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KAC8つ目のお題『眼鏡は人の道具、だから』を書きました&お疲れさまでした

 昨日、桜がひとつ、ふたつ咲いているのを見かけました。
こんなに冷えるけれど、それでも春です。

 KAC最後のお題「めがね」に寄せて、以下の作品を書きました。

『眼鏡は人の道具、だから』
https://kakuyomu.jp/works/16818093074433890503

「熊人間であったパートナーが完全に熊になって人間を襲いはじめたため、それを討ち果たすべく旅をする主人公」「熊人間になることはあらかじめわかっており、熊人間はそれに疑問を抱いていない」という構想がもともとありまして。

 お題を見て、「視力矯正の道具である眼鏡って、人間ならではの道具かも」と考えたところから、その構想にハメて書いた形です。

 熊人間の話はパラパラと書いたものがあり、そこでは彼らは夫婦(夫が熊人間)でした。

ただ、人間のほうを小柄な黒髪真面目男子にして、熊人間にもう少しキャラ付けをして両方男性にしたら、「このメンズの絆が尊い!」コンテストに出せるのではと考えたことがあったのでした。
 どう考えても求められているものとは違いますが、書いてみるのは自由ですからね(応募は断念しています)。

 KACでは、その路線を踏まえつつ一人称の「俺」に語らせようとしたところ、男性一人称の難しいこと難しいこと。
結局、「わたし」「お前」にして、すこし不気味な雰囲気を醸し出せたらと狙いました。
この「わたし」は男なのか女のかそれとも……。

 ラストの「熊殺し」のネーミングはどうかと思うので、もうすこし真剣に考えたいところです。

 この作品を書くにあたって気をつけねばと思ったことは、「視力が下がったら死ぬしかない」と「熊」が言うところです。
これは「熊」が「熊」、つまり動物の立場で言っていて、「人」について言っているのではない、ということは意識して書きました。

 視力の低下という一種の障害を、我々人間は、眼鏡などの視力矯正器具で補っています。
わたしはもちろん、わたしの夫は極度の近眼で、コンタクトなしには家の中ですら動けません。そういう人は多いでしょう。
眼鏡は視力を補ってくれるすぐれた道具で、それがあることで、日常を送れます。
そういった人間のすぐれた営みを否定しないように書いたつもりで、そうなっていればいいなと思います。

 さて、「熊人間」のお話に眼鏡を登場させることは、以前は考えたことがありませんでした。
お題との出会いにより、元あった構想に違う発想が芽生える。転がり出す。
これがKACのおもしろさだなあ、と感じました。

「箱」の話もそうでした。
https://kakuyomu.jp/works/16818093073365849135
KACで書かなかったら、あの女性に「箱」属性がつくことはなかったと思いますし、それゆえ、なかなか形にできなかったと思います。
お題から、よきモチーフをいただきました。
あの「箱のセレブ女」と「地味な女性」の話はもうすこし書いてみようと思っています。

 KACにうつつを抜かしている間に、長編『庭師とその妻』執筆は止まってしまっており。動かしていきたいと思います。
そして、あいかわらず「読む」の弱さよ……。

 ともあれ、KAC皆さまお疲れさまでした。
お題にざわついたり、作品を読んだり読まれたり。とても楽しい時間でした。

来年も生きていて、皆さんとこんな時間を過ごせたらうれしいです!

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