第9話 第9話:2000万の残骸と、実行されない「あと3分」

電話を切った後も、耳の奥にアイツの湿った声がこびりついている。

情報のウーバーイーツ。元同期。

かつて東○不動産で年収2000万を稼いでいたという、カビの生えた自慢話をタキシード代わりに着込んでいる男。

「俺は、言ったら絶対実行するからな!」

そのセリフを、僕はこれまでに4万回は聞いた。

だが、彼が実行したのは「僕の貴重な時間を、あと3分と言いながら2時間削り取る」という、時間泥棒のルーティーンだけだ。

2000万稼いでいた頃の彼は、今よりもっと「人間」に近い形をしていたのだろうか。今の僕には、受話器から漏れる彼の声が、**「腐ったステーキ肉が、地面で跳ねている音」**にしか聞こえない。

僕が現役で営業に回っている時も、アイツは平気で電話をかけてきた。

僕が数字という名の獲物を仕留めようとしている時、

「なぁ、部長の白髪が今日、一本だけ左に曲がってたんやけど(笑)」

という、砂利よりも価値のない情報をデリバリーしてくる。

あの時、僕は心の中で叫んでいた。

「金とるぞ。お前のその『あと3分』に、俺の時給の3倍の延滞金を乗せて請求してやる」

僕は冷蔵庫から、別荘暮らしをさせていたキャベツの佐藤を取り出した。

佐藤は冷えて、より一層、寡黙になっていた。

「佐藤。実行するっていうのは、口で言うことじゃない。こうやって、自分の身を固く閉ざして、誰にも文句を言わせない緑色の塊になることだ」

僕は、スマホをキッチンの隅に置いた。

画面には、情報のウーバーイーツから『今から大事なこと実行するわ!』というLINE。

どうせ、新しいカップラーメンの蓋を開けるとか、その程度の「実行」だろう。

40歳。無職。

年収2000万の過去を抱えて、今を生きられない男。

年収500万を求めて、五人の面接官の前で架空の寿司を握る男。

どちらが「まとも」なのかなんて、考えるだけ時間の無駄だ。

なぜなら、僕の脳内では今、くっきー!さんが描くような**「巨大な唇だけの妖精」**が、元同期の自慢話を一枚ずつ咀嚼して、紫色の煙に変えているからだ。

「よし、実行しよう」

僕は言った。

アイツのように口だけではない。

僕は、明日着ていく予定だった勝負スーツの裏地に、マジックで大きく**「ナスビ」**と書くことを、今、実行した。

これが、僕なりの「三割のプライド」を隠し持つための、密かな儀式だ。

夜が更けていく。

大阪の街のどこかで、2000万の残骸がまだ「あと3分」と呟いている。

僕は、レクサスの後部座席で眠る自分をイメージしながら、目を閉じた。

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