第2話

 ピピピ……ピピピピピッ……。


「――んん」

 不快な電子音で眠りから覚める。


「ふぁあ……。あぁ、やな夢見たな……」


 小さい頃の夢。

 我が家は両親共働きで、家には姉と俺だけで留守番していることが常であった。

 この姉が、なんというか俺にとって恐怖の象徴なのである。四歳差があり、当時の俺よりも力が強く、何かあるとすぐに暴力を振るう。俺が遊んでいるおもちゃも力尽くで奪う。自分が遊び飽きるとその辺に投げ捨てる。時には壊してしまうことさえあった。


 怪獣といって差し支えの無い姉。時折、姉はウチに友人たちを連れてきていた。あれほど嫌な時間はなかった。何ていっても、姉の俺への対応を見て、姉のように俺を扱うのである。彼女らにとって俺はおもちゃのようなものだったのだ。


 流石に姉も小学校中学年くらいになってくると、段々と色気づいてきて乱暴なことはしなくなった。それでも幼かった俺の中に『女性=横暴』というイメージを植えつけるには十分すぎる時間が経過したのちであった。


「……とにかく、起きよう」

 十二月に入り、気温がグングン下がっている。朝、布団から出るのでさえ、気合の一つも入れないとままならない。

「うぅ、さむっ」

 モコモコした冬用のスリッパに足を突っ込み、ジップパーカーを羽織って自室を出る。

 向かう先は台所。毎朝の日課のために寒くても早めに起きているのである。



 早朝の台所はひっそりと静まり返っていて、寒くはあるが……このピーンとした空気感が結構好きだったりするのだ。


 エアコンを付け、キッチンに移動する。やかんに水を入れて火にかけてから、戸棚から愛用のティーポットとティーカップを取り出す。

 今日はどの紅茶を飲もうか……。昨日はイングリッシュ・ブレックファスト・ティーにしたんだよなぁ。アッサムとかのブレンドティーだから、今日はそれ以外にしたいな。

 こうやって、その日の気分なんかを考えながら紅茶を選ぶのが楽しい。俺的には紅茶の魅力の一つだと思っている。


 うん。オーソドックスにダージリンにしよう。

 ダージリンは世界三大銘茶のひとつで『紅茶のシャンパン』なんて言われているんだ。嫌な夢のせいで目覚めが悪かったし、気分だけでもリッチな感じにしたい。


 目的の茶葉の缶を出してみると、随分と減っている。そろそろ新しい茶葉買い足さないとな。飲みたいときに飲みたい茶葉がないとガッカリ感がデカい。


 しばらく、やかんを熱している火をボーっと眺めていたがボコボコという音がやかんから聞こえてきた。

 紅茶を美味しく入れるのは、コツさえ掴めて手間を惜しまなければ意外と難しくない。このコツと言うのがいわゆる、『ゴールデンルール』というやつだ。突き詰めた紅茶のプロから見れば、俺の入れ方もまだまだなのであろうが、それでもドンドン入れるのが上達している気がするので別に良いのだ。


 ピーッと甲高い音で、お湯が沸騰した事を自己主張し始めるやかん。早朝なので、あまり鳴ったままにしていても近所迷惑なのでさっさと火を止める。


 沸騰したお湯をポットとティーカップに注ぎ、温める。この手間を惜しむと、注いだお湯の温度が下がり茶葉から成分が抽出されないのだ。

 

 ポットが温まったのを確認したら、ポットの中のお湯を捨て、ティーメジャースプーンで量を量った茶葉を入れる。自分の好みの茶葉の量も同じティーメジャースプーンを使い続けているとわかってくるものである。


 やかんのお湯をポットに空気を含ませる感じで勢いよく注ぐ。ふたをしてティーコゼーをかぶせて保温し蒸らす。……このティーコぜーもそろそろ買い替え時かもなぁ。ただの綿が入っただけの布製の袋だし、毎日使っていると傷みが激しいのだ。


 大体、五分ほど蒸らしす。.蒸らし終わったら、温めるために入れたカップのお湯を捨て茶こしを使って茶葉をこしながら、紅茶の濃さが均等になるように、ポットのそこを押さえてくるっ横に円を描くように回しながら紅茶を注ぐ。


 うんうん、オレンジ色の良い感じの水色になったと思う。香りも良い感じだろう。

 今日も良い日になると良いな、なんて思いながら俺は自分の入れた紅茶を楽しんだ。



 学校が終わり、放課後になった。

 いつもなら帰宅部の俺は友達とどこかへ遊びに行くか、すぐに家に帰るのだが今日は用事がある。そう、切れそうな紅茶の茶葉を買いに紅茶専門店に寄らなければならない。

 紅茶にはまって以来、紅茶の入れ方からポットの選び方、茶葉の話など俺の紅茶ライフの基礎を作ってくれたお店なのだ。

 紅茶の専門店だけあって店内は茶葉の匂いが充満していて、居るだけで心が落ち着くのだ。初老の店長に憧れるというのも少しある。落ち着きがあり、物腰も丁寧。入れてくれた紅茶を初めて飲んだ瞬間、この人のような人間になりたいと強く思った。その気持ちは今でも変わっていない。


 そんなお店だからこそ、向かう足取りは軽い。俺は鼻歌を歌い出しそうなくらい上機嫌で歩みを進めた。



「こんにちはー」

「あっ、いらっしゃいませ」

 澄み透った声に視線を向けると、一人の少女がいた。


 うわぁ……西洋人形のようなパッチリした瞳。綺麗な長い黒髪をポニーテールに結び、うなじがとても色っぽい。色白な肌と艶やかな黒髪のコントラストがお互いの魅力を惹きたて合っている。

 この紅茶専門店には良く通っているけど、こんな美少女の店員さんは知らない。


 困ったなぁ、あんまり女の子って得意じゃないんだよな……。 

 店長は居ないのかなと店内を軽く見回してみるが、それらしき影は残念ながら見つけられなかった。

 意を決して店内に居る美少女店員さんに声を掛ける。


「あの、すみません。店長は不在ですか?」

「えっ、えぇと……今、裏で在庫の確認をしていると思うので呼んできましょうか?」

「お願いします」


 美少女店員さんは、パタパタという擬音が似合いそうな足取りで奥に向かっていく。

 声を掛けたとき、身構えられたような気がするんだけど……気のせいだよな?

 それとも、身構えられるくらいキモいのかなぁ、俺。

 このお店に来る途中の上機嫌っぷりが少し萎えたのを感じる。

 奥で美少女店員さんが店長を呼ぶ声が聞こえてきた。

 


 数分、店内の茶葉を見たりティーコゼーを物色していると裏から足音が二つ聞こえてきた。


「やあ、木山君。いらっしゃい」

「あ、店長。こんにちは」

「今日は新しい茶葉にチャレンジするかね?」

「あぁ、どうしようかな……切れそうな茶葉を買ってから考えます。あと、今使ってるティーコゼーがだいぶ傷んできちゃって、新しいものが欲しいんですよね」

「おお、そうか。切れそうな茶葉はなんだね? あと、ティーコゼーだけど、自作してみたらどうだね? 木山君は手先が器用だし作れるんじゃないかな。自作の方が愛着が湧くと思うよ。お店で僕が使っているティーコゼーは売り物を宣伝がてら使っているけど、家で使っているのは自作だよ」


 ティーコゼーの自作かぁ……面白そうではある。試験が終わったら自作してみるのも良いかも知れない。いや、店長も自作を使っているのだから、俺もやってみよう。


「そうですね。期末試験が終わったら挑戦してみようと思います」


 俺の言葉に店長は満足そうに頷いた。


「切れそうな茶葉は何かね?」

「えっと……ダージリンとアフタヌーンティーですね」

「わかった。ダージリンはいつもの茶園のものでいいかな?」

「はい、お願いします。それで、何か新しくチャレンジできそうな茶葉はありますか?」

「そうだね……君が飲んでいるアフタヌーンティーはダージリンとアッサムのブレンドなんだ。まだアッサムだけで飲んだことはなかったね?」

「はい、そうですね」

「アッサムのオータムナルがあるからどうかな? 味は濃厚でコクがあって、芳醇な香りがする。水色は澄んだ濃いめの紅色なんだ。ミルクティー向きだね」

「なるほど……そうですね、じゃあアッサムもお願いします」

「じゃあ、お手本として一杯入れてあげよう」


 そう、俺が新しい茶葉にチャレンジする度に店長はお手本として一杯いれてくれるのだ。店長が入れてくれた味を目指して試行錯誤するのが俺の楽しみでもある。


「橘君も一緒に飲むかい?」

 と、店長は美少女店員さんに声を掛ける。

「あ……はい、ありがとうございます。頂きます」

 俺と店長の会話を手持ち無沙汰に聞いていたのであろう。少し反応が遅かった。

 この美少女店員さん――橘さんは紅茶にあまり興味がないのであろうか? そんな人が紅茶の専門店で働いているのが少し不思議な気がした。


 店長の入れる紅茶はやはり絶品であった。味や香りもさることながら、入れている姿も凄くスマートでカッコいい。何度見ても憧れてしまう。

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