第七話 最初の点検巡回

施設管理官としての仕事が、本格的に軌道に乗り始めた。


 毎朝五時に起床。


 簡単な朝食を取り、六時には防災センター——この世界では「管理詰所」と呼ばれている——に出勤する。


 夜勤の警備員から引き継ぎを受け、前夜の記録を確認する。


 異常なし、が基本だ。


 だが、時々、小さなトラブルの報告がある。


 「北側城壁付近で、異臭がした」


 「東区画の水路で、流量が減っている気がする」


 「魔導炉の音が、いつもと違う気がする」


 気がする。


 その「気がする」が、大事なのだ。


 桐生は、そうした報告を決して軽視しなかった。


 報告した者の話を丁寧に聞き、現場を確認し、原因を突き止める。


 たいていは、些細なことだ。


 ゴミが詰まっていた。小動物が配管に入り込んでいた。魔導炉の消耗部品が少し緩んでいた。


 だが、それを放置すれば、大きな問題に発展する可能性がある。


 小さな異常を見逃さない。


 それが、施設管理の基本だ。


 そして、午前七時——。


 点検巡回が始まる。


 桐生は、点検表を片手に、都市のあちこちを歩き回る。


 最初は一人だった。


 だが、今は違う。


 ハインリッヒを筆頭に、技術者たちが同行する。


 彼らは、桐生のやり方を学ぼうとしていた。


「キリュウ殿、ここは何を確認するのですか」


 若い技術者が尋ねる。


「この継ぎ目を見ろ」


 桐生は、水道管の接合部を指差した。


「少し、滲んでいるだろう。水が漏れている証拠だ」


「これくらいなら、大丈夫では……」


「今は、な。だが、放置すれば、亀裂が広がる。広がれば、いずれ破裂する。破裂すれば、断水だ」


 桐生は、点検表に記録をつけた。


「今のうちに、補修材で塞いでおく。一時間の作業で、将来の三日間の断水を防げる。どちらが効率的だ」


「……なるほど」


 若い技術者は、目を輝かせて頷いた。


 そうやって、一つ一つ、技術を伝えていく。


 桐生だけでは、この都市は守れない。


 仲間を育てなければならない。


 自分がいなくなっても、仕事が回るようにしなければならない。


 午前中は、設備の点検。


 午後は、修繕作業の監督。


 夕方は、報告書の作成。


 夜は、翌日の計画の確認。


 毎日が、そんなサイクルで過ぎていく。


 地味な仕事だ。


 派手なことは、何もない。


 だが、桐生は満足していた。


 少しずつ、都市の状態が改善している。


 それが、目に見える。


 住民たちの表情も、明るくなっている。


 水が美味しくなった、と言う者がいる。


 道が歩きやすくなった、と言う者がいる。


 城壁が頼もしくなった、と言う者がいる。


 小さな変化だ。


 だが、それが積み重なって、大きな変化になる。


 ある日の午後——。


 桐生は、城の中庭で、ガルドと話をしていた。


「警備隊の巡回ルート、見直しました」


 ガルドは、地図を広げながら言った。


「キリュウ殿の提案通り、死角をなくすように再設計しました」


「ああ、見せてくれ」


 桐生は、地図を覗き込んだ。


 赤い線が、城内と城下町を縦横に走っている。


 巡回ルートだ。


 以前は、効率重視で、同じ場所を何度も通る無駄があった。


 今は、すべての場所を一度だけ通る、効率的なルートになっている。


「いい感じだ。これなら、見落としがない」


「ありがとうございます。実は、部下たちからも好評でして」


「そうか」


「以前は、『また同じ場所か』という不満があったのです。今は、常に新しい場所を回るので、緊張感が維持できると」


 桐生は、頷いた。


 人間は、同じことを繰り返すと、注意力が散漫になる。


 適度な変化が、集中力を保つコツだ。


「ところで、キリュウ殿」


 ガルドが、少し声を潜めた。


「一つ、報告があります」


「何だ」


「最近、城下町で、見慣れない者を見かけます」


 桐生の目が、鋭くなった。


「詳しく聞かせてくれ」


「商人風の男が、数名。この一週間で、何度か目撃されています。地元の者ではありません。どこから来たのか、何をしているのか、分かりません」


「帝国からか」


「可能性はあります。ですが、証拠はありません」


 桐生は、考え込んだ。


 先日の視察団のことを思い出す。


 ヴェルナーは、王都の意向で来た。


 だが、その一行の中に、別の目的を持つ者がいなかったとは限らない。


 あるいは、視察団とは別に、帝国が送り込んだスパイがいるのかもしれない。


「監視を続けてくれ。ただし、気づかれないように」


「わかりました」


「もし、不審な動きがあれば、すぐに報告を」


「はい」


 ガルドが去った後、桐生は一人で考えていた。


 この都市は、帝国との国境に近い。


 戦略的に重要な場所だ。


 敵が、ここを狙っていても不思議ではない。


 設備の管理だけでは、この都市は守れない。


 政治や軍事にも、注意を払わなければならない。


 それは、桐生の専門外だ。


 だが、リーネを支えるためには、視野を広げる必要がある。


 自分にできることは、限られている。


 だが、できることを、精一杯やる。


 それが、今の桐生にできる全てだった。


 その夜——。


 桐生は、城壁の上から、西の空を眺めていた。


 スキルが、微かに反応している。


 都市の外から、何かが来る。


 まだ、遠い。


 まだ、ぼんやりとしか分からない。


 だが、確実に、近づいてきている。


 大きな「異常」が。


 桐生は、その方向を見つめた。


 西——ガルディア帝国の方向だ。


 嫌な予感が、ますます強くなっていた。

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