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オッペンハイマー(ちょっとネタバレあり)

こんばんは、名無之です。
というわけで、昨日半分寝ながら書いた近況ノートで「オッペンハイマー」について書くと言ったので、「オッペンハイマー」について語っていきたいと思います。

満を辞して封が切られたクリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」。アカデミー賞7部門を獲得、など受賞歴を聞いただけで名作間違いなしの作品です。
えっ、まだ見てない? なら、一度見てからこのノートを見てほしい。なにを伝えたいかわかるはずだ。

と、いうのも、この映画を言葉で表現することは困難を極めます。
僕はアニメや映画を見るときは、必ず小説のように頭の中で情景を文章化させる練習をしているのですが、この作品に対してはとんでもなく難しかった。というより、できなかった!
まさに映画でしかできない表現を監督はされていて、「どうやったら、そんな撮影技法を思いつくんだ」の連続でした。3時間という途轍もなく長い作品ですが、その長さを全く感じさせない濃密さでした。

そして、この作品における日本特有の話題として「原爆の描写が作中に出てこない」というものでした。
日本は唯一の被爆国。原爆資料館には全国民が一度は足を運んだことでしょう。
そこでの悲惨さをみなさん知ってるからこそ、作中にそういった描写がないことに憤りを感じているのでしょう。

そんな方々に僕は言いたい。

被害の描写がなかったって!?
ふざけるな!!

しっかり描写されていましたよ!!
オッペンハイマーは実際に広島で被害の悲惨さを目の当たりにしたわけではない。けれども、彼には天才的な想像力があった。彼の想像力の豊かさは大学時代のシーンで描写されています。素粒子の構造や宇宙の大規模構造が頭の中でけたたましく鳴り響いているシーンはとても印象的でした。
そんな彼がトリニティ計画で初めて原爆の威力をその目で見て、被害の状況を想像できないはずがない。そして、作品にもしっかり表現されていた。
どこかって? 原爆投下後のオッピーの演説。あそこで彼はまさにその想像力を(自動的に)駆使して原爆の悲惨さを想像してしまっているのです。猛烈な光が集会場を襲い、人々の顔が爛れて、炭化した遺体を踏み抜く。こうした現実と虚構が入り混じった表現技法は「インセプション」や「TENET」を撮ってきた監督ならではの表現技法だと思います。

と、ここまで書いてふと、映画.com を見てみたら(大抵あそこには批判家がたくさんいるのですが)多くの人がこの作品を評価してくれているようで良かったです。低評価も見ましたが、どれも芯のある批判じゃないのでこの国でもきちんと評価されているのだと思いたいです。

と、いうわけで長くなってしまい(同時に興奮してしまい)ましたが、今日はここまで。
それでは、また。

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