第6話 軍医さんの腕前への応援コメント
『精神的にも肉体的にもわだかまりを持たぬ人間の明朗さは、清らかに美くしく見へるものである。』
こちら色んな意味で刺さりました。
わだかまりだらけの私はどの様に人から見えているのか……。
作者からの返信
😆
月兎耳さんは、お美しいです、よ✨
第9話 長崎を去る【完】への応援コメント
こんばんは。
たいへん貴重な記録を読ませていただきました。
青葉は昭和の初めごろに竣工した、海軍ではかなり古い艦なので、お祖父さまもかなり古い方なのですね。当時、破傷風の患者さんを救命できたのは凄いことだと思います。第六話でしたか、脳外科の手術を成功させたのも大変なことだと思います。なにしろ当時は抗生物質がなかったので、手術後がまた大変なんですよね。
あとは文章でご自分を第三者的に表現されているところが面白かったです。当時の流行だったのでしょうか。一種のお洒落な書き方なのかもしれませんね。
記憶はデフォルメされてしまうので、当時を知るにはこのような書いた物がなにより重要だと思います。触れる機会をいただき、ありがとうございました。
作者からの返信
いつもお世話になっております。
祖父は故人なので、直接許可を取ることが出来ない中で投稿を決意したので、正直、「投稿してよかったのか」と迷う時もありました。
しかし、当時の海軍軍医の具体的な手術や、軍人としての認識を、無料で多くの方々にご覧いただくことは意義があると直感し、思い切ってSNSの側面を持つカクヨムで公開することを決めました。
祖父の娘である私の実母(故人)から聞いた話ですが、祖父は青葉に乗艦する予定であったそうです。しかし結局乗ることはありませんでした。結果的に祖父は命拾いをしたのでした。
祖父は、複雑な出生の事情を持っています。そのため、事実そのままを書くことはしたくなかったのかもしれません。
祖父がこの自伝を書いたのは1990年代でした。近況ノートに祖父自身が書いたノートの写真を掲載してありますが、丁寧な楷書でびっしりと綴られていました。
私自身が語るよりも、祖父自身の言葉で語る方が力強いと思い、祖父の原文を尊重した形で発表しました。
お読みくださいましたことに心より感謝申し上げます。
第8話 長崎、不審な患者への応援コメント
重巡洋艦『青葉』が建造中の出来事なんですね……、戦前の貴重な記録ですね。
軍の病院と違って外の民間病院だと診察から手術など全てやり方が違うから大変だったでしょうね、それも優秀な士官(お祖父様)に多くの経験を積んで一日も早く立派な軍医になってほしいという上司の親心だったのかもしれないですね。
作者からの返信
ほんとにそうですよね。
民間の病院で執刀していたことがわかりましたね。実際に祖父は戦地に赴いたのですが、戦争とは離れた場所であっても誠実に患者さんに向き合っていたことを再認識しました。
第7話 僕が見守るへの応援コメント
この時代に頭部の手術を成功させるなんて⁉️、とてつもない凄腕軍医さんだ‼️(*´▽`*)
しかしお祖父様はなぜ名字を変えたのかしら❓、その理由を想像したら面白いかも❓
その1、パソコンのない時代で全て書類に手書きの時代だから、転勤時に名簿等を書く人が聞き間違えて記載しちゃった❓
その2、名簿等書く人が悪筆すぎて同僚や上司が間違えて読んでしまった❓
その3、実は当時、養子入りか婿入りの婚約をしていた、けれども養子入りがご破算になったとか婚約相手が労咳(肺結核・当時の人々にとっては治る見込みのない死の病)を患ってなくなってしまったので婚約解消になり、後年自伝を書いた時に注釈する必要性を感じなかったか❓
とか考えてみました‼️、なんにせよお祖父様が素晴らしい方なので深い理由があるのでしょうね…。
作者からの返信
この部分は鬼気迫る文章でした。
名字については、ノートの他の部分で、
「お尋ねの村松君は軍医学校当時は松宮でした其の後軍の機密がありまして村松と改姓されたのです」
という島田軍医長の言葉があります。
このような記載があるので、公表はしないことにしました。
モヤモヤさせてしまいまして申し訳ありません。
いつも、ありがとうございます。
第6話 軍医さんの腕前への応援コメント
棟梁さん達からしたら『現場仕事で負傷し一生障害を抱え再起不能とされた状態』の一番弟子さんを優れた技術で手術して治し、さらに面倒見の良さを発揮して『2級建築士の資格を取って、より高度な仕事と幅広い範囲の仕事を得ることができるようになった』一番弟子にクラスチェンジさせてしまうとは夢にも思わなかったでしょうねぇ。
それでいて恩に着せるような真似もせず、誠実な仕事を続けるエリート軍医(凛々しいイケメン)……、そりゃ一番弟子さんの親御さんや棟梁さん達も目一杯お世話したくなるってもんですよ‼️、お祖父様が主人公だ‼️‼️‼️(о´∀`о)
作者からの返信
そうなんですよ‼️
執刀した患者を見舞いに行く医師は、現代でもなかなか出会えないのではないでしょうか?
いつもありがとうございます‼️
第5話 先生には借りがあるへの応援コメント
昔は、義理と人情が現代の100倍ぐらいあったんでしょうね。無縁社会となった現在は、マンションとかで暮らしていると、隣りや上下ですら、どんな方が住んでいるのか、思い出せない。。。天災などの不測の事態が起きた時の住民結束力に不安を感じますね。
作者からの返信
個人の手記なので、どこまで事実かはわかりませんが、祖父の記述から、濃い人情を感じます。
第2話 大尉、急患が参りましたへの応援コメント
昔はタバコで釣ってた部分もあるんだろうなぁ。たしか、戦意高揚のためにヒロポンを支給していたとかいう話もある。
まぁ、精神正常じゃ、やってられないところもあるんでしょうね。
作者からの返信
祖父はヘビースモーカーでしたね。
第4話 佛心鬼手への応援コメント
私の大伯父は広島で衛生兵をしていたそうです。軍医さんに使われる立場ですね。
以前短歌を読んだ時、私を大変可愛がってくれたその人を思い出しました。
彼も見た物を詳しく語らずに30年近く前に亡くなりました。語れなかったが正しいのでしょう。
こちらの手記を拝読しながら、塗り潰された青春を思っております。
作者からの返信
共通点があり、嬉しく拝読しております。
恐らくは祖父も、語れなかったことがあり、この手記のように小説の形を取ったからこそ書き残せたことがあるのだと思います。
祖父について詠んだ短歌を再掲させていただきます。
「大日本帝国海軍衛生大尉ソロモンだけは語らずに逝く」
第4話 佛心鬼手への応援コメント
腕が良くて、手術の補佐をしてくれた看護婦さんたちへの心遣いも忘れない、そして手術の後に颯爽と去っていく青年軍医……、これは惚れるわ~‼️、僕が当時の女性だったら惚れるわ~‼️(*´▽`*)
手術を受けたお姉さんもキュンとしてたかもしれない‼️‼️‼️(о´∀`о)
でも若い男性らしく、若い女性の白い肌や生足にドキドキしてるのも微笑ましい‼️♪o(゚∀゚o)(o゚∀゚)o♪
作者からの返信
いつもありがとうございます。
実は、実際の祖父は、非常に凛々しい男でした。
写真で見たことがあります。
彼はなんと、複数の看護婦さんからもらった手紙を、箱一杯に保管していたそうです(爆)
しかもその箱を中身込みで、奥さん(私の祖母)が目撃したという話を、私の母から聞いた覚えがあります(爆)
祖父の自伝には、手術を受けたお姉さんの話や、看護婦さんとの交流も書いてありました。
実話かどうか、確認できませんが…(照)
なので、今回は10000字以内での発表でしたので、あえて外科医としての経験談のみに絞ってご紹介しています。
編集済
第1話 軍都のテニスコートへの応援コメント
アサカナさん
おっ!久々にログインしたら、本作、「注目の作品」の一番最初に挙がってましたよ。
気づいたら、ペンネームも変えたんですね。
万物流転!
秋山真之の打電の一文は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で私も知りました。三世代前ともなると、かなり、時代も遡るものですね。
それにしても、これらの漢字をよく出せたなぁ。昔の人は、これを書いて自分のものにしていたんだから、スゴイですよね。
作者からの返信
青山 翠雲先生!
お会いできて嬉しいです。
明治生まれの祖父が大学ノート1冊半にびっしり書いた、小説風の自伝の抜粋です。
海軍の軍医さんだったんですよ。
漢字は苦労しましたね~。
スマホで調べて、パソコンの変換で探しました。
編集済
第2話 大尉、急患が参りましたへの応援コメント
さすが海軍、戦間期の余裕がある時分とはいえ、士官と下士官で爽やかにスポーツで汗を流す姿がとてもスマートでカッコいい❗
陸軍さんだと『さあ❗相撲を取るぞ‼️』って言いながら泥まみれになる未来しか見えんw
(o゚∀゚)y-~~
作者からの返信
実際にそうだったかどうかは確認できませんが、この場面は私も好感をもちました。
生前の祖父から聞いた話ですが、海軍では任務以外は上下関係なく、くだけた付き合いであったそうです。
ちなみに、父方の祖父は陸軍でした。残念ながら私が生まれる前に他界しております。
第1話 軍都のテニスコートへの応援コメント
日露戦争に関しては、岡山市にていパークの別館、坂野記念館があり、戦争当時の電信網郵便網をつくった坂野逓信大臣の事績などが展示されています。
このへんから軍事郵便が大量にのこっていて、いろいろと文献もでています。
作者からの返信
ありがとうございます。
祖父の記述のまま掲載しています。
当時の海軍の若い士官たちの認識及び会話として、貴重な記録と思いました。
第1話 軍都のテニスコートへの応援コメント
お祖父様の思い出……、当時の事をその時生きていらした方が書き残した記録、とても興味があります‼️‼️(о´∀`о)
記録を残してくださったお祖父様に感謝です‼️‼️(о´∀`о)
作者からの返信
ありがとうございます。
大学ノート一冊半に、びっしりと文章が書いてありますので、冒頭部分だけになる予定です。10,000字以内でいったん完結する予定です。
書かれている時代は大正末期ごろと思います。
祖父がノートを書いていたのは、1990年代です。
引き続きよろしくお願いします。
第1話 軍都のテニスコートへの応援コメント
これは貴重な記録ですね。海軍記念日である5月27日の様子ですが、その時代の人でしかあり得ない言葉の使い方や、認識がとてつもなく興味深いです。
ありがとうございました。
これは、いつの時代のものなのですか。昭和に入っているのであろうことは、記述から想像できますが。
作者からの返信
お読みくださいまして、ありがとうございます。
母方の祖父が書き残した文章をほぼ原文ママで入力しています。
祖父がこの文章を書いたのは、1990年代です。
>>これは、いつの時代のものなのですか。
ノートの、後の方の文から推測するに、大正末期ごろのようです。
引き続きよろしくお願いします。
第7話 僕が見守るへの応援コメント
頭蓋骨内に入ってしまったナットを、磁石で引っ張って摘出したということですよね。
しかも、後遺症が残らない様に考えてくれている。
凄く、意識の高いお医者さんです……!!
軍医さんって、医療者としては??な感じに描かれることが多いですが、志を持って医者になったんですもんね。
極限下の状況しか描かない日本の興行作品に問題があるのかな??
作者からの返信
この記述には私も驚きました。
執刀した患者に夜通し付き添うというのは、現代では、いや、当時でも、珍しかったのではないかと思います。
日本の興行作品は、収入を第一に考えるでしょうから、観客の大多数が感情を動かされる場面を描こうとするのではないかと思います。
実際の軍医さんたちの活動は私も勉強不足でわからないのですが、祖父も全く根拠のない文章は書いていないと思うのです。
彼が責任感のある、誠実な職業人であったことだけは、生前の祖父から想像可能です。
ありがとうございました。