漁をされていたのは、私だった。への応援コメント
コメント失礼します。
異国での出来事ながらも〝今も何かの手のひらの上〟にあるかも知れないと思えるぞわぞわとした狂気の隙間を垣間見た面白い作品でした。
でも、蛸は美味しい内に食べちゃいましょう(?)
作者からの返信
コメントありがとうございます。励みになります。
自然の静かな脅威や無慈悲さは、案外身近にあるような気がします。そこに知性や悪意が加わったら……たまたま海の近くを通りかかったときに、ふと思いつきました。
それでも、やはり、私は海もタコも好きですがw
漁をされていたのは、私だった。への応援コメント
自分が想像もしなかった新たな視点でとても面白かったです。狩られる側は蛸ではなく自分であった所にとてもゾワッとしました。
もしかしたら自分達もどこかでは狩られる立場なのかもしれないと思いました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
人間はレジャーのつもりで気軽に自然に触れますが、何かを忘れていないか? そういった疑問から書いてみました。
楽しんでいただけたのでしたら、幸いです。
漁をされていたのは、私だった。への応援コメント
高野雅人さま
こんにちは。
蛸は賢そうですよね。実際、思いのほか高い知能も有しているそうですし。巨大な蛸ともなれば、通常の蛸よりも長生きなはず。つまりより長く生きてきた間に蓄えた知識や経験で、さらに賢くなっているはず。
蛸に品定めされ、(そのときは?)見逃された「私」は学ぶべきことを学んだのでしょうか? もう一度当地を訪れたら、今度は取り込むのに足る人間だと判断されるかもしれませんね。
作者からの返信
こんにちは。コメントありがとうございます!
蛸は賢い生き物ですし、その知性に「人間には測りきれないもの」を感じていただけたのなら、とても嬉しいです。巨大で長命な存在であればあるほど、そこに蓄積される知識や経験もまた、人間とは異なる形で深まっていくのかもしれませんね。
ご指摘の「品定めされ、見逃された私」が何を学んだのか、という点もまさに意識していた部分です。作中では断定していませんが、あの体験は単なる恐怖ではなく、「自分たちが世界を理解していると思うこと」そのものを揺さぶる出来事として描いたつもりです。
この話は、私なりの『クトゥルフの呼び声』の再解釈でもあります。巨大な怪物が襲ってくる、というより、人間の理解の外側にある知性や生態系が、静かにそこに存在していること自体が恐ろしい、という方向で考えました。
同時に、自然の驚異は思わぬところに潜んでいる、という暗喩も込めています。私たちが見慣れた海や渦潮も、見方が変わればまったく別の相貌を見せるのではないか、と。
なので、もし「私」が再びあの土地を訪れたなら、今度は以前とは違う意味で「見られる」のかもしれませんね。
とても機知に富んだご感想をありがとうございました。