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ランキングにある長編小説が軒並み10万字を超えているのは正気ではないと思う

 3000字書くのに何時間もかける私にとって、10万字は正気の沙汰ではない。

 ランキングにある小説を見てみたのがきっかけで狂気を覗く羽目になった。何行にもわたるタイトルが付けられた小説を興味本位で確認したのがまずかった。どれを見ても10万字を超え、30万字、100万字とある作品まであった。
 100万字とは想像もできない量だ。普段文章を書かない人間が一生かけて書く文章よりも多いのではないだろうか。更新歴を見ると毎日更新している。わずか十か月ほどで100万字を超えているのを見て私は震えあがった。

 もはや文章の出来など問題ではない。ここは、webだ。webで、書籍化されるともわからない作品を、飽きもせずにずっと書き続けるモチベーションはどこから湧いているのだ。めちゃくちゃな文字の羅列であっても100万字は書けない。10万字でも無理だ。

 今、私には非公開にしてちまちまと書いている小説がある。4月11日から毎日書き続けて、プロットを固めつつ何とか表現を吐き出しているものだ。前の近況ノートに書いた、おじさんと女性のあれと言ったらわかってもらえるだろうか。あれを書いている。
 しかし、そろそろ文章を書くことに飽きそうだ。設定を固めていくのも、プロットを練るのも楽しいが、そこが頂点だ。文章を書くのは苦しい。歯がゆい。自分の才能の無さを自分にわからせる作業だ。どうして才能の無さで自傷行為を行っているのだろうか。そうまでしてこの世界は、彼らは形になるべきなのか、と思いながら言葉を紡ぐ。

 近況ノートは良い。何も考えずに書けるから、書くスピードがとても速い。これなら一時間で5000字も可能ではないかと思うほどに速い。この速さであれば、あるいは100万字も。
 いや、無理だ。やはり正気の沙汰ではない。冷静に考えてみると、一時間に5000字書いたとして200時間かかる。受動的なゲームでさえ100時間もプレイしたことがないのに、どうして能動的な創作という作業を200時間もやれるというのだ。そもそも本当に一時間5000字で書いているのか? ひょっとしてもっと遅いのでは? そうしたら、一体人生のどれだけをその小説に割いたというのだ。まさか思いついたままに書いているなどというわけではあるまい。日頃妄想するくらいにその作品を愛していないと200時間もかけられるはずがない。

 正気の沙汰ではない。webには小説があふれている。タダだからと言って文学を読まない人間が気晴らしに読むものは裾野が広い。だからジャンルが活発になる。その分似たような作品が増える。それでも供給は止まらない。飽きて捨てての消費に終わる作品が次々と投下される。誰にそそのかされたわけでもないというのに。
 しかし、文学をweb上に公開し続けるのもやはり正気ではない。文学を好む人間は紙を好む。そうでなくとも、コンテストに応募して最優秀賞をとってデビューして勝ち抜いてきた人たちの作品を享受している。素人に毛が生えただけの文豪気取りでは需要を作れない。いや、文豪を気取れるのは良いことだ。私はそう思う。才能に打ちのめされた経験が無いというのは勿体ないかもしれないが、人生に占める苦しみが少ないならその方が良いのかもしれない。気取れるのは良いことだ。かっこいいひとになるには格好つける必要があるように、意識の高い人間になるには意識高い系を経由しなければならないように、文豪になる人はいつかに文豪を気取っているものなのかもしれないのだから。

 考えがまとまらないが、とにかく、10万字も書くのは正気ではない。ランキングに入っても何にもならないかもしれない。ランキングに入らないところにも何十何百万時が埋もれていると考えると気が狂いそうだ。正気ではない。正気ではない。

 しかし、10万字書かないからといって正気だとも限らない。今の私は正直頭がおかしくなっている。つまらないことを書いていると筆が乗って、ついでに頭がおかしくなってくるようだ。ここまで書くのにおそらく20分ほどしか経っていないだろう。先程までたった1000字に何時間もかけ、その推敲を何度も繰り返していたことを考えると馬鹿らしいくらいに速い。

 10万字。頭がおかしくなっていれば書けるのだろうか。今なら書けるのだろうか。目的もなく、高尚な心構えなんて持ったことがないとうそぶいて、ゴミ溜めの地面にしみたすえた匂いのする汁のようなものをインターネット上にぶちまければ。何に不満があるのかも、どうしてストレスを抱えているかさえわからずに、ありもしない鬱憤をそのあたりに吐き出してみれば。
 吐き出したのは何だ? 何も得てこなかったくせに。だから何も生み出せないくせに。中途半端にして放り出して責任を逃れて。

 10万字では足りないのだ。悪性腫瘍を愛してしまったみたいに、到底価値を見出せないものに言葉を尽くしたくなる。この世に存在してほしいと思ってしまう。途中で腐っていく自分に耐え切れなくて、腫瘍ごと大切な何かを切り落として。そうやって短編に逃げたのだろう。
 彼らを見ろ。彼らの短編にはテーマがあった。書きたいものがあった。伝えたいことがあった。それに価値が宿っていた。私はどうだ。何もない。書けない。愛ばかりが先行して、価値のないものに価値を生み出すこともできず、ごみとして蔑まれもせずに捨てられ、置き去りにされる未来を確約されたものを作り出そうとしてやめる。

 愛がいけないのだ。小説を、文章を衝動のはけ口にしてしまえば。いや、それができたら正気がどうのと話してはいない。できない。できなかった。これからもそうだから、書ける人間を自分と同じ人間と認めたくないのだ。

 でもどうか。まだ悪性腫瘍を愛する心臓までを切り落としたくはないのだ。文章を欲望の手段にしたくないのだ。小説をごみだと踏みにじりたくないのだ。
 だからどうか、どうか、私を許してくれないか。見逃してくれないか。君たちを正気でないと言って否定することを。君たちを否定して、自分を否定しながら愛を続けることを。

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