エピローグ

第22話 希う(こいねがう)


 別れの言葉を言うタイミングというのは、とても難しい。


 俺は昔から「さよなら」の言えないやつだった。

 なにせ、親しいやつにかしこまって言うには恥ずかしく、会えなくなる人に言うにはさみすぎるからだ。


 だから、子どものころに長く通っていた塾をやめるときも最後まで「さよなら」は言えなかったし、引っ越していく友達の見送りにだって行かなかった。

 あの事故で死んだ同級生の葬式にも、参列しなかったように思う。


 ほかの挨拶にくらべると「さよなら」という別れだけはとても難易度が高いものに思える。


 だけどそれゆえに大切だ。

 一度タイミングを逃してしまうと再挑戦のチャンスはない。


 だから、次からはきちんと言ってみようと思う。

 別れの言葉を。

 それはきっと大切なことだから。


 まぁ、だからその……なんだ。

 俺はまだお前に別れの言葉は言えないけど、たまには顔を見せるようにするよ。


 今度来るときには綺麗な花の一つも買ってくるから。


 俺は墓石に手をあわせた。

 その下にある遺骨は、俺の知っている彼女のものと同じかどうかはわからない。だが、きっと届くだろう。


 大丈夫。


 あいつなら、あきれた顔をして、でもきっと最後には笑ってゆるしてくれるから。


***


「あ~、だめだな……オレ、こういうときになんて言えばいいのかわかんねぇや」


 バイト先の休憩室で、俺と向かいあうように座った杉山は困ったように後頭部をかいた。

 今日のシフトは午前中から働いていた芳月先輩と入れ替わって、午後から杉山が働くことになっている。

 で、今はその交代までのちょっとした時間に俺たちはちょっとしゃべっているというわけだ。


「気をつかうなよ、杉山。お前が明るくないとこっちも調子が狂う」


 俺はそう言ってへらへらと笑ってみせる。

 これは別に強がりじゃない。

 本心からの言葉だ。

 杉山にはバカをやっていてもらわないと困る。


「そういえば、ナユタから聞いたよ。ぶっ倒れた俺をここまで運んでくれたんだってな。助かったよ」

「いや、大したことじゃねぇよ。芳月先輩に車を回してもらったんだ。だから、オレがやったのはせいぜい店の前から下に運んだ程度だ」

「そうか。じゃあ芳月先輩にもお礼を言っとかないとな」

「そうしろ、そうしろ」


 ははは、という互いの笑い声がやがて煙のように薄くなって消える。


「いや、そうじゃなくて!」

「だから、なんだよ」


 今日は顔を合わせてからずっと変だ。

 ようやく俺が調子を取り戻したのに、杉山がこれでは困る。


 杉山はなにかを迷うように「あ」とか「い」とか言いかけていたが、最終的には「あ~、もう!」とそんな自分の態度に焦れたように自分の頭をかき乱した。


「じゃあ一つだけ! これ訊いたら、もうしめっぽいのはなしにするから!」


 そう言ったうえで、また何度かためらう。

 よほど言葉選びに悩んでいるようだ。


 だから待つことにした。

 急ぐことはなにもない。

 やがて、杉山は意を決したように口を開いた。


「……お前、どうして撃てたんだ?」


 あえて〝誰を〟という部分をはぶいてくれたのは、杉山の心遣いだろう。

 言わなくても質問がなんであるのかはわかる。


 公園で倒れている俺を見つけたということは、杉山はきっと見たのだろう。

 俺の銃弾に倒れた〝あいつ〟の姿を。


 だから、気になった。

 俺が彼女を撃てた理由が。


「バカなことを訊いてるのはわかってる。だけど……どうしても、それだけが気になって」

「大した理由じゃない。単純な理由なんだ。見た目もなにもかも似ている相手が、俺の知っているあいつと違う部分があった」

「違う部分? 並行世界から来たのにか?」

「ああ、違ったんだよ。俺の知っている幼馴染はさ、俺よりもずっとしっかりしてたんだよ。だから、たとえ天地がひっくり返ろうと俺が生き返ったりしないってわかってたはずなんだ」


 俺の知ってる希美なら、ああはならない。

 きっと俺が死んだとしても、ちゃんと役目を果たすだろう。


 たとえ並行世界の俺が目の前に現れても、ためらいなく撃つ。

 そんな彼女を俺は好きになったのだから。


 その違いが俺にとってはもっとも大きかった。


 いつだったか、希美が並行世界の〝木戸博明〟を撃ち殺したことがあった。

 あのとき、彼女がそいつを撃てたのも些細な違いを見つけたとか、その程度の理由だったのかもしれない。


「違いを見つけた。だから、撃てたのか?」

「ああ。期待してもらって悪いけど、本当にそれだけだよ」


 その程度だ。

 ささいなことが、とても重要な場面がある。

 たとえば、じゃんけんの勝敗が生死を左右するように。


 杉山は俺の言葉を咀嚼するように、しばらく黙り込んでいたがやがて大げさに肩をすくめた。


「なるほどな。その答えは、納得だ」

「そうだろ?」

「こうた~い」


 話の区切りを待っていたかのようなタイミングで、休憩室にエプロンをはずしながら芳月先輩がやってきた。


「つかれた~。今日はやけにお客さん多くって」

「げぇ~、マジかよ。今はどうなんですか?」

「ちょっと落ち着いたかもね。さぁ、行った行った」

「わかりましたよ。じゃあな、木戸」

「ああ、またな」


 先輩と入れ替わりに杉山が休憩室を出ていく。

 かわりになぜか先輩が俺の正面に座った。

 そう狭い部屋でもないのだから、わざわざみんな前に座らなくてもいいのに。


「そういえば芳月先輩、俺を車で運んでくれたそうですね。ありがとうございました」

「なんのなんの、木戸くんにはまた修正作業を手伝ってもらわないといけないからねん」


 そう笑ってから、急に先輩は表情を変えた。


「……大変だったね」


 いつもどこか掴みどころのない人だが、このときは珍しく年上の女性に見えた。

 でもまぁ、当たり前か。本当に年上なわけだし。


「大変なのはいつだってそうですよ」

「そう。でも、つらいなら修正作業専門になってもいいんだよ? その選択をしたとしても、誰もあなたを責めない」

「大丈夫ですよ、もう。ちゃんとやれます。もちろん、どちらも」

「そっか。上出来、上出来」


 年上の顔から、また掴みどころのないいつもの怪しい先輩に戻る。

 こっちのほうがいいとは言わないが、なぜか安心する。

 慣れっていうのは恐ろしいものだ。


「で、今日はバイトないのにどうしたの? あたしにデートの誘い?」

「違います。ナユタに用があって」

「なんだ、そっちか。ざ~んねん」

「ウソくさいですよ」

「だって、ウソだも~ん」

「でしょうね。じゃあ、そろそろ行きます。先輩、また」

「うん。連絡するね」

「その電話こそ、たまには仕事以外だとありがたいんですけどね」

「それはむずかしいかなぁ~」


 怪しく笑う芳月先輩と別れた。

 あの人は色々と恐ろしい部分も、得体のしれない部分もあるが、決して悪い人ではない。


 下へ降りるエレベーターに乗り込んで、待機室へ向かう。

 まだ誰もいないその部屋は今日も静まりかえっていた。


「ナユタ」


 室内のどこかにいるであろう彼女を呼ぶと、あっさりと姿を現す。

 いつもと変わらないロングスカート姿のナユタは、着物を着ていたら座敷わらしに見えるかもしれない。


「どうしたんですか、木戸さん。なにかご用でも?」

「いや、外に出たついでにお前の顔を見に来ただけだよ」


 俺がそう言うと、ナユタはまるで冗談を言われたかのように笑った。


「木戸さんだけです、そんな変なことを言うのは。今こうしている私もホログラムなのに」

「ホログラムだろうと顔は合わせてるさ」

「そうですか? なら、そうなのかもしれませんね」


 納得できる理屈ではなかったかもしれない。

 しかし、ナユタはすんなりとうなずいた。


「ちょうどよかったです、木戸さん。私からひとつ話があります」

「珍しいな。なんだ?」

「この前、木戸さんは並行世界に存在する必然性を問われましたよね?」

「ああ、たしかに」


 無数にある並行世界の中で、どうしてこの木戸博明が〝俺〟だったのか。

 そんなことをナユタに訊いたことがあった。


「並行世界は無数に生まれつづけます。私たちがこうしている間にもどこかで生まれ、どこかで衝突し、また別のどこかで生まれています。究極的には昨日の衝突時にも私たちがこうして勝つことで、逆に負けた世界も発生するのでしょう」


 昨日の衝突での浸食率は低かった。

 それは俺たちの知る世界が大きく残っていることであり、その後におこなわれた修正作業のおかげで、ほぼ守りきったと言っても過言ではない結果だった。


 だからこそ、逆に向こうの世界が勝つ世界もあったということだ。


 視点を俺のみにしぼりこめば、あのときの俺が〝吉野希美〟の提案を受け入れる世界もある。

 あるいは、彼女によって撃ち殺される世界もある。


 撃ったことで、それらがなくなるわけじゃない。

 広大な、そして茫漠とした並行世界のどこかにはそういった分岐が平然と存在している。

 そのうえでさらに分岐を続けている。

 そういう途方もない話だ。


「誇張ではなく、この戦いには終わりがありません。ある日突然始まった並行世界同士の衝突が、ある日突然消えてなくなるようなことがないかぎりは。だから、戦うことは無意味であるとも言えます」

「おいおい、お前がそんなこと言っていいのかよ」


 忘れがちになるが、ナユタはコンピュータだ。

 変わり続ける世界を、唯一俯瞰的に統括することのできるスーパーコンピュータなんだ。

 そのナユタがこんなことを言っちゃ、立場上まずいんじゃないだろうか?


「客観的な立場での話です。そして、ここからは私個人の意見です」


 そう前置いてから、ナユタは一呼吸置いて話を続けた。


「無数にある並行世界でなぜここにいる木戸博明があなたであるのか。そして、私がどうしてここにいる私であるのか。そういった木戸さんの疑問に対する答えは、私にもわかりません」

「ああ、だろうな」

「それでも私は、できることならこうして勝った世界の〝私〟を選び続けたいと思います。ここからの選択権なら、私やあなたにあるのですから」


 世界の選択。

 こういうと少し大げさかもしれないが、たしかにその権利は俺にもある。


 昨日の俺は、大まかに三つの可能性を選べた。

 彼女と共に生きる可能性と、彼女によって殺される可能性、そして彼女を撃ち殺す可能性だ。


 その可能性の数だけ、当然並行世界は生まれる。

 俺が想像しないような可能性にだって、並行世界は発生しているだろう。


 だけど結果的には、俺はこの〝俺〟を選んだ。

 意識的にせよ、ほかの要素がからんだにせよ、たしかに俺がこの〝俺〟を選びとったのだ。


「……そうだな。俺も、そうしたい」


 ポケットから携帯電話を取り出す。

 そこにはまだブサイクな猫のストラップがぶらさがっている。


 これは、俺の知っている希美が唯一俺に残してくれたものだ。

 衝突した後の世界、つまり今ここにある世界においてこのストラップは俺が買って自分の携帯につけたという風になっているのかもしれない。


 けど、俺の記憶ではそうじゃない。

 希美と俺はまったく同じストラップを贈りあった。

 だから、これは希美が俺にくれたストラップだ。


 彼女が残した、そして世界が見逃した、希美の痕跡だ。


「さぁて、これからも元気に働きますか!」


 つとめて大きな声を出して、俺は立ち上がる。

 無数にあるという並行世界。

 なら、そのどこかには俺と希美がラブコメじみた日常を過ごしている世界もあるのだろう。

 いや、そうに違いない。


 俺はそんな世界がどこかに存在することを切に願う。


 そして、そんな並行世界とこの世界が衝突しないことも同じくらい強く願った。



 それくらいは望んだって、きっとバチはあたらないはずだ。


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重なる世界は億万劫 北斗七階 @sayonarabaibai

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