第4話

 この間、店長に入れてもらったアッサムを飲んでからというもの、俺はアッサムに随分とはまってしまった。普段は色々な種類をローテーションで飲んでいるので、月に一度くらい買い足せば茶葉が切れることはなかった。

 今回、半月で買い足すことになるとは自分でも予想外である。

 まぁ、はまったと言うのが半分で、もう半分はなかなか店長のように入れられず試行錯誤していたら消費量が増えた、ということでもあるのだが……。


 友人と校門で別れ、俺は一人お店へと向かう。



「こんにちはー」

「あっ……い、いらっしゃいましぇ」

 俺を出迎えてくれたのは半月前に会った美少女店員さん――たしか、橘さんである。

 噛んでしまったことが恥ずかしかったんだろ。頬をリンゴみたいに真っ赤に染めて俯いてしまった。綺麗に切りそろえられた前髪が大きくパッチリとした目元を隠れている。あの大きな瞳は凄く綺麗だったので印象に残っている。

 それと、半月前に会ったときはポニーテールだった髪型が今日はおさげになっている。ポニーテールだと綺麗で凛とした印象だったけど、おさげにすると可愛らしい印象になるんだな。髪形一つで女の子の印象はこんなにも変わるのかと、感心する。

 恥らって俯く橘さんは可愛らしいけど、あまりジロジロ見続けるのもエチケット違反だと思うし、何よりこんな美少女にキモいとか思われたりしたら一生モノのトラウマが出来てしまう。 


 うーん、こういうときはなんて声を掛ければいいんだろうか? 自分の対女性用会話スキルの低さがこのときばかりは恨めしく思う。

 

「あぁー……あ、あの。店長は、居ますか……?」


 結局、俺の口から出た言葉はそんな無難なもので、声も震えていた。本当に情けないな、俺って。


 橘さんは伏せていた顔を少し上げて店内を見回す。

「えっと……あれ? さ、さっきまでは店内に居たんですけど……」

 少し震えた声。語尾が尻すぼみになって、店内の空気に溶けたように消えた。あれ? これは本格的に気まずい雰囲気なのではないか?


 店内の静寂に耐えつつ、こっそりと橘さんを窺う。

「――? あっ、あの、橘さん……?」

 

 大きな瞳からスーッと一筋の涙が流れていた。


「わ、私……ごめんなさいっ……」

 謝罪の言葉を残して、橘さんはお店の裏へ続く扉へ足早に進んでいった。

 俺はそれをどうすることも出来ず、ただ目で追うことしか出来ない。本当になんだったのだろうか。もし、俺に原因があるのだとすれば突っ立っている場合じゃない。

 頭の中でグチャグチャ考えている間に、橘さんはドアノブに手が掛けられるところまで移動していた。


「――あのっ!」

 俺が咄嗟に出た言葉に、橘さんはビクっと肩を震わせる。驚かせて申し訳ない気持ちもあるが、立ち止まってくれたことには安堵した。

「あの……もし、俺が何かしちゃったんだとしたら……何か不快な思いをさせちゃったんだったら、ごめん」

 ガバっと頭を下げる。


「えっ、あの……」

 橘さんの戸惑ったような声が聞こえる。――良かった、ちゃんと聞いてもらえた。

 頭を下げたままなので、橘さんの顔は見えない。女の子の泣き顔を見ることへの罪悪感もあるし、俺が原因なのであれば許してもらえるまでは頭を上げるべきではない。


 二人の間に沈黙が流れた。耳に届く音は、漏れ聞こえてくる外の喧騒とアンティークな壁掛け時計の刻む音、そして鼻をすする音だけ――。ガチャ。

 あれ? 今の音は?


 恐る恐る、顔を上げてみると橘さんの後ろに扉を開けた店長が居た。



「なるほどね。いやぁ、橘君。何も言わずに在庫確認に行ってしまってすまなかったね。それと木山君もね」


 大方事情を説明して、今に至る。説明したと言っても俺自身、何がなんだかわからないのでやり取りと俺が思ったことを伝えただけだが。

 俺が店長に事情を話していた時、橘さんは顔を洗いに行っていてその場にいなかったのは助かった。本人を前にして思っていたことを言うのは流石に恥ずかしすぎる。

 

 今は店内のティーテーブルに三人で座っている。橘さんは相変わらず、俯きがちだがチラチラと視線を感じる。断じて自意識過剰なんかじゃないと思う。

 それもそうか、ほとんど知らない男に泣き顔を見られたんだから気にもするだろう。


 二人の間に透明な壁というか、何かモヤモヤとした――ざっくばらんに言えば気まずさのようなものが流れていることを肌で感じていると、店長が俺に話しを振ってくれる。


「そういえば、木山君。アッサムはどうだったかな?」

「あ、はい。凄く気に入りましたよ。まだまだ自分の好みは試行錯誤中なんですけどね」

「ははは、そうかそうか。自分の好みはそれこそ、一生をかけて探していくものだと、僕は思っているよ」

「……なるほど」

 どんなものでも本気で追求し始めれば切りがないのだろう。


「ふむ……木山君。良かったら、僕と橘君に紅茶を入れてくれないか?」

「えっ?」

「えっ!」

 師匠のような人に紅茶を入れてくれと言われた俺と、突然自分の名前が呼ばれた橘さんの言葉がハモった。そんな俺たちを目を細め温和な笑顔で見る店長。

「ははは。どうかな木山君?」

「……はい。わかりました。出来る限り頑張って入れます」

「そう気負わなくて良いよ? いつも通りで。それが見たいんだ。いつも通りの木山君がね」

「――はいっ」

 何だかわからないけど、これは大切なことのような気がする。ほとんど直感ではあるけれども。

 いつも通り。いつも通りかぁ……。

「じゃあ、ポットとカップはこれを。茶葉はこれを使ってね。お湯はもうすぐ沸くから」


 店長に用意して貰ったものを使って、紅茶を入れる準備を始める。

 まずは、ポットとティーカップを温めないとだな。そうして、作業に入ると心が落ち着いていくのがわかる。落ち着いて、フラットな気持ちから高揚感が芽生えてくるような感覚があった。


 丁寧に、手間を惜しまずに。……うん、澄んだ濃いめの紅色になった、と思う。

 店長に紅茶を飲んでもらうのなんて久しぶりだ。進歩を見てもらいたいという気持ちもあるし、あまり進歩してなくてガッカリされたくもない。俺が紅茶を入れているのを見て、店長はどう思っただろうか?

 そして、橘さんもだ。正直、俺は家族にも紅茶を入れることがない。もっと正確に言えば、俺が紅茶にはまり始めた頃は物珍しさからか、入れてみてと言われていた。しばらくすると、手間と時間が掛かることを嫌がり入れてと言われなくなった。

 そんな俺が親しくもない女の子に紅茶を入れてる。女の子が苦手な俺が、である。



 三人分の紅茶をティーカップに注ぎ、店長、橘さん、俺とそれぞれの前に置く。

「出来ました。どうぞ」

「ありがとう。では、いただきます」

「い、いただきます」


 店長は優雅に一口飲む。それに対して橘さんは猫舌なのか、フーフーっと息を吹きかけてから口を付けた。蒸らしているから、そこまで熱くはないと思うんだけどね。


「――美味しい……」

 大きな瞳をさらにパッチリと開いて、橘さんが驚いている。その言葉に達成感の様なものを感じる。店長は相変わらず、優雅に紅茶を飲んでいた。人に自分の入れた紅茶を飲んでもらえるのって存外、嬉しいものなのかもしれない。


 二人が口を付けたのを見て、俺も自分の入れた紅茶を飲む。

 うん。今までの中で一番上手く入れられたと思う。


 

「――うん。入れ方も様になっていたし、味も香りも水色も良いと僕は思うよ」

 店長に褒められた。凄く嬉しい。顔に力を入れないと、表情筋がニヤニヤした顔を作ってしまいそうだ。

「それに、君の紅茶を飲んだ橘君が『美味しい』って言っただろう? それが全てだと僕は思うよ」

 にっこりとした笑顔でそう言ってくれた。


「えぇっと……木山くん?」

 恐る恐るといった様子で俺に声を掛けてくる橘さん。

「……うん。なんですか?」

「木山くんの入れてくれた紅茶、凄く……本当に凄く美味しかったです。何ていうか凄く優しい味だと思いました」

「ありがとう。そう言ってもらえると俺も入れた甲斐があったよ」

 まだまだ、知り合って間もない。言葉を交わしたのだって今日が二回目なのだ。それ故の手探り感のある会話ではあるけど、何故だか心地良い。


「橘さんは、普段は紅茶良く飲むの?」

 せっかく橘さんの方から話しかけてくれたので、なんてことは無い世間話を振ってみる。俺が振った話題に、まるで咲き誇った花のような華やかで綺麗な笑顔を浮かべて答えてくれる。

「うん、紅茶の香りって凄く落ち着くし好きなんだ」

 木漏れ日のような暖かな笑顔を向けられて、一瞬息が詰まった。

 女の子に笑顔を向けられて心地良いと思った事は今までなかった。小さい頃、姉や姉の友人の笑顔を見る度にビクビクしていたからだとは思う。

 橘さんの笑顔はもっと見たいと思わせてくれる、素敵な笑顔だ。


 そんな笑顔を浮かべながら、橘さんは少し前のめりで俺を見る。その結果、破壊的なまでも完璧な上目遣いになる。


「あの……こんなこのを言うのは、凄く図々しいってわかってはいるんだけど……」

 照れたように頬を染めながらの上目遣い――この表情がまた反則級に可愛い。

 何を言われるのか、ドキドキしながら次の言葉を待つ。正直この笑顔でお願いされれば、世の中の大半の男は多少の無理には目をつむるのではないだろうか?


「出来れば……また、木山くんの入れた紅茶、飲みたいな。……ダメかな?」

「……俺が入れた紅茶で良ければ、また飲んで欲しい」

 無意識に本音が口から漏れる。


「ふふ、良かった」

 そう言って、橘さんは微笑んだ。

 先ほどの、美しく暖かな笑顔と違い、同い年の女の子が浮かべるあどけない笑顔を直視してしまい顔が熱くなる。

 つい、誤魔化すように自分の前のティーカップに手が伸びる。


 俺たちのやり取りを黙って聞いていた店長が会話に混ざってくる。

「いや、良かったね、木山君。橘君は大手企業の会長令嬢なんだよ。そのお嬢様な彼女が、君の紅茶を美味しい、また飲みたいって言うのはなんとも光栄なことじゃないか」

 口に含んだ紅茶が、思わぬ事実を知って空気と一緒に気管の方へ流れる。

「――! ゴホッ、ゴホ……突然、驚愕の事実を言わないで下さいよ」


 でも、そうか。そんなお嬢様が俺なんかにまた紅茶を入れて欲しいと言ってくれたんだな。

 

「はは、木山君。――お嬢様は君の入れた紅茶をご所望のようですよ?」


 いつの間にか空になったカップをもてあそぶ橘さんに視線を向けながら、店長はおどけたように俺に言葉を投げた。

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お嬢様は紅茶をご所望のようです 秋之瀬まこと @makoto-akinose

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