第3話

 私は小学校から高校まで女子校に通っていました。なので、同じくらいの歳の男の子と接する機会がほとんどなかった。


 同年代の男の子へのイメージは物語の中のものだけで、実際に目の前にすると緊張してしまう。つい上手く喋れなくて、なおさら緊張するという悪循環。

 初めてのアルバイトの初日で、それでなくとも緊張していた私の心臓はバクバクいっています。


 ありがたいことに店長さんに用があるようなので、裏で在庫の確認をしている店長さんを呼びに行く。


「店長さん! お客様が店長さんをお呼びです」

「ああ、わかった。今行くよ」

 そう言って、店長さんはお店に出て行きます。遅れないように私も店長さんの後ろに付いていく。



「やあ、木山君。いらっしゃい」

 店長さんは親しげに、男の子に声を掛けます。先ほどまでとは打って変わって、安心した表情を浮かべています。

 ……私の接客はまだまだなんでしょう。初日ですから仕方無いですが、少し悲しい気分にもなります。


 その後の店長さんと男の子――木山君の会話にビックリしました。私も紅茶は好きですが自分で入れたことがありません。あまりにも無知な自分にショックを受けながらお二人の話を聞いていると、不意に店長さんに声を掛けられます。

「橘君も一緒に飲むかい?」


「あ……はい、ありがとうございます。頂きます」

 慌てて返事を返します。そんな私の様子を木山君は不思議そうな顔で見ていました。

 ボーっとした子だと思われたでしょうか。そう思うと恥ずかしさで顔が赤くなった気がします。


 店長さんの入れてくれた紅茶は大変美味しかったです。流石、専門店の店長さんです。そんな店長さんと紅茶の話が出来る同じくらいの歳の男の子のことが少し気になりました。


 木山君がお店を出ると店長さんが話しかけてきました。

「橘君、彼は君と同い年なんだよ。この店の常連さんだから、また顔を合わす機会があると思うから覚えておくといいよ」

「はい、わかりました」

 そっか、木山君は私と同い年なんだ。そう思うと親近感も湧く一方で、私なんかよりも紅茶に詳しいことを尊敬してしまいます。


 こうして、私の人生初のアルバイト初日は終わっていったのです。



 人生初のバイトを無事に終えた次の日。

 私が上履きに履き替えていると後ろから声が掛かります。


「香子ちゃん、おはよう」

「あ、菊乃ちゃん。おはよう」

「昨日は念願の初バイトだったんでしょ? どうだった、変な客に絡まれたりしなかった? 香子ちゃんは可愛いから、私心配だよ」

「あはは、私なんて普通だよ。ずっと立って疲れたけど、紅茶の茶葉の専門店に来るような人達だし絡まれたりしないよ」

「香子ちゃんが普通なら、世の中にいる大半の女はブスになっちゃうと思うけどなぁ……」


 菊乃ちゃんがなにやら、ブツブツと独り言を言っているのを横目に見ながら、教室へ向けて歩き出す。

 立っているのは確かに疲れたけど、お店の雰囲気も好きだし、紅茶の茶葉の香りに満ちた店内は居心地がとても良かった。

 一歩後ろを歩いていた菊乃ちゃんが、隣に並びながら私の方に顔を向ける。


「それで、バイトはどんなことをしたの?」

「うーんと、お店に入ってきたお客様に挨拶したり、レジでお会計したりかな」

「へぇ! レジって私は触ったことないけど、やっぱり難しいの?」

「んー、慣れてきて平常心を保てればそこまでではないかな? 最初は足とか手がかなり震えたよ……」

「初めての経験は緊張するんだねぇ」


 教室に着き、クラスメイトたちと挨拶を交わしながら自分の席へと向かいます。

 菊乃ちゃんは一度、自分の席にカバンを置いてから私の席までやって来る。


「それで、最後の方はちゃんとレジ使えるようになったの?」

「あぁー……」


 脳裏をよぎるのは、お店の常連だという同い年の男の子――木山君の顔。


「ん? 頬を赤らめちゃって、どうかしたの? あ、もしかしてミスしちゃったの?」

「そういうわけじゃないんだけど……」

「じゃあ、どうしたのさ?」

「あのね――」


 私は昨日お店であったことを菊乃ちゃんに説明しました。



「へぇ! 男の子なのにそんなに紅茶に詳しいんだ」

「うん。それに店長さんがアッサムを入れてるときも凄く熱心に見てて、茶葉の量とか蒸らす時間とか質問したりメモを取ってたよ」

「それは凄い熱意だねぇ」

「うん、ビックリした」


「でもさぁ? 今の話の中に頬を赤らめるようなことがあったとは思えないんだけど」

 菊乃ちゃんは不思議そうに小首を傾げています。

 比較的身長の低い菊乃ちゃんは、こういった日常の中での仕草がすごく可愛くて羨ましいと私はいつも思っていました。

「ん? あたしの顔を見つめてどうしたの?」

 ボーっとしすぎたみたいです。

「ううん、菊乃ちゃんは可愛いな、って思って」

「えぇ、そんなことないと思うけどな……少なくとも香子ちゃんの方があたしよりも可愛いと思うし」


「あ! そういえば、菊乃ちゃんに借りた漫画にもこういう会話のシーンがあったよね。確か心の中では『私が可愛いのは当たり前じゃない。何言ってんの?』って思ってるんだよね」

「香子ちゃんは純粋だなぁ……」


 話題が変わり始めた頃、予鈴がなり菊乃ちゃんは自分の席へと戻っていきました。



 それから二日後、二回目のアルバイトの日がやってきます。

 初日ほどの緊張ではないですが、お店に向かう私の心臓はやはり、普段より早く脈を打っています。


「うぅ……。こういうのは慣れだって思ってたけど、慣れるのかなぁ?」

 心の中で軽く息を吐いて心臓を落ち着けようとしますが、あまり効果はないようです。

 とにかく、頑張ろう! 決意を新たにしたところでお店に到着しました。


「こんにちはー」

「あぁ、橘君。こんにちは。今日もよろしく頼むね」

「はい!」


 店内で品物を出していた店長さんに声を掛けて、更衣室に向かいます。

 着替えを済ませて、普段はおろしている髪を結わく。今日はおさげにしよう。

 準備を済ませて店内に戻ります。私のアルバイト二日目の始まりです。



「橘君。お疲れ様、今日はもう上がりの時間だよ」

「あ、はい。わかりました。お疲れ様です、お先に失礼します」

 店長さんに言われて時計を見るとちょうど八時を差していました。今日はあっという間に時間が過ぎた気がします。


 更衣室でおさげを解く。

「今日は木山くん、こなかったなぁ……」

 そうそう、紅茶の茶葉も切れないでしょうし、私がアルバイトに来ている日に来店することもそんなに確率の高いことではないのかな?


 それにしても、どうして私は木山くんのことを気にしているんだろう?

 同い年の男の子が珍しいから? 店長さんの紅茶を入れる姿をキラキラした瞳で熱心に見ていた姿が妙に印象的だったから? わからない。わからないから気になりますし、考えてしまいます。

 こんなに人のことを考えたのは初めてじゃないかな……。


 そんなモヤモヤを抱えたまま、私は帰宅しました。

 


 私が週に二回のアルバイトを始めて、半月が過ぎました。

 この間は菊乃ちゃんが他のクラスメイトの子たちとお店に来てくれました。私はアルバイト中だったのでお話はほとんどしていませんが、皆紅茶を買ってくれたみたいです。


 自分が働いているお店の商品を買ってもらえるのって嬉しいことなんだと、アルバイトを始めて知りました。

 やっぱり、お父様にアルバイトをしたいとお願いして正解だったと思います。最初の目的とは少しずれている気もしますが、私でもアルバイトくらいなら出来ることもわかりましたし。


 色んなことがあったり感じたりしながら、アルバイトにも慣れ始めた日。初日に来店した同い年の男の子――木山くんがまたお店に来たのです。



「こんにちはー」

「あっ……い、いらっしゃいましぇ」

 どもった上に噛んでしまいました……。顔が真っ赤になっていると思います。

 木山くんも少し困ったような顔をしているような気がします。

 私は恥ずかしくて、顔を伏せてしまっているので前髪の間からしか木山くんの顔が見えないからそんな気がするだけかもしれないですが。


「あぁー……あ、あの。店長は、居ますか……?」

「えっと……あれ? さ、さっきまでは店内に居たんですけど……」

 店内を見回しても店長さんの姿はありません。さっきの失敗がまだ尾を引いていた上に、店長が不在という不測の事態で私は半分以上パニックになっていました。

 あれ? どうすれば良いのかな……?

 考えようとすればするほど、頭の中が真っ白になっていきます。


 不意に何か熱いものがこみ上げてくるのを感じました――。

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