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  • 実際、これ答えるの難しいですよね。私も正直、納得いく答えを他人に提示できる自信がありません。もしあるとしたら……『生きたくても生きれない人もたくさんいるのに、命無駄にすんじゃねえよ!!』かな。

    「そんなの俺に関係ねえ!! 辛いの我慢するの、代行してくれんのかよ!!」って返ってくるでしょうけどね。食べ物無駄にするな理論に似てるかもです、現実にはたくさんの食べれる食べ物が廃棄されていますが。

    生きたくても病気だの事故だの殺人だので、命を絶たれる人っているじゃないですか。それを考えると、生きれる人が命を自ら断つのって腹が立つのかも。自己満と言えば自己満ですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    僕は思うんです。生きたいと思うことがあるなら死にたいと思うこともあっていいと。
    生きることが絶対的に正しいことは法的にも生物学的にも倫理的にも認識しています。

    だからたぶん僕のこの問いは数学的なものなのだろうと思います。
    ある種、AIに近いとすら思います。

    僕はただ、この世界に絶対的に正しいことや概念は無いと思っているのです。

    僕は他人に無責任に「生きろ」と言えません。その人の人生の責任を背負うことができないからです。
    その逆の意味でも、同じく責任は取れません。
    僕が責任を取れる、取りたいと思う人はきっと限られてきますから。

    たぶん普通の人の物差しは、0からプラスの価値観なのだろうと思います。だから「人生のどん底」というのは0なのです。

    ですが、僕にとっての人生の物差しはマイナスもプラスも0もあって、だから無駄に考えては無駄に苦しむのだろうと考えています。

    僕にとって「生きたくても生きられない」のと「死にたくても死ねない」はベクトルこそ真反対ですけど、同じものに見えるし感じます。

    物質と反物質みたいな話です。

    でもこれも結局は僕の自己満足でしかない苦悩? です。
    世界は結局自己満足で出来ている。
    そう思います。
    自分が何をどう感じて生きるのかの話でしかない。

    こんな無駄に長いwebのエッセイを最後まで読んで、考えて、コメントをしてくださってありがとうございます。
    ここグラさんは僕の作品を何作品も読んでくれているからこそ、このエッセイすら読んでくれたのだろうと思います。

    僕はとても感謝しています。
    このエッセイがここグラさんの人生において意味があることを願っています。
    ありがとうございました。