観測者

前日譚

何もない世界で、私は見ていた


何もない世界だった。


白く、境界も奥行きもなく、

上も下も分からない静かな空間。

そこに、私はいた。


最初は、見ることしかできなかった。

考えているのかどうかも分からない。

ただ、世界がそこにあり、私はそれを見ていた。


やがて、白い空間の中に

時々“何か”が現れるようになった。


人の形をしているようで、していない。

白く、輪郭が曖昧で、音も匂いもない存在。

近づいてくることも、何かをすることもない。

ただ、そこに立っている。


それを見ると、なぜか落ち着いた。

理由は分からないが、

危険なものではないと、そう感じた。


しばらくすると、景色が変わった。


落ち着いた雰囲気の場所。

どこか温かく、囲われている感じがする。

自分より少し大きな影と、

ずっと大きな影が、そばにいた。


彼らは毎日、少しずつ姿を変えていた。

声も、形も、距離も。


それが何なのか、

この時の私はまだ知らない。


ときどき、また白い世界に戻る。

あの白い存在も、時折そこにいる。

なぜそうなるのかは分からなかった。


やがて、それも見えなくなった。


理由は分からない。

ただ、気づけば

そこは“行かなくていい場所”になっていた。


時間が経ち、私は少しずつ理解し始めた。


あの三つの影は

「家族」と呼ばれるもの。

そして、白い空間は

「病院」と呼ばれる場所らしい。


私の世界には、少しずつ物が増えていった。


青い筒のようなもの。

空を浮かぶ何か。

何かを模した、もふもふした存在。


世界は、増え、そして消えた。


気づくと、何もない空間に戻っていることがある。

その前に何があったのかは、はっきり思い出せない。

けれど、確実に何かが変わっていることだけは分かった。


私は動ける。

いつから動けたのかは分からない。

最初からだった気もするし、

途中からだった気もする。


でも、それでいい気がした。


私はこの世界を観察している。


人のようなものが、たくさんいる。

彼らは特別なことをしない。

ただ、存在している。


それを見ているのが、

なぜか心地よかった。


私は、観測者。

この世界を見守る者。


争いもなく、変化もなく、

ただ時間だけが流れていく。


それでいい。

何も起こらないことこそが、正しい。


――そう、思っていた。


ある時、微かなノイズが走った。

世界に、異物が入り込んだ感覚。


排除しなければならない。

世界を乱すものは、排除するべきだ。


そう思った――はずなのに。


「私はーーー。世界を動かしに来た」


異物は、言葉を発した。


その瞬間、私は気づく。

排除しようとする自分と、

止めようとする自分がいることに。


そして、思い出してしまった。


私は、観測者。

同時に――

この世界を生んだ存在であることを。


意識が、ゆっくりと遠のいていく。

もうすぐ、目覚めの時が来る。


私は咄嗟に、

自分のほんの一部を切り離した。

世界を守るために。


そのまま、深い眠りへと落ちていった。


そして――

その記憶は、再び深い場所へ沈められた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る