18話 ミッションインポッシブル



 宝条学園女子寮。そこでアイン・ソードフェルトは、自室のベッドで仰向けになりながら、見るともなしに天井を眺めていた。

 よく部屋は住んでいる人間の性格を表すというが、アインの場合、そのシンプル過ぎる内装のせいで人格が推察しづらかった。

 というより、物がない。ベッドやタンスといった必要最低限の家具はあるが、テレビや雑誌といった娯楽に関するものはどこにも散見できなかった。

 これだけ見れば、だれもが引っ越し直後なのかと疑うであろう。事実アインは女子寮に住居を構えてから日が浅いのだが、彼女はこれが標準だった。

 淡白といえばそれまでだが、アインのそれは単純なものでなく、心の奥底に潜む深い闇が起因していた。



「私は、一体なにをしているのでしょうか……」



 眩い照明を手でかざしながら、アインはぼんやりと呟く。

 異能戦が終わって謹慎処分になってから、アインはずっとこんな調子だった。

 なにもする気が起きなかった。体のどこからも気力が湧かず、まるで脱け殻のようだと我ながら思う。

 ふとデジタル時計を見ると、夕方の四時を表示していた。朝からずっと寝そべっていただけなのに、いつの間にやらこんなに遅くなっていたようだ。

 今日もまた、無為な日を過ごしてしまった。そう自戒はしても、正そうという気には微塵もなれなかった。

 自分の中の芯のようなものが、ぽっきりと折れ果ててしまったかのような。

 そんな錯覚に、いつまでも囚われていた。



 ――せっかく、日向さんがこんな私を誘ってくれたというのに。



 脳裏に浮かぶのは、三年近く前に異世界でアインを助けてくれた恩人の姿。

 どん底から救い出して、どこにも行き場がなかったアインに新しい道を示してくれた、太陽のような人。



 ――少し日向さんに恩返しできたらと思ってここに来たのに、未だに私はなにもできていない……。



 むしろ此度の謹慎処分の原因となった異能の暴走も、結局は日向に手間をかけさせてしまった。

 D組にしてもそうだ。最近は日向にD組へと行くよう指示されて――というよりは裏工作されて戸惑いを覚えながらも担任教師の一五みるくと口裏を合わせて編入したのだが、想像していたよりも強い結束力を持ち合わせていて、感心すら覚えたほどだった。実際に異能戦をやってみて、それまでの先入観を払拭しなければならないほどに。

 特に注目すべきは、やはり委員長である高坂御影の存在であろう。

 学園で唯一無能力という――本来なら入学を許されない異質な少年ではあるのだが、彼こそがD組の舵を取っていると称しても過言ではない。

 決して人望が厚いわけではない。だがしかし、御影ならどうにかしてくれるという期待感を一心に受けているようだった。

 そして、それが伊達や酔狂でもなかったことを、アインは身にして分かっていた。

 でなければ、二ランクは上のB組をあそこまで追い詰められるはずがないのだから。



 ――それを、私がめちゃくちゃにしてしまった……。



 御影の奇策は、どれも上手いこと嵌ってくれていた。完璧とまでは言い難いかもしれないが、完全にB組を翻弄して窮地まで立たせてみせたのは紛れもない事実だ。

 が、最後の作戦になって――B組の大将である一ノ宮銀次をアインが打破するという大役を預かっておきながら、結果的に『鬼』の暴走という事態を招いてしまった。幸いにもどうにか勝利をもぎ取れたので、それだけならば喜ばしいことなのだろうけど、アインにとっては最悪以外の何物でもなかった。

 そして、引き込めるばかりでクラスメイト達になにも謝罪できていない自分自身に対しても。

「三船さんや他の方にも、いずれちゃんと謝らなければいけませんね……」

 クラスメイトで同じ女子寮に住む美々奈には、何度かドア越しに話しかけてくれたり、食事まで運んでもらったりと迷惑をかけてしまっていた。ほかにも別の部屋の住居人からも心配そうに声をかけられたりと、なにかとお世話になりっぱなしだ。正直、頭が上がらない思いである。

 だがどうしても、だれかと顔を合わせる気になれなかった。

 怖いのだ。みんなから失望されてしまうのが。

 自分にはもう、どこにも居場所なんてないのだと理解してしまうのだが。



 ――そういった意味では、今回の転校処置は好都合だったかもしれませんね。



 生徒会から届いたメール――返信はしていないが、目だけは通しておいたのだ――の内容では、転校処分が本決定された場合、異能を抹消されるようになっている。

 アインとしてもこんな危険な能力をいつまでも保有していたくないので、消してくれるなら願ってもない話だった。

 それに、両親は異能力に対して反対的な立場だ。アインが異世界から帰ってきた時にも、実の娘と数ヶ月ぶりに再開したというのに、奇異な視線を向けてきたほどだった。

 そういった事情もあり、母国の研究施設から宝条学園へと日向の伝手つてを借りて転入したせいもあるが、異能が消えたとなれば両親もさほどイヤな顔はしないだろう。母国ではそれが不可能――まだ異能に対する研究が日本ほど進んでいない環境だったので、海外留学も無駄に済んで良かったと安堵してくれるはずだ。

 とはいえ、一度生まれた溝はそうそう簡単に埋まるものではないし、しばらくは日本に滞在して時間を置きたいと思っていたので、宝条学園の申し出はありがたいところだった。せっかく必死になって日本語を覚えたわけだし、このまま宝の持ち腐れとなるのも正直惜しいと思ったせいもあるが。

 だからアインとしても、このまま転校となってもほとんど異存はなかった。学園中に自分の悪評が広がっているだろうし、厄介な人物が学園から追放されたとなれば大手を振って喜んでくれることだろう。

 ただ少し、心残りがあるとすれば。

 恩返しどころか、迷惑ばかりかけてしまった日向への謝罪の念と。

 それから――



「高坂さんの――皆さんの期待に応えられなかった……」



 最後の締めと言っていい大役を任せてくれたのに、なにもできなかった。

 合わせる顔がない。むしろどうやっていけしゃあしゃあとみんなの前に出ろと言うのか。

 しかしながら、まともに挨拶もせずここから去るというのも、はばかられるものがあった。

 一体どうしたらいいのだろうと、しばらく思い悩んでいると――



 コンコンっ。



 と不意にノック音が響いた。

 言うまでもないが、お客が訪ねてくる用はない。それ以前に、見知った人はいても懇意にしている人はいないアインにとって、自室に訪れるものなど限られていた。

 となると、また美々奈かもしれない。何度も訪問してもらっているのに無言を貫いているので、今更応えるのも気まずいが、やはり一言二言ぐらいは声をかけるべきだろうか。そうでなくとも食事を運んでもらった時でさえ礼すら述べなかったし、いい加減謝りぐらいはした方がいいのかも……。

 などとしばしの間逡巡していると、思いがけない声がドア越しに響いた。



「ソードフェルトさん、いる?」



「高坂さん……?」

 間違いない。その声は高坂御影そのものであった。

 だが、それはおかしい。

 なぜならここは女子寮。男子禁制のこの場で、御影がいるはずもなかった。

 しかしながら、耳に届いたのは聞き間違えようのない御影の声。若干周囲に注意を払うような潜めた声が気がかりだったが、御影の危うい立場を鑑みればそれもむべなるかな。未だ女子寮のみんなが騒ぎ立てないのが奇妙でならないが、御影のことだからなにかしら裏工作でもしているのかもしれない。でなければ、女子に侵入した時点で守衛に捕まっているはずだ。

「ごめん、ソードフェルトさん。できたら部屋に入れてもらえるか、違う場所で話がしたいんだけど……」

 御影が心なし緊張を孕んだ声で言う。

 まるで理解が追いつかないが、御影が非常に困惑しているということだけは把握できた。裏工作は講じてあっても、すぐにバレかねない事態にいるのかもしれない。

「………………」

 躊躇いを覚えつつ、アインはベッドから下りて玄関に歩み寄る。後々騒ぎ立てられても困るし、一応クラスメイトである御影が変質者として捕まるのも複雑な心境だったので、さっさと用件を済ませてもらおうと考えてのことだった。

 数日ぶりとなるドアを開け放つ。

 一瞬で全身が固まった。

「なにやってるんですか高坂さん……」

「いや、僕も好きでこんな格好してるわけじゃあないんだけどね……」

 半眼で眇めるアインに対し、御影は苦みばしった笑みで応える。



 微塵も違和感のない、とても可愛らしい女装姿で。



 ◇◆◇◆



 人生最大の屈辱を味わされた。

 きっとこの汚点は、生涯ずっと付いて回ることだろう。

「すっげぇなミカ。めちゃくちゃ似合ってんぞ」

「ミーくん女顔やからきっと違和感ないやろなあ思うとったけど、ここまでのレベルやと嫉妬すら覚えるわあ」

 恥辱で震える御影に対し、虎助と美々奈が呆気に取られたような顔で感想を告げる。

 そんな二人を恨みがましい目で見つめながら、

「全然嬉しくない……」

 と、御影は暴れ出したい衝動を抑えるように、スカートの裾を伸ばした。

 そう、スカート。

 御影は今、スカートを履いているのだった。

 厳密に言うとスカートだけでなく、どこぞから取りだした女子生徒用の制服を着衣し、肩口まである黒髪のウィッグを付け、トドメとばかりにナチュラルメイクをよそおっていた。

 つまりは、女装だ。

 それも、かなり凝った方の。

 幸い今は放課後で、礼のごとく屋上にいるので、美々奈と虎助以外に人はいないので女装バレする心配はないが、だれかに見られているというだけで頭が沸騰しそうだった。

「にしてもミーくん、ほんまに男なん? 体毛も全然あらへんわ手足もすらっと細長いわ、生まれてくる性別間違えたんとちゃう?」

「単に華奢なだけだよ。体毛は遺伝だろうから、僕にどうこうできる問題じゃない」

 我ながら男らしくない方だと思っていたが、まさか二人に驚かれるとは考えてもみなかった。

「ほら、試しに鏡見てみ。せっかくウチが可愛く仕立てたったんや。完成度の高さにびっくりするで」

「いいよ。とりあえず違和感はないって分かっただけでも……」

「記念に写メでも撮ろうぜ。そんで俺達三人だけの待ち受けにするとか面白いんじゃね?」

「それええな! ナイスアイディアやでトラくん!」

「おいやめろ。絶対にやめろ」

 美々奈の鑑を押しのけ、虎助の携帯端末を没収して、御影は刺々しく言葉を放つ。まったく、油断も隙もない。

「けどまあ、これなら難なく女子寮に忍べ込めそうだな。良かったじゃん。ソードフェルトと話ができそうで」

「良かないよ。なんで僕がこんな恥ずかしい真似を……」

「だって、これが一番手っ取り早いやもん。だいたい、目的のためなら手段を選ばないミーくんにしては、妙に渋るやんか」

「僕にだって男としての矜恃くらいはあるよ……」

 卑怯だとか卑劣だとか鬼畜とか色々と汚名を着せられてきた御影ではあるが、女装がバレた時のリスクを考えると、さすがに耐えられないものがあった。

 女装という手を考えなかったわけではない。だがみんなから変態扱いされるくらいなら、いっそ舌を噛んで死んだ方でマシであった。

 とはいえ、美々奈の言も一理ある。現状難なく女子寮に入ってインの元へと行こうと思うなら、女装でもして侵入するしか他なかった。まことに遺憾ながら、不自然な点はないようだし。

「はあ~っ。仕方ないかあ……」

 重く長いため息を吐いて、御影は心を決める。

 どのみち日向との異能戦も間近。あまり悠長としていられない。

「分かったよ。この格好でソードフェルトさんに会ってくるよ」

「よっ。ミーくん男前! 見た目は美少女やけど」

「ぶっちゃけ、街中歩いてたら普通にナンパされそうなレベルだし、絶対上手くいくって」

「………………」

 二人のありがたくない声援を受けて、御影は渋々ながら女子寮に向かった。




 そうして、時間軸は今へと戻る。

「なるほど。それでそのような格好をしていたのですか……」

 遠目になりながらこれまでの経緯を語り終えた御影に、アインは同情の眼差しを向けてそう呟いた。

 場所は女子寮の屋上だった。当初はアインの部屋に入れてもらおうと思っていたのだが、やはり異性の部屋に突然上がり込むのはどうかと思い、熟慮の末、人がいないであろう屋上を選んだのだ。

 まあ、前もって美々奈から屋上の鍵を受け取っていたので――当然のごとく立ち入り禁止とされているので――どちらにせよ来るつもりではいたが、しかしいつものことながら、どうやって屋上の鍵なんて持っているのだろう。どうせ所持しているのだろうなと当たりを付けていた御影も大概だが、美々奈はそれ以上だった。

 しかしながら、ここ最近やたらと屋上ばかり来ているような気がする。バカと煙は高いところが好きだと言うが、ご多分にもれず、自分もそうなのかもしれない。単純に第三者に聞かれたくない話が多いせいというのもあるが。

「それで――」

 と、春先の緩い風に銀髪をなびかせながら、アインは胡乱な瞳を御影に向けて再度口を開く。

「一体なんの用でしょうか?」

「用ってほどじゃないんだけどね」

 言いながら、御影は屋上の隅まで歩を進めて夕焼けに染まる風景を眺める。

 宝条学園は都市部に位置しているが、数十年前に起きた異形の侵略の名残りもあって、あちこちに田舎然とした田畑や木々が広がっている。荒地や廃墟の割り合いも多く、御影がいるこの女子寮も、元はぼろぼろになった建物を改装して今の形となったものなのだ。他の施設も似たような事情でリフォームしたものが多く、宝条学園の生徒はもちろん、教員や一部の異界取締官なども利用しているケースが多い。

 なので目の前に広がる光景も自然の方が四割近くも占めており、どこか心穏やかな心境になれた。まあ宝条学園は土地そのものがかなり広大なので、多少の自然があったところで特に不便はなく、むしろ都心のコンクリートジャングルより目に優しいくらいだった。

 眼下には数人の女子生徒が談笑しながら女子寮に入ろうとしており、さらに数キロ先にある校舎には、まだ人がいるのか、遠目からでもいくつか照明が点いている教室が散見できた。きっと部活なり委員会なり訓練なりに励んでいるのだろう。

「……用もなくわざわざここまで来たのですか?」

 なかなか次の言葉を継がない御影に業を煮やしたのか、どことなく険のある語調でアインが問う。

 悠然と背後を振り返って、不審そうにしているアインの姿を見やる。

 白のワンピースに紺のカーディガン。御影がアインの部屋へと尋ねてきたのは寝巻きだったのか、ゴソゴソと物音を立てていたので、きっと着替えているのだろうと察していたが、簡素な出で立ちにも関わらずとても似合っていた。夕日に染まる哀愁漂う風景と相俟って、思わず陶酔しそうなほど映えていた。

「……ここまで来てくれるとは、正直思ってなかったよ」

 アインの質問にすぐには答えず、御影は微苦笑を浮かべながら言の葉を紡ぐ。

「ごめん。用がないなんて嘘。本当は君の力を借りに来たんだ」

 ピクッ、と眉を微動させるアイン。

「近々、D組で異能戦があるということですか?」

「正解。多分ソードフェルトさんのところにも生徒会から知らせが来ているかもしれないけど、君の転校――というよりは追放かな? その追放を阻止するために、僕達は動いている」

「追放……? 阻止……?」

「うん。平たくというと、君のためになるね」

「私の……ため?」

 困惑したように、アインは復唱する。こういう反応を見せるということは、積極的ではないとは言え、進んで転校に準ずるつもりでいたのだろう。恩着せがましいことはあまり言いたくないが、少しでも彼女の気持ちに揺らぎがあるなら、そこに突け入れたかった。

「私は……そんなことを頼んだ覚えはありません。もとより追放されるのも覚悟の上です。これ以上、余計ないざこざを起こさないでください」

 拒絶するように顔を背けてアインが言い放つ。精神的に不安定な状態なのか、その身を守るように両の細腕をぎゅっと握りしめて目線を伏せていた。

「そうだね。僕らが勝手にやっていることだ。君が望んだものじゃない」

 けれど、と御影は語気を強めて、まっすぐアインを見据えた。

「今のソードフェルトさんを見て確信が持てた。僕らはなにも間違っていなかったって」

「どういう、意味ですか……?」

 その力強い声に、アインは探るように横目で御影を窺う。



「だってソードフェルトさん、覚悟なんて全然できてないじゃん」



 御影の言葉に、アインは核心を突かれたように表情を強張らせた。

「なにを言って……」

「ソードフェルトさんの場合、それは覚悟じゃなくて諦観だよ。周りに流されるのと自分から進むのとはわけが違う」

 御影の指摘に、アインはぐっと言葉を詰まらせる。

 その姿に、かつての気高い雰囲気はどこにも見受けられなかった。

 最初の印象は、だれかの助けなんて求めない、芯の強い孤高な人だと思い込んでいた。

 けれど、それは大きな勘違いだった。

 助けを求めないなんてとんでもない。単に強がってみせていただけで、アインはいつだって、だれかが救いだしてくれることをずっと待ち望んでいたのだ。

 でなければ、こんな惑うような悲しい顔をするものか。

「僕らを信頼しろとまでは言わない。でも少しでも君の心が晴れるなら、なんだって協力したいと思っている。だから話してくれないかな。ソードフェルトさんが抱えている全てのものを」

「………………」

 アインが沈黙する。時折なにかを話したそうに口許を微細に開け閉めしているが、決心が付かないのか、なかなか言葉を発せずにいた。

 それでも辛抱強く待っていると、

「……私の懺悔とでも思って聞き流してください。私という存在がどれだけ愚かで、どれほど罪深い人間なのかということを」

 そう深く反芻するように瞑目して。

 アインは、囁くように訥々と語り始めた。


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