自らを最も上手く表すにはどんな言葉を尽くせば良いのか。いくら可愛くとも「可愛い」と自賛することに何の意味があるのか。逆に、阿呆が「僕は阿呆だ」と言ったところで何の説得力があろうか。
表現は情報の羅列であってはならない。海を表すのに「濃度約3%のミネラルが溶け込んだ水に満たされたところ」と言っても伝わらないのと一緒だ。
じゃあ、どう言えば良いのか。
語るのだ。
情報などどうでも良い。ただ、自分が思ったことをつらつらと述べるだけで良いのだ。
海の場合、「昔、みんなに内緒でおしっこしたら、友達の一人と目が合った懐かしの場所」でも良い。
「波に足を取られてしまい必死に藻掻いて手を伸ばしたら、女友達の手が救ってくれた。冷静になって見渡すと膝にも届かない水位だった。海はしょっぱいんだと初めて知った」でも良い。
世界は自分が認識してこそ存在する。
言葉は自分があるからこそ意味を成す。
だから、自分を表すには自己の認識を、自らの言葉で表すのだ。安易に形容詞に飛びついてはならない。
可愛いことを言いたいなら、周りの男の伸ばした鼻の下の距離を淡々と計算するが良い。
阿呆であることが言いたいなら、このような文章を書けばよい。
言葉は「生き別れの自分」である。
真摯に己を晒すが良い。但し、責任はとらない。
いつか変態になりたいキミへ
第17話 エッセイは究極の自分語りである
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893700544/episodes/1177354054894667806