契翼への応援コメント
激しい嵐のような感情、しかしその中で冷静に分析する何かがあるような気がします。はっきりと着地させず、その続きが気になるようなラストも余韻があり、好きです。
作者からの返信
ありがとうございます。hikariさんの読解が凄くて、成文として、また今後の展開として、書き方として分析して下さっていて、表現形態としての評価を下さったの意外でした。この詩は、かなり上手く行っています。やはり詩のよさは生の感情のチルドにあるので、ここまで痛みを曝け出すとそれだけで美点が高くなると考えて書き、成功したとは思えていました。しかし意外だったのは、着地させないラスト、どちらかというと私が好まない詩の終わり方に続きを感じられるというよい点を見て頂いたことです。hikariさんの国語力に畏れ入っていますし、ここまでの高度な読解力で読んで頂けているとは感じたこともあったのですが、日本語の可能性を感じて内容以上に表現という見方をこの詩にされたhikariさんに感想を頂けているのが非常に頼もしく、楽しいです。感想がむしろ技アリで、感想に対して感想を付けていますが、これだから作家さんはステキなのです。ステキすぎてめまいが・・・はっきり着地させないことの可能性というのは本当に斬新なご指摘でした。個人的には「濁した」感じとか「濁った視線」であるとか、少し堕落気味の余韻でよくないと思ったんです。でもそれがかえってこの詩の内容に合ってる。先にも繋がっていく・・・本当、俺の方が驚きました。書いてよかったです。
声への応援コメント
「こうしても何も起こらない。
だから神はいない。」
「何も起こらない」に逆説的な意味が含まれているように感じられ、この二人の会話のやり取りが、読む者の心を引きつける深さがありました。
神はいないといいながら、救い、諦めない心がそこにあるように思えました。
作者からの返信
脚色は相当に薄く、随分前の記憶をそのままに想起しているような詩なのですが、これで詩になっているかというのは自分の中で苦しみがあります。登場人物の彼は神とは何かを知っているけど信じようとは思わない、という人なのかもしれないです。私は一方、そこに強い気持ちが日に日に向いていっている人間なので、想いが強いが故に道を踏み誤ってしまわないように注意しないと、本質を実は間違えやすいのかなと思ってこの詩を書いていました。俺は根本において神がいないと完全に否定している人というのはいないと思っていますし、極端なことをいうと天国地獄の地獄は必要ないと思っています。刑務所や精神病院がいい例ですが、存在理由はあっても、なければない方がいいものです。俺がやりたいことというのは、善人や正しい人を教えたり導くのではなく、この世で誰も相手にしない、興味も持たない、同情もしない悪人や見窄らしいと言われる人に善人と同じように花の飾りを付けて歩くような喜びの中に入ってもらうこと。悪人の中にあって、悪人のために苦しんで死んでいくのならそれは本望です。仏教では地蔵菩薩というと仰った方が居たのですが、少し違う。完全に天が見放すと決めた存在、例えば誰かが悪人に取り囲まれて、そこから逃げなければならないと正しい人に泣いて訴えているとします。俺はこの逃げなければならない正しい人も確かに逃げなければならないですが、取り囲んでいる悪人が裁かれるままの方が感覚として許せないのです。全ての人間は元は赤子です。真の悪人はいない。産まれた時に喜んで産まれてきた人間に、神を知らない人などはいない。だから、刑務所も精神病院も出来るならない方がいい。死刑制度はあってはいけない。天国地獄というものが死後にあるとすらなら、その地獄の一切を俺は否定します。そのために俺は文学を書きますし、全てそのつもりで生きます。救いようのない悪人に俺が出逢っていないだけだと、たまに言われることがありますが、それを言うなら、俺がこれまで出逢った中の最強の悪人は少なくとも命が助かる存在です。ならば、そこに向かい、一人でも多くの人を、死から命に至らせたい。俺の信念は強固なのですが、いかんせん、人を信じやすかったり、騙されてしまったり、自分が弱い人間であるのを考慮に入れないため暴走をしがちです。なので、神、という存在を、俺の認識にはないところから語って下さるいわば、俺ほどには神に親しめないと考えている人の冷静な一投は時に目を覚させる。そんな事を、この詩は友情として述べた形になっていると思います。読んで下さって、本当にありがとうございます。心が落ち着きます。長文、気をつけますね。
蹴っ飛ばした春への応援コメント
一見、相反する矛盾した言葉の流れの中から、何処か揺さぶりをかけてくるような痛快なリズムを感じます。
人間の誰しもが持つ、感情の昂り、高揚感などをそれが何によって起こるのかを、炸裂させるように表している詩だと思いました。
人間の本質的なものと、この詩に出てくるプラトニックで得られる快感は、相反するようで同じものだと伝えているような気がします。
作者からの返信
hikariさん!ありがとうございます……!!この詩は俺、「やってやった。」という感触があります。多分この性感覚は、世間に馴染みがある感覚でないため書けてうれしいです。俺は、性欲、特に男性の性欲というものを非常に嫌っていて、自分からそんなものなくなってしまえばいいといつも辛い気持ちがあります。ですが、俺が考える理想の性はプラトニックにあるので、その関係においては性は唯一美しくあれる。(極限を言えば、女性性のみでなら性は美しく在れるのかもしれない。)と思うからです。性欲というのは、キリスト教にしても、例えば仏教にしても、その道を行くならば必ず克服しなければならないもの。一方で、神父や牧師にしても、お坊さんや尼さんにしても、性欲を解決するのは非常に難しいらしく、苦しみ抜いて尚トラブルを起こして、そのせいで聖職者はどんなに日常が立派であっても一瞬で失職します。俺は、そのような仕事に就ける程のものがこの先あるか自信はないのですが、性というものを克服しようと思った時、どう「醜い男性性を捨て去るか。」と考えるようになっていきました。目をくり抜いてしまいたい程に男性性を憎んでいる俺だから書けた詩だと思っています。一方、女性からすると、女性性は清らかであるというのなんて、男性の幻想でしかないと考えるのかもしれません。でも俺はどんなドロドロした昼ドラの世界や、それこそ昼顔の話しであったとしても、女性は心で性を感じるのであって、眼や皮膚で感じているのではないという感覚がどうしても拭えないのです。俺は女性の性感覚そのものを追求したら、性転換をして、女性と同じ身体を自己に形成して、それでも叶うことがないどんなに果てまでいっても辿り着けない女性性を夢に眺て身体をボロボロにしていくことになってしまいます。だからせめて、プラトニックな性というのは、女性のそもそもの身体性だというところに接近して、自分自身も性についてはどこまでもプラトニックなのだから、女性の性とある程度同じだと思っても赦されるのではないか、そんな気持ちがあります。恐らくこれは、非常に幻想的で、女性からは反感を買うか、目を覚ました方がいいという声を聴いてしまうかもしれない。けれど男性性を憎み、けれど性そのものには憧れ、むしろ女性の性を自分が身体でもって理解することに強く憧憬し、その結果プラトニックへの没入を深めている自分が、どうにかして自分の考えている自分の女性性を汚さぬままで、本来欲しているはずの人間的な性、男性の眼で見、皮膚で感じるような穢れたものではなく、心のみで通じ合う真に純粋な性というものに辿り着けないのだろうか、そんな苦しみに満ちて……いる……か自信のない俺の葛藤の末に生まれた、女性性="花"の詩だと思います。詩人は、性的なものをモチーフにして一躍世に名を踊り出すこともあれば、それを一切出さず清廉さをのみ追求していく潔白無実の詩人もいるでしょう。俺は詩については非常に欲張りなので、その裏表を併せ持った詩を書いてみたくなるのです。俺が今後どの程度、"性"を描くかはまだ考えていないのですが、単に"性"に憎しみや禁止を向けるのではなく、これなら、醜いと己を責めなくてもいいのではないか、自分の性と向き合い、受け入れて、安心して自分自身の"性"を受容出来るのではないか、そのような"性"に対する安心や罪悪感をどこか少しでも拭い去ることの出来る詩というのは、俺は本当に出来得る限り沢山、山のように書いてみたいのです。今回は、詩の感想に対して詩本文より長い解説を伏してしまいました。でもこれをどうしても、受け止めてもらいたいと思って、本当に苦しく苦しんで憂いで書いているような詩なので、一つの表現の形としてhikariさんが認めて下さっていることに心から感謝しています。受け止め、文学として考え、見て下さってることで心から救われる憶いでいます。心から本当にありがとうございます。
灯油管の精への応援コメント
いつも通りの日常を過ごしているのに、何か足りていないような、そんな空虚感が伝わってきます。
そのような空気の中で浮かぶ、あの子と言う存在が主人公にもたらす自由とは、聞くことなのではないかと私なりに感じました。
作者からの返信
hikariさんが考えてくれたことがきっと正しいです。この詩の主人公は会話において極端なところがあって、全て受け止めて傾聴に徹したり、逆に反って一から十まで頭の中にあるものを全て聴いてもらわないと安心を出来なかったりするのだと思います。自由にしてほしかった、というのは、自分を縛りつけているあらゆるしがらみからの解放かもしれないし、その子から自由になりたいという皮肉かもしれない。いっそ支配してほしいという身を委ねたい感情かもしれない。けれど、耳を傾ける、本当の意味で心の奥に触れようとして、ただ黙って受け止める。会話において人をもっとも癒すことの出来る営みは俺は「傾聴」にあると思います。自分がその姿勢をもう一度取り戻さなくてはなぁ……とhikariさんの感想を読んで改めて考えたりもしています。自由ってきっと、酷く単純にいうと苦しみが少なくて何かに守られている安心のことだと思います。子どもの安全基地ですね。親が居なくならないという安心の元での探査。どんな大人にもそれは未だに必要な安全で、常に提供し合って生活は成り立っている。ですから、「独り」というのは自由と程遠くてしがらみが多いのだなと俺は考えさせられました。いつも的確なご指摘ありがとうございます。
水分補給への応援コメント
痛みを伴うような感情が滲み出ているような作品でありますが、詩に出てくる血に熱情が表れているような気がします。
僕の血が〜の部分で、その血には温かさが宿っていて、花は水を吸ってもう少しだけ咲いていられる筈だから、という繋がりに
作者の諦めず前に進もうとする心が映し出されているように思え、光が見えたような気がしました。
作者からの返信
この詩は少し暗かったですよね。ただただ心の痛みを述べるような詩ですが、確かに最後のところで少し苦しみが弛緩したのを覚えています。詩集、何も読まずに頭の中だけで書いていくのは限界があるので、少し鍛錬しつつのゆっくり更新になると思います。一つ一つの詩に力を込めたいので……悪戯に書かないようにします。感想、本当にありがとうございます。
雪ノ日の憂鬱への応援コメント
言葉にするのが難しい、複雑で何処か甘い心がとてもキレイに上手に綴られており、惹き込まれました。
最後のリフレインが美しく響きます。
作者からの返信
この詩は自分の中でこの文体、書き口で果たして詩と呼べる形を保てているのかと非常に不安だったので、甘い心がよく描けてると読んで下さって、意識して書いていなかったリフレインが使われているという事を言って頂けて、書いて間違いじゃなかったと思えています。詩の文体を色々変えながらも一つのテーマというのをやり遂げたいと思っています。3つの題に一気に感想を下さって大変気持ちが救われました。本当に心が宥められて、書いていて辛かった気持ちが少し緩みました。頑張って続けていきます。
友情の恋花への応援コメント
遠くにいるものへの想いが、切なく伝わってきます。そして大切に想い続ける心が暖かいです。
作者からの返信
この詩は、詩集の最初にして答えを提示するような詩で、「僕はここにいるよ」がその答えなんです。決していなくなることはない、どんな時でも貴方を守りますという意志。それが、友情の恋花という黄色いジニアの花に顕れています。蕾にして、既にジニアという花は顕れているので、この詩集のテーマは、現実の友情です。現実の友情に対しての"恋花"というのを俺なりに綴っていくことになります。この愛情を成し遂げられるかどうかは、一重に俺の中に愛が本当にあるかにかかっています。俺は弱い人間なので、この荷を負うのが重すぎましたが、hikari🪶さんの感想を頂いて、やり切れるかもしれないという憶いでいます。今日はゆっくり寝られそうです。ありがとうございます。
花喰い花への応援コメント
今回も飛び交う言葉と感情の嵐に、ただただ圧倒され、何度も読み返したくなる作品です。でもラストがいつもよりソフトであり、キュートな締め方なので、おや?と思ってしまうような意外性も感じました。これもれんさんの技巧であり、魅力の一つなんですね。
作者からの返信
哀願しているはずの詩の最後の最後で、詩で述べられている存在より更に冷静な存在が一言発して去っていくような終わり方だと、言って頂けて気がつきました。人の中には色々な面があり、特に私はその分化が顕著なためこのようなことが起こります。この詩は花の詩をよく書かれる女性の詩人さんに褒めて頂けて、ほんの少し自信が持てた詩です。益々言語そのものの追求に精進したいと感ぜさせられます。