2話 最弱クラス



「ありがとうございました。助けて頂いて」

 職員室前の廊下。人もまばらに通るところで、銀髪少女は外人然とした風貌からは想像もつかないほど、実に礼儀正しく頭を下げた。

 彼女を助けようとした際はじっくり顔を窺えなかったが、こうして改めて見ると、かなり整った顔立ちをしているのが分かった。

 銀髪からして外人さんなのだろうと思っていたが、その予想に裏切らず、掘りの深い造形をしている。が、全体的には清楚な感じで、浴衣を着せても似合いそうな純潔さを感じる。瞳は鮮やかな碧眼で、まつ毛は長く、フランス人形じみた精巧な美しさを纏っていた。

 というより、先ほどから微塵も表情を崩さないので、本当に人形めいた雰囲気が漂っていた。二、三言御影や虎助と会話している時もクスリとも笑わなかったので、これが彼女のスタンダードなのだろう。

 銀髪少女と言葉を交わして分かったことだが、どうやら彼女は転入生(それも御影と同学年)だったらしく、たまたま通りがかりで二年担当の職員室への道順を訊ねてしまったのが、あの迷惑で面前くさい男子生徒だったようだ。不運としか言いようがない。

「どういたしまして。後は大丈夫だよね?」

「はい。問題ありません」

「そ。じゃあ僕達、もう行くから」

「じゃあな」

 再度低頭する銀髪少女に、御影と虎助は片手を振ってその場を後にした。




「しっかし、ミカも大胆な真似するよなー」

 二年D組へと向かう道すがら、隣りを歩く虎助が感心したようにこくこくと頷いて口を開いた。

「あんな大勢の前でキスするとか、よほど肝が据わってないと無理だぜ」

「ああする以外に場を収められそうになかったからね。最も手っ取り早い方法を取っただけだよ」

 階段口へと辿り着き、御影は虎助と話しながら上の階を目指す。

 結局、掲示板も見ずに校舎へと入ってしまったが、どうせD組であろうことは間違いないし、引き返す必要もないだろう。だいいち、あの騒ぎの後で戻ろうと思うほどに、御影は物好きではない。

 階層は学年の高い順から下がっていくシステムなので、職員練である一階と三年生のクラスがある二階より上、三階にある。

「つーか、めちゃくちゃ驚いたぞ。ミカがずかずかと突っ込んだ時は」

「ごめん。結果的に迷惑かけた」

「いんや、俺もあの野郎にはムカついてたし、むしろ静清したよ」

 呵々と笑いながら、虎助は御影の歩調と合わせて階段を上る。

 時折行き交う生徒から好奇な目で見られたりするので――皆が皆というまででもないけれど――既に噂が広まっているのかもしれない。面倒この上ない限りだ。

「しばらくは、こんな状態が続きそうだな」

「だろうね。やったことがアレだし」

 なんせ、衆目の面前で銀髪の美少女と大々的に交際宣言し、あまつさえ接吻までやらかしたのだ。目立たない方が不思議なくらいだ。



「――でも、本当はキスなんてしてないんだろ?」



 と。

 踊り場に付いた地点で、不意に虎助が核心を突くようなことを言った。

「初対面の人間にいきなりキスなんてしたら、普通は突き飛ばされるか、そうでなくてももっと動揺するはずだろうしな。なのに、あの子は比較的に落ち着いているように見えた。それってお前がキスしたように見せかけただけなんだろう?」

「ご明察」

 そう。まさしく虎助の言う通り、あの時御影は、交際を迫る男子生徒を諦めさせるため、銀髪少女にあたかも接吻を交わしたように演出してみせたのだ。

 わざと銀髪少女の腰を曲げさせて背を向けたのも、男子生徒の位置からは見えないようにするため。

 ひいては周囲に見せつけて、完全にこちらの味方に付ける作戦だった。

 さすがにあれだけ光景を見せつけられたら、いかな押しの強い男と言えど、銀髪少女に無理強いするような真似はできまい。観衆はみんな、御影と銀髪少女が恋人同士であると認識してしまったのだから。

 もしそんな中で銀髪少女に迫ろうものなら、あの男子生徒は完全に周りの人間を敵に回していたことだろう。

 最も危惧していた生徒達の告発――御影から見て真横にいた人間から、あれはキスしたように見せかけただけだと指摘されることなく、万事つつながく計算通りに進んだ。まあ、仮に振りでもあれだけの真似をしておいて一切嫌がらなかったのだから、難癖付ける隙なんてどこにもなかっただろうけども。

「でも、よく気付いたね。トラにしては」

「『にしては』は余計だ」

 虎助に頭を小突かれる御影。加減してくれているので痛くはない。友達ならではのツッコミだ。

「ま、ミカとはそれなりの付き合いだしな。あんな軟弱な真似するはずねえってすぐに思ったよ」

「信頼が厚くて恐悦至極だよ」

 ここまで信用されると、友達としても素直に嬉しい。良い友を持ったと誇りに思う。

「それにしても、あの銀髪の子も相当だよな。ミカにあそこまでされて平然としてたし」

「だね。肝が据わってる感じだった」

 あるいは、ああいった状況に慣れているのかもしれない。あの美貌だし、異性から声を掛けられるのも日常茶飯事であろうことは想像に難くない。

 それが彼女にとって幸か不幸かは定かではないが、今回の件に限ってはその落ち着いた物腰のおかげで周りの目を誤魔化せたわけだし、結果オーライだろう。

 そういえば転校生だという話であったが、どこのクラスに転入されるのだろうか。願わくは、あの軟派な男子生徒と同じクラスに入らないことを祈るばかりである。

「けど、これからちょっと大変なことになるな。あの銀髪少女と交際宣言しちまった以上は、これからもちょくちょく会う必要があるわけだし」

「それも考慮しての行動だったわけだけれど、トラの言う通り、ちょっと面倒なことに巻きこまれたりするかもしれないね。それこそ、あのB組の人に絡まれたりとかされるかも」

 去り際のあの男子生徒の顔は、明らかに御影に対して敵意を抱いている印象があった。プライドも高そうだったし、恥をかかされて恨みを抱いていたとしてもなんら不思議ではない。後々なにをされるか分かったものではないし、警戒するに越したことはないだろう。

 そう思うと、銀髪少女を職員練に案内した際、連絡先を訊かなかったことが悔やまれる。とはいえ、あれだけ目立つ容姿の少女だ――探すのに手間は掛からないだろう。

「へえ。なんだ、アイツってB組だったのか。ま、あれだ。そん時は俺に言えよ。すぐに駆けつけるからよ」

「ありがとう。なるべくそんな事態にならないよう気をつけるよ」

 ぐっと親指を立てて頼もしいセリフを言ってくれる虎助に、御影は礼を述べて笑みを返す。

 そうこうしている内に、三階へと到着した。D組はいつも一番奥に設置されているので、後はまっすぐ進むだけだ。

 行き交う生徒の波をかき分けて、御影と虎助は廊下を歩く。ついでに周りをそれとなく注意を払う。どうやら、あのB組男子は近くにいないようだ。

 そのままABCと通り過ぎ――S組は別にある――D組の教室前と至る。

「さて、今日からまたD組か。入ったらなんて言われんだろうな」

「さあね。でもほとんど去年と変わってないだろうし、『やっぱりな』って感じじゃないかな」

 互いに新しい生活に対する感慨もなく、淡々と言葉を交わして教室の戸を開ける。



『やっぱりお前らもかっ!』



 開口一番、予想通りの声が響いた。



「ほら、やっぱ御影と虎助もこのクラスじゃねぇか! 賭けはオレの勝ちだな!」

「なにが賭けだよボケが。こんなの出来レースじゃんよ」

「むしろ私、駿河君がいてくれてホッとしたわ~。これで目の保養に困ることはないわね」

「よし。その言葉、オレ達モテない男子達に対する宣戦布告と受け取った」



 あまりにも変わらない顔ぶれに、御影は呆れとも感心とも付かない嘆息を吐いた。予想したそのままの光景に、なぜか安堵感を覚えてしまう。知らず知らずにだいぶ毒されてしまっているようだ。

「よう、お前ら。なんつーか、ホント変わりばえしねぇなあ。誰か上位組に行った奴とかいねぇのかよ」



『いるわけねぇだろそんなもん』



 虎助の言葉に、実に悲しい応答が返ってきた。木枯らしでも吹きそうな心境になる。

 教室自体は、ごくありふれた設備そのものだ。教壇や黒板もあるし、人数分の椅子や机もある。そこらの公立高と遜色はないように思える。ちなみに他のクラスも、分け隔てなく同じ設備だ。

 が、問題は中身だ。いくら外側は平等に扱われようとも、D組だという烙印は決して変わらない。

 それも、御影の所属するD組は学園史上最底辺とも呼ばれ、他のクラスから侮蔑と嘲笑を余すことなく受けているのだ。

 つまりこのクラスにいる人間は、全員が落ちこぼれ。

 才能がない人間が行きつく、掃き溜めのような場所なのだ。

「そっかあ。ま、みんなして能力がしょぼいもんなあ」



『お前が言うなっ!』



 クラスメイトから総ツッコミを受ける虎助。無能力者である御影で言えたセリフでないが、擁護しようがない。

「ところで僕達、掲示板を見ずにD組まで来ちゃったんだけど、誰か知っている人いる?」



「それなら大丈夫や。ちゃんと合っとるで~」



 と。

 教室に入ってようやく口を開いた御影に、そんな関西訛りの言葉が返ってきた。

「ちゅーか、まさかミーくん、他のクラスに行ける思うてたん? そら夢見過ぎやで~」

 話しかけてきたのは、御影よりも小柄な女子生徒だった。

 長い髪を緩く二つに縛ったお下げ。ちらっと見える八重歯がいかにも彼女をお転婆そうだと物語っている。切れ長な両目を覆う赤いシャープな眼鏡。スレンダーな体型であるが、幼い顔付きのせいもあって、高校生というより中学生といった方が相応しい。むしろ小学生でも通るかもしれない。

 三船みふね美々奈みみな。去年御影と級友だったこともあり、なにかと親交のある生徒だった。奇しくも――というのも可笑しな話だが、こうしてまた同じクラスになってしまったようだ。

「それこそまさかだよ、フネさん。そこまで夢見る少年はやってない」

「せやろな。ミーくん、現実主義者やし」

 御影の返しに、美々奈――フネさんと親しげに呼ばれた少女はイタズラっぽく笑った。

「そんで、そんなあまい夢は見いへんミーくんは、可愛い女の子に対してはやらしい目で見るんかいな?」

「……なんの話かな?」

「誤魔化しても無駄やでぇ。ネタは上がってるんや」

 おもむろに美々奈がポケットから取り出した物に、御影と「うっ」とたじろいだ。

 美々奈が取り出した物――それは写真であった。

 しかも、御影と銀髪少女との情熱的なキスシーン。

「どこからそんな物を……」

「それは秘密や。いくら友人やからって、ウチの商売方法をバラすわけにはいかへんなあ」

 きしし、とチェシャ猫じみた笑みを浮かべる美々奈。人によっては神経を逆撫でしそうな表情だ。

 この美々奈という少女、先の行動で分かる通り、ゴシップ好きの困った人間なのである。

「ホント、よくやるよね……」

「情報は力や。どんな些事でも有益になることがある。時に弱みを握って強請ったりな」

「僕を強請ってどうするの……」

「イヤやなあ。別に強請ってなんかおらへんて。単に友達の色恋沙汰が好きな乙女やで。きゃるん☆」

 色恋沙汰が好きな乙女が、友達の衝撃写真をチラつかせて詳細を訊こうとはしない。あとそのわざとらしいぶりっ子ポーズもやめてほしい。むかつくだけだから。

「ほんでほんで、実際のところどうなんよ? この銀髪の子とどんな関係なん?」

 美々奈が爛々と瞳を輝かせて御影に詰め寄る。話すまで絶対に離さないと言わんばかりに。

 別に明かしてもいいのだが、この人目に触れる場所でというのはさすがにリスキーだ。あまり周囲に広めたくない。

「お、どうしたミカにフネさん。さっきから二人で話し込んで」

 他のクラスメイト達と談笑していた虎助が、こちらの妙な様子に気付いて近寄ってきた。



「なに、高坂と三船がなんだって?」

「ひょっとして秘密の話? やだ~、私も聞きた~い」



 まずい。虎助に誘われるようにクラスメイト達も集まってきた。これではますます真実を話すわけにはいかなくなった。

 さて、どうしたものかと思索を巡らせていると、



 キーンコーンカーンコーン――



 という、聞き慣れたチャイムが学園全体に響き渡った。


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