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「私のアソコ」1000PV。ありがとうございました!。未成年と性、『レオン』と『紅の豚』

『私のアソコ』が1000PVに達しました。読んでくださったすべての皆様に心より感謝申し上げます。「エロ小説ではありません」とわざわざタイトルで注釈しているにもかかわらずページを覗いてくださってホントにありがたい気持ちでいっぱいです。わずか14話で1000PVに達したのは現代ドラマというマイナーなジャンルではかなり健闘していると思いますし、これもひとえに読者の皆さまのご厚意のたまものです。おかげさまで、少ないですが、毎日コンスタントに読んで頂けてとても嬉しく思います。この作品は微笑ましく小気味よい掌編で、まるで可愛い子供のような愛おしい感じがします。そしてテーマにおいてこだわった作品でもあります。皆さまもご経験があるかと思いますが、年上の異性の教師に対しての初恋はほとんどが容姿か性的な外見による一目惚れがほとんどかと思われます。それを、この作品では、登場人物にきちんと恋をはぐくませる展開として創作しています。出来事があり、きっかけがあり、理由があり、そして心がときめいて恋をさせています。その作業で意識するのがリュック・ベッソンの『レオン』なんです。これは完全版で明らかになったのですが、マチルダとレオン、あの極限状況の中で恋心が生まれるのは必然性のある事なのかもしれませんが、ベッソン監督がマチルダを性的な対象としているのはおかしいと思います。マチルダがレオンを「性を含む憧れ」と感じるならOKです。でも、「憧れから発展した性的欲求」を投げ掛けるのはNGです。『紅の豚』のフィオはポルコに口づけをしますが、前者なのでOKです。逆はダメ。当然、欧米では『レオン完全版』は変態扱いです。しかし、日本ではウケたんです。ここが興味深くて、おそらく宗教的な価値観の違いであると推論します。欧米は性表現の心理的な規制に対して禁欲的ですが、アジアは開放的です。お互いの国の近代絵画を見れば一目瞭然です。欧米の宗教画の性表現は暗示ですが、アジアは直接表現が許容されます。春画はその極北ですね。ベッソン監督は実生活でもエフェボフィリアで、彼の表現は一歩踏み込んで怒られたわけですが、宮崎さんはギリギリのところをすり抜けていますね。宮崎さんはやっぱりウマい。表現者として一枚上手です。『紅の豚』のフィオのポルコへの思慕は見ていて恥ずかしいですが健康的です。ちなみにフランスのポルコの吹き替えはジャン・レノ。ジャンは『紅の豚』を絶賛しましたが、この「フィオの思慕」をどう思ってるのかなあ?。苦しいところじゃないかと思う。私も見ていていまだに恥ずかしいもん。これはあとがきでも書きましたが、私は作品における性表現には関心が無く、この作品では14歳といい歳した大人にも純愛が心理的に成立するということを数学の証明問題のように書いてみたかったのです。人間は知性と感情と意思を持つので、歳の差があろうが恋愛は成立するというより自然発生するのです。でも実践は別。そこを汲んで読んで頂けると嬉しいです。これからも恋愛ものは書いていきたいですが、性表現は手段であって目的にはならないように書いていきたいと思います。目的はあくまでも心の機微ということにこだわっていきたいです。でも、カクヨムのメインページを見ると分かると思いますが、現代モノはつくづくマイナージャンルですね。くじけずに頑張ります。私と同じく、現代ドラマで地道に頑張っている執筆者の皆さん、楽しんで続けていきましょうね。武田優菜

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