序章Ⅱ初見殺しの穴
距離が詰められない。一歩踏み出すたび、足元の石床がわずかに軋む。
湿気を含んだ空気が重く、鼻の奥にカビと埃の混じった臭いがこびりついていた。
動きを止めると、何かが飛んでくる。
しかし接近も危険だ。
相手の能力の発動場所は、これまでの動きを見ていると三メートル前後の任意の地点。
崩れかけた石柱の陰、壁に穿たれた小さな窪み、倒れた石材の裏側。
身を隠せそうな場所はいくつもあるが、完全な死角は存在しない。
飛んでくる石や炎は何とか躱してきた。
だが不意に、たとえば――顔面で炎が発生したら。
避ける手立ては思いつかない。こっちの武器の射程はいいとこ六メートルだ。
三メートル以上、六メートル以内。
隙間を縫うようなこの距離なら、こちらの攻撃も当たるかもしれない。
それでも、かもしれない、だ。
魔法というのは、こんなにも厄介なものなのか。
相手は年端もいかない少女。少女は、半壊した回廊の中央に立っていた。
天井の高い石造建築の中で、彼女だけが淡く光を受けている。
背後から差し込む外光が影を長く引き、こちらからは表情が読み取りづらい。
影の境界線に立つような位置取りだった。
重量のあるピッケルは早々にぶん投げたが躱された。これまで何度も窮地を救ってくれた唐辛子砂も、棒手裏剣も、風に押し返されて意味をなさない。
最初からずっとそばで支えてくれた短剣も、届かない。
この女の子は強い。正直、名前も覚えてないけど。
誰かが言った。この世界で手にした能力は一人一つ、平等に与えられる。
能力は使い方が全てで優劣はあまりない。それは間違いない。相性の問題だ。
そして、この相性最悪の敵に、寄りにもよって俺の能力は使えない。
「
少女は落ち着いた声で、しかし断定する冷たさを伴って言った。
その声音には、揺らぎが一切ない。少女の言葉に嘘はないだろう。
しかし、それを受け入れるわけにはいかない事情がある。
「見逃してくれってのは、虫の良い話なんだろうな」
少女は興味なさそうに答えた。
「はい。あまり意味のない問いですね」
その直後だ。
音も、光の前兆もなく、魔法が発動した。
何かが弾ける音も、呪文の詠唱もない。ただ“そこに突然現れる”。
反射的に身体を捻り、必死で躱す。
さっきまで無かったはずの熱が、空間に残滓のように漂っていた。
気づいたことがある。会話の間は、魔法が飛んでこない。
彼女は漫画やアニメのように気合を溜めたり、詠唱したり、魔法名を叫んだりしない。
様式美というものを知らないのか。
黙々と、正確に、無言で魔法を打ち込んでくる。
最近の若者はと言う言葉は古代エジプトから言われてきた人類の伝承だ。
俺も言わせてもらおう。
様式美を大切にしなさい。
相手が変身するなら黙って待ってやるのが紳士の道だ。
魔法少女だって変身の間に攻撃されたりしないじゃないか。
変身中にスナイパーライフルで頭を打ちぬかれて絶命する魔法少女。誰がみるんだそんなの。
いや…ちょっと面白いかもしれない。深夜アニメなら見てしまう。
しかし、待てよ、もしかして――
話している間は、魔法の発動ができないんじゃないか?
仮説でしかない。しかし、これに賭ける価値はあるだろう。
いや、素直に白状しよう。ほかに方法が思いつかない。
これが、か細い蜘蛛の糸だとしても、全力で縋り付くしかない。
頭脳派って、かっこいいよな。俺もそう呼ばれたかったものだが、現実は厳しい。
泥臭くても、分の悪い賭けでも、突破するしかない。
俺の最大にして唯一の武器、初見殺しは、この子には通用しない。
薔薇が咲かないのなら、生存戦略に全力を注ぐしかない。
やれることは、なんでもやる。卑怯でもかまわない。
それが、この世界での俺の生き方だ。とっておきを聞かせてやる。
「気になる彼の心が丸裸になる心理テストを、知りたくないか?」
――無言で、魔法が打ち込まれてきた。
必死で躱す。
ちくしょう。
年頃の女の子の興味は、ほとんどが恋愛話というのはガセネタだったか。
とにかく興味を引け。
あの子は、どんな子だった。
「太宰治の、誰も知らない秘密を教えてやろう」
また無言の魔法が飛んでくる。
これも、だめか。
おとなしくて真面目そうな子は漏れなく全員、太宰にかぶれているというのも、どうやらガセネタらしい。
真実とは、いったい何なんだ。
移動しながら思考を巡らす。ふと気づく、俺はもしかして思春期の女の子を理解不能な異物として考えていないだろうか。相手も人間。俺と同じような疑問をもっているかもしれない。
「俺はこの世界を旅してきた。魔物とは一体何か知っているのか」
よし、相手の足が止まった。感情を煽ってやる。
「そうだ、君らがさんざん殺してきた魔物たちがいったいどういう存在なのか。君の周りにいる人間は教えてくれないだろう。都合が悪いからな」
動きが無い。聞こうとしているな。なんとかなりそうだ。
俺は、まだ立っている。瑠璃を見つけるまでは、絶対に諦めない。
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