第4節

港町キランドル

氷山を下り、凍てつく風の吹き荒ぶ世界を離れてから数日。

一行は南西へと歩を進めていた。


連なる山並みを抜けるうちに、白銀に閉ざされていた大地は、いつの間にかその色を変えはじめていた。

遠くの地平線には茶色い土が覗き、ところどころに雪解けの水が細い筋となって流れ落ちている。


「あったかいね」


セレが太陽を見上げて呟く。

その頬を撫でる風は、やわらかい春の息吹を帯びていた。

厚手の外套も、もう必要なかった。


丘を越えるたび、大地を覆う雪の割合が減っていく。

草の芽が顔を出し、斜面の端では名もない小さな花が咲いていた。

雪を割るように伸びたその花びらは、光を受けて淡く揺れている。


「北の大陸は雪と氷ばっかだと思ってたけどよ、こんなところにも花が咲くんだな」


キースが花を見ながら言うと、ディーンは静かに頷いた。


「氷山を挟んで東側は極寒だが、今の時期の西側は寒さが和らぐからな」


空の色も変わっていた。

今までの鈍い灰色ではなく、透き通るような淡い青が広がっていた。


やがて、遠くに青い海と町が見えてきた。

陽の光にきらめく港町キランドル。


潮の香りが風に混じり、どこか懐かしい潮騒の音が耳をくすぐる。

港には多くの船が停泊し、船乗りや商人たちの声が行き交っている。


「ずいぶんと活気があるわね」


「西の大陸の王都、シューメランとの交易の拠点だからな」


エレンの呟きにディーンが答えた。

通りでは旅人や観光客が行き交い、露店には春の果実や海の幸が並ぶ。

柔らかな陽射しが石畳を照らし、人々の笑い声が町を満たしていた。


「そういや、シューメランではちょうど今頃、“花まつり”の時期だな」


キースがふと思い出したように言った。


「花まつり?」


セレが首をかしげる。


「西の王都シューメランで毎年開かれる祭りさ。

花の精霊と契約した初代王を讃えるんだとよ。

街中が花で埋め尽くされるのを見ようと観光客が押し寄せるから、この時期は玄関口のキランドルも賑わうんだ」


「みんな向こうへ渡るために集まってるのね」


エレンが小さく笑った。


厳しい寒さのあとに訪れた、穏やかな陽気と人のざわめき。

ティアを失った痛みはまだ胸の奥に残っている。

けれど、その痛みをやさしく溶かしてくれるような春の光が、この町を包んでいた。



「緊急事態よ」


柔らかな光が差し込む宿の一室に、エレンの低い声が落ちた。

突然走った緊張感に、セレ、キース、ディーンが一斉にそちらを向く。


「お金が尽きたわ」


「……え?」


「ほら、見て」


エレンは革袋をひっくり返して振ったが、中身は空っぽ。

今日の宿代を支払ったところで、商人たちから持たせてもらったお金が底をついたのだった。


「ええええっ!?」


「マジかよ、どうすんだ?」


慌てるセレとキースを前に、エレンは大きくため息を吐いた。


「このままじゃ食事にもありつけないし、西の大陸に渡る船にも乗れないってことよ」


宿も今夜の一泊のみ。

麓の町からキランドルへ来るまでに、持っていた保存食も尽きてしまった。


「……なぜもっと早く気が付かなかった?」


ディーンが静かに問う。

エレンが胸の前で腕を組み、セレを一瞥した。


「氷山の麓の町でセレにお使いを頼んだら、かなりの額を使っちゃったのよね……」


「うう……ごめん……」


うなだれるセレの肩を、キースが笑いながら小突く。


「使っちまったもんはしょうがねぇだろ。しっかしこいつ、金銭感覚ねぇんだな」


「キース、あんたも人のこと言えないわよ? “肉食いてえ”って、肉に金貨を何枚使ったか覚えてる? ねぇ、忘れたとは言わせないわよ」


「……すみません」


蚊の鳴くような声。

青筋を立てるエレンに返す言葉もなく、キースもセレに倣ってうなだれる。

その中で、エレンがテーブルを叩いた。


「とにかく、お金を稼がないと!」


「でも、どうやって?」


「それを今から探しに行くんでしょう!」


「あーあ、その辺にフォーダムたちいねぇかな。金貸してくれって言えばすぐ貸してくれそうじゃねぇか」


「あんたは! そうやってまた楽しようとして!!」


「違う違う。要領がいいって言ってくれよな」


ぎゃあぎゃあと騒ぐ仲間たちを呆れたように見やり、ディーンがそっと額を押さえる。


――頭が痛い。


フードの下で静かにため息を吐いたが、誰にも気付かれることはなかった。


仕事を探す一行は、宿の入り口近くの壁に貼ってある求人の紙に目を落とす。


「おっ、あったぜ。えーっと……どれどれ」


端から順に見て行くと、依頼の内容は様々だった。


『傭兵募集! キランドル北部の湖に住み着いた魔物を退治してください』


『薬の調合を手伝って欲しいです。薬草の知識のある方、歓迎します』


『幻の金尾狐の狩猟をお願いします。一頭につき金貨十枚お支払いします』


『急募! アーデンまで荷物を運ぶ仕事です。荷の数により報酬額の変動あり』


などなど、いくつもの求人が折り重なるように張り出されていた。

日数のかかる依頼を受けている余裕はない。

今日、食事にありつけるかどうかは、選ぶ仕事にかかっているのだ。


「金貨十枚あればしばらく過ごせるわね。でも……金尾狐って、なに?」


張り紙を見ながらエレンが呟くと、カウンターの奥から宿の主人が出てきた。


「金尾狐ってのは、この地方にしか住んでいない美しい金色の毛皮を持つ狐のことだ」


主人の話によると、その毛皮で作られた帽子や襟巻きは、貴族たちに大人気だという。

しかし、金尾狐は生息数が少ない上に、狩猟の難しさゆえに幻とも言われている。

東の平原に生息しているが、非常に臆病なため、すぐに逃げられてしまうのだと。


「どうだい? やってみるかい?」


「そんな難しそうなの無理よ。確実に稼げるものがいいの」


エレンが苦笑する隣で、キースが張り紙のひとつを指差した。


「んじゃ俺、湖の魔物退治してくるわ。セレも行こうぜ」


「うん! わかった!」


「じゃあ、あたしは薬の調合でもしようかしら。薬草の知識はあるもの。ディーンはどうする?」


「……俺も薬草の知識ならある」


「なら決まりね。みんなで稼いできましょう!」


宿の主人に依頼を受ける旨を伝え、キースとセレは魔物退治に、エレンとディーンは薬の調合の手伝いに行くことになった。

宿を出ると、太陽が南の空に高く昇っていた。


「よし、セレ! どっちが先に魔物を倒せるか勝負しようぜ!」


「うん! 負けないよ!」


「エレン、また後でな!」


キースは片手を上げ、歯を見せて笑ってみせた。

そのままふたりは意気揚々と、湖のある方向へと歩いていく。

その背を見送り、エレンが後ろを振り返る。


「さて、あたしたちも行きましょう……って、あれ?」


つい先ほどまで、後ろにいたはずのディーンの姿が消えていた。

辺りを見回すがどこにもいない。


「先に行ったのかしら?」


無愛想なのは知っていたが、まさか黙っていなくなるとは。

エレンはひとりで指定された場所に向かった。


薬草の匂いが漂う小さな家。

扉を空けると、眼鏡をかけた小柄な女性が出迎えてくれた。

部屋の奥に通されると、大きなテーブルの上には何種類もの薬草や器材が所狭しと並んでいる。

しかし、そこにもディーンの姿はなかった。


「まさか、サボったんじゃ……!?」


思わず本音が漏れる。


「どうしましたか?」


「あ、いえ、なんでも」


エレンが椅子に座ったところで、女性がテーブルの上の薬草を両手に取った。


「早速ですが、これとこれと調合してくれますか? この薬草は煮出して小瓶に移してください。こっちはすり鉢で細かくして小分けにして、それとあれは……」


「ちょっと待って! もう一回ゆっくり!」


細かい指示が飛び、そこからエレンの仕事が始まった。


薬草をすり鉢で細かくし、調合したものを煮出し、その液体を小瓶に入れる。

鼻をくすぐる薬草の匂い。

過去にセレスがしていたのを、すぐ近くで見ていたから要領はわかる。

煮出す時間も、薬草の配合の比率も。

懐かしさが胸に込み上げ、エレンは言われるまま仕事に没頭した。


「お疲れさまです。おかげで助かりました」


仕事が終わったのは、夕日が海に沈もうとする頃だった。

エレンは椅子に座ったまま、大きく伸びをした。

目の前の箱には、完成した薬の小瓶が隙間なく並べられている。

達成感が胸を満たした。


「これ、今日の分です。もしよかったら明日も来てください」


「ありがとう」


依頼主から報酬を受け取り、エレンは宿に戻った。

入り口を抜けると、そこにはセレとキースの姿があった。

しかし、その表情はどこか浮かない。


「お疲れさま。魔物は退治できた?」


「できたはできたんだけどよ……」


キースが返事をするが、歯切れが悪い。

セレはずっと俯いたままだ。


「どうしたの? 何かあった?」


「……ごめんね、エレン。お金、あげちゃったんだ」


セレによると、魔物退治を終えて報酬をもらった帰り道、お腹を空かせた子どもたちに会ったという。

その子たちは孤児で、もう何日も食べていないのだと。

それを聞いたセレはかわいそうに思い、持っていたお金をすべて渡してしまったのだ。


「……ごめんね、怒ってる?」


セレはしゅんと肩を落とし、エレンの顔を見れずにいる。

お金がないから仕事をしに行ったのに。

それなのに、大事なお金を渡してしまった。


エレンはそんなセレを見て、ひとつ息を吐く。

そのまま腕を伸ばし、くしゃっと髪を撫でた。


「それじゃあ怒れないわよ」


「こいつってお人好しだよな。まぁ、そもそも大した額でもなかったし、いいか」


キースがにっと笑った。

セレもつられて、ほっとしたように笑みを浮かべる。


「そうだ。どれくらい貰えたのかしら」


思い出したように、エレンが受け取った報酬の袋を取り出す。

袋を手のひらに空けると、ちゃり、と硬貨が飛び出した。

銀貨が四枚。


「……今夜はずいぶん質素な夕食になりそうね」


「え? 肉は? 酒は?」


「ないわよ。パンと野菜だけね」


「嘘だろ……腹減って死にそう」


キースの腹が鳴ったそのとき、宿の入り口が開き、チリンと鈴が鳴った。

フードを深くかぶった、黒いローブ姿の人物が入ってくる。


「ディーン! どこ行ってたのよ……って、それ何?」


エレンの声が徐々に小さくなる。

ディーンの手には大きな麻袋が握られていた。

そのまま何も言わず、袋をエレンに差し出す。


「え? なに……?」


袋を受け取ると、ずしりと重さがある。

床に袋を置いて口を開けると、中から出てきたのは黄金色の毛を持つ狐だった。

しかも、三頭も。


「まさか……金尾狐!?」


宿の主人が驚いた様子で駆け寄ってきた。

確認するように手に取り、しばらくじっと見つめる。

やがて、その毛並みを撫で付けると顔を上げた。


「金尾狐で間違いない。しかもこの大きさなら、一頭で金貨十枚以上の値が付くだろう……」


ごくり、と喉が鳴る。


「なんだって!?」


「ディーン、あなた、一体どうやって……?」


その場にいる全員が驚きに目を見開き、ディーンを見つめた。

普段と変わらない姿。

服が汚れていることもなく、とても狩りをしてきたようには見えない。


「……俺の分は稼いだ。余計な詮索はしないで欲しい」


静かに言い残すと廊下の奥へと去って行く。

その背中を見つめながら、誰もが身動きできなかった。

正直、聞きたいことはあった。

幻と言われる金尾狐を、どうやって手に入れたのか。

しかもこの短時間で、三頭も。


「ディーンって何者なの……?」


エレンの呟きに、キースがあっけらかんと笑う。


「まぁいいじゃねぇか。あいつがいなかったら、俺たち旅してらんねぇよ」


「キースは気にならないの?」


「俺も気になるけどよ、詮索すんなって言われたしな」


ディーンのおかげで旅を続ける十分な資金はできた。

ここは、彼の言う通りにそっとしておいたほうがいいのかもしれない。


モヤモヤする気持ちはあったが、エレンは言葉を飲み込んだ。

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