9話 最弱の戦い方
その男子生徒は、アメフト用の装備を身に付けながら、警戒を払うように周囲を見渡しつつ、閑散とした廊下を歩いていた。
装備が装備なだけに、男子生徒は見るからに屈強な肉体をしていた。手足は棍棒のように太く、胸筋やその他にしても筋肉隆々とした様が窺える。いつでも突進できるように身を屈め、ぎょろぎょろと視線を巡らせている今の彼の姿を見たら、だれもが闘牛を連想することであろう。
彼の異能は『ブースト』。
爆発的に瞬発力を高め、スポーツカー並みの速度で突っ込むことができる能力である。
B組の中でもっとも破壊力のある異能であり、切り込み隊長として前線に立つことも多い。唯一難点を上げるならば、直線上にしか進めないことぐらいだか、さりとて日々アメフト部で鍛え抜かれた体でタックルされれば、どんな人間でも簡単に跳ね飛ばすだけの自信が彼にはあった。
入り組んだ道ならともかく、学園のような直線の多いところならば、十分に彼のフィールドとなる。
何者も、彼のタックル攻撃から逃れられない。
彼に背を向けた瞬間、勝利のゴングはすでに鳴り響いているのだ。
「さっきからだれとも会わないな。ここにはいないのか?」
静まり返った廊下を歩きながら、男子生徒は独り自問自答する。
男子生徒は今、第三校舎――主に実験室や異界資料室など、主に別教室で授業を受ける場所へと来ていた。
来たというか、転移した場所が第三校舎の最上階の方だったので、委員長である一ノ宮銀次の指示の元、単独で行動しているわけだが――補足しておくと、今はニ階である――途中で数回クラスメイトとすれ違った以外は、D組の生徒と思わしき人影は一度たりとも見ていない。せっかく前もってヘルメットやらプロテクターやらを装着(銃や刃物ならともかく、これくらいなら審査にも通るのだ)して戦いに挑んだというのに、これでは肩すかしもいいところではないか。
まあいい。銀次はD組の委員長を狙えと命じたわけではなく、あくまでも敵の殲滅を主としている。ならば、機会はいくらでも訪れよう。
などと、アメフト部の血がたぎってくるのか、早く敵にタックルをかましたいとウズウズしていると――
「あ」
「あ」
数十メートル離れた廊下の先で、D組の生徒――確か高坂とかいう委員長と親しげにしていた背の高い男だ――が、こちらの姿をみて同じように口を開けていた。
おそらく上階か階下のいずれかのポイントで隠れ潜んでいたのだろう――男はちょうど階段口そばへと立ち尽くしており、アメフト姿の自分と接触して目を白黒とさせていた。
「やべっ!」
男は慌てふためいたようにいきなり
「行かせねぇぜぇぇぇぇぇ!!」
D組の生徒が進路を変更した途端、彼は突発的にスタートダッシュをきって、前傾姿勢で猛然と突っ込んだ。
この距離では『ブースト』を使っても先に階段へと逃げられそうだが、さして問題ない。たとえ異能無しのタックルでも強烈な威力を誇るし、あんなちょっとスポーツができる程度の軽薄そうな野郎に、自分が負けるはずなどない。
それに、だ。仮に階段へと逃れたところで、また廊下に出れば自分の格好の狩り場となる。どのみち回避不可能だ。
あっという間に階段口へと到着し、舌舐めずりしながら男の行方を目で追う。
駆け音は上階から聞こえた。つまり階段を上ったのだろう。
――逃げても無駄だ。あの優男にとびっきりのタックルを喰らわせてやるぜ。
酷薄に笑みを歪めて、彼は上へ向かうべく階段に足を掛ける。
と。
突然、天井からカーテンが降ってきた。
「うおっ!? なんだこれはぁ!?」
なんの前触れもなく急に視界を閉ざされ、彼はみっともなく取り乱し始めた。
気が急いているせいか、カーテンはなかなか取れず、体に吸い付くようにまるで剥がれない。
「今だ!!」
どこからともなく響く大声。
同時に教室と思わしき戸を開いたような音の直後に、数人分の怒号がやにわに轟いた。
「なんだなんだ!? なんなんだ!?」
わけが分からず終始動転する彼の巨体に、箒かモップか、何かしら先端が角ばっている棒で幾度となく叩き込まれる。
「いたっ! やめっ、やめてくれ!」
彼の悲痛な声も虚しく、四方から打撃を加えられ、たまらず身を折って逃げ失せる。
が。
視界が閉ざされていたせいだろう――彼は階段の存在を失念して、階下へと続く段差に足を取られてしまい、そのまま無様に転げ落ちてしまった。
「ああああああああああっ!?」
悲痛な叫声と強打音を響かせ、最後は壁に衝突して、彼はそれっきり動かなくなった。
ややあって、
「よっしゃああああああ!」
「B組のヤツを一人倒したぞ!」
「やばい! 私は今、泣きそうなほど嬉しい~!」
各々、箒やモップを手にしながら、喝采を上げるD組の生徒達。六人ほどいるその場の誰もが、先ほどの功績を讃えていた。
「やくやったなお前ら。大成功だ」
と。
人好きのしそうな愛嬌ある笑顔を浮かべながら、駿河虎助は揚々と階段をおりて、みんなの元に歩み寄った。
「おお駿河! 名演技だったぞこの野郎め!」
「駿河くんの異能のおかげもあって、すんなり倒せたわね!」
虎助の姿を見つけて口々に賞賛を浴びさせてくる仲間達に、
「俺だけのおかげじゃないって。みんなの協力あってだろ」
と照れくさそうに鼻を掻いた。
「それに、俺はミカの指示通りに動いただけだしな。せいぜい敵を誘い込んで、異能を使ってカーテンを天井に引っ付けたぐらいのことだし」
虎助の異能。
それは『接着』と呼ばれるもので、瞬間接着剤で耐えられる重量ならば、なんでもくっ付けられる能力である。
一から説明すると、敵がのこのこと歩いてきたところを、虎助がわざと姿を晒し、まんまと誘いに乗らせる。
そうして、あらかじめ異能によってカーテンを仕掛けておいた場所まで連れ込み、能力を解いて敵の視界を奪ったところで、近くの教室に隠れ潜んでいたD組の仲間が一斉に叩くというシナリオだったのだ。
「にしてもすげぇなフネさんは。背格好から異能まで完全に一致してんじゃん」
前もって美々奈に手渡されたメモの切れ端を見ながら、虎助は呆れとも感嘆ともつかない吐息を零した。
メモにはずらりと生徒の名前や異能はもちろん、果ては趣味まで事細やかに綴られていた。
しかし、一体どうやってここまで調べ上げてきたのか。いくら彼女が情報通とは言え、これほどとなるとうすら寒くすら感じる。味方にすると心強いが、絶対敵には回したくない人物筆頭だった。
――まあ、こんな作戦を考えたミカの方も、十分すごいとは思うけど。
我らが大将である高坂御影が立てた作戦――その内容は多岐に渡り、B組全生徒に対応した撃退法を御影自ら享受してもらっている。
たとえば先の『バースト』の異能にしても、直線上にしか上手く力を発揮できない欠点を突いて、わざと階段へと誘い込んだのもそうだし、その他のシチュエーションに至っても対処できるよう頭に叩き込まれている。
これも全て、B組に勝利するため。
クラスメイトであるアインをあんないけ好かない野郎に渡すもんかという理由もあるけれど、それ以上に。
去年までの憂いを、今回の異能戦でたっぷり晴らしてやるのだ――!!
ぶぶぶぶぶぶぶ。
と。
ポケットに入れておいたままの携帯端末から着信が――マナーモードにしてあるので、電子音は鳴らない――振動となって虎助に知らせを告げる。
表示されている宛先は、高坂御影という名前。
「よお、ミカ」
『やあ、トラ。その軽い口調だと、どうやら上手くいったみたいだね』
「おう。ミカの狙い通りだったぜ」
『そりゃ重畳。ところでそっちの騒ぎを聞き付けたのか、二人ぐらい一階からそっちに駆け付けているみたいだから気を付けて』
『どんな奴らだ?』
『フネさんの話じゃあ、『ハンマー』と『鉤爪』かな。どっちも近接戦闘タイプだから、隙ができるまではむやみに近づかないでね。二人同時に現れた場合の対処法は憶えてる?』
「おうよ。さっきと同じで、まず俺の異能を使って敵を撹乱させりゃあいいんだろ? 勝つためならなんだってしてやるぜ」
『頼もしい限りだね。細かい指示はトラに任せるけれど、僕が教えたやり方でいけば、きっと上手くいくと思うから。それじゃあ、後は頼んだよ』
そう最後に告げて通話を切った御影に、虎助はケータイを制服のポケットに仕舞い直しつつ、気を引き締める。
「お前ら! 次のターゲットがこっちに向かってきてるらしいから、急いで準備するぞ!」
『おー!』
唱和する仲間を伴いながら、虎助は時間を気にしつつ、次の工程に入る準備を着々と始めた。
「おお、おお。来とる来とる。二人ともハイエナみたいに血気盛んな顔して走っとるでぇ~」
望遠鏡に映る小さな人影を目で追いながら、美々奈は嬉々とした表情で呟く。
そこは本校舎の屋上であった。普段は鍵が掛かっている場所であるため、美々奈以外に人は見当たらない。
だったらなぜ美々奈だけ入っているのかというと、それもそのはず――非合法的方法(詳細は秘密だ)で鍵を持っているからという実に単純明快な理由によって、いつでも侵入が可能となっているのだ。
――ミーくんとトラくんにも教えてもうたから、これからはここもウチだけの秘密基地ってわけにはなくなるんやろうなあ。
ついこの間、人のいない場所で作戦会議を開きたいというので二人を招待したのだが、御影はちゃんとここも異能戦の重要ポイントとして候補に入れていたのだろう。相変わらず抜け目がないというか、油断ならない少年である。
「おっと、あんま身ぃ乗り出しとったらバレてまうな。もうちょい下がらんと」
寝そべった状態で後退する美々奈。腹ばいになっているので制服が汚れてしまうのが少々気になるところではあるが、架空世界で付着した物質などは、元の世界に戻ったらと同時に消失するので、憂慮するほどのものでもないだろう。それよりも、敵に見つかってしまっては元も子もないので、自分の立場を忘れてはいけない。
地表にいる分にはわかりづらいだろうが、上階にいる人間――第二校舎と第三校舎にいる生徒に気を払っておかねば。窓からこちらの姿を見られたら一貫の終わりである。
美々奈が観察するに、敵はちょうど本校舎と第二校舎、第三校舎と割り切れる数で分散しているようだ。DもBも生徒数は約三十人ほど。本校舎は左右に挟まれる形で建てられており、第二と第三とで十人ほど振り分けられている計算になる。
現状、どの校舎の最上階(ちなみに四階建て)にも人陰はなさそうだが、いつ訪れるとも限らない。特に端の方からだと屋上の様子も窺えてしまえるので、注意が必要だ。
――言うても、まさか立ち入り禁止のところにおるとは思わんやろ。
御影にも調べるよう頼まれていた案件の一つであるが、架空フィールドでも現実世界とリンクしているだけであって、鍵さえ開けてしまえば立ち入り禁止となっている場所でも入れてしまうのだ。
無論、かなり危険度の増す区域だと厳重な結界が架空フィールドでも張られていたりするので、並大抵のことでは侵入できないが、公平になるようD組が行けない場所はB組も行けない決まりがあるので、敵が逃げこむ心配はない。
しかし逆に言えば、美々奈と似た方法か、もしくは異能で鍵を解くなりドアを破壊したりすれば、簡単に突破できてしまうということでもある。もしそうなれば、美々奈は逃げ場もなくリタイアするのみとなるだろう。
――けどウチの役割は探索と監視。バレるまではきっちり役目は果たすでぇ。
御影に説明を受けた当初はなにかと驚いたものだが、なかなかどうして、彼は適材適所というものを理解している。
ゴシップ好きの美々奈ならこういった諜報活動も向いていると見抜いていたのだろう――こちらとしても戦線に立てるような器量もないので、逆にありがたいぐらいだ。
しばらくそうして望遠鏡を通して第三校舎階段付近にいるB組の二人を監視していると、あと数分もしない内に虎助にいる地点へと急スピードで迫ろうとしていた。
その虎助はというと、敵がじきに訪れるであろう二階の天井に、小箱いっぱいの画鋲を仕掛け終えたところであった。虎助の異能で画鋲を接着させて、敵が来たと同時に能力を解く作戦だ。
「うわあ、地味やけど痛そうやな~。ミーくんってほんま考えることがエグいわ~」
ぱっと見は人畜無害そうな顔をしているのに、一度化けの皮を脱げば容赦なく鬼と化す。
とは言え、そういった狡猾で年蜜な戦略を立ててくれるからこそ、D組の生徒も安心して各々の役割に集中できるわけなのだが。
「お? トラくんの罠が発動したみたいやな。ぷははは! なんやあれ! てんやわんやになってるやん!」
画鋲の雨を降らされてパニックを起こしているB組の二人を見て、美々奈は堪えきれず爆笑する。
そうして敵が動揺している間に、近くに控えていたクラスメイト達が、虎助と共にモップなどで叩きのめしていく。敵はろくに反抗もできず、意識を失くして姿を消した。現実世界へと回収されたのだ。
「向こうはひとまず大丈夫そうやな。さてさて、本校舎の方はどないなっとるかな」
円筒状になっている望遠鏡を縮めて手中に収めつつ、集中するように瞑目して耳を研ぎ澄ます。
B組の探索と監視を命じられた美々奈であるが、ここにいる限り、本校舎の様子だけは確認できない。中を窺おうと思うなら、別の校舎へと移動する必要がある。
あくまで、目視ならば。
『あー、なんかお腹空いてきちゃったわ』
『じゃあ後でお菓子食べようよ。私持ってきてあるし』
――ちゃう。これやない。
『なあ、いつまでオレらこうしていりゃいいんだ?』
『そりゃ、D組の奴らが一ノ宮のところに来るまでだろ』
――これもちゃう。
『変ね。一つだけ連絡が途絶えてしまったわ』
――あった! これや!
『ん? どういうことだい? 電源を切っているとか?』
『そんなはずないわ。異能戦中に電源を消しておくなんて愚の骨頂よ。ひょっとして、なにかあったのかしら?』
『杞憂じゃないかい? 単に気付いていないだけかもしれないよ』
『なくはないけれど、少し気になるのよね。なんだかさっきから第三者校舎の方が騒がしい気もするし』
『ふむ。そこまで言うのなら、本校舎にいるかをだれかを偵察に向かわせよう。ぼくが思うに、気にし過ぎだと思うがね』
――ばっちし聞いたでぇ。第三者校舎に増援やな。
にやりと口許を弧に描いて、美々奈は胸ポケットからケータイを取り出した。
美々奈の異能――それは『耳年増』と呼ばわる能力で、遠く離れたところでも人の話し声を聞き取ることができる能力である。
能力の範囲には限りだが、先のように本校舎にいる人間くらいならばああして感知可能なのだ。
唯一面倒なのが、雑談レベルのどうでいい情報まで拾ってしまう点であるのだが、そこは取捨選択。きちんと必要な情報だけを拾うのが一流のジャーナリストというものである。いや、別にマスコミや新聞部に従事しているわけでもないのだが。
などと詮ないことを考えつつ、御影の番号をプッシュして、携帯端末を耳に当てる。
何度かコール音がした後――
『もしもし』
と妙にくぐもった御影の声が耳朶を打った。
「もしもしミーくん? ウチやねんけども」
『ああ、フネさんか。なにか動きでもあった?』
「せや。なんや本校舎におるヤツがトラくんのおるところに向かっとるようやで。偵察みたいやわ」
『了解。あとでトラにも連絡しておくよ。第二校舎の方はどう?』
「んー、ちょい待ってや」
御影に言われ、美々奈は第三校舎から第二校舎の見える地点へと身を屈めながら移動する。
「おっ。向こうもおっぱじめたようやでぇ。あ、ついさっきだれかやられたわ」
『B? D?』
「それだけ聞くと、なんやバストサイズ訊かれとるみたいやな~」
『フネさんはAカップでしょ。じかに見なくても分かるよ』
「Aちゃうし! ギリギリBカップはあるし!」
『冗談はいいから。で、D組とB組のどっちなの?』
「冗談ちゃうし! ……残念やけど、ウチらのクラスメイトやな。名前はな、あー……なんやったけ? ほら、よくいちごホルスタイン先生に出席確認飛ばされる、影めっちゃ薄い人」
「あー。
「二人くらい追加でやられたわ。でもどうにか相手潰したで。ミーくんの奇策のおかげやな」
『けれど、相手もやっぱり一筋縄でいかないね。想像通りに手強い』
想像以上に、とは言わないあたりが御影の驚嘆すべき点だ。
「あらま、結構な数が上階から一階に向かおうとしとるわ。さっき人数減らされたばっかやし、一階におるみんなだけやとちょっとキツいかもしれんなあ」
『そっか。じゃあちょっと早いかもしれないけど、
「オッケー。アインさんにはどっちから伝えた方がええのん?」
『僕から移動するよう伝えるよ。その後はトラに任せる感じになるかな』
「了解や。吉報待っとるで~」
『お互いにね』
そこまで会話を交わして、美々奈は御影との通話を切った。
プランB――それは本格的な進撃となる
いよいよ始まる。D組の猛追撃が。
この作戦の如何によって、戦局は大きく変わる。
「――おっと、いかんいかん。早よ遠野っちに電話せな」
しばし感じ入ったようにぼんやりとした後、美々奈は第二校舎のリーダー役である遠野へと連絡を取り始める。
「それにしても……」
それにしても、と空を仰ぎながら思う。
「ミーくん、一体どこで電話しとるんやろ……?」
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