟も無いのなら、大人しく泣き寝入りでもしていると良い」

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