3話 疑惑



「はーいみんな、はじめまして! 今日からみんなの先生になる、一五いちごみるくよぉ~。みるく先生って呼んでね~」

 と。

 教壇に立つ女性――みるくは、向日葵のような満面の笑みを浮かべて、自己紹介を始めた。

 歳は二十代前半程度。ゆるふわのショートボブに、愛嬌のある整った顔立ち。首には厚めの黒いチョーカー。教師らしくタイトなスーツを着ており、はち切れんばかりの豊満な胸が上ボタンを二つほど外しているせいでより谷間を強調していた。

 はっきりと言おう。男子にとって目に毒なほどめちゃくちゃ淫靡な風体であった。



 ――まあ、こっちとしては逆に助かったけれどね。



 美々奈のせいでクラスメイト達にあれこれ問い詰められそうになった御影であったが、始業のチャイムが鳴り、みるくがD組の教室へと入ってきたところで、クラスメイト達の関心は一気にみるくへと注がれた。

 あれだけナイスバディの美人だ――男子どもが浮き足立ち、女子達が複雑そうに顔をむくらせるのも頷ける。

 今となっては、御影の身の上話など無価値に等しい。むしろそんな些末なことなど既に忘れ去っているだろう。美々奈だけを除いては。

 ひとまず後で美々奈にだけ事情を話すとして――どうせ話すまで付きまとうだろうし――御影は中央よりやや前の席で頬杖を付きながら、みるくの話に傾聴する。

「先生は元々中学生で文系科目を教えていて~、向こうからのお誘いで今日からこの宝条学園に赴任することになったの~。それで実は担任って初めてで~、先生ちょっとだけ心配~」

 うるうる、と自分で口にして、器用に眉を八の字にするみるく。

「でも先生、精一杯がんばるね! だからみんなも、困ったことがあったらなんでも言ってね~! 先生、全力で助けちゃうから!」



『はーいみるく先生~!』



 さっそく手懐けられるクラスメイト達(注・女子を除く)。

 しかし、こればっかりは仕方ない。男はああいった美人で天然そうな女性には総じて弱いものだ。逆に女子ウケは悪そうだが。

 それにしても、喋り方が妙に間伸びしているというか、幼児に話しかけるような接し方なので、どうしても幼稚園じみたものを彷彿としてしまう。そのうちこちらまで余計な影響を受けてしまいそうだ。

「はい。先生の自己紹介はここまで。他になにか質問ある人~?」

「はいはい先生!」

「はい。じゃあそこの坊主頭のチャーミングなボク」

 みるくに指され、いの一番に挙手した坊主頭の男子生徒は、そのまま元気よく立ち上がり、遠慮なく問うた。

「先生の年齢を教えてくださいっ。あとよければ恋人の有無も!」

「今年で二十五よ~。恋人はいませ~ん」



『っしゃあああああああ!!』



 喝采を上げるD組の男子ども。感情表現がストレート過ぎる。

「はいはいはい! 次オレオレ!」

「はい。じゃあそこのツンツン頭のワイルドな男の子」

「はい! 好きなタイプの人は?」

「う~ん。頼りがいのある人かな~。先生色々と不器用な方だから、しっかり手を引いてくれる素敵な人ってすごく好きよ~」

 指名したツンツン頭の質問に、みるくは分け隔てなく淡々と答える。仮にも教師がこうもポンポンとくだらない質問に答えてしまっていいものなのだろうか。少しは自分が迷いなく美人な部類であることを考慮すべきだと思うのだが。



「先生先生! オレとかすっげえ頼りがいあるぜ! ジャムの瓶の蓋とか楽勝に開けられるし!」

「ばっきゃろう! そんなもんオレでもできるわ! むしろ母ちゃんに頼まれて毎週朝早くゴミ出しをしているオレにこそ相応しい称号だろ!」

「ただの家の手伝いじゃねぇか! だったらオレはちり紙交換に出そうとして大量の雑誌を道端まで持ってきたのに、結局間に合わなくて全部部屋に戻したんだぞ! めちゃくちゃ立派だろうが!」

「意味ねーっ!」



 案の定、みるくの話を聞いて男子どものが最高潮に湧き上がっていた(内容は心底くだらないが)。

 逆に女子はと言えば、終始白けた表情でみるくと男子達のやり取りを眺めていた。中には「男って本当にバカなんだから」とそばにいる女生徒に耳打ちしている者もいる。御影の斜め横に座る美々奈なんかは、口出しはしないが、しっかりとメモ帳を走らせていた。ゴシップ好きの彼女のことだ――後でみるくが教室から退出したところを見計らって聞き取り調査でもするのだろう。

 それはともかくとして、一刻も早くこの騒ぎを沈静化すべきじゃないだろうか。新任早々に問題を――特に生徒達をたぶらかすような発言をしたと誤認でもされたら、さすがに立場を危うくしてしまうだろうに。そうなれば、Dクラスにもなんらかのペナルティを科せられたとしても不思議ではないし、なによりクラスとしての結束力を失いかねない(とうに男子と女子とて大きな隔たりが形成しつつあるけど)。

 つまり御影としても、さっさとこの浮ついた雰囲気を矯正したいのだ。



 ――しょうがない。あんまり気は進まないけれど。



 このお祭り騒ぎを終息させるだけの経略を、御影は持ち合わせている。

 だが、できればやりたくない。確証が無いというのもあるが、仮に推測通りだと男子らの夢をぶち壊すことになる。けれど、このまま余計な軋轢が生まれるのを見過ごすわけにもいかなかった。

 だから――



 ――みんなには、夢から覚めてもらうとしよう。



「先生、僕からもいいですか?」

「はい。じゃあそこのカッコ可愛い男の子」



「先生は結婚するならどんな男がいいですか?」



「………………」

 それまで。

 クラス全体をニコニコと眺めていたみるくが、初めて動揺したように片眉をピクっとはねさせた。



「なに言ってんだ高坂。それならさっき訊いたじゃん」

「ちょっと違くね? さっきまでは恋人で、今のは奥さんにしたらって感じだったような気がするぞ?」



 御影の言葉に、クラスメイト達のほとんどが怪訝に眉をひそめた。

 正直意味合いとしては後者の意見で合っているのだが、みんなが思っている下世話な質問とはまた違う。

 そして真実は、じきにつまびらかになる。

「高坂くん……だっけ。なかなか鋭いことを聞くのね~」

 みるくは笑みを変えずに――されどなにかしら含みのある表情で御影に言葉を返す。

「たまたまです。直感的に気づいただけなので、大した根拠はありません。それで、先生の答えは?」

「…………そうね。その質問はこう答えるしかないわね~」

 観念したようにみるくは嘆息して、こうみんなに言い放った。



「先生は男の人とは結婚できません。なぜなら、先生自身が男だからです」



 みんなの熱気が、絶対零度へ急降下した。



『え……えええええええええ!?』



 今度は男女関係なく、クラスの大多数が叫声を上げた。

「ごめんなさいね~。みんなを騙すような真似しちゃって~。先生女装が好きってだけで、普通に女の子が好きだから」

「じゃあそのでかパイは!?」

「こんなの偽乳よ~。今時、これぐらいの物なんてお金を積めば買えちゃうのよ~」

「嘘だ! そんなに綺麗なのに!」

「あら、ありがとう。元からものすごく女顔だったせいもあるけれど、自己流でメイクを覚えたらまんま女の子になれる自分に気づいちゃってね~。それから女装にもハマったのお~」



 のほほんと、相変わらず間伸びした声で答えるみるく。声質も高いせいで初見では決して見破れないだろう。名前は少し嘘臭いが――『一五みるく』っていう時点で、安いパブの源氏名にしか思えない――全体どこを取っても綺麗な大人の女性にしか見えなかった。以下のような嘆きが響き渡るほどに。



「ちきしょおおおお! 裏切られたああああああっ!」

「オレ達はこれから、一体なにを信じて生きればいいんだ……!」

「あなたはとんでもないものを盗んでいきました。オレ達の純情です!」



 勇ましく撃沈していった彼らに、合掌。

「なあなあミーくん。なんで先生が男やって分かったん?」

 心中で手を合わせていると、美々奈が手にしていたボールペンで御影の肩を突いて、小声で話しかけてきた。見ると興味津々といった風に瞳を輝かせている。

「いやさっきも言ったけど、大した根拠はないよ?」

「せやけど、怪しいと思うた理由はあるんやろ?」

「まあね」

 あるにはある。本当にちょっとした違和感程度だし、今のだって当たっていたらラッキーぐらいにしか考えていなかった。たとえ外れていたとしても誰も損はしないし。

「それって、なんなん?」

「まずは、仕草かな」

「仕草……?」

「うん。なんていうか、あざと過ぎたんだよね。男心をくすぐるポイントを押さえているというか」

「それのどこが変なん。そんなん割とどこにでもおるやろ」

「街中ならね。でもここは学園だ――男子高ならまだしも、共学であんなあざとい真似をしたら、敵を不用意に作る結果になるのは火を見るより明らかだ」

 女子はいかにも男子ウケを狙った露骨な同性を嫌う。男子である御影でも知っている常識である。

「赴任先でいきなり同性の反感を買うような真似をするなんて不自然だし、だとするなら、実は先生は男でわざとみんなを煽ってるんじゃないかって、そう考えたんだよ。ちょっとエッチな少年マンガじゃあるまいし」

「ほお。それで他は?」

「徹底的だったのはチョーカーかな」

「チョーカー?」

 美々奈がキョトンとした調子で繰り返す。

「うん。ファッションとしてのチョーカーなら分かるけど、普通仕事着としてのスーツにチョーカーなんてあんまり聞かないでしょ? 手首とかならまだしも、首にあんな分厚めのチョーカーを付けるなんて、なにか見られても困るものがあるんじゃないかなって考えたんだよ」

「見られたら困るものって?」

「ここだよ」

 ちょんちょんと、御影は自身の少し盛り上がった喉仏を指差した。

「女性に喉仏なんてないからね。傷跡っていう可能性もあったけど、雰囲気からしてそんな暗い過去を背負ってる感じはしなかったし、順当なところで喉仏かなってね。ま、当てずっぽうな推理じゃあるけれど」

「はあ~。それでもよお気づいたなあ」

 ウチ全然気にならんかったわ、と感嘆の吐息を零す美々奈。

「ん? あれ、せやけどそれって余計ヤバいんちゃうん。女装した先生が教員やってるんて、かなり問題あるんやない? 宝条学園は異能を扱っとる唯一の教育機関ちゅうこともあって、情報漏洩にはかなりうるさいところや。もちろん先生の素性も調べてあるやろし、男と知らんかったってなんてあり得へんやろ」

「だろうね。だからなにかしら取り引きがあったんじゃないかな」

「取り引きって?」

「それは自分で訊きなよ。今なら気兼ねなく質問できるでしょ」

「ぶー。ミーくんのケチ」

 不満げに口を尖らせる美々奈。そうなんでもかんでも教えてもらえると思ったら大間違いだ。

「しゃーない。言われた通り自分で訊こうかいな。みんなもだいぶ溜飲が下がったみたいやし」

 美々奈のいうみんな――D組の女子勢は、精神的に白骨化した男子どもを見てほくそ笑んでいた。よほどみるくに鼻の下の伸ばしていた様がお気に召さなかったらしい。

 これなら、美々奈がみるくに親しげに話しかけたとしても、女子から不満に思われたりしないだろう。ここからがゴシップ好き少女の本懐だ。

「イチゴ牛乳先生ー! ウチからも質問やー!」

「一五みるくよ~。で、なにかしらメガネっ娘ちゃん」

「先生が女装好きやってことは分かったけど、なんであっさりバラしたん? 別にはぐらかしてもよかったんちゃうん?」

「………………」

 みるくはなにも答えない。ニコリと笑みを浮かべたまま、美々奈に耳を傾ける。

「そもそも、先生はどうやって学園に赴任したん? ほんまに教師なん?」

 黙って聞いていたみるくだったが、矢継ぎ早に詰問する美々奈に根負けしたのか、

「うーん、そうねえ。そろそろネタを明かしてもいい頃合いかしらねぇ」

 と頬に手を当てて、口を開いた。

「まず最初に言っておくけれど、先生は本当に教師よ~。ちゃんと教員免許もあるから~」

 よく免許が取れたな、とこの場にいた全員が思った。

「で、さっそく本題に入るけど~。先生がここに赴任したのは、実はある人からオファーされたからなの~」

……?」

 みるくの発言に、人知れず懐疑的な目線を送る御影。

「先生としても、宝条学園みたいな有名なところに勤めれるのはありがたい話だし~、それに女装したまま教師をやってもいいって言われたの~。すぐ二つ返事で了承しちゃったわ~。もっとも、条件付きだったけれど~」

「なんなん? その条件って?」



「先生が女装して、ニ年D組に編入すること。そして性別がバレずに、始業時間をやり過ごすことよ~」



 美々奈の問いに、みるくは平然と言ってのけた。

「なんでそないことしたん? ウチら騙してなんになるん?」

「さあ? はちょっとした試験みたいなものだって言ってたけれど~」

 試験――ということは、御影達は試さられていたというわけか。みるくの言うある人によって。



 ――もし先生の性別が見破れなかったら、一体どんな顛末になっていたことやら。



 何者かは知らないが、特殊な性癖を持つ教師を雇えるくらいだ――この学園において相当な権限を持つ人物であるのは違いあるまい。となれば、もしも試験をクリアできなかった場合、なんらかのペナルティを科せられていた可能性もある。考えるだけで背筋が寒くなるような話だ。

 みんなも同じ考えに至ったのか、一様にして苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべているのを見て、

「みんな、そんな顔しないで~。先生だって仕事だったのよ~」

 と困った風に腰をくねらせて、みるくは言う。

「ほんで、こうして見破れたわけやけど、いちご牛乳先生の処遇はどないなるん? 代わりの教師でも来るん?」

「マジか! 今度こそ美人でエロティックな先生が……!」

「バカね! イケメンな先生が来るに決まってるでしょ!」

 美々奈の質問に触発されてか、にわかに活気を取り戻すクラスメイト達。仮に代理の教師が来るにしても、なぜに美形だと分かるのだろうか。

「安心して~。先生は続投よ~」



『なんだガッカリ……』



 みるくの返答に、クラスメイト達はあからさまに態度を急変させた。自分に正直過ぎる。

「え~っ。先生ショック~」

 クラスメイト達の反応に、バレバレな嘘泣きを演じるみるく。これだけみんなから失望されているのに、全然へこたれないあたり、この教師もただ者ではない(女装教師という時点で、ただ者もクソもないが)。

「そういう意地悪なことを言っちゃういけない子達は~、先生からプレゼントあげないぞ~」



『プレゼント……?』



 クラスメイト全員が疑問げに訊き返す。

「そうで~す。もしこの試験を見事クリアできたら~、D組のみんなにプレゼントをあげるように言われているの~」

 ころっと表情を一変させて、ニコニコと愛嬌を撒きながら、みるくはこともなげに告げる。



「なんだプレゼントって?」

「どうせ大したものじゃないでしょ。期待できないわね」

「私もそう思う~。プレゼントは抜き打ちテストでしたとか、そんなオチなんじゃない?」

「うげー。いらねー。せめて商品券ぐらいにしてくんねぇかな」

「まったくだ。幼女の染みの入ったおぱんてぃーとかならなお良し!」

「お前は捕まってしまえ」



 プレゼントという単語に、クラスメイト達が色々な憶測を立てる。が、そのどれもが期待の薄いもので、リアクションとしてはイマイチだった。これまでの経緯を考えれば、みんながこうなるのも仕様がないが。

 それはともかく。



 ――いきなり手のひらを返したようにプレゼントだって? なんだかきな臭いな……。



 突然降って沸いたような話に、御影は怪訝に眉をしかめた。前振りもなくD組を試すような真似をしたり、かと思えばエサをちらつかせるような真似をしたり。みるくのバックに潜む人物の真意が掴めない。



 ――まあなにか裏があるのは違いないだろうなあ。先生の言う『ある人』というのが、僕の想像通りの人なのだとしたら。



 御影は、みるくを雇ったクライアントに、ある程度予測を付けていた。

 他のクラスはどうかは知らないが、こんな試験を受けさせられたのは多分二年D組だけだろう。それも故意で。

 わざわざこんな面倒な真似をするなんて、あの人ぐらいしか――――

「はい、みんな静かにね~」

 ざわつくクラスメイトに、みるくが不意に手を叩いて諌める。

「みんなも気になってるようだし~、さっそく入ってもらいましょうか~」

 それじゃあどうぞ~、というみるくの声に応えるように、ガラガラガラと入口の戸が開け放たれた。



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