第21話 チョコレート


 こんな夢を見た。


 夢のなかでそうだとはっきりとわかるくらい、バカげた夢だ。


 そこにいる木戸博明は、普通の高校生で部活動なんかしている。

 あまりに熱心に練習するものだから、授業をロクに聞いていない。


 そしてテスト前にになるといつも幼なじみに頼み込むのだ。

 勉強を教えてほしいと。


 頼まれた彼女はあきれた表情で、冷たい言葉を口にする。

 それにいちいち顔色を青くするバカ。

 最後には彼女が折れる形で放課後に勉強会が開かれる約束をする。


 そんな幼なじみとの仲を友人の杉山や片岸に勘ぐられると、そいつは照れくさそうに否定するんだ。

 見ているだけでもどかしい。


 放課後になって、隣のクラスの彼女と並んで帰る。

 くだらない会話を楽しそうにして、明るく笑って、まるで辛いことも悲しいことも二人でいるかぎりは存在しないみたいな顔をする。


 そうして〝俺〟の前を二人は歩いて行く。


 木戸博明と――吉野希美が歩いて行く。


 夢のなかでそうだとはっきりとわかるくらい、バカげた夢だ。


 そんな夢を見た。


 ***


 二つの世界が衝突する。

 その得体のしれない感覚に俺は目を開けた。


 見えたのは天井。

 蛍光灯がまぶしく目に刺さる。


 さっきまでどんな夢を見ていたのか、もう思い出せない。

 ただ、自分が寝ていたことだけはなんとなくわかった。


 周囲を見回す。

 ここは、喫茶店の地下だ。

 そこにある仮眠用のベッドに俺は寝ていた。


 頭が痛い。

 まるで体中の痛みを集約したみたいに、断続的な痛みがある。


 それでもいつまでも寝てるわけにはいかないだろう。

 並行世界が衝突したのなら、どうなったのかをナユタに訊かなければならない。

 修正作業だって手伝わないと。


「まだ寝ていてもいいんですよ」


 ナユタは起きようとした俺を押しとどめるようにベッドの片隅に現れた。

 やっぱりここは待機室で合っていたようだ。


「なにが、どうなったんだ?」


 薄ぼんやりとする思考に鞭をうって、記憶をさぐる。

 それだけで神経を針でつつくような痛みがあったが、なんとか思い出すことができた。


 公園で、俺は、吉野希美を撃った。


 苦労して見つけたその記憶は俺の気分を明るくしてはくれなかった。


「杉山さんが公園で倒れている木戸さんを発見しました。倒れたのはおそらく、睡眠不足と栄養失調でしょう」

「言われてみれば、たしかにお腹がすいた」

「いいことです」

「そうかもな。そういえば、この部屋になんかあっただろ」


 いつか杉山の提案で、お菓子を持ち込んだことがあった。

 そのまま食べることなく、ここに置いたままだったはずだ。


「動けますか?」

「ああ、大丈夫だよ」


 ケガをしているわけじゃない。

 ベッドから起きると、ナユタも寄り添うように付いてきてくれる。

 といっても、それほど動きまわるわけじゃない。

 部屋の隅にある冷蔵庫を開けて、しまっておいたチョコレートを取り出すだけだ。


 十分冷蔵庫で寝かされた板チョコを取り出す。

 よくよく冷えていた。


 銀紙を雑にやぶいて、そのまま露出したチョコをかじる。

 凶器のように尖ったチョコのかけらが、口の中で溶ける。

 脳みそが流れだしそうなくらい甘く、身体にしみた。


「すいませんでした。私のミスです」


 ナユタが深々と頭を下げる。

 俺はまた、こいつに謝られている。

 なんだかこちらのほうが申し訳ないことをしているような気になった。


「本来、このようなことがないように調整をするんです。並行世界の半在者と面識がある人が顔を合わせることは、その……」

「デメリットしかないから、か?」

「……はい」


 ナユタが謝罪をしているのは、並行世界の吉野希美が俺の目の前に現れてしまったことについてだ。


 たしかに、よく考えてみるとデメリットしかない。

 俺が躊躇なく並行世界の半在者を撃てるのは、相手のことをなにも知らないからだ。

 それが知っている人間なら、たとえば片岸であったとすれば俺はたとえ並行世界の存在だとしてもあっさりと撃つことはできないだろう。


 この世界で杉山や芳月先輩以外の半在者と会う機会を設けられないのも、そのへんが関係しているのかもしれない。

 そしてそれは並行世界側も同じのはずだ。

 だから、双方共に面識のある者同士が接触しないように調整するのだろう。


 それが今回は違った。

 それはきっとナユタのせいではなく、もういなくなってしまった〝吉野希美〟が意図的にやったに違いない。

 俺に、〝木戸博明〟にもう一度会うために。


 ナユタはまだ、事情の説明を続けているがその内容のほとんどが頭に入ってこない。

 それよりも、ずっと気になっていたことがあった。


「なぁ、ナユタ」

「なんですか?」

「……希美は、死んだんだな」


 いつ死んだのかについて、正しいことはわからない。

 十年前に死んだという世界と、つい先日死んだばかりだと思う俺との間では大きな違いがある。

 もしかしたら、先ほど俺が撃ったことで死んだという考え方もあるだろう。


 けど、吉野希美は死んだのだ。

 それだけは、絶対に間違いないのだろう。


「……はい」


 ナユタがうなずく。

 いつもと変わらない落ち着いた表情なのに、どうしてかそれが今にも泣き出しそうな顔のように見えた。


 そのことによってじわじわと、本当にゆっくりと、実感がわいてくる。


 チョコレートを噛む。

 いつか杉山が、実感は大切だという話をしていたことを口に広がる甘さと共に思い出した。

 その意味が今なら少しだけわかる。


「もう、二度と会えないんだよな」

「はい」

「……そうか」


 不意にこらえきれない嗚咽が口からもれた。

 自分でも意図していないそれをなんとか抑えようとするけれど、どうしてもそれはあふれてくる。

 歯をくいしばっても、目をきつくつむっても、こらえきれなかった。


「泣いて、いいんですよ」


 ナユタの声がしみる。

 そのせいで、ついに涙がとまらなくなって。

 俺は子どもみたいに大声をあげて、みっともなく泣き叫んだ。


 どれだけ泣いても、枯れることはなく。


 ずっと、ずっと、泣いていた。

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