第9話 侯爵領の町
次の日の朝、目が覚めると体が今までになく軽かった。
(人ってこんなに眠れるものなんだ……)
朝の光が今までにないくらい眩しくて、窓の外からは町のざわめきが聞こえる。
王都で聞いたこともない、弾んだその空気は、私の心まで躍らせる。
私は、ベッドの上から周囲を見渡す。翡翠の調度品で揃えられた部屋――夢じゃない。
「おはよう、よく眠れたか?」
アウレリオ様が部屋に入ってくる。私は急に心臓の鼓動が忙しなくなり「はい……」と消え入るような声で答えた。
彼の顔がふっと安堵したように表情がほどけ、そして私に声をかける。
「それならよかった。今、エルミラに服を用意させている。着替えて朝食をすませたら、町へ案内する」
「楽しみにしています」
私も柔らかい声で答える。
彼と入れ違うように、エルミラが入ってきた。
「おはようございます! 昨日はよく眠れましたか? こちらは新しいドレスです。せっかくのお披露目なので一番いいものをってご主人様が仰ってましたよ!」
ニコッと太陽のように笑うエルミラ。窓の光が彼女の黒い髪をより輝かせて見える。
彼女が広げて見せてくれたドレスは、翡翠色に琥珀色のレースがアクセントとしてあしらわれている。
――!
(いや、そういう意味じゃ、ないよね。お互いの色を入れるなんて……!)
彼の瞳の色に私の瞳の色……頭の中がいっぱいになり、一瞬で顔が熱を持った。
衣装に身を包んだ私は、食堂へ向かい、椅子に腰を下ろす。
「やはりその色にして正解だった。よく似合っているよ、アリーチェ」
私のその姿に、アウレリオ様が微笑む。
朝食は温かいスープに、パン。侯爵領で収穫されたという食材がふんだんに使われているというそれは、私の心までも溶かしていく。
毎日作っていたからわかる。これは本当にいい食材と、温かな心でできていると。
温かい食事、新しいドレスに、よく眠れる生活。本当に久しぶりだ。
お祖母様が亡くなるまで――お父様が、病に倒れられる前は、当たり前だと思っていたけれど、違った。
お父様が倒れ、母が実質家のことを取り仕切るようになると、私への扱いが変わった。
食事は使用人と同じ部屋、サラや料理長が食べ物を分けてくれたこともある。
あの家からは私の持ち物は、次々と売られていった。お父様の治療費の足しとして、母が売った。
――いや、あの家のことは忘れよう。
私は首を振る。
町へ行くと、ひとりの小さな少女が近寄ってきて、私の目をじーっと見る。
思わずいつもの癖で目を逸らしそうになったその時、彼女は元気いっぱいに言った。
「きれいな目! ほうせきみたいにキラキラしてる!」
――きれいな、目。
そんな事、王都では言われたことがない。
「……ありがとう」
小さな声で答える私に、少女は眩しい笑みを見せた。
そのやりとりを見て、ちらりと振り向くと、横でアウレリオ様とエルミラが微笑んでいる。
「次は
アウレリオ様が、通りの向かいにある店へ目を向ける。
「いらっしゃいませ、領主様。――そちらは奥方様ですね。ようこそ!」
店主の男性が微笑んで出迎えてくれ、奥の半分個室のように仕切られた座席へ通される。
香ばしい香りに、ピアノの音だろうか。軽快でかつ落ち着く音楽が流れる店内。
木彫りでできた調度品が、店内を飾る。
店内を見渡している私の視線の隅で、アウレリオ様が驚きと安堵の入り混じった表情で私を見ていた。
店主の男性に差し出された
ほろ苦い……しかし、ふわっと広がるほんのりとした果汁のような甘さが広がる。
店内の人々も、王都とは違う服装をしている。見慣れない格好でも、それを隠すことはしていない。
「美味しい……こんな雰囲気も初めてです」
思わず私の口からこぼれた言葉に、アウレリオ様とエルミラはふっと笑う。
「だから言ったじゃないですか、この町では隠れる必要なんて、ないんですよ」
「エルミラの言うとおりだ。アリーチェ。だから堂々としていればいい」
この町に来て二日目。私の世界はあっという間にひっくり返されていく。
それがとても、あたたかい。
「領主様……と、奥方様か? ――宝石のような方じゃないか」
「花のように笑っておられる。領主様もよいお相手が見つかって、本当によかった」
街の人々がそう囁く声に、私は目の前が少し歪む。
この町の人は、私の目を見て「忌まわしい」「おぞましい」とは言わない。むしろ褒められる。
目を見て話してくれる――初めてそれを経験した。
ひっくり返った世界に馴染むのは時間がかかりそう――私はどうしていいのか分からなくなる。
屋敷に戻っても、あたたかさに慣れず、動きが少しぎこちない私は部屋に戻りふぅ、と息をつく。
この町に来てから、今まで生きてきた王都とは全く違う世界に来たようで、慣れない。しかし、あたたかい。
「……アリーチェ、町は、気に入ってくれたか?」
アウレリオ様が心配そうに私の顔を覗き込む。私は安堵した声を落とす。
「はい、とても……」
彼は微笑み、私を優しく抱き寄せる。
「これから慣れていけばいい。この町にも、そして……私たちも」
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