第九章 神々と人間の境界
ここで、一つ保留にしていた疑問を紐解くことにする。
――そもそも神はどうやって生まれたのか?――
これは、「鳥が先か卵が先か」というような、長らく論じられてきたことと同じであるが、今もなお解明されていないまま、明白な答えはわからないのである。
そうなると、私の考えとしては、「神が宇宙を創った」のか、どこかの「宇宙から神が生まれた」のか、ということなのだが、これに対しては、「どちらも可能性がある」ということである。
ある説では、「段階を踏んで神になる」とされているものがあるらしいからである……。
それなら、これもまた「では、その仕組みを設定した存在とはいったい何なのか」、「神以上の存在が存在するのか」という新たな疑問が浮かび上がってしまうのである。
なので、私は、私の仮則を元に、神々の存在がどうやって生まれたのかという疑問に対して、自ら答えを出すことに決めた。
それは、神が世界を創ることができるというわけではなく……。
――自分の世界を創った存在こそが、「創造主としての神」である――
これしかないだろう。
そして創造主とは、確固たる意志が重要であると考えている。
強い軸があってこそ、響く共鳴は調和すると考えているからである。
では、人間はどうなんだろうか。
――そもそもなぜ人間になったのだろうか?――
本質としての意思があって、人間になったのだろうか。
それとも、たまたま共鳴した結果として、人間になっただけなのだろうか。
この宇宙の仮則を元に考えると、こうなる。
もともと、どこかの神々の世界に人間として存在していた。
だが、その世界では、どこか本質的には共鳴してはいなかった。
……誰かの都合によって生み出された存在なのだとしたら、意思を持たされたので、当然である。
そして、その世界からの脱出方法を知らなかった。
または、方法がなかった。
だが、あるとき奇跡が起きた。
ビッグバンが発生したのだ。
そして、この宇宙が誕生するとき、共鳴した。
元の世界よりも、この世界に。
こう考えると、すべてが腑に落ちる。
すべて、「必然的な自然現象」だったのだと。
だから、この世界でも人間として意思を持った。
――意思を持っていたから人間となったのかもしれない。
そして、これらの仮則に辿り着いたのである。
すべてに意思があり、すべては共鳴によって存在している。
そして、避けては通れないことも存在する。
それは、やがて「身体」は終わりがある――ということである。……現時点では。
では、本質的な意思には終わりがあるのだろうか。
私の仮則によると、「終わりはない」ということになる。
もし、「意思」に制限があるのだとしたら、この宇宙は始まっていないからである。
となると、その意思はどうなるのだろうか。
ある意思は、元の世界へ戻るかもしれない。
ある意思は、この世界に留まるかもしれない。
ある意思は、他の世界へ行くかもしれない。
ある意思は、新しい世界を創るのかもしれない。
新しい世界の軸ができれば、そこに共鳴する意思が集まり、それが一つの世界となり、存在する――からである。
であるならば、私の意思はこうだ。
――この宇宙の向こう側に、新しい世界を創造する――
これ以外、ないだろう。
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