第17章 エルヴィアの決意

 何が起きたのか。


 と考えるより先に、レイブは二度目の揺れでもんどり打った。

 息が詰まり、目の前が真っ暗になった彼の意識をつなぎ止めたのは、耳を聾する金属音だった。


 シルヴァリスが、何かと戦っているのだ。

 認識するより早く、フラフラになりながら起き上り、覚束ない足取りで元来た道を戻り始めた。


 思い当るのは、あの正体不明の骸装騎しかない。

 追ってきたのか? なぜ? 何者だ?


 疑問は轟音にかき消され、崩れ落ちる天井に潰されそうになりながら、やっとの思いで外に出たレイブが見たのは、城郭を自らの体で支えながら戦っているシルヴァリスの姿だった。


「エルヴィア!!」


 駆け寄ろうとするレイブの行く手を、巻き上がる砂塵が塞ぐ。

 シルヴァリスが頭上に剣をかざした。

 そこに見えない剣が激突。火花が散る。

 一合。二合。


 敵は先の戦闘で腕を斬り落とされたはずだが、それを感じさせない攻撃だった。


 せめて姿が見えれば。

 思うレイブは、しかしそれよりも崩れていく城に心をかき乱された。

 このままでは、あの部屋にあるエルヴィアの肖像画まで瓦礫に埋もれてしまう。


「エルヴィアーーー!!」


 レイブの叫びに、朧に浮かぶ敵の輪郭が動きを止めた。

 次の瞬間、殺気が旋風となり、砂塵を切り裂いてレイブに迫る。

 敵が標的をレイブに変えたのだ。


 斬撃が地面を穿つ寸前、光に包まれたレイブの身体が、シルヴァリス目がけて飛んだ。


 自分の意思か。エルヴィアが呼び寄せたのか。

 レイブに断定することはできなかった。

 ただ、これほどシルヴァリスに乗りたいと思ったこともなかった。


〈レイブ!〉


 神骸座に入った途端に響いてきたエルヴィアの思念は、今までにないほど嬉しさを伝え、レイブの気持ちに応えた。

 そこに、先ほどの肖像画のエルヴィアの姿が重なり、鮮明な像となってレイブの脳裏に現れた。


「エルヴィア!」


〈わたしを見てくれたか?〉


「見たよ。見てる。これが君なんだね」

 

 銀の鎧をまとった黒髪のエルヴィアが、レイブの中ではにかんだような、しかし誇らしげな笑顔を浮かべた。


〈うん。わたしだ〉


 二人の絆がより強固なものになったという実感がレイブの中に湧き上がる。

 感合石がまばゆく輝き、シルヴァリスの白銀の身体が内側から発光する。

 ただの光ではない。感覚の輪郭そのものが、研がれていく。

 

 絆と、境界と、怒り――幾つもの条件が重なって、、が開いた。


 その感覚を乗せ、翼が翻り、爆発的な推進力とともに上空へと舞い上がった。

 眼下には、すでに半ば以上崩壊し、土煙に覆われている城。


「このままじゃ、あの絵も……」


〈いいんだ。わたしの姿を知ってくれている人間が、たった一人でもいれば〉


 かろうじて残っていた城郭が突風に薙ぎ払われ、敵が翼を広げて追いすがって来たことを告げた時には、エルヴィアの表情は、過去を振り切るような決然としたものに変わっていた。


〈戻ろう、レイブ。おまえの世界に〉


「え!?」


 レイブはエルヴィアの顔を見つめた。エルヴィアの表情がかすかに歪む。


〈わたしは、もうここにはいられない〉


 レイブは言葉に詰まった。


 彼女の言うとおりだ。

 城は廃墟となり、父も、民もいない。

 今や彼女自身の姿を見ているのは、レイブだけなのだ。

 この世界では、彼女は異形の怪物でしかない。

 それで何をするというのか。

 かつての敵を片っ端から倒せても、それで何になる?


「だ、だけど、君のお父上は……」


〈いや、敵が父を放置しておくはずがない。恐らくもう……。

 生きていたとしても、今のわたしには、どうすることもできない〉


 断言するエルヴィアの声に、迷いはなかった。

 レイブも、覚悟を決めるしかなかった。


「わかった。エコースに帰ろう。僕らの世界に」


〈うん〉


「でも、どうやって? 何でここに来られたかもわからないのに」


〈思い出せ。あの時、山脈に生命力を吸い取られそうになって、おまえはどうした?〉


「どうしたって言われても、とにかく逃げなきゃと思って……」


 逃げ場所を求めて。

 その一心で、シルヴァリスの翼にすがったのだ。

 その翼で空を駆け、時を渡り、数多の世界を訪い……。


「……逃げ場所なんて、なかった」


 ポツリと呟くレイブだったが、いつものように自分を卑下している暇はなかった。

 地平線の向こうに、頂を雲に隠した禍々しい黒い影が見えてきた。


〈あれがこの世界の黒い山、死の塔だ〉


 と言うエルヴィアの言葉を待つまでもなかった。

 刺々しい山肌に、草木一本生えていない山麓。

 塔と呼ばれるだけあって、ゴツゴツと歪にうねりながら、空へと伸びている。

 まるでどこかから打ち込まれた槍のようだ。


 シルヴァリスはそこに一直線に突き進んでいる。

 嫌な予感ではなく、確定的な恐怖の悲鳴がレイブの口から迸った。


「エ、エ、エルヴィア!?」


〈落ち着け! いいかレイブ、あの時おまえは山から逃れようとして、シルヴァリスの力を引き出したんだ。

 同時にわたしは生まれ故郷を思い浮かべた。

 だから、今度は逆のことをすればいい。わたしがシルヴァリスを飛ばす。おまえは、おまえの故郷を強く念じろ!〉


 叫びながら、エルヴィアはわずかに後ろを振り返った。


 異世界の、太陽のある空と、戦火に焼かれた大地が、レイブの目にも映る。

 故郷の見納めか。

 それとも、追ってくる敵を見定めるためか。

 考える間はなかった。


「エルヴィア!」


 殺気を感じたレイブが、なぜ感じられたのかという疑問を抱く前に叫ぶのと、シルヴァリスが翼をひねって斜め下に急激な宙返りしたのは同時だった。

 次の瞬間、シルヴァリスの残像を何かが裂く。

 追って来た黒い骸装騎の斬撃だ。


 進行方向が逆になる代わりに、重力を利用して増速したシルヴァリスは、翼を打ってすかさず上昇に転じる。離脱しようとしているであろう見えない敵の予測位置に剣を振るう。

 空振り。だが。


「はっきりとはわかるわけじゃないけど……、でも、相手の気配を感じるよ!

 さっきよりずっと鮮明に!!」


 レイブの興奮した申告に、エルヴィアが嬉しそうな同意を示す。


〈わたしもだ。感覚が前よりも鋭くなっているみたいだ。これなら!!〉


 エルヴィアの闘志が燃え上がり、呼応してシルヴァリスが故郷の空に光輝の帯を描きながらさらに加速、捉えた気配の核心に突進する。


 シルヴァリスが放った斬撃は、視覚認識を凌駕して大気を斬り裂き、しかしそれを振るった二人に確かな手応えを残した。

 火花が散り、空間が歪む。

 見えなかった敵の姿が、空に浮かび上がる。

 漆黒の骸装騎。

 その白い美貌は憎悪に歪み、己に傷を負わせたシルヴァリスを睨みつけている。


〈あいつだ!〉


 初めて目にする敵に、レイブの目も釘付けになる。


 他の骸装騎と同じように美しく、シルヴァリスと同種の翼を広げ、しかし明確に違うのは、装甲の質感や動きが、まるで生きているように見えることだ。


 それを裏付けるように、たった今斬られた肩の装甲の隙間からは血が溢れ、風に紛れて赤い霧となっている。


 シルヴァリスに斬られた腕が元に戻っているところを見ると、大した傷ではないようだが、斬られたことがよほど頭に来たらしい。


「ま、まさか……」


 レイブが、信じられないものを見たように喘ぐ。


「あれは……、生神が、まだ生きて残っている……!? そんなことが……」


 レイブの疑問に答えるように、黒い骸装騎の怒りの表情が一変、愉悦に溢れる笑みを刻み、赤い唇が横に広がげると、手にした奇妙な形をした武器を構え直した。

 異様な剣だ。

 卵型の胴から刀身が二本、優雅な曲線を天に向かって描いている。

 胴から下に伸びているのは柄に見える。

 

 しかし黒い骸装騎は、その柄を握らずに、まるで楽器でも奏でようとするように、両腕でその武器を抱えていた。


 何かに似ている。

 奇妙な既視感は一瞬。


 黒い骸装騎の指が、二本の刀身の間を撫でるように素早く動く。

 そこに数本の光の糸が現れたのは、錯覚だったろうか。

 確かめる間もなく、鼓膜を切り裂くような高周波音とともに、不可視の衝撃波が放たれた。


 危険を察知したエルヴィアが、シルヴァリスの翼を打った。

 爆発的な加速で白銀の巨体が遷移した。にもかかわらず。


 レイブは身体に衝撃が走ったことで、攻撃を受けたことを理解した。

 その時にはすでに、シルヴァリスは全力の回避運動を始め、次々と放たれる、目に見えず、感知も難しい攻撃をかわすだけで精一杯になっていた。


〈これでは敵が見えても意味ないな! 近づけない!〉


 やけになったようなエルヴィアの思念に、レイブは痛みをこらえながら叫んだ。


「今はエコースに帰ることだけを考えよう。君が言ったことを実行して!」


〈いいのか?〉


 エルヴィアは驚いて、


〈ついさっきまで怖がっていたくせに〉


「そ、そうだね。今も怖いよ」


 レイブ自身もかすかに驚きながら、しかしハッキリと、


「こうなったらもう、覚悟を決めるしかないだろ!

 飛んでくれ、エルヴィア!!」


 その言葉に、エルヴィアは再び死の塔に進路を定めて翼を翻した。


 黒い骸装騎も追ってきたが、無視して全力飛行に移り、何とか引き離す。

 黒い岩肌が迫り、シルヴァリスの全身が震えた。


 身体中の細胞から強制的に生命力が奪われる感覚に襲われたレイブは、遠のきそうになる意識を必死に保つ。


「エルヴィア……!」


〈わかっている! 耐えろ!!〉


「これ以上は……」


 レイブが、無理だ、と続けようとした直前。

 シルヴァリスの翼が大きく羽ばたき、大気ではない何かを叩いた。

 同時に異郷の空は消え、視界が暗転。

 次の瞬間、レイブの目の前には予想外の光景が広がった。


 全天が、のっぺりとした灰白色に覆われた、奇妙な空間。

 無限の彼方まで続いているのか、ごく限られた空間に閉じ込められているのか、それすら判然としない、方向感覚を失う世界。


 何だ? どこだ? ここは?


 というレイブの驚きに、澱んでいた灰白色の闇がザワリと揺れた。


 均一だった色合いに陰影が生まれ、不規則に動き始めると、不意に何十何百という光の帯が閃き乱舞する。

 次から次へと閃光が弾けるたびに、その光の破片の中に垣間見える像が、さらにレイブを驚かせた。


 エルヴィアの故郷や、エコースと似て非なる様々な世界の風景が現れては消え、無秩序な羅列となって、壮大な万華鏡を作り上げている。


 幾千幾万と果てしなく続く異世界の眺望。

 光の泡に浮かぶ巨大な都市。

 空を飛ぶ鉄の船。

 燃え盛る太陽が三つある空。

 氷に覆われた大地――


 そして、そのすべての世界に、共通して見え隠れする黒い山の影に、レイブは自分がどこにいて何をしているのか忘れそうになるほどの衝撃を受けた。


「こ、これが、数多の世界……!? あの黒い山は一体……」


〈集中しろ!!〉


 エルヴィアの叱咤に我に返ったレイブが、慌てて故郷の空に聳えるランドマークを思い浮かべた瞬間。

 シルヴァリスの翼が翻り、ふたたび二人の視界は暗転した。

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