25話 アインの決意



 アイン・ソードフェルトは、独り閑散とした四階の廊下を、御影の指示の元でずっと待機していた。

 その御影も今やここにはいない。少し前まで共に行動していたのだが、別の重要な役割があって離れてしまったのだ。

 そしてそれは、ここにいるアインとて例外ではない。

「始まったようですね……」

 にわかに騒がしくなった階下に耳を澄ませながら、アインは独り呟く。

 三階には虎助が待ち構えている。それも御影の指令で、クラスメイト達とも協力して作った、あの魔窟の中で。

 一、二階にもクラスメイト達を配置してあるが、日向のことだ――難なく三階まで到達したに違いない。

 なんせ、彼女は学園最強。

 表現は悪いが、なにも力のないD組の生徒が日向に敵うはずもない。秒殺にされるのが関の山だ。

「でも御影は――D組の人達は、それでも日向さんに挑もうとしている……」

 ろくな異能を持たない最弱の集まりであるD組が、天と地ほど力量差がある日向に勝とうと、果敢にも奮闘している。

 すべては、アインの転校処分を取り消すために。

「いえ、そうとも限りませんか……」

 みんながアインのために動いてくれているのは事実だ。でもそれ以上に、執念というか――どうしても譲れない思いのようなものが、D組の中で漫然とわだかまっていた。



 特にD組委員長――高坂御影は顕著だった。



 どうやら日向となにか確執があったみたいなのだが、詳しい事情は知らない。ただ過去の雪辱を晴らすように、御影が躍起になっているのは確かだった。

 おそらく、よほどの因縁――日向はなんとも思っていなさそうだが――があったのだろう。

 いつもは淡白そうな御影は、日向のこととなると、瞳の奧に静かな炎をたぎらせるぐらいに。



 ――なぜでしょう。胸がとてもモヤモヤとする……。



 この間――御影がアインの住む女子寮へと訪れてから、ずっとこうだった。

 いや厳密には今と違って、もっとこう何気ない時に鼓動が早くなってしまうような奇妙な感覚だったのだが、それでも御影のことを考えると胸が熱くなるような――今までにない症状だった。

 理由は判然としないが、多分御影が日向に執心しているのが、面白くないんだと思う。

 それは幼い頃、大切にしていた人形を遊び友達に取られてしまった時と近しい感情であった。

 だがそうでないことを、アインはなんとなくながらも察していた。



 自分はきっと、御影に惹かれているのだ。



 きっかけがあるとすれば、やはり女子寮の屋上で交わした、あの時の出来事だろう。

 初めてだった。己の決して消えようもない大罪を打ち明けたのも、あそこまで真剣に自分と向き合ってくれたのも。

 今までだれとも積極的に関わろうとしなかった。というより、アインの方から人を避けていた。

 怖かったのだ。自分のような血で穢れた人間が、だれかと一緒にいて良いものなのかと。

 自分がそばにいるだけで、澄んだ綺麗な水面に泥を滴り落とすような感覚に襲われて。

 だからアインは、極力だれとも関わらないように生きていた。

 そうすることで、心の傷をこれ以上広げないよう、自分を守っていた。

 ずっと殻に閉じこもっていた。



 けれど、そんな殻を破るように、御影が正面からぶつかってくれた。



 責めるでもなく慰めるでもなく、ただありのままのアインを認めて、必要な存在だと言ってくれた。

 転入して日も浅いのに、大切な仲間だと言ってくれた。

 そして――己の命を投げ打ってまで、御影はアインの心を救ってくれた。

 真っ暗闇な深淵から、明るい世界へと掬い上げてくれた。

 だから――



 そんな御影のためならば、それがどれだけ苦難な道だとしても、自分の全てを賭けてでも応えてあげたい。

 それがアインにできる、唯一の恩返しなのだから――。



「……………………」

 生唾を嚥下し、手のひらにたぎる汗を握り締めて、アインは気を静める。

 こうしている間も、御影の策略は着々と進んでいる。

 いただきに悠々と君臨する王者を引き摺り下ろすために。

「日向さん――」

 もう一人の恩人でもある日向の姿を思い浮かべながら、アインは拳を額に当ててまぶたを閉じる。

 あの人にも、色々と迷惑をかけてしまった。

 異世界から連れて帰ってくれた時も、日向はなにも問い詰めたりせず、無言でそばに寄り添っていた。

 ほとんど罪の意識で廃人と化していたので、なにもお礼を述べずに済ませてしまったが、今でも非常に感謝している。

 結局今日まで生徒会と――実質日向だけだけだが――一戦を交えなければならない自体まで引き起こしてしまって心苦しい思いではあるけれど。



 ――この異能戦で、私はもう大丈夫だと証明したい。心から信じられる仲間がいるから心配ないと、日向さんに伝えたい。



 それがアインにできる、唯一の恩返しだった。

 ゆっくりまぶたを開き、浅く呼気を吐く。

 物思いに耽っている内にも、階下の戦闘は激しさを増しているようだった。散発的に聞こえる轟音が、現場を見ずともその壮絶さが否が応でも伝わる。

「そろそろ、ですね」

 すぐさま行動に移せるよう、上体を静めて拳を床に向ける。

 アインがここにいるのは、なにも日向がバカ正直に待っているからではない。

 アインがここに留まっている理由。それは――――



「今だああああああああっ! ソードフェルトぉぉぉぉぉぉっっ!!」



 真下から虎助の怒号が響く。

 その合図をしかと聞き届けて。アインは。



「はああああああああっ!!」



 全力で、



 ◇◆◇◆



 その時日向は、予想だにしなかった反撃の数々に、珍しく焦燥していた。

 三階へと足を踏み入れた時から、その異様さに目を見張ったものだが、このガタイの良い少年はそれ以上に油断ならなかった。

 日向が『雷帝』を放った時もそうだった。一撃目を類いまれなる反射神経でこれを躱し、続く二撃目三撃目も廊下に散らばった雑貨を蹴り上げて、あっさり防いでみせたのだ。



 駿河虎助。

 御影の親友で、右腕的存在。



 御影の取り巻きという時点でただ者ではないと思っていたが、なかなかどうして、とっさの判断に長けた少年だった。

 本人は御影の命じるままに動いただけだと謙遜していたが、『雷帝』を目の前にして物怖じしない物腰の太さは、正直称賛に値するものがあった。

 日向のように場数を踏んでいる者ならともかく、虎助のようなおよそ戦闘経験もない素人が『雷帝』をいなすなんて、そうそうあるようなことではない。大抵の者は、『雷帝』を目にしただけで怯むからだ。

 だのに虎助は、まるで引く素振りもなく真っ向から立ちふさがってきた。



 胸が踊った。はっきり言って、この学園に入学して初となるかもしれないほどに。



 裏で御影が噛んでいるのは、虎助の証言からして明らかだったが、それ以上に彼との一戦が楽しくてならなかった。

 その時はまだ、そんな余裕が持ててあいた。足元に散乱する雑貨を剣圧で払いのけるまでは。

 廊下を一掃し、虎助の懐へと迫ろうした際、虎助を守ろうとせんがごとく、雑貨が突然密着し始めて壁となったのだ。

 一瞬、なにが起きたのか分からなかった。その動揺は身体にまで影響し、走行する足を鈍らせる。

 が、そこは百戦錬磨の日向。『雷帝』では衝撃の余波を受けると判断した日向は、すぐさま『千本刀』を発動させて、壁ごと虎助を貫こうと、刀の雨を降らした。

 虎助がなにかしら異能を使ったのは間違いなかったが――磁石のような能力かもしれない――それ自体に攻撃力があるわけでもない。実体こそ掴めないが、強引に押し切ればどうということもない。そう瞬時に思考を巡らせて、日向は次々と刀を飛翔させる。

 だがここでも、日向は読みを誤った。



 虎助ごと貫こうとしたその刀は、突如として壁ごと両断されてしまったのだ。



 日向は、完全にコピー能力者の存在を失念していた。

 例によって虎助も軍手をはめていたので証拠は見られないが、そこには能力を写し取った証――文様が刻まれているのは疑いようもなかった。

 おそらく能力は、物体の切断。

 もう一つの能力『異能封じ』にばかり気を取られたばかりに起きた、日向の油断。

 それは隙となって現れ、刀を虎助の血だらけになった手で難なく握られてしまった。

「……これで『雷帝』は使えねぇぜ。生徒会長さんよ」

「――――――っ」

 刀傷だらけの体にも関わらず、息を乱しながらも不敵に笑んだ虎助に、日向は思わず息を飲む。

 実際その通りだった。

 今ここで『雷帝』を使えば、虎助を経由して日向も感電してしまう。

 しかも日向は美々奈達との戦闘でスプリンクラーの水を浴びてしまい、ずぶ濡れの状態だった。

 虎助とて出血もあってその限りではないが、日向も『雷帝』を喰らえばただでは済まない。もし使おうものなら、日向の負けは確定だろう。



 スプリンクラーで濡らされたのは、なにもその場限りの作戦ではなく、虎助の捨て身での攻撃を図るためでもあったのだ。



 だが、すでに虎助は満身創痍の状態。

 空いた腕で殴りつけるなり刀を出現させて刺すなりもできるが、相手が切断の能力を持っている以上、それは得策ではない。間合いに入られてもいるので『アイギス』を使うわけにもいかなかった。

 どのみち、虎助は出血多量でじきにリタイアとなる。だったら距離さえ取ってしまえば、日向の勝利は揺らがない。

 そう考え、刀を離そうとした、その時だった。



「今だああああああああっ! ソードフェルトぉぉぉぉぉぉっっ!!」



 虎助の――血を吐き散らしながらの咆哮。

 そこで日向は、もう何度目になるか分からない驚愕を露わにする。



 虎助の叫びに呼応するように、天井が突然崩れ落ちたのだ。

 そこには美しい銀髪をなびかせた、可憐な少女。

 かつて異世界で連れ帰った、『鬼』の能力者。



「アイン・ソードフェルト――!?」



 双眸を剥いて名前を呼ぶ日向。

 しかしながら、にわかには信じられなかった。

 なぜならアインは昔のトラウマで、仲間を傷つけることに人一倍躊躇いを覚えていた少女だったからだ。

 時にそれは『鬼』の暴走を引き起こして、さらにアインの心を縛る要因となっていたはずなのに。

 そのはずなのに、今のアインは決意の籠った瞳で、虎助をも巻き込んで四階の廊下をぶち破ってみせた。

 なにが彼女をそこまで奮起させるまでに至ったかは見当も付かないが、心当たりが少年の姿となって脳裏に浮かんだ。



 ――御影の仕業か……!



 そうとしか考えられない。おそらく御影が、日向ですらどうにもできなかったアインの戒めを解いてみせたのだ。

 つくづく底が知れない。アインすら完全に手駒にして、こうして自分を追い込んでみせるとは……!

 そうこうしている内に、瓦礫が頭上に浮かぶ刀の群れをも巻き込み、日向へと降りかかる。

「くっ――」

 落下する刀や瓦礫を超人的なスピードですり抜け、すぐに飛び退く。何箇所か擦り傷ができてしまったが、これくらいなら軽傷の内にも入らない。

 後退する中、虎助が瓦礫に埋れる様が見えた。あれならば、即時リタイア決定だろう。どちらにせよ、出血多量で学園システムに回収されていただろうけど。

 それよりも目下注視すべきなのはアインだ。粉塵にまみれて姿は捉えられないが、眼前にいるのは事実。

 並びに、アインは日向の『人壊』と似た能力――『鬼』を所有している。単純な力関係なら、『鬼』の方が分配が上がるだろう。なおさら気が抜けなかった。

 暴走した際は理性を失っていたせいもあって楽に倒せたが、今回はそうもいかない。こちらには『雷帝』や『千本刀』といった攻撃手段があるし、完全防御の『アイギス』だってある。

 伊達に学園最強と謳われてはいない。アインといえど、遅れを取る要素などなにもなかった。

 と。

 その時。

 不意に背後から――猛然とこちらへと疾駆する気配がした。

 アインに警戒を払いつつ、僅かに体をずらして振り返る。

 果たせるかな、そこには――



「御影――――っ!?」



 D組委員長――高坂御影の姿だった。

 虎助やアインばかりに気を取られていたためか、肉薄していた御影にまるで気づけなかった。いつの間にやら四階から三階に移動していたことすらも。

 日向らが熱戦を繰り広げていた内に、御影は御影で独自に動いていたのだろう――終始出方を窺っていたような、あまりにもタイミングの良い現れ方だった。

 そして、御影がここで奇襲をかけた意味を探る。

 この場で一番友好な手、それは――



 ――『異能封じ』か!



 ここか。ここでそれを使うのか。

 なるほど。絶妙なタイミングだ。疲弊している今の日向なら、懐へと入ることも十分可能だ。

 だが詰めが甘い。『異能封じ』を使うにもまだ距離がある。その間に『アイギス』を展開してしまえば、間合いに入られる心配もない。別方向から来るアインの突撃にも対応できる。まさに完璧な防御の仕方だった。

 即効『アイギス』を発動し、周囲を透明な壁で囲む。

 未だアインは瓦礫の山から這い出る素振りは見られない。その間にも、御影は彼我の距離を一気に詰める。

 目の前に『アイギス』があると分かっていながら。



 ――バカな。拳ひとつで『アイギス』を破るつもりでいるのか?



 現状、御影はなにも武器を手にしていない。今にも『アイギス』を殴りつけようと右手を――なぜか拳でもなく掌底でもなく――だらんと力なく垂れさげつつも振りかぶる動作に入っていた。

 言うまでもないが、御影の拳程度で破れるはずもない。『鬼』の力を持つアインとて、この強固な結界を突破するのは絶対に不可能だ。

 なのに御影は、構わず全力疾走で『アイギス』を眇める。

 日向が怪訝に眉をしかめている内に、御影は一昨の躊躇なく、『アイギス』に向けて右手をムチのように叩きつけた。

 大方予想通りというべきか、痛々しくも鈍い音を立てるのみで、御影の攻めは『アイギス』を破るどころか、ヒビひとつ入れることすら叶わなかった。

 無駄な真似を――と御影の愚行に冷笑を浮かべしようした、その直後。



 



 その光景に、日向は悲鳴すら上げれずに全身を凍らせた。

 御影の体が生気を失ったように傾ぐ。手首は軍手と共に宙に浮き、旋回しながらグロテスクに血を飛び散らす。

 真っ赤に染まる『アイギス』を、日向はなにが起きたか分からないといった放心した表情で硬直していた。



 狂人のように口端を歪める、御影の凄烈な笑みを眺めながら――。


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