Chapter 2

ミドリムシ

 カタナがリーゼによって引き上げられてから一夜が開けた――。

 雲一つない青い空。そしてその空をそのまま切り取ったかのような、穏やかな海。

 闇の中では威圧的な姿を見せた廃ビル群も、日中は水面越しに多くの命を育んでいることが見て取れた。



 ここはリーゼが仮の住処としているビルの屋上。あの後、夜明けまで彼女の質問攻めに付き合ったカタナはいま、水面でたわむれる魚の群れを眺め、力の回復に専念していた。


「おはよ、調子はどう?」

「――まあまあって感じかな」

 

 昇降用のはしごから顔だけ出し、リーゼがカタナに声をかける。カタナは腰掛けた姿勢から首を反らすと、そのまま冷たいコンクリートの上に大の字に寝そべった。視界一杯に広がる青空の中、上下逆さのリーゼがスパナをしまいながらこちらに歩み寄ってくるのが見えた。


「――あ!」


 だが、接近するリーゼの気配に反応したのか、カタナの周囲に集まっていた緑光は逃げるように消えてしまう。


「あーあ……逃げちゃった」


 その様子に、心底残念そうに肩をすくめるリーゼ。


「私のこと、怖いのかしら?」

「そりゃあ、いきなり人を爆殺しようとする女は誰だって怖いだろ……」


 唇を尖らせて拗ねたように言うリーゼに、カタナは何度も頷きながらそう言った。


「仕方ないでしょ! あなたのことなんて、なんにも知らなかったんだから!」


 リーゼは言うと、大の字になったカタナの横に膝を抱えて座る。ゆるやかに海面を滑る潮風に乗って、彼女の赤い髪が流れる。その髪を片手で押さえると、彼女は大きな溜息をついた。


「どうやったら私も仲良くなれるのかしら……」


 虚空に手のひらを当て、ぼんやりとその上を見つめるリーゼ。


「そんな気にすんなって! 気が向けばあいつらも寄ってくるさ」 

「うん……そうよね。焦ってもしょうがないか」


 そう言ってカタナは笑う。その声に応えつつ、リーゼは抱えた膝に頬を当て、昨晩のカタナとの会話を思い出していた――。


  ◆     ◆     ◆


 昨夜、二人はとても多くの言葉を交わした。

 その中でもあの光――カタナの話では『ミドリムシ』と呼称されるあの緑光についての事柄は、好奇心旺盛なリーゼの心を未だに捉え続けている。


 ミドリムシ――。

 それは、どこにでも存在しているが、決して観測出来ない未知のエネルギー。

 信じ難いことに、カタナはそのミドリムシを認識し、それどころか対話することすら出来るのだという。

 対話によってミドリムシと心を通わせることで、カタナはミドリムシの力を移動・破壊・防御・感覚・治癒と、様々に行使する。

 万能にして自在。それがカタナの使うエネルギーの特性だ。だが、万能とはいえミドリムシにも弱点はある。単純に大きな衝撃を受けたり、カタナから離れすぎたりすると、ミドリムシはその場に漂うエネルギーに戻ってしまうらしい。そうなれば、カタナはまた一からミドリムシと対話し直さなくてはならない。実際、彼は昨晩の交戦で多くのミドリムシを失ったと言っていた。

 あまりにもしつこい艦隊の攻撃に、あえて直撃を受けて死んだふりをしようしたが、その予想外の威力にミドリムシごと吹き飛ばされ、墜落。哀れ海の藻屑になったというのである。


「なんだか、ミドリムシがあなたに懐いてるのって、不思議と納得出来るわ」

「どういう意味だよ?」

「だって、死んだふりをしてやりすごすって、完全に虫じゃない!きっと波長が合うのよ」

「どういう意味だよ!?」

「そのままの意味ですけど?」


 からかうように笑うリーゼ。馬鹿にされたと思ったのか、カタナも憤慨したように声を上げ、ぎゃあぎゃあと言い合いが始まる。とはいえ、二人の表情は柔らかい。

 彼女にとって、昨晩のカタナとの会話は半年ぶりの他人との会話だった。声を上げて笑うのも、何ヶ月ぶりだっただろう。

 青空の下、壊れかけたビルの屋上。二人の楽しげな声は、暫く止むことはなかった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る