第一章 まずは基本から

第一話 「ともかく返せばいいんだって」

 さて、ここで私達の物語は十一ヶ月前の七月までさかのぼる。


 六月に開催された全国高等学校総合体育大会の宮城県予選が散々な結果に終わり、もともと低かった全国大会出場の可能性が全くなくなった時点で、仙台第一女子高校弓道部の三年生は部を引退した。

 もちろん高校卒業はまだ先のことなのだが、夏休みを丸ごと大学受験の準備にあてるため、必然的にそうなる。そして、三年生の姿が消えた弓道場には弛緩した雰囲気が漂っていた。

 この緩んだ雰囲気には、部員が少ないことも大いに影響していた。

 高校生の弓道大会の多くは、団体戦が一チーム五名の『一立ひとたち』単位で行われる。

 そのため、部員が五名以下になってしまうとフルメンバーで団体戦に出場出来なくなるのだが、二年生部員は入部段階で既に四名しかいなかったため、そもそも同学年でこの一立が組めなかった。

 しかも目指す方向の違いと感情的ないさかいから、途中で二年生三名が一挙に退部してしまったため、団体戦どころかにわかに部の存続すら危ぶまれる状況に陥ってしまった。

 最悪の事態を回避すべく、三年生七名と残ったただ一人の二年生である西條先輩が新入部員勧誘に躍起になった結果、なんとか一年生を五名確保することができたものの、それでもまだぎりぎりの部員数である。

「これ以上退部者が出ると、部が維持できなくなる」

 という思いから、三年生は一年生に殊更ことさら優しく接するように心掛けた。

 しかも、一年生が途中で興味を失わないように、例年であれば夏休み直前に開始していた一年生の的前練習――実際に射場から的に向かって矢を射る練習を、無理矢理五月中旬に開始することまでした。

 また、三年生の引退に伴って部長となった二年生の西條先輩は、常に物静かで控えめな性格のため、無闇に自己主張することがない。その結果、道場での練習と会話の中心は自然に一年生五名に移っていた。

 そして、そんな裏事情をよく理解していなかった私達一年生は、いつのまにか弓道を、

「武道の割にはそんなに堅苦しくも難しくもないよね」

 と、軽んじていたように思う。


 その日は、西條先輩が珍しく私用で部活を休んでおり、道場には一年生しかいなかった。

 西條先輩がいくら穏やかであるとはいえ、やはり先輩である。いるのといないのとでは気分が違う。私たち五人は、なんだか天下を取ったようなゆったりした気分で、練習を始めた。

 道場の北側には古くて大きな銀杏の木があり、夏の直射日光を遮っている。日が傾き始めると、銀杏の葉の間を縫うようにして涼しげな風が吹いてきた。

 空調なんか望むべくもない、経年劣化がかなり進んだ木造の道場は殊更に暑かったものの、その銀杏の木があるお陰でなんとか夏をしのぐことができていたのだ。

 そんなシーズンオフの空気すら漂う道場で話題の中心となっていたのは、審査である。

 私と篠島しのじま加奈かなちゃん、浅沼あさぬまかおりちゃんは、外に出した『巻藁まきわら』の前で、気が早いことに翌年二月の審査を目標にしてお互いに指導しあっていた。

 巻藁というのは、米を脱穀した後の藁をまとめて直径五十センチの太鼓型に成形したもので、これを木製の枠の上に載せて初心者の練習や的に向かう前の肩慣らしに使う。

 巻藁は弓道場の北側に三つ並んでいるが、複数で練習する時は誰か一人が必ずコーチ役をすることになっている。その時は、私とかおりちゃんが射手で、加奈ちゃんが指導役だった。

 私達の服装は、上がTシャツで下がハーフサイズの『ジャス』だった。仙台市周辺の高校生がジャージのことをジャスと呼ぶのは、今や割と知られた話ではなかろうか。

 そして、胸には黒い革に白いゴムバンドを付けただけの簡単な『胸当むねあて』をつけていた。後片付けが大変なので、白い弓道着に黒袴という服装は試合の時しか使わないのだ。

 また、巻藁で練習する時には、羽根の付いていない、弾丸のように滑らかな丸みを帯びた『やじり』を先端に付けた専用の矢、『巻藁矢まきわらや』が使われている。

 ちなみに的に向った時に使う矢は、昔のいくさで使われたような先端が鋭い刃物になっているものではなかったけれど、そこそこ突起状になっていた。


「美代ちゃん、それじゃあ『うち』を握りすぎだよ」

 私が巻藁矢を巻藁に向って放つと、即座に加奈ちゃんが言った。

 加奈ちゃんは身長が百六十センチぐらい、ショートカットの痩せ形で、目が丸くてアヒル口である。陽気で活発な性格のため、部のムードメーカーになっている。

 彼女と私は出身中学が別だったが、クラスが同じで部活動が同じなので自然に仲良くなった。

 加奈ちゃんは四人兄妹の末っ子で一人だけ女の子ということもあり、相手が年上の男性教師であっても物おじすることなく、天真爛漫に振る舞っている。

 一人っ子の私から見ると羨ましい生活環境と性格だったが、本人は、

「えーっ、兄貴がいっぱいいると家の中が臭くて大変だよ」

 と、笑って言っていた。

 四つ上のお兄さんが高校で弓道をやっていたので、弓道教本以外の具体的な技術情報の殆どが彼女から出ている。その時もそうだった。

「それじゃあ『弓返ゆがえり』しないよ」

「でも、あんまり手加減すると弓が落ちそうで怖い」

「そうだよねー、私もそんな気がするー」

 かおりちゃんが独特な語尾を伸ばすゆっくりとした口調で、私の言葉に同意する。

 彼女も身長は百六十センチぐらいで、自然にウェーブがかかった柔らかい癖毛と、眼鏡の向こうにある大きな瞳が特徴である。その口調と外見が示している通り、彼女はとても穏和な性格をしていた。

 実家は呉服屋で、お母さんが和裁の先生をやっているため、いまどきの女の子にしては珍しく裁縫が得意である。

 そして、口調と外見と性格は穏やかなのに、胸だけが過激だった。胸当の端がどうしても浮きあがるほど隆起している。

「その胸のカバー、本当にいるの? つける意味あるの?」

 と、母親に真顔で言われた私とは大違いである。

「加奈ちゃんはー、怖くないのー」

「こんなの、慣れちゃえばなんてことないよ」

 加奈ちゃんは手首を捻って弓を返す仕草を繰り返した。

「それに、卵を握る時と同じように柔らかく握れ、って言われているじゃない。だから、こんなものじゃないの? それに弓返りしないと二段は受からないらしいよ」

「えー、そうなんだー」

「でも、私たち一級の審査でしょう?」

「確かに一級だと弓返りは直接関係ないかもしれないけど、できたほうがポイント高いと思うよ。美代ちゃんだって、いきなり二級どまりじゃ嫌でしょう?」

「それは確かにそうだけど…」


 弓道には他の武道と同じように級や段があり、一番下のランクは三級である。しかし、高校生が初めて審査を受けた場合、殆どの者が三級ではなく一級に合格した。

 基本的なことが一通りできていれば一級になるらしい。逆に、なにか重大な間違いを犯してしまうと二級どまりになる。

 また、これは後になって知ったことなのだが、初めて受ける審査には「一級、二級、三級」といった受験区分はなく、その人の技能に見合った段位が授与されることになっていた。

 だから、いきなり初段や二段に合格することも、考え方としてはあり得ることだった。その「審査」で二級どまりというのは、かなり恥ずかしい。

 なお、一級以上の段位を取得すると、それ以降は一つ上の段位しか受験することができないので、こちらは区別して「昇段審査」と呼ばれていた。


「まあ、兄貴から聞いた話だと学科試験で三行しか書けなかった同級生が、二級どまりだったらしいけどね」

「あー、それじゃあねー」

「出題範囲って、事前に発表されるんじゃなかったっけ」

「そうらしいんだけど、その人、あえてぶっつけ本番で乗り込んだらしいよ。『弓道教本きゅうどうきょうほん』すら読まなかったんだって」

 弓道教本というのは、財団法人全日本弓道連盟が出版しているもので、平たく言えば公式ガイドブックである。

「それじゃー無理だよー」

「そうだよね。教本から外れることも書いちゃいけないんでしょ」

「そうらしい。学科の先生の意にそぐわないお話でもアウトらしいよ」

「私たちは大丈夫だよねー」

「そうだね。弓道教本しか参考書ないもんね」


 その時点の弓道部顧問は国語の竹下先生だったが、ご本人には弓道の経験はなく、お目付け役程度の役割しか果たしていなかった。

 外部から弓道経験者をコーチとして招聘しょうへいする訳でもなく、指導者不在のまま部の運営は部員の自治に任されていた。

 いや、「任されていた」というのは聞こえの良い言い方で、要するに放置されていたのだ。

 そうでなければ四月に入部したばかりの一年生が、まだ七月なのに大きな顔をして自分達だけで弓道場を使えるわけがない。それがいかに無茶なことか、私達は後になって知った。

 また、一応は県内トップクラスの進学校であるから形を整えることには拘りがあるようで、弓道場には全日本弓道連盟の公式ガイドブックである弓道教本が、見事に全巻揃っていた。

 ただ、これすら竹下先生の「弓道を知らない顧問なりに、最低限の基礎だけは外さない部活運営」の賜物であって、学生の自治に完全に任されていたならばどうなっていたか分からない。

 実際、部員はみんな頭脳明晰で勤勉なので、各自で弓道教本をぱらぱらめくって一通り読んではいたものの、実際の練習は部員同士の試行錯誤で進められており、ばらばらだった。

 三十年前の仙台第一女子高校弓道部は、弓道経験者の先生が日々の指導を行ない、それに加えて宮城県弓道連盟から実力のある師範を月四回招聘していたという。

 そして、その強力な指導の下にあった仙台第一女子高校は、県内はもちろん全国大会でも上位入賞するほどの強豪校だった。

 しかし、高齢だった師範の急死と教育者として有能だった先生の県教育委員会への異動が相次ぎ、後任の手配すら間に合わなかった結果、すべてが学生の手に委ねられてしまった。

 それでも、しばらくの間は卒業生が頻繁に訪れて指導していたので、なんとか強豪校としての戦績を維持した。

 逆に、そのせいで学校側は「顧問や師範がいなくても、なんとかなるのではないか」と考えてしまったらしい。

 それが最大の誤算だった。

 力が衰える時は、目に見えないほどじわじわと何かがむしばまれていき、それが顕在化した時には取り返しがつかなくなっているものだ。

 全国大会出場どころか、県予選の通過すらままならなくなるまでに、二十年が経過していた。

 その頃になると、弓道部が全国レベルの強豪校であったことを知る先生も少なくなり、その結果、弓道部はその他大勢の運動部の一つでしかなくなる。

 そして、現在まで続く長い低迷、停滞期に入った。

 なぜ、私がこんなに仙台第一女子高校弓道部の歴史を長々と語れてしまうのかというと、県予選に参加した時に、

「昔の面影すらない。あの時はこうだった」

 と、他校のコーチから酷評されたからである。

 現在、宮城県で弓道の強豪校といえば仙台第二女子高等学校だが、そこの男性コーチが何故か大会で私の顔を見た途端に、前述のような過去の経緯をくどくどと話しかけてきたのだ。

 後で西條先輩や他の一年生に訊ねたら、「そんなの聞いてないよ」と言われた。どちらかというと気弱で愛想が良い(言い換えればお人よしな)のがいけないのだろうか。


 *


 <作者註>


 ここでちょっとだけ横道に逸れて、弓道教本というガイドブックについて説明しておきたい。

 弓道教本は第一巻が弓道の基本的なやり方(体配及び射法)の解説書になっており、第二巻、第三巻、第四巻が過去の高段者による技(射技)の解説書になっている。

 現代弓道の総元締めであるところの全日本弓道連盟が、教本という名前で販売しているぐらいであるから、これが弓道の基本的な教科書であることは間違いないのだが、ちょっと困った点がある。

 基本中の基本を説明する第一巻が既に、現代の高校生が読んですんなりと理解できる内容になっていないのだ。

 なにしろ必要最低限のことしか文字で書かれていない。

 例えば、

「足踏みの際の足の開きは六十度である」

「打ち起こしで腕を上げる角度は四十五度である」

 ということが書かれている部分がある。しかし、その角度が適切である理由や根拠の説明は一切ない。

 例えば、

「弓構えは大木を抱きかかえるように、円相を描く」

 ということが書かれている部分がある。このような比喩表現が教本のあちらこちらに散らばっているが、身近に大木のない現代高校生には実感が湧かないのではなかろうか。

 第二巻以降の射技に至っては、歴代の「名人」と呼ばれる先生方が技を解説している。

 しかし、弓道の名人が文章の名人とは限らない。にも拘らず、自らの技術や心の持ちようを自らの言葉で説明しているものだから、他者視点のフィルターがかかっていない。

 あまりに偉い先生すぎて、おかしいなと思っていても誰もその言葉にツッコミを入れられないのではないか、とすら思う。

 今となっては、言葉の意味するところすら理解が難しくなっているところもあれば、他の方と矛盾していることを平気で語っている場合もある。

 戦時中の教科書を現代高校生に与えた場合を想像して頂きたい。そこまで極端ではないかもしれないが、雰囲気は理解しやすいのではないかと思う。

 そして、現代高校生はそれを自分なりに解釈して実践するのだから、当然のことながら的外れな方向に向かってしまう危険性はゼロではない。

 しかも、その独自解釈を弓道教本の曖昧な文章で、逆に理論武装することになるのだ。是非、弓道教本を現代語に翻訳して頂きたい。作者はかなり本気でそう思っている。


 *


 加奈ちゃんはくるりくるりと、手の中で弓を回しながら言った。

「ともかく返せばいいんだって。弓道教本にも弓返りは重要だって書いてあったし」

「こんな感じかなー」

 かおりちゃんが加奈ちゃんの真似をしようとして、

「あー」

 弓を落としてしまった。

 慌てて弓を拾うかおりちゃんと、その慌てぶりを見て笑う加奈ちゃんの姿を眺めながら、私はいつものように「二人とも女の子らしくていいなあ」と考える。

 というのも、人物紹介の最初が身長になっていることからもお分かり頂けるのではないかと思うのだが、私は女子高校生にしては背が異様に高かった。

 高校一年生の時点で既に百七十五センチを超えており、しかもまだまだ伸びは止まっていない。

 一般の店舗で服を買おうとすると「合うサイズがない」と言われるので、大きめのサイズを専門に置いている店にしか行けない。

 この背丈で長髪にしていたら「怨念が籠っていそうで怖い」と友達に言われて、今は中途半端な肩上にしている。短くしすぎたら男と間違われた。

 加奈ちゃんはショートカットでも「女の子」以外には見えないし、かおりちゃんは一緒に道を歩いているとすれ違う男性の多くが二度見してくるほどだ。

 私も二度見されることはあるのだが、その時の男性の表情にはこう書いてあった。

 ――うわ、背の高い女だな!


「的前やるよ!」

 道場内から桑山くわやま理穂りほちゃんの声が聞こえてきた。

 彼女は身長百五十センチで、弓道をする時は肩にかかるぐらいに伸ばした髪を後ろで一つにまとめている。

 丸顔で目が細く、小柄ですこしぽっちゃりとした安定感のある理穂ちゃんは、ちゃきちゃきした行動とどっしり落ち着いた性格から、非公式に『弓道部のお母さん』と呼ばれていた。

 本人も自分のスタイルを理解していて、常に一年生のまとめ役に徹しており、弓道部副部長にも任命されている。だから、何か始める時の第一声は彼女から出ることが多かった。

 私達三人は連れだって道場に入る。

「三人とも顔が真っ赤だよ。まるでお猿さんみたい」

 黒板に『立ち順』――的前で行射する順番を書き込もうとしていた藤波ふじなみ早苗さなえちゃんは、そう言って笑った。

 彼女は身長百六十五センチで、長い黒髪に一重の切れ長な目が弓道にベストマッチだ。外見が和風な早苗ちゃんは、黙っていれば良家の子女しか見えないのに、口を開くと皮肉や毒舌が止まらなかった。

 そのため、最初のうちはデリカシーのない兄との口論に慣れている加奈ちゃんと始終ぶつかりあっていたのだが、暫くすると一年生全員が気づいた。

 早苗ちゃんの皮肉と毒舌は彼女の癖のようなもので、本来の姿は全く違う。

「失礼ね。炎天下にいたんだからしょうがないでしょ」

 即座に加奈ちゃんが切り返したが、もちろん今では彼女も本気で言い返すことはない。

「ほら、準備、準備。今日は五人しかいないから全員一緒に『立射りっしゃ』でいくよ。立ち順は、早苗ちゃん、加奈ちゃん、美代ちゃん、かおりちゃん、最期に私でお願いね」

「あー、大前かぁ。なんだか苦手なんだよね」

 そう言いながら早苗ちゃんは黒板に名前を書き込んだ。

 私には彼女のその「苦手」という言葉の意味がよく分かる。私もそうなのだが、背が高いと大前はなんとなく居心地が悪いのだ。

 仙台第一女子高校の弓道場は、過去の栄光のお陰で自前の施設にしては大きめで、五人一緒に余裕で弓を引くことが出来る。

 おのおの『矢立やたて』――矢を立てた状態で保管するための木の箱から自分の矢を四本抜き取ると、横一線に並んだ。

 さきほど理穂ちゃんが言った立射というのは、『体配たいはい』――弓を射る際の基本動作を、簡略した形式の的前練習で、『二手ふたて』――四本の矢を持つことが多い。

 他には『座射ざしゃ』という、体配にあわせて立ったり座ったりしなければならない形式があり、こちらはだいたい『一手ひとて』――二本の矢で行われる。審査は必ず座射の一手だ。

「それじゃあ入ります」

 大前の早苗ちゃんの声で、私たちは礼をしながら的前練習を始めた。

 道場の外は傾きかけた夏の陽光が眩しく、『矢道やみち』――射場と的の間にある、矢が飛んでゆく空間では、燕がくるりくるりと舞っていた。


 後で思い返すと、その燕が「私達のそれからの姿」を暗示していたように思えて仕方がない。

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