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『庭師とその妻』番外編・後編を公開いたしました

『庭師とその妻』番外編、後編です。
アイリスのお話はこの前後編で完結。

https://kakuyomu.jp/works/16816410413938179619/episodes/16816700428119391664

この番外編に先立って……といったつもりはなく、夜中の手すさみだったのですが、最近の展開と、ゲルバルドの影響について、ツイッターで書いたので、貼り付けてみます。

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なんとなーく、『庭師とその妻』について。
最近は、重圧にぽっきりいってしまったナギがどうするか、みたいなことを描いていました。
これはナギの抱え込み過ぎな性格もあるのですが、元を辿るとゲルバルドのあたりから始まっていて……。

ゲルバルドとマデリンはとてもいい人なんですが、若干、ナギに対しては、期待の仕方が〝架空の娘婿モード〟なんですよね。
ユメリアのことは、あんまり娘とは重ねていないんですが、娘の仇を取ってくれたナギに対しては、「ありえたかもしれないジャニス(娘の恋人)」として見てしまう部分がある。

実際の娘婿なら、末長い庇護も込みの重圧ですが、ナギはいずれ出ていくので、庇護は受けられない。
で、ナギはとても真面目なので、その期待を真正面に受け取っている。
医者だけは、それになんとなく気づいて危惧しています。

ただ、ゲルバルドはナギを見込んでおり、可能であれば、
ナギを領地にとどめられないか、資質があれば家督を譲りたい、とさえ考えていました。
が、現実的には警察に追われていて難しいので、彼らを送り出すことを選びました。
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最近、荒木飛呂彦さんが書いた『荒木飛呂彦の漫画術』を読んでいます。

「多くのひとの心をつかむエンタメとは何か」について、実例アリで解説。
荒木さんが不満を覚えた作品については、そのポイントも忌憚なく書いていて、とてもおもしろいです。
荒木さんのなかには、「エンタメ」の「黄金の道」の定義がはっきりとあるんですね。
だから、「これこれこういう展開は、『エンタメ』の『黄金の道』からは外れる」とやはり明示します。
ただ、黄金の道から外れる作品も、世の中にはたくさんある。
そこは、「やりたいなら芸術としてやるか、それ相応の覚悟が必要」と説きます。

むかし、コーヒー焙煎のプロフェッショナルにお話を聞いたことがありました。
「修行時代は『ものさし』を培うことが大切。
自分より多くの経験を積み、『よい味』『悪い味』をはっきり定義している師匠のもとで、自分のなかに『ものさし』を作ることです。
これは、きっと寿司でもなんでも同じだと思います」
とのお話が印象に残っています。

荒木さんというとんでもない先達が考える「王道」のものさし。
そこに照らし合わせて、あらためて、自分がやっていることが何かを理解する、覚悟を決める、対策を考える……みたいなことができる本でした。

何よりこの考え方を、わかりやすくまとめられることがすごいです。

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