第三話 「一瞬でぴんと伸びた!」

 十月に入ると宮城県は急激に寒くなる。月末になれば秋というよりは冬に近い。炬燵の登場は常識で、気温によってはストーブもちらほら出てくる。

 前々から西條先輩に、

「冬の弓道場は寒いから、覚悟しておいたほうがいいよ」

 と言われていたものの、十月の半ばを過ぎた頃からの寒さは半端ではない。これほどきついとは思ってもみなかった。

 なにしろ弓道場は「名ばかり屋内」である。確かに上からくる雨や雪の影響は屋根で最小限に食い止められるけれど、射場の片面は完全な開口部であるから気温は室外と殆ど変わりがない。

 夏の暑さは薄着になればなんとか乗り切れるし、日陰で風が通る射場はむしろ快適に思えることもある。

 ところが冬の寒さは全然ダメだ。日陰で風が通りやすいという点が裏目に出るし、板張りであるから下から寒さが上がってくる。

 それに、そもそも東北地方に生まれた人間は寒さにめっぽう弱い。

「えっ、なんで? 雪国の人は寒さに慣れているんじゃないの?」

 と思われがちだが、実は逆である。

 冬になると、室内は暖房で高めの温度に維持されるし、極力外に出ない。どうしても外を歩かなければいけない場合には、完全装備して滞在時間を最小限にする。

 つまり、寒さに慣れる時間はどこにもないのだ。むしろ、東京の人のほうが寒さには強いかもしれない。

「でも、東北地方の人はあまり寒いって言わないよね?」

 これも意外によく聞く意見だが、単に言っても仕方がないから言わないだけで、寒さに強いかどうかとは関係がない。

 その寒さに弱い東北人が屋外で運動するのだ。しかも、弓道部は運動部の中でも飛びぬけて運動量が少ないために体温が全然上がらないから、必然的に厚着する必要が出てくる。

 ところが、服を重ね過ぎると今度は行射や体配がやり難くなる。どうしても弓を引く時だけは我慢しなければならない。

 普段はぬくぬくなのに、弓を引く時には簡単に脱ぐことができる服――そんな都合の良いものを探していると、必然的にあるものに落ちつくことになる。


 それが綿入れ半纏だ。


 最初にそれを装備したのは、呉服店の跡取り娘であるかおりちゃんだった。

 どちらかといえば庶民の服である綿入れ半纏だけれど、その機能性は呉服店も認めているらしい。

「これねー、暖かいしー、和服に似合うでしょー」

 確かにその通りなのだが、かおりちゃんが持っている綿入れ半纏は、私が知っているそれとは全然別物のような気がするのだが、気のせいだろうか。

 何だか、落ち着いた赤い格子縞の布地が妙に滑らかな気がするし、中に入っている綿も手触りがふわふわしている。何より重さが真綿の半分以下ではなかろうか。

 私は恐怖心を抑えながらも、かおりちゃんに訊ねた。

「かおりちゃん、この半纏は市販品?」

「違うよー、うちの職人さんに作って貰ったやつだよー」

 やはりそうか。呉服屋の職人が跡取り娘のために作った一点物だ。どこまで魂が込められているか計り知れない。

「えっとー、布地は確かー」

 そこまで語ったかおりちゃんの口を、加奈ちゃんが慌てて封じたのも止むをえないことである。

「みんなの分もー、お願いして作ってもらおうかー」

 とかおりちゃんは有り難い台詞を口にしたが、勿体なくて着ることが出来なくなりそうなので、これは全員が泣く泣く辞退した。


 とはいえ、弓道に綿入れ半纏は実にお似合いである。


 かおりちゃんに倣って、全員が市販品を購入した。

 女子なので、西條先輩と加奈ちゃんは赤系統の花柄、私と早苗ちゃんは同じく赤系統の縞模様をチョイスする。ところが理穂ちゃんだけは違った。

「この模様、大好きなんだよね」

 と理穂ちゃんが嬉々として鞄から取り出したのは、黄八丈の綿入れ半纏だった。

 確かに青系統よりは女の子向けだと思うし、黄八丈は理穂ちゃんにとても似合っている。単独で見ると、いかにも落ち着きのある町娘である。

 七夕祭りの時、理穂ちゃんは同じ模様の浴衣を着ていたが、あの時は夏だったので他の浴衣組も涼しげな青系統が多かったので、特に違和感を受けなかった。

 しかし、赤系統の五人に混じると異質である。あたかも娘を引率する母親のような位置づけに見える。

 そのことを本人にどう伝えようかと思っていたところ、かおりちゃんが微笑みながら理穂ちゃんに言った。

「この黄八丈柄、落ち着いてていいよねー。私たちのは赤いのが多いからー、その中に混じるとお母さんみたいだけどー」

 まさかの真正面からの指摘である。他の一年生が固唾を飲む中、

「あ、そうなの? なんだかお母さんみたいに見えるの?」

「そうだよー、弓道部のお母さんだよー」

「そうかあ、弓道部のお母さんかあ」

「そうだよー、お母さーん」

「なんだい、お腹でも空いたのかい」

 恐ろしいことにかおりちゃんは、そうやって理穂ちゃんのパーソナリティに「弓道部のお母さん」的位置づけをまんまと肯定的に植え付けてしまった。

 以降、それまでは非公式だった「弓道部のお母さん」という呼称が、理穂ちゃんの固有名詞となる。

 そして、

「かおりちゃんには気をつけろ。いつ人格を書き換えられるか分からないぞ」

 という言葉が、暫くの間、道場内で囁かれ続けた。


 *


 さて、いくらなんでも冬の弓道場で全く暖房なしという訳にはいかない。

 だからといって灯油ストーブでは火の始末や灯油の管理が大変だから、電気ストーブが一台だけ活躍していた。

 練習中、電気ストーブは主に三笠先生の足元を温めるのに使われている。しかし、練習前後は控室に連れ込まれて、いろいろと口にできないところを温めるのに使われていた。

 ある日、三笠先生が電気ストーブを見つめて、西條先輩にこう言った。

「西條さん、電気ストーブを見かける季節になりましたが、そういえば電気コンロを見たことがありませんね」

「はい。何度か道場の片付けはしていますが、私も先輩から電気コンロのある場所を教えて頂いたことはありません」

 実はこの時点で西條先輩が想定していたのは、電気コンロではなくIH調理器である。彼女は電気コンロを見たことがなかった。

「なくても大丈夫なのですか」

「何に使うのでしょうか。料理以外に用途が分からないのですが」 

「そうですね。主に道具の補修で使いますね。薬缶でお湯を沸かして矢の羽をメンテナンスするのは基本として、鉄の棒を熱してゆがけの溝を修正するとか」

「えっ、そうなんですか。お湯は分かりますが、鉄の棒をどうやって熱するのでしょうか?」

「直接、上に載せるだけですよ」

「直接というのはいかにも危険ではありませんか」

「ちゃんと見ていれば大丈夫です。目を離すともちろん危険ですね」

「そう――ですね。なんだか見ていても危険だと思いますが。自宅に古いものがありますので、明日にでも持ってきましょうか」

「それは助かります」

 繰り返すが、西條先輩は電気コンロを見たことがない。翌日、彼女が持ってきたものを見て、三笠先生は世代間のギャップを痛感して自腹で電気コンロを準備する羽目になる。


 実際に使いだしてみると、電気コンロは様々なことに役立った。

 手始めに昔ながらのブリキの薬缶に水を入れて、注ぎ口のところから蒸気が出るまで沸かす。

 その蒸気に矢の羽根をあてると、乱れていた矢の羽根が綺麗に揃うのだ。

「あまり蒸気に近づけすぎると、羽根をくっつけるために使われている接着剤が剥がれてしまうので、適度な距離で矢をくるくる回すようにあてて下さいね」

 そう三笠先生に言われて、私たちも自分の矢を恐る恐る蒸気にあててみる。

「うわ、すごい。一瞬でぴんと伸びた!」

 加奈ちゃんは大喜びである。確かに捩じれてぼさぼさになった羽根が、湯気をあてた途端に真っ直ぐに戻ってゆく様は、見ていて面白かった。

 他にも、欠けた矢筈を抜くために矢を温めるのに使ったりする。

 三笠先生によるとゆがけの溝を補修するのにも使うらしいが、流石にコツがあるようで高校生の私達には恐ろしくて出来なかった。

 この電気コンロの維持管理は、備品係であるかおりちゃんが担当することになったのだが、彼女は更に有り難い機能を追加して、部員を喜ばせる。

 羽根のメンテナンスをするためにはお湯を沸かす必要がある。そして、せっかく沸かしたお湯である。地球環境のためにも、捨てずに有効活用しなければならない。

 ついでに弓道部員なのだから和の心を知ることも大切であろう。そう思ったに違いない(と他の部員が勝手に想像する中)かおりちゃんは、即座に日本茶のセットを道場に備えた。

 しかも、自宅から茶葉を小まめに持ってきて補充するなど、備品係の役職に恥じない心配りをみせる。日毎に寒さが増してゆく道場で、彼女が入れてくれるお茶は最高の甘露だった。

 実際、私の家ではほとんど出てこないような玉露の茶葉らしいが、それは恐ろしくて聞けなかった。


 *


 電気コンロが導入されたのと同じ時期に、

「ちょうどいい機会だから、弓道具のメンテナンスについても教えておこう」

 と三笠先生は考えたらしい。

 ある日の練習後、こんなことを全員の前で言った。

「ところで、皆さんは自分の巻藁矢を持っていますか?」

 一瞬、全員の動きが止まる。自然と視線はある方向に集約された。

「あのう先生。巻藁矢というのは個人で持たなきゃいけないものなのですか。ただの棒だと思って共用のものを使っていましたが」

 加奈ちゃんが、渋々そう訊ねる。

 三笠先生は既にそのような役割分担を心得ていたので、苦笑しながら言った。

「そのほうが望ましいと言ったほうがよいかな。少なくとも、的に中てることを望むのであれば、それを疎かにはできませんよ」

 その言葉に全員の目の色が変わる。今まで巻藁矢が的中に影響するとは考えていなかったからだ。

 ここは一番落ち着いている西條先輩の出番である。

「三笠先生、巻藁矢がどうして的前の的中に影響するのですか。的前では決して使わないものなのに」

「確かに的前では使いませんが、だからこそ的前を想定して巻藁矢にも気を配る必要があるのです」

 西條先輩の論理的な問いかけに、三笠先生はいつもの一見非論理的な答え方をする。


 全員の頭の上に、お馴染みの『はてなマーク』が浮かんだ。

 

 三笠先生は少しだけ間をあけてから、続けてこう言った。

「この中で、巻藁練習の時に矢を落としたり、なかなか弦に矢筈がはまらなくて苦労したことがある方はいますか?」

 その問いかけに全員が手を挙げる。

「それでは、巻藁練習の直後に的前練習をした時、矢を落としたことがある方はいますか?」

 流石に暫く置いてから、全員が手を挙げた。私もなんとなくそんな覚えがあったので、手を挙げる。

 そしてやっと、三笠先生の言いたいことが分かった。

 全員の頭の上にLED電球が灯ったところを見計らったように、三笠先生は言った。

「巻藁矢を共用にしてしまうと、矢筈の幅が自分の矢と合わないことがあります。特に、幅の狭い巻藁矢を無理に使ってしまうと、弦につけた中仕掛けがつぶれてしまいますから、矢が落ちやすくなるのです」

 そこで、早苗ちゃんが手を挙げた。

「中仕掛けを押して間を詰めたり、いつも使っている向きと直角にすると、問題なく使えますが」

 これはわざとである。先生はそれも承知していたようで、

「それを大会の最中、負けられない一戦の時にやりたいと思いますか? トップレベルの弓道家は矢筈を多めに買ってきて、その中から同じ幅のものを選びぬいて、的前用の矢と巻藁用の矢に使います」

 と、即座に言い切る。そして、おまけのように付け加えた。

「でも、今すぐという訳にはいきませんから、とりあえず学校の巻藁矢から自分の矢に近いものを探して、それを専用に使うのはどうかしらね」

 この後、弓道場で「全員が鋭い目つきで巻藁を吟味する」光景が見られたことは言うまでもあるまい。


 三笠先生の弓道具に関する指導は、さらに別な展開を見せることになった。

「ところで、練習中に弦が切れた時の替え弦はどうしているのかな?」

 射込練習の途中で先生からそう聞かれた早苗ちゃんは、自信を持ってこう答えた。

「それはちゃんと準備してあります。弓立のところに個人名のシールを貼り付けた弦巻を置いておくようにしていますから」

 早苗ちゃんは弓立のほうを指差す。さすがに普通の練習で弦が切れることはたびたびあったから、交換用の弦を準備しておくように先輩からも言われていた。

「それでは、誰か見せて頂けないかしら」

「じゃあ、私のを出しますね」

 早苗ちゃんは自分の名前が貼られた、ドーナツ型をしたプラスティック製の弦巻を取ると、中に巻き付けられていた替え弦を引き出して、先生に渡した。

 ――さあ、どうだ。これならば文句はあるまい。

 そんな早苗ちゃんの心の声が聞こえてきそうな雰囲気である。

 ところが、三笠先生はそれを受け取ると、ちょうど中仕掛けのところをじっくりと眺め始めた。そして、

「藤波さん、もしかしてこれは一度も使ったことがない弦かしら」

 と言った。

 その場にいた全部員の動きが止まる。早苗ちゃんが少しだけ動揺した声で言った。

「あの――お言葉ですが先生、替え弦が新品なのは当たり前のことではないでしょうか」

 三笠先生は早苗ちゃんの顔を見て、微笑みながら言った。

「例えば、試合の最中に弦が切れたとします。この替え弦で次の一本を中てる自信はありますか?」

「それは……」

 早苗ちゃんは黙り込んだ。

 それは周りにいた私達も同じである。

 弦を変えた直後だと、中仕掛けがまだ堅いので筈を付けるのに苦労することがある。

 それに弓に弦をかけるためには弦の両端に弦輪と呼ばれる輪を作るのだが、替え弦をつけた後はその輪の結び目が締って弓と弦の幅が狭くなるから、いつもより幅が広めになるように殆どの人が弦輪を調整していた。

 この弓と弦の幅は『弓把(きゅうは)』と呼ばれ、その幅が広いことを正しくは「弓把が高い」、狭いことを「弓把が低い」という。

「……全く自信がありません」

 早苗ちゃんはとうとう観念して、そう答える。

 三笠先生は弦巻に弦を巻き付けながら、優しく言った。

「替え弦を作った時は、弓把が変わらなくなるところまで矢を射てから巻いて下さいね。そうでなくても、弦が切れた後の弓はその反動で裏反りがいつもよりも強くなりますから、余計に弓把が安定しませんよ」

 そして、先生は早苗ちゃんに弦巻を手渡す。

 受け取った彼女は素直に頷いた。その周りにいた私達も心の中で頷いた。


 *


「完敗だぁ。三笠先生の言うことは正しいよ」

 練習後、西條先輩以下の全部員が控室で着替えをしている時に、早苗ちゃんが溜息をつきながら言った。

「試合での真剣勝負を前提としたら、今までの私達の弓に対する付き合い方って、いかにも不十分だよね。それをつくづく思い知らされたよ」

 普段の彼女からすると意外なほどに素直な感想である。そして、本来の彼女にはおそらくこちらの言い方のほうが近いのだろう。

 そんなことを私が考えていると、早苗ちゃんの隣りにいた理穂ちゃんが、真面目な顔で言った。

「私、今日の先生の話を聞いていて気がついたことがある」

 理穂ちゃんが本気で何かを言い始めると、本当に迫力がある。その場の全員の耳が彼女の言葉に向けられた。

「私、これまであまり意識したことがなかったんだけど、和弓って本来は戦争で使われる道具だったんだよね。私達の使っている道具だとどうかは分からないけど、人を殺すことだってできる道具なんだよね」

 ――弓は人殺しの道具である。

 その言葉がみんなの心に染み込む。

 理穂ちゃんの話はさらに続いた。

「だから、戦場だと逆に自分が弓で狙われることもある訳だよね。その時にもたもたしているとやられちゃうし、手入れが不十分だとそれで負けだよね。勝ち目ないよね。先生が言っていることは、そこまで極端なことじゃないだろうけど、それに近いことだと思うんだ。しかもさ、剣道と違って弓道は、そのまんま武器でしょう。多分、私達の矢だって人に刺さるかもしれないよね。それにしては、私は今まで安易に弓を扱っていたように思う。女子高校生が殺傷可能な武器を持って平然と街中を歩いているなんて、弓道以外に有り得ないことだよね。そのことを軽く考えちゃいけないんだと思った」

 そう言って理穂ちゃんは口を閉じる。

 全員が黙っていた。そして、おのおのが今の話を自分なりに考えていた。


 *


 翌日の朝、私は早めに道場に来て、自分が使っている竹弓を眺めた。

 ――弓は人殺しの道具である。

 昨日の理穂ちゃんの話が蘇る。

 そう、目の前にある優美な曲線で構成されたこの単純な道具は、その目的を達成するために歴史の中で様々な変遷を経て作り上げられてきたものなのだ。

 銃のような、機械を内部に詰め込んだ鉄の塊という分かりやすさはないけれど、それでも使い方によっては充分に人を殺傷可能な武器になるのだ。

 そう考えると、なんだか自分がそれを使っているのが怖くなる。そんな思いを持て余していた時、三笠先生が姿を現した。

「どうしたの阿部さん。なんだかぼんやりしていたように見えたけど」

「あ、その。それがですね先生――」

 私は、昨日理穂ちゃんが語った話を先生に伝える。

 すると三笠先生は、明るく笑いながら言った。

「ああ、だから皆さん帰る時に雰囲気が重かったのね。まあ、仕方のないことだけど」

「先生、私何だか弓に触れるのが怖くなってしまって」

「あらあら、随分と思い込んでしまったようですね。分かりました。他の皆さんもそうかもしれないから、練習前にその点を補足することにしましょうか」


 先生が懸念していた通り、次々と道場にやってきた部員の一部は、表情が優れなかった。

 西條先輩とかおりちゃんは相変らずだった。ただ、それは決して彼女達が何も考えていないことを示している訳ではなく、彼女達が自分で何らかの折り合いをつけたことを意味していた。

 早苗ちゃんと理穂ちゃんが物静かなのは、まあ当然だろう。二人はとても真面目だし、お互いに昨日のことは「自分が蒔いた種だから」という意識があるはずだ。

 意外だったのは加奈ちゃんである。彼女が珍しく無口だった。

「どうしたの?」

 私は心配になって加奈ちゃんに訊ねてみた。

 すると彼女は、悩ましげな顔でこう言った。

「うーん。部員の中で一番弓道のことを軽く考えていたのって、私だと思うんだよね。兄貴から聞いた生半可な知識を部に持ち込んだり、自分の流派を立ち上げることを考えてみたり。でもさあ、これが武器だって理穂ちゃんから言われて、そんなのが全部、浅墓に思えちゃって。ちょっと落ち込んでた」

 その素直さが実に加奈ちゃんらしい。

 私は思わず彼女の身体を抱きしめてしまった。

「そんなことないよ。加奈ちゃんがいなかったらもっと面倒なことになっていたかもしれないよ」

「そうかなあ」

「そうだって」

 私は加奈ちゃんから身体を離して、言った。

「それに、先生が後でそのことについて説明してくれるんだって。先生、明るく笑っていたから、何か考えていることがあるんだと思う」

「あ、そうなんだ」

 普段の加奈ちゃんの笑顔が戻り、私はほっとした。

 それとともに普段の含み笑いが後ろから聞こえてきたので、私はぎょっとした。

「ふっふっふ。思わぬ百合展開ね」

 しまった。

 早苗ちゃんまでいつもの調子を取り戻してしまったぞ。

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