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天使は地獄で笑うのかについて

公開しているこちらの作品についてのお話です。
https://kakuyomu.jp/works/16817330661931741716

○作品全体について
目指したのは「私が書く物語におけるハッピーエンドの定義を提示すること」でした。
基本的に私は、登場人物にとって結末が幸せであればそれはハッピーエンドたり得ると思っていて、だからこそ、きっと読んでいる方からすれば、きっとどこかもの苦しいものであるだろうこの作品のことを、私はハッピーエンドの物語だと言い張ります。十愛と來海が本当に幸せだったかと言われると私にも分かりませんが、最期を迎えるあの瞬間は、きっとふたりとも幸せだったと、私はそう思っています。
もうひとつ書きたかったものは、死にたいと願った人がその願いを受け入れてもらえる世界でした。
「死にたい」と言えば止められる、自殺は良くないというのが世の中の共通認識だと思うのですが、死にたいと思う人を止めるのは、止める側の「あなたに死んで欲しくない」という願いだと思うんですよね。その「死んで欲しくない」という願いが自殺は良くないという共通認識によって正しい行為になるような、そんな世間ってなんだかしんどいと思う瞬間が時々あって。だからこそ、物語の中ではそんな「死にたいと思った人が、その願いを受け入れられて死ねる世界があってもいいんじゃないか」って、そう思ってしまうんです。本作、天使は自殺で笑うのか(以下てんじご)の発想の大元はこういう思考にあります。これにハピエンを書きたいの気持ちが合わさって、てんじごという物語が作られた感じです。

○各キャラについての話
・十束來海
ほぼほぼ視点主になる女性です。コンセプトとしては、なんとなく世間に適応し切れていない感覚をずっと感じていて、それが苦しくてしんどくて生きづらくて、だからこそ漠然と死にたいと感じている大人、という感じを目指しました。特に趣味もなく、人付き合いも苦手、家族とも上手くいっていない(実はあった設定)、ただ毎日職場と家を行き来してるだけの虚しい生活を送っている人です。
本人の気質としてはかなり真面目でリアリストなので、十愛が自分を天使と自称してもそんなわけないでしょって一蹴するし、十愛の見た目がどう見ても高校生くらいだからラブホに行こうとすれば一応苦言は呈します。でも特段正義感が強い人間でもないので、後者については十愛に押されれば仕方ないか…と説得を諦めたりなんてこともありますね。集団に溶け込めば目立たない、わりと普通の人ではあります。
ただ來海も、十愛を本当に天使だとは思っていないものの、それでも彼女の見た目や言動から、十愛のことをどこかで普通の女の子だと思いきれてなかった部分はあると思っています。だからこそ來海は、十愛が自分を殺してくれるという言葉に全幅の信頼を寄せてしまっている。それが覆ったのは、十愛が來海の前で涙を流した瞬間だと思っています。そこから來海は、十愛をちゃんと普通の女の子として認識するようになったのかな、と。それ以降の來海を書く際は、なるべく十愛への情みたいなものを見せるように意識しました。來海はもしかしたら懐に入れた人には甘いタイプなのかもしれません。今ふと思いました。
なお、てんじごのタイトルは來海の最終話のモノローグを意識して決めたものです。あんまり上手くタイトル回収できた感はなくて悔しいです。
・十愛
天使を自称する女の子です。コンセプトは、見た目と言動から人外みを感じるけど、もちろん人外ではなくごく普通の女の子である、という感じでした。人外感はあんまり出なかった気しかしません。かなしい。十愛の苗字が最後まで明かされないのも人外感を出すためでした。実は決まってないとかそんなことはないです。
十愛は何でも持っていたけど、自分の本当に欲しいものはずっと得られなかった女の子でした。羨望はある意味暴力だと私は思っていて、十愛はずっと他人からの「いいなぁ」という言葉にずっと傷つけられてきたんだと思います。あなたの方が、わたしの欲しいものを持っているじゃないか、と、そう叫びたくても叫べなかった十愛は、ずっとずっと苦しかったんじゃないかと、私は思っています。
ずっとずっと、欲しいものを得られなかった十愛に、十愛が求めてやまなかったものを与えたのは來海でした。來海は十愛に何かをしてあげようと思った訳ではないんです。ただ、ちゃんと十愛のことを見て、十愛のことを心配して、十愛の心を満たした。それだけのことが、十愛はただ嬉しかったと思います。だからこそ十愛は、実兄ではなく來海に手を伸ばした。自分をちゃんと見てくれた來海と、最期まで一緒にいる選択をした。それはきっと、ちゃんと、十愛にとっての幸せな最期です。
なお、十愛は來海のことがかなり好きだったんだろうなと思っています。それが恋なのか親愛なのかは分かりませんが。泣き顔を見せて素を出す前から十愛の來海への好感度は高めだし、個人的には駅のホームで出会った瞬間、十愛が來海に一目惚れしていた説も全然あると思う。十愛と來海の間にあった感情に関してはご想像にお任せする部分が大きいですが、個人的見解としては「恋愛ではない」と言っておきます。

以上、てんじごについてのお話でした。
あくまで私の解釈的なものなので、読んだ方は読んだ方それぞれの解釈をして頂ければと思っております。

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