23話 美々奈の逆襲



「――以上で終わりだよ。三船さん」

「ん。お疲れさん、かっちー」

 二、三階で起きた出来事を終始慄いたような面持ちで語ったクラスメイトの男子――かっちーに、美々奈は軽く頷いて労いの言葉をかけた。

「多分もうじき来るやろうから、心の準備だけはしといて」

「分かった」

 かっちーは首肯し、踵を返して職員室から退出していった。

「ここまでは大方予想通りやな……」

 そう独りごちて、美々奈は教員用の椅子に深くもたれかかった。

 本校舎一階職員室。その室内で、美々奈はグループリーダーとして、指示役に徹していた。

 職員室は普段使っている教室三部屋分はあり、壁も取り除いてあるせいか、とても広々と感じる。美々奈達のいる教室も一般のそれよりも十分面積が広いのだが――なんせワンフロアまるごと一学年の教室に使用しているぐらいだ――ここは窓枠が大きく設置されているせいか、より見晴らしが良いように感じられた。

 机の並び自体は整然としているが、その上は書類や仕事道具などでごちゃごちゃしている印象を受ける。試しに一五みるく――担任教師の机を探し当ててみたら、こちらは意外にもきっちりと片付けられていた。カンニング防止か、中身はすべて白紙にすり替わっていたが、それでも仕事ができる女性――もとい女装男子であることが窺えた。

 趣味といい言動といい、絶対仕事ができるタイプでないと踏んでいたのに。あれで実は家庭的だったりもするのだろうか。ただでさえ素性の知れない――美々の情報網をもってしても――人なのに、余計謎が深まる結果に終わった。一般校からの選り抜きという話ではあるが、初見でD組のみんなを欺こうとしていたあたり、ただ者でない気がする。生徒会長が関わっている時点で、推して知るべしであるが。

 その生徒会長だが、第三校舎をもろとも破壊した後、本校舎の四階から侵入して順調に美々奈達のいる階へと迫ってきている。現在二階――こちらは二人だけ配置している――で交戦中らしいが、そう長くは持たないだろう。



 ――噂以上の化け物やな、生徒会長。実は人造人間とちゃうんやろか。



 斥候に行かせた男子(さっきまで美々奈と話していた生徒だ)の報告を反芻しつつ、美々奈は心中で毒つく。

 ここまで御影の作戦通り動いてはいるが、話に聞いていたよりもずっと規格外な動きを取る日向に、正直戦慄を禁じえない心境だった。

 敵はたったの一人。だというのに、こんなにもあっさり蹂躙されるとは。まるで戦車でも相手取っているような錯覚に捕らわれた。

 が、仲間達の犠牲もあって、それなりの収穫を得た。御影から推測のひとつとして前もって聞かされてはいたが、どうやら彼の読みは当たっていたらしい。相変わらず彼の観察眼はずば抜けている。素直に感嘆してしまう。



 ――そういや最初に見た時から、ミーくんって他の人と違った雰囲気してたなあ。



 初めて御影を目にしたのは、入学したばかりのまだ知り合いもいなかった頃なのだが、だれもがD組に入れられと意気消沈とする中、御影だけは確固たる決意をたぎらせた瞳をしていた。

 ぱっと見の印象はどこにでもいる大人しそう少年といった感じなのに、そのアンバランスな風体に、美々奈は不思議と目を惹きつけられたのを今でもよく覚えている。



 彼ならなにかをやってくれるような。

 だれも到達できなかったなにかを成し遂げてくれるような。

 そんな淡い期待感を、美々奈は胸中に秘めるようになっていたのだ。



 実際、彼はただ者でなかった。無能力でありながら――しかも自分から明かしていた――それに引け目を感じさせず、堂々と廊下を歩いて、平然と過ごしていた。陰で散々裏口入学とか雑草とか蔑まれようが歯牙にかけず、御影は努力し続けていた。だれより訓練に励み、だれより勉学にも従事して、人一倍懸命に学園生活を送っていた。

 だからだろうか、いつしか美々奈は御影から目を離せなくなっていた。

 決して恋愛感情じみた甘酸っぱいものではない。

 御影という近い将来大物になるかもしれない存在に、美々奈は興味が尽かなくなってきたのである。

 言ってしまえば御影との関係も、気が合う合わない以前に、単なる興味本位から始まったようなものだ。

 彼もその気配を感じてか、当初は迷惑そうにしていたが、何度か親交を重ねる内に友達と言い合えるくらいの間柄にはなれた。まあ御影のことだから、美々奈の情報収集能力を有益と認めたからなのかもしれないが。



 ――ミーくんって芯からの腹黒やからなあ。でもだれよりもお人好しやったりもするから、みんなも安心して信頼を寄せてるんやろなあ。



 そして、それは美々奈も。

 目的のためなら手段を選ばない危うさのようなものがある少年だが、意外とそれが他人に向かうことは少ない。

 基本的な善良(御影は認めないだろうけど)な彼は、他人が傷つくぐらいなら自分の体を犠牲にする節があるのだ。

 それこそ、死の危険が孕んでいようとも。

 本当に、御影という人間はつくづく底が知れない。

 だからこそ、観察対象としてこの上なく面白い。

「せや。早いとこミーくんに知らせな。生徒会長が来てまうわ」

 ふと思いついたように呟いて、美々奈はポケットから携帯端末を取り出して、御影に電話をかけた。

『…………もしもし』

 数回コール音がした後、弱々しい御影の声が、美々奈の鼓膜をくすぐった。

「ウチやけど、なんやミーくん、えらい死にそうな声してるやんか」

『さっきからずっとアインにも心配されてるよ……』

 隣りを窺うような気配がした後、

『それで、どうだった?』

 と御影が問うてきた。

「うん。ミーくんの指摘通りやったで」

 携帯端末を持ち直し、美々奈は口の端をたわませて言う。



「さっき偵察に行かせた子から聞いてんやけどな、 『アイギス』を使おてる時に毎回必ずみたいやで」



 美々奈の報告に、御影は驚く素振りもなく『そっか』と淡白に呟いた。

 そうなのだ。

 これまで二、三階と少数かつ数回に分けて日向にぶつけたのも、御影の推論を立証するためだったのだ。

「あとな、移動しながらも使えるもんとちゃうみたいやで? 襲われる度に『アイギス』使ってたみたいや」

『ということは、狙うとしたら移動した時になるね。良い情報を聞いたよ』

「でもどこでこんなん気づいたん? こんな秘密があるなんて、ウチ知らんかったで」

『この間一緒に異能戦選挙の映像を観ていた時だよ。一度だけしか使っていなかったけどね』

「そおやったん? 全然気づかんかったわー」

 一年生の時に教室のモニターで一度。二度目は御影に観させてもらった映像記録になるが、日向が『アイギス』を使う前にそのような挙動を取っていただなんて、まるで分からなかった。

 本当に、御影は人をよく視ている。

 このやり取りでさえ、心の深淵を覗かれているのではないかと危惧したくなるほどに。

「つまり『アイギス』を発動させへんためには、足場を悪くさせりゃええってわけやな」

『だね。まあそれを封じたところで、なお手強い相手ではあるけれど』

「せやから、ここで準備させたんやろ? 『アイギス』の検証と同時進行で、足止めまでさせて」

 クラスメイト達には申し訳ないが、彼らには日向の足止めを頼んでもらった。

 相手があの最強なので大して時間は作れないだろうが、それでも日向の異能を攻略するための下準備は済んだ。あとは日向を待つのみである。

『ごめんね。損な役回りを任せちゃってさ』

「別にええよ。今回に限ってはウチの異能は役に立たんしな」

 美々奈の『耳年増』は、二人以上の会話があって初めてその内容を耳に挟むことができる。

 詰まるところ、今回のような日向単体しか参加していない場合などは、その真価を発揮できないのだ。

 前回同様、クラス全体の異能戦だったならば『耳年増』も有効だったのだが、情報を共有する他者がいない以上、相手の動きを把握するすべがない。

 たまにクラスメイトと日向との会話を聞き取ったりもするが、どれも重要な手がかりとなるものはなかった。せいぜいが、日向の今いる位置を知るぐらいなものだ。

「せやから、今回は損な役回りも請け負うたるわ。ミーくんの友達として、なんも役に立てんのはイヤやさかいな」

『……フネさんって、変なところ義理堅いところあるよね』

「せやろせやろ? もっと褒めてくれたってええんやで?」

『そのすぐ調子に乗るクセさえなければね』

 そう苦笑混じりに嘆息をついて、『それじゃあ』と真剣味を含んだ声で御影は続ける。

『あとはフネさんに任せるよ』

「任せとき。なんなら、ついでに倒したるさかい」

 快諾した美々奈に『心強いよ』とだけ返答して、御影はに押し黙った。

 まるで、耳を済ませるように。

 対する美々奈もで携帯端末をポケットに滑りこませ、背もたれに体重を預けて一呼吸ついた。



「三船さん! もうじき来るよ!」

「やだ。すごく緊張してきた……」



 慌てた様子で入ってきた斥候役の男子が、おどおどと狼狽えている女子と連れ立って職員室には入ってきた。

 今となっては本校舎最後の仲間だ。

「了解。ウチも配置に着くわ」

 ズレてきた軍手をはめ直して。

 美々奈は、椅子から立ち上がった。



 ◇◆◇◆



 四、三階と続いて二階も制圧し終えた日向は、本校舎最後の層となる一階を目指す。

 二階も二階でなかなか面白い仕掛けがありもしたが、日向の足を止めるまでもなかったので、若干の物足りなさがどうにも拭えない。



 ――現時点では、私を本格的に楽しませてくれる者はまだいないな。



 ふう、と憂うように吐息を零しつつ、日向は階段を下りていく。

 御影の指示か、あれこれと奇を衒った襲撃をしてくれてはいるが、はっきり言って小学生のイタズラ程度だ。どうもインパクトに欠ける。

「ま、次に期待しよう」

 本校舎は一階にいる生徒(ちなみに三人だ)で終わりとなるが、まだ第二校舎も残っている。見切りをつけるのはもう少し後にしよう。

 階段を下りきり、一階に到着する。

「…………ん?」

 廊下に出ると、前方にバリケード――机や椅子の山がそびえ立っていた。

 机や椅子そのものは他の教室でも見慣れている木製だが、職員練でもあるこの場所に、これだけの量があるとは思えない。おそらくは二階や三階から運んできたのだろう。

 が、こんなバリケードごときで日向の進行を止められるはずもない。それは向こうの十分承知のはずだが……。



 ――はてさて、一体なんのつもりなのやら。



 深くは思考せず、日向は職員室の手前で天上近く形成されたバリケードへと近寄る。

「ふっ――」

 刀を横手に振り、バリケードをあっさり崩す。

 と、その瞬間。



 バリケードの頂上に仕掛けてあったらしいチョークの粉入りポリ袋が、崩れる机や椅子と共に降ってきた。



「――――――!?」

 予想だにしなかった罠に目を見張りつつも、日向はとっさに片足を踏み鳴らして『アイギス』を展開する。

 耳をつんざくような落下音が響き、チョークの粉が辺りに広がっていく。

 だが視界を奪うほどのものでもない。『アイギス』を発動したまま、前方の様子を窺う。

 『アイギス』のおかげでこれといって負傷もないが、眼前の景色は散乱した机や椅子の上にチョークの粉が被り、見るからに酷い有り様となっている、力加減が強かったせいか、物によってはかなり破損しているものあり、木くずや金属部分も転がっていた。

 その代わり、これでバリケードはなくなった。少々足場が悪くなったため、ここら一帯ではあまり『アイギス』は活用できそうにないが。



 ――ひょっとして、始めからこれを狙っていた?



 いや、さすがにそれは穿ち過ぎか。

 だいいち足場の悪さは向こうとて同じ条件のはず。D組に飛び道具系の異能はないはずなので、攻めるとしたら遠方からの投擲(椅子なり本なり)ぐらいになるだろう。

 案の定というべきか――少し間を空けて、職員室の向かいの戸から二人の男女が飛びだして、腕いっぱいに抱えた物品――ペンや缶などを投げつけてきた。

「おらおらおらっ!」

「えいっ。えいっ」

 二人して次々に手持ちの物品を投擲していく。女の子に至っては、少し距離があるせいか、日向に届く前に落ちてしまっていた。

 果たせるかな、投げられた物品はどれも『アイギス』によって弾かれ、廊下を散らすだけに終わる。

「努力は買うが、それでは一向に私を倒せんぞ?」

 いじましく児戯じみた攻撃を続ける二人に、日向は呆れたように苦笑を浮かべる。

 忠告してみたものの、二人はそれでも手を休めず、以前として日向に物品をぶつけていた。どうやら投げ尽くすまでやめるつもりはないようだ。

 なんだか一気に『雷帝』でケリを付けたくなったが、あいにくとチョークの粉が未だ浮遊しているので、ここから使うわけにもいかなかった。三階の時と同様に、粉塵爆発でも狙っているかもしれない。

 とはいえ、あくまでもそれは日向の周囲のみだ。彼らの元にさえ行けば、粉塵もないので引火する心配はない。

 そうなれば、やることは一つ。



 彼らの元まで跳躍し、空中のまま『雷帝』を叩きこめばいい。



 そこまで思案し、日向は『アイギス』を消して、数秒の迷いもなく廊下を蹴って飛躍してみせた。

 悠々とごった返した備品の山を超え、早々に天井付近まで到達する。

「うわあああああ! 来たああああ!」

「あわわわわわわっ」

 飛来しながら急接近する日向に、二人して叫声を上げて狼狽する。

 完全に粉塵の域を抜き、颯爽と抜刀しつつ紫電を刃先に込めて――



「今だあああああああっ!!」

「は、はいっ!」



 男子の怒号を合図に、その女の子は両手を広げて、こう告げた。

「お願い! 開いて!」

 直後だった。



 日向の頭上から、が降ってきた。



 いや違う――スプリンクラーだ。

 煙りが発生したわけでもないのに、唐突にスプリンクラーが開いて大量の水が放出されたのだ。

「――――――っ」

 驚愕しつつ、感電しないよう『雷帝』を急遽引っ込ませる。



 ――これは、異能か!?



 顧みるに、発動させたのは天井向けてバンザイの恰好を取っている女の子。

 詳しい能力は分からないが、おそらくは水を操る異能。それを使用して、スプリンクラーを意図的に作動させたのだろう。

 よもや廊下を雑多な状態にしたのも、わざと跳躍するようにし向けて、『アイギス』による水流の防御を封じるためだったのだろうか――?

 いや、疑問を挟む余地はない。現にこうして『アイギス』の弱点を突き、日向に大量の水を浴びさせてみせたのだ。すでにD組は『アイギス』の発動条件に気づいていると考えた方がいい。

 そして、弊害はそれだけにとどまらない。



 全身が濡れてしまったせいで『雷帝』ですら封じられてしまったのだ。



 これでは『アイギス』とは違い、体が乾くまで迂闊に『雷帝』が放てない。

 これも全部、御影の計画の内だったのだろう。



 全ては、学園最強の弱体化のために。



「だ、が――――っ!!」

 やられっ放しで済ますものか。

 日向は刀を逆手に持ち替え、背に反らした刃を猛然と振り下ろした。

「うおああああああっ!?」

「きゃああああああ!?」

 元々距離も無かったせいか、退避動作すら取れずに、二人は日向の剣撃をもろに受けて後方へと吹き飛ばされた。

 凄まじい衝撃波が廊下を穿ち、突き当たりの壁を貫いて瓦礫を撒き散らす。

 壁には大きな穴が空き、そこから入りこんだ風が誇りを舞い上げていた。

 今頃あの二人も、地面に落下しているか、先ほどの衝撃波に巻き込まれて学園側に回収されていることだ。

「ふう……」

 一呼吸つき、刀を半回転させて握り直す。これで元の握りに戻った。

「すっかり濡れネズミとなってしまったな……」

 収まる気配のないスプリンクラーに辟易しつつ、視界の妨げになっているビショビショの前髪を掻き上げようとして、



 突然、職員室の窓ガラスが大きな音を立てて割れた。



 そこにはなぜか、延長コードで巻きつけられたノートパソコンが目前まで迫っており――――



 ◇◆◇◆



 美々奈は職員室にある教員用の机に背を向けながら、タイミングを見計らっていた。

 つい先ほどまで日向と仲間のやり取りを聞いていたのだが、早速交戦状態に入ったらしい。

 もっとも、二人の気合いの入った声しか聞こえないので、『アイギス』によって軽々と防がれているのだ。日向自身も一顧だにしていない様子だった。

 しかし、それでいい。

 重要なのは日向の足場を奪い、『アイギス』が使用できないよう跳躍させること。

 そして宙に浮いている間にスプリンクラーを作動させ、『雷帝』を使えない状態に追い込むことにある。

 それが御影から承った、美々奈の役割りである。



 ――しっかし、ミーくんも危ない橋渡るわ。もし『アイギス』の発動条件が足を踏み鳴らすんやなかったら、どうするつもりやったんやろ?



 まあ、結果的に本番まで確信を得て、こうして計画通りに進んでいるから良かったものの、そうでなければバリケード(チョーク爆弾付き)の準備が無駄に終わり、今頃刀の錆にされていたに違いない。

 だがそれを差し引いても、御影の奇策には毎回度肝を抜かれる。

 入念というかなんというか――人はもちろん周囲にある物さえ目敏く利用し、的確に相手を術中に嵌めている。味方にしたら頼もしいが、敵にしたら絶対後悔するタイプである。主に精神的な意味合いで。

 そうこうしている内に、かっちーの大声が耳朶を打った。いよいよ『雷帝』を封じる段階に入ったのだ。

 続いて、仲間内である女子――ゆりりんの叫び声。水道が繋がっている場所ならどこでも触らずに水を出せる異能を持つクラスメイトの一人だ。

 そして、『雷帝』を封じるためのキーパーソンでもある。



 ――ゆりりん、あんな異能があったんやなあ。全然知らんかったわ。能力がしょぼい上に使いどころもなかったみたいやしなあ。



 訓練でたまに異能の練習をする場合が多々あるが、彼女の場合は水道が利用できる場所まで移動しなければならないので、自然と目に触れる機会もなかったのだろう。記憶がなくて当然である。

 にも関わらず、御影だけはちゃんと把握し、こうして異能戦にまで利用してみせた。

 一体あの少年は、いつからこんな緻密な計画を立てていたというのだろうか。

「おっ。スプリンクラーが動いたみたいやな」

 勢いよく放出される水音を聞き届け、美々奈は手に持ったノートパソコンを力強く握った。

 だがそれには延長コード――しかも先が切断されて導線が露わになったものを巻き付けてあり、そのコードは当然のようにコンセントに刺さっていた。

 実際ならば、こんな状態の物を手にしているだけで感電の恐れがある。

 が、美々奈にはそうならないための秘策が施されていた。



 ――みんなは軍手やけど、ウチだけその下に絶縁手袋を付けてたんやな~、これが。



 そう。

 今は軍手を脱ぎ捨ててあるが、異能戦が始まる前からずっと絶縁手袋をはめていたのである。

 絶縁手袋とは、文字通り電気を通さない――主に設備点検などで使われる、感電防止用の手袋の事である。

 二枚重ねのため、それなりに盛り上がっていたのだが、D組全員が手袋を装着していたせいか、日向に感づかれもせずスルーされた。

 まさかこんなことのために――ずぶ濡れになったであろう日向に、漏電したコードをぶつけるための絶縁手袋を軍手でカモフラージュしていたとは夢にも思うまい。美々奈も御影に聞かされるまでは耳を疑ったものだ。



 ――これで勝てるとは思うてへん。けど、ちょっとでもダメージを与えられたらその分ミーくん達が楽になる。



 自分達の役目は、日向の異能をできる限りの範囲で制限させ、あわよくば手傷を負わせることにある。

 豪雨のような水音が、美々奈の鼓膜に触れる。きっと今頃、廊下は作動したスプリンクラーでビショビショになっているはずだ。

 無論、そこにいる者も含めて。

「これで『雷帝』は封じたった。あとは――!」

 囁くように言い、ノートパソコンを持ちながら机の陰から少しだけ出る。

 途端、廊下側の窓から旋風のような衝撃波が目の前を横切った。日向の放った剣撃だ。

 かっちーとゆりりんは凄まじい衝撃に呑み込まれ、悲鳴を遠退かせて美々奈の視界から消える。

 不意に水音が消えた。スプリンクラーを操っていた主が退場したことで、水も止んだのだろう。

 そして、跳躍中だった日向は床へと華麗に舞い降り、濡れそぼった前髪を上げようとしたところで――



 美々奈は、日向目掛けてノートパソコンを全力で放り投げた。



 ノートパソコンは連結させた延長コードを伴いながら、姿見のような窓ガラスを突き破って日向との距離を狭まる。

 触れれば、漏電した延長コードからの感電は避けられない。

 付け加えて、日向は現在ずぶ濡れの状態だ。家庭用の電圧では即死とまでもいかずとも、昏倒させるだけの威力は十二分にある。

 上手くいけば、それで試合終了。D組の勝利だ。



「あたりやああああああああっ!」



 大喝し、日向が感電する瞬間をしっかり目に焼きつける。

 ノートパソコンが接触するまで、僅か数センチ。

 思わずガッツポーズを取りかけた、刹那の時だった。



 ノートパソコンが、どこからともなく現れた刀によって串刺しにされた。



「は、あ……?」

 目の前で起きた現象が信じられず、呆然とした面持ちで美々奈は膝を付く。

 錯覚などではない。間違いなくノートパソコンは刀に貫かれ、その場で静止していた。

 日向が手にしていた刀にではない。唐突に現れた、によって。

「『千本刀』――」

 濡れた前髪を後ろに撫でつけながら、日向は厳かに口を開く。

「文字通り、一度に千本の刀を顕現できる異能だ。これといって制限もなく、いつでも使用できるのが強みでもある。このように――」

 瞬間、日向の周囲に幾多の刀が忽然と現れた。

「手中からでなく、宙に浮かせた状態でも出現させることができる。さながら剣山のようにね」

 もっとも、狭いところだと数に限りはあるがね、とうそぶきながら、日向はようやくこちらへと視線を向けた。

「残念だったな。狙いは良かったが、君が職員室に潜んでいたのは『レーダー』で把握していたからね――あらかじめ心構えはできていたよ」

 日向の言葉に、美々奈は悔しげに歯を噛み締める。

「発想は面白いが、いかんせん君の腕力が足りなかったね。私に当たる前に容易く対処できてしまったよ。もしこれでスプリンクラーが切れていなかったら、確実に感電していただろうがね」

 御影の発案なのだろうが、相変わらずエグい真似をしてくれる。

 そう苦笑を漏らしつつ、日向は全ての剣先を美々奈に向けた。

「さて、説明は済んだ。そろそろ閉めに入ろうか」

 結局、美々奈は一言すら応答することができなかった。

 その前に、日向の思惟に導かれるかのごとく、美々奈を貫かんと全ての刀が割れた窓をすり抜けて殺到してきたのだ。

「ごめん、ミーくん――」

 汗を垂らしながら、飛翔する刀の雨を前にして、美々奈は脱力したように渇いた笑みを浮かべた。



「これは……ほんまもんの化物やわ」


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