第10話 水面に積み木の町

 こんな夢を見た。


 近所の道路に、横断歩道から少し上り坂となったあとに、カーブしながら下る道がある。何の変哲もない一般的な道路で、バスも通るし、近くに大きな団地や学校などの施設も多いため、車も人通りも多かった。今、私はこの道路の真ん中に立ち、ゆるやかにカーブし下るその先を見つめている。人もいなければ、車もない。春から夏に代わりかけの時期の、少し太陽の陽射しに熱が篭ったような、そんな暑さを肌が感じていた。

 ゆるやかなカーブの下り坂のすぐさきから、水の中に没している。起伏が激しい地形の場所だけど、低地になっている場所は、みんなキレイに水に浸かっていた。

 振り返る。横断歩道を頂点にはしているものの、こちら側は高台なので水には浸かっていなかった。背後にある自宅が無事なのを確認して、少しホッとしたものの、カーブの先には幼馴染の家があることに気づいて、肝が冷える。

 突然、左の耳の近くで子供の声がして、反射的に右側に体をのけぞらせた。私の左の耳の近くに、金色に輝く蛇が鎌首をもたげている。蛇は私の髪の毛の中から体を伸ばしているようだった。


 「水の中を行くのなら、あの木を辿ってご覧。」


 金色の蛇の鼻先が、道路の脇を指し示した。そこには、ひときわ目立つ街路樹が一本あった。この道路の街路樹はナンキンハゼで、実をつける時分には、硬い殻の間から、油分が豊富な白い種を道路いっぱいに落とし、それが車や人に踏まれて潰れると、アスファルトの地面に、丸く油分を吸い込んだ斑点が出来ていた。金色の蛇が刺した木は、ナンキンハゼではなく、樹皮がサルスベリのように滑らかで、かつ、豆科のような繊細な葉を繁られせ、緑色に薄く発光している。

 ゆっくりその木まで歩き始める。足の裏に水の感覚はあるが、水面から奥へ体が沈んでいかない。私は水面の上を歩いていた。水はとても澄み渡っていて、底は深く、水の上と中で全く異なる世界が広がっていることに気がついた。水の中には、私が知っている近所の風景ではなく、どこかで見たことがある家々が歪に詰みあがって作られた、不恰好な塔が立ち並んでいた。

 光る木までいくと、カーブで見えないその先が見えた。水面から、見たこともない、色々な民家が突き出している。水没していない場所は私が知っている町だが、水没が始まっている地点から不思議な世界に変貌していた。

 木の幹につかまって、水面から下を覗く。底は深く見えないが、日本家屋や洋風の家が、互いに半分半分融合しながら、上へ上へ詰みあがっているのがよく見えた。その歪な塔の先端は水面に出ている部分であり、水の上から見る分には、そこは普通の民家に見えた。探検してみたいが、この水の中は、1度沈むと、二度と浮き上がることが出来ないような、そんな恐怖心を煽る暗さと透明度だった。


 「ほら、あそこに木があるよ。」


 金色の蛇が指し示す先に、新たな光る木があった。今回はここから少し遠くにある。その木があるところはもう、真平らの凪の湖が広がっているばかりで、そこに、新しいものから古いものまでの色んな民家がぽつぽつと顔を出している。私が光る木へ歩き出すと、金色の蛇は「出来るだけ真っ直ぐだよ」とアドバイスをくれた。

 二本目の木に辿り着いた。その近くに、錆びたトタンと鉄筋で組まれた、半分風化しつつあるビルの一角が近くにあることに気が付いた。古いビルのようで、コンクリートが粉をふいているように見える。むき出しになった鉄骨に、鉄の梯子がかけられていて、それは水の中に沈んだもう1つの家の屋根に続いていた。屋根は穴が開いていて、そこから、タンスとその上に飾られている五月人形のガラスケースのてっぺんが見えた。人の気配がないのに、そこだけ生活観があり、異様である。

 トタンと鉄骨のビルの中へ入り、中に続く階段を上ると、ガラス戸がある。取っ手の部分は紫外線で色が褪せた赤い色をしていて、どことなく昭和のデパートの入り口を思い出させた。押し開けて中を見ると、大理石模様のビニールが貼られた床の古い事務所となっていて、鉢植えの大きな観葉植物と、灰色の事務机や椅子などが置かれていた。掃除はされているらしく、窓には白いブラインドがかかっていた。昔のドラマでよく見かける風景だ。

 窓に近付いて、ブラインド越しに窓の外を確認すると、下には商店街が広がっているようだった。水没してはいない。人通りも多く、ここから見える範囲では、赤いビニールの雨や陽射しを避ける"ひさし"がある八百屋が、脇道と通り交わるの角にあり、野菜や果物を店頭に並べている。道幅は狭いものの、建物の一階全てはお店のようだ。

 事務所の窓の外と、扉の外は、それぞれ別の世界に繋がっているようだ。


 扉から再び水没している世界のほうへ戻り、次は鉄骨にかけられて、水の中へ続いている梯子を降りてみることにした。金色の蛇は注意喚起することもなく、私の左耳の近くでじっとしている。

 梯子を降りていくと、水の抵抗すら感じることなく、すんなりと体が水没した。ただ、視覚的には水の中に入ったとはっきりとわかる見え方をしている。空気を通すより、格段に日光の陽射しが弱くなった。底のほうは恐ろしいが、水面は乱反射する光が、筋となって降り注ぎとても美しい。

 梯子を最後まで下ると、古い民家の屋根の上に降りた。瓦と屋根板が剥がされ、大人が悠々と入れる穴が開き、先ほど見たタンスと五月人形のガラスケースがすぐ近くに見えている。五月人形のケースの横に足を置いて、タンスをつたって家の中に入れるようだ。タンスの下にはご丁寧に踏み台が置いてあった。

 人の気配はないけど、やはり他人の家なので、なんとなく物音を出来うる限り抑えて、そっとそっと侵入する。畳の上に降りて部屋を見渡すと、ここは民家の二階のようだった。様子から察するに、二階はほぼ物置部屋となっているように思われた。いつだったか流行した、ぶら下がり健康器が部屋の片隅に置いてあり、野暮ったいデザインのコートやジャケットが、クリーニングから戻ってきたままの袋の状態でたくさんつるされている。

 座る部分が破れて、黄ばんだスポンジが顔を覗かせている幼児用の椅子。薄いすり硝子の木枠の窓。窓の鍵は、真鍮のネジを押し込む非常に古いタイプだ。埃が固まったペナント。ビニール紐でまとめられているのは、ねじ込み式の古いコタツの足四本。近くにはコタツの重い天板が立てかけられている。

 そっと足音を立てずに窓に近付いて、差し込み式の鍵が開いていることを確認し、窓を少しだけあけて外を確認する。そこには、休耕田とあぜ道、電柱がある田舎の風景が広がっていた。周囲に民家はなく、杉の林となだらかな山が見えている。

 下には粗い砂利と、発泡スチロールを鉢代わりにしたパンジーの花壇。その前に、古い車が駐車してある。とっても古い。車体の側面に木目の模様がある。窓を閉め、部屋のドアを開いて、頭だけ廊下に出してみる。思いの他ひんやりした空気が顔に当たった。

 廊下は濃い茶と薄い茶の市松模様となっていて、雨漏りをしたのか、天井の染みの真下の部分は、化粧ベニヤが水分を含んで歪み、少し浮き上がっている。階段の下から、いつだったか聞き覚えがあるようなテレビの音が聞こえてくる。そこではじめて、人の気配を感じたため、急いで顔を引っ込め、タンスをのぼって天井の穴から水中へと戻った。


 「楽しかったねぇ。」


 金色の蛇は満足そうにしている。

 確かに楽しかった。私にもう少し意気地があったら、もっと探索できていたのにとすら思っている。梯子を登り、水の上へ戻ってから、再び事務所の様子を確認すると、ガラス扉の向こう側から、電卓を打つ音が聞こえている。事務所に再び入ることはできなかった。こちらも、もう少し探検しておけばよかった。


 目が覚めたあと、天井の穴から入り込んだ民家の外に駐車していた車を調べてみると、それはホンダのシビックカントリーという車種だったようだ。車体の側面は木目調であり、ホワイト色のものだった。


 私は誰の家に入り込んでいたのだろう。どこの事務所に入り込んだのだろう。

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