1話 出会い



 異世界という存在が正式に確認される数十年前。

 世界は、突如として異世界から来訪してきた化け物によって、未曾有の危機に陥っていた。

 のちに魔物と呼称されるようになるその化け物は、世界各地で暴れ回り、深刻な問題と化していた。

 特に顕著だったのは日本だった。

 日本中でゲート――異世界へと繋がる扉がそこら中に現れ、住民達を無慈悲に蹂躙していった。

 死傷者多数。都市機能停止。日本経済崩壊。このまま日本は、化け物達によって滅亡する――かに見えた。

 どこからともなく現れた一人の青年――自分は異能力者であると自ら名乗った不思議な男によって、日本は未曾有の危機から救われたのだ。

 青年が繰り出したものは、なるほど――まさしく異能としか言い様のない所業だった。

 まずは日本中に巣食う化け物達を不思議な力――異能によって掃討。怪我や食料に悩む者達に救いの手を差し伸べ、惜しみなく異能を奮った。

 その後、青年は日本復興に人力し、見事日本再建を実現させるまでに至った。

 青年は日本を完全に復活させたのを見届けてから、名残り惜しくも元いた世界へ戻っていった。

 その折、青年が各人に授けた様々な異能技術を研究機関などで徹底分析され、世界で初めてとなる異能力軍事保有国となる。

 後に、ゲートに対処する研究機関を樹立。数々の法整備もなされ、日本は化け物どもの来襲に怯えずに済む、安息とした日々をようやく手に入れたのだった。

 そうして、現在――――




 桜の花弁が舞う。春先の仄かに冷たい風が花弁が攫い、校門に集う少年少女達に降り注いだ。

 少年少女達は一様に学園指定の制服を着衣し、雑然と談笑を交わしながら校舎へと向かっていく。中には新入生なのか、表情を強張らせて校門を抜ける生徒も見受けられた。

 そんな行列の中で、ひとり流れに乗らず校舎を見つめている少年がいた。

 黒髪に黒い瞳の典型的な日本人。身長はやや低めではあるが、それでも一般的な女性よりは背丈はある。童顔ではあるが、どこかぼーっとした面持ちであるせいか、可愛いというより間抜けそうという印象の方が勝る少年だった。

「今日から二年、か……」

 少年――高坂こうさか御影みかげは、花霞で咲き乱れる校舎を正面に見据えながら、感慨深げに呼気を零した。

 十六年という人生を今日まで歩んできて、色々な事があったように思う。そんなもの、他の生徒達とて同じであろうが、それを濃密と捉えるかどうかは当人次第だ。たとえ人生の先達者たる大人に取るに足りないと一蹴されようが、それが密度の高い経験と思えば真実となるのだ。

 御影のような、無謀とも言える確固たる決意を胸に秘めている者なら、なおさらに。



「おーいミカ。なーに独りで黄昏れてんだ?」



 と。

 御影が思い馳せていると、背中から不意に衝撃が伝わってきた。

 振り返ると、手提げ鞄を振りかぶった少年が人懐っこい笑みを浮かべ、

「よっ。ミカ」

 と気安く声を掛けてきた。

「おはようトラ。朝から元気だね」

「そういうお前はいつもながらに反応が薄いな。もっと驚いてくれねぇと、こっちがつまらねぇじゃねぇか」

 トラと呼ばれた背の高い少年は、少し不服そうに眉間を寄せて、溜め息混じりに言葉を返した。

 御影より頭一つ分は大きい高身長。スポーツ少年らしい短髪で、その見た目に裏切らない程度に体格ががっしりとしている。精悍な顔立ちで肌も浅黒く焼けており、いかにも女生徒にウケそうな風体をしていた。

 駿河するが虎助とらすけ。御影と同級生で、一年生からの付き合いだ。今では互いにあだ名で呼び合うほど親しい関係を築いている。

「これでも驚いてる方なんだけどね」

「だから分かりづらいんだって。いつ見てもぼけーっとした顔してるし。感情が読みにくいんだよなあ」

 そう言われても困る。生まれつきこんな顔なわけだし。

「そんで、なんでこんなところで立ち止まってんだ? 忘れ物でも思い出したか?」

「いや、今日から二年生なんだなあって、感傷に浸ってただけだよ」

「わざわざ人通りの多いところでか? あんまり長居すっと邪魔になんぞ」

 やれやれと微苦笑を浮かべながら、手提げ鞄を肩に回して苦言を述べる虎助。学園指定のブレザーを着崩しているせいもあって、どこかのモデルみたいだ。

「それもそうだね。もう行こうか」

 おう、と虎助が応えて、御影と並んで歩く。

「クラス替えの張り紙って、中央扉の掲示板にあるんだっけか?」

「うん、そうだよ。多分今頃、人集りができてるんじゃないかな」

「だろうな。けど、俺らにはあんま関係ないかもな。少なくともまただろうし」

「まあね。の力量が上がらない限り、クラスアップできない校則だしね。この宝条ほうじょう学園は」

「それも考えるだけ無駄だろうな。俺の能力は前のしょぼいまんまだし、ミカなんてだしな」

 そうだね、と呟いて、御影は人知れず溜め息を吐いた。



 宝条学園。



 それは異能力者を育て、ゆくゆくはゲートからくる異形の討伐――または異世界に渡らせて、現地への調査、調整を行わせる為の教育機関である。

 一概に上記のような異形を討伐目的としたものでなく、たとえば研究者になるとか異能専門の医者を目指すとか、そういうイレギュラーもあるが、大抵は『異界取締官』と呼ばれる公務員に就く。

 仕事内容は先述の通り、異世界に関わる全ての問題に対応し対処する――言わば警察官のようなものだ。

 そしてあらゆる公務員がそうであるように、希望すれば誰でもなれるわけでもなく、諸々の条件をクリアする必要がある。宝条学園はそういった厳しい条件をパスした貴重な人材を一人前の異界取締官に育てる、日本唯一の異能専門の公的教育機関なのだ。

 ここまで述べればだいたいの想像が付く通り、そのシステムは一般的な学校とは一線を画しており、基本的には異能を用いて学園生活を送ってもらうことなる。



 異能。

 そう、異能が必要となるのだ。



 では、その異能とやらはどうやって発現すればいいのかと言うと、素質がある生徒にとあるカリキュラムを受けてもらい、そこで初めて異能の力を引き出してもらう仕組みになっている。

 一口に異能と言っても様々であり、攻撃系のものもあれば治療系もある。つまりは、種類があるのだ。

 なおかつ、個々に力の強弱もあったりして、まるで統一性がない。なぜそうなってしまったのかと言えば、まだ異能力の研究がそこまで進んでいないからとしか言い様がない。

 突然現れた原初の異能力者によって数多くの恩恵を授かった日本国ではあるが、異能の全てが解明されたわけでは決してない。どうやら、個人個人に異能の力が元から備わっているらしいが、皆が使えるわけでもなく、むしろ異能に目覚めないままに余生を送る人の方が圧倒的に占めている。過去に超能力とかでメディアを賑わせたのも、自力で異能を発現させた、かなり稀有なケースだと言えよう。

 しかしそれは、あくまで極少数だ。大抵の人間は人為的に異能を引き出さない限り、力を行使できない。第一、過去に兵器武装した軍すら敵わなかった化け物どもを、所詮宴会芸レベルでしかない超能力で勝てるはずもない。

 ゆえに、各個人に眠る異能を呼び覚まし、異形に対抗しえるだけの教育を施さなければならない。その為に最も有効だと判断されたのが、力量別のクラス分け――並びに、生徒同士による異能戦である。

 異能戦――つまり学園内のルールに則れば、異能による戦闘行為が認められているのである。

 戦闘といっても、それは競技的な意味合いであって、血生臭い暴力を推奨しているわけではない。あくまでも道徳に準じ、生徒達に向上心を促す為の特別な規則でしかないのだ。

 こうして今日こんにちに至るまで、宝条学園は日常的に異能を使わせて、未来の異界取締官となる生徒達を育成している。



 ――まあ、僕みたいな無能力者でも異界取締官になれるかどうかは疑問だけどね……。



「そう考えると、なおさら入学できただけでも奇跡だよなあ」

「んん? なんか言ったかミカ?」

 いや別に、と首を緩く振って、御影と虎助は予想通り人集りが出来ている中央口の近くまで歩く。 

「どうするミカ。やっぱり掲示板見とくか? どうせ最底辺のD組だろうけど、クラスメイトの顔触れぐらいは知っておいた方がいいかもしれないし」

「そうだね。そっちはそっちであまり変わりばえしないだろうけど、一応確認するだけ――」



「離してください」



 高く、澄んだ声だった。

 決して力強いものではなく、また侮蔑を込めた言葉でもなかったのに、自然と意識が声の主の方へと向いてしまう――そんな蠱惑的な声質だった。

 見るとそこに――御影達からそう距離もない桜の木の下で、とある女子生徒がいかにも押しが強そうな男子生徒に腕を掴まれていた。

「すっげえ。銀髪少女だ」

 隣りにいる虎助が、目前の銀髪少女に感嘆の吐息を混じえて呟く。

 確かに、綺麗な銀髪だった。その他の色を一切排他させた美しい銀糸のような髪を肩口で揃え、後頭部近くで軽く一本に結わっている。いわゆるポニーテールというやつなのだろうが、その割りに緩いというか、だいぶラフだ。

 身長は御影と同じくらいか、やや低い程度。顔は前髪に隠れてよく見れないが、鼻梁の良さからして美人なのであろうと遠目にも窺える。スタイルも良い方なので、さぞや見栄えする少女あろうことは想像に難くなかった。

 そんな女生徒が困り顔(のように御影には見えた)で仕切りに掴まれた腕を振っては、男子生徒の手を払おうとしていた。よほど離してもらいたいらしい。

「やや、なにをそんなに遠慮しているんだい。このぼくがせっかく食事に誘っているというのに」

 妙に劇場がかった物言いで、男子生徒が銀髪少女に詰め寄る。

 少女の方に見覚えはないが(新入生だろうか?)、男子生徒の顔を知っていた。御影と同じ学年で、確か去年はB組に所属していたはずだ。

 上から順にSからDまであるクラスにおいて、彼の実力はそこそこといったところ。付け加えて、裕福な家庭で育っているせいなのか、やたら鼻の付く性格(御影はともかく、周りの目からしたら)をしていたような記憶がある。

「このぼくが直々に食事に行こうと言っているのだよ? 今年も優秀な成績でB組入りをしたこのぼくがだ。なにも今すぐ行こうと強要しているわけではない。時間が空いた放課後にでもしようと優しく誘っているんだ。一体なにを不満に思う必要があるんだい?」

「単純に興味がありません。なので行きたくありません。それより早く離してください」

「おやおや、強情な子だ。ますます誘いたくなってきた」

 男子生徒は一向に銀髪少女を離す素振りが見られない。誰かが止めに入らない限り、ずっとあのままだろう。

 だが周囲はと言うと、遠目で窺うか素通りするかのどちらかで、誰も銀髪少女を助けようとはしなかった。新年度早々に面倒なことに関わりたくないと考えているせいだろう。まあ、無理もない。

 が、そんな中でひとり、なにか思慮深く観察している生徒がいた。

 誰あろう、御影その人だった。



 ――ふむ。これは使かも。



 心中でなにやら頷きながら、御影は遠巻きに眺めている人の壁を掻き分けて前に進みだした。

「お、おいミカ!?」

 虎助の呼び止める声が聞こえたが、構わず御影は銀髪少女の元へと歩み寄る。

 そして――



「ごめん。この子、僕の彼女なんだ。悪いけれどデートするなら、僕の了解を貰ってからにしてくれるかな」



 と。

 銀髪少女の肩を抱き寄せて、御影は大胆不敵にも衆目の面前で交際宣言をした。

 きゃーっ! という黄色いか声が上がった。御影の人目を憚らぬ言葉に、周囲(特に女子)が色めき立っているのだろう。

「あの、あなたは――」

「しっ。さっさと逃げたいのなら、僕に合わせて」

 対面にいる男子生徒に聞かれないよう、御影は囁くような声で銀髪少女をたしなめる。

「なんだい君は? ぼくの邪魔をしないでくれたまえ」

「さっきも言ったけど、この子の恋人だよ。邪魔もなにも、人の彼女に手を出すなんて無粋じゃないかな」

「恋人? 君がかい?」

 はっ、と失笑を漏らして、男子生徒は威丈高に胸を張って言葉を返す。

「笑わせないでくれたまえ。君とじゃそこの可憐な少女とまるで吊り合っていないよ。彼女のような素敵な女性には、ぼくのような全てに恵まれた男にこそふさわしい」

 よくもまあ、歯の浮くようなセリフを平然と言えるものだ。ある意味尊敬に値する。

 ともあれ、どうやら諦めるつもりはないようだ。いかにもプライドが高そうな人間だし、ある程度予想していたけれども。

「そうは言われても、僕ら相思相愛の仲なんで」

「本当にそうなのかい? ぼくの目には全然そんな風に見えないけれどね」

 なかなかに往生際が悪い。さっさと引けばいいものを。

 仕方ない。後々のことを考えると気が進まないが、これ以上騒ぎが広がるのも本意ではない。早急に終わらさねば。

「だったら、証拠があれば納得してくれるの?」

「そうだね。証拠があるなら潔く諦めよう。証拠があるならね」

 どうせ無理だろうけど、と言わんばかりに嘲笑する男子生徒とは裏腹に、



 ――よし。喰らい付いた。



 と、御影は心中でほくそ笑んだ。

「だったら見せるよ。今すぐにね」

 言って、御影に抱き寄せられままで始終閉口していた銀髪少女の腰に手を回し、背を反らせて接吻した。

 瞬間、一際高い歓声が轟いた。余波は他の場所にも広がり、校舎外で成り行きを見ていた全ての生徒達から好奇に満ちた視線が注がれる。

「な、な、な――っ」

「とまあ、こんな具合ですね」

 衝撃的な光景を目の当たりにして、二の句が告げずに圧倒されている男子生徒に対し、御影は銀髪少女を抱き起こして飄々とのたまう。

 一方の銀髪少女の方はというと、こちらも呆気に取られたように両眼を見開いていた。とてもクールな印象を抱いていたので、こういった表情もできるのかと場違いにも感心した。

「き、ききき君は、一体なにを考えているんだい! こんな人前で!」

「なにをって、言われた通り証拠を提示しただけだよ」

「場所をわきまえたまえ! 大衆の前でやるような行為ではないだろう!」

「まあまあ落ちつけって。恋人同士だってことは判明したんだからよ」

 目に見えて狼狽する男子生徒に、いつの間にか背後に立っていた虎助が肩を掴んでなだめる。

「それに、全てに恵まれている素敵男子様が、しがない男から女を奪い取ろうなんてみっともないぜ?」

「くっ…………!」

 虎助の皮肉に、男子生徒が歯噛みして悔しがる。周りも同調するように、

「そうだよなー」

「ちょっとかっこ悪いわよね」

 という声が目立ってきた。

 今となっては、かの男子生徒は御影から愛する少女を奪おうとする不埒者としか映らない。男子生徒にしてみれば、さぞや居心地の悪いことだろう。

「ふ――ふんっ」

 ややあって、周囲の白い眼差しに耐えきれなくなったのか、男子生徒は虎助の手を振り払って、鼻息荒く校舎へと入って行った。

「大丈夫だった?」

 男子生徒の背を見送った後、御影は銀髪少女の腰から手を離して、正面に向き直った。

 対する銀髪少女はというと、未だ状況を把握していないのか、

「え? あ、はい」

 と反射的に応えた。

「ミカ、早く退散した方がよさそうだぜ。騒ぎを聞きつけて教師どもがこっちに来てやがる」

 虎助が御影のそばに歩み寄って、小声で話しかける。目線が高い分、人垣の向こうから教師の姿が見えたのだろう。御影としても是非はない。

「了解。君も一緒に行こう」

 どこか上の空でいる銀髪少女の手を握り、虎助と共に興奮冷めやまぬ集団の垣根を通り抜ける。

 騒ぎの中心から脱出し、校舎内へと一体避難した後も、騒ぎは教師達が止めに入るまでしばらく続いた。


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