中編 ようこそ魔王城へ!
墓地のある森は外に出てみると意外に小さなものだ。
アイナは外に止めてあったサイドカーにメイド服のまま跨がると、ゴウを側車に乗せて軽快に野道を疾走していく。
「これってどこかの世界の人間の乗り物っすよね?」
「はい。仲間のひとりが、こういうのを集めているので、ときどき使わせてもらっているんです」
「なるほど……」
実際の季節は分かりようもないないが、穏やかな春の宵を連想させるのどかさだ。
緑豊かな大地を星明かりが照らし出し、日中とは比較にならないにしても、じゅうぶんに明るい。
湖の横を抜けていく長い道を美女とふたり風を切って走るのは、なかなかに気分の良いものだった。
丘をいくつか越えればやがて目指す城のシルエットが星空をバックに浮かび上がる。
窓に明かりがあるのはもちろんだが、何やらライトアップされているようで、まるでテーマパークのお城のように見えた。故郷ではあり得ない光景だが、ここは魔界だ。人間世界の常識など通用しないのだろう。
ただ、だからこそ剣と魔法の世界の出身者であるゴウにとってもファンタジックに感じられる。
セリオスを始め、ずっと苦楽をともにしてきた仲間たちにも見せてやりたいと、ごく自然に思っていた。
いつの間にか熱い滴りが頬を濡らしていることに気づくが止めることができない。
アイナはそれに気づいている様子だったが、あえて何も言おうとしないようだった。
ゴウにはそれがありがたい。このメイドは男の情を知っているのだ……などと、ちょっとズレたことを考えていたが、心遣いに感謝しているのは本当だ。
やがて城門が見えてくると、跳ね橋のすぐそばの壁にカラフルな壁画のようなものが見えてくる。
さすが魔界の城は一味違う――などと思ったのだが、よく見るとモップを手にした銀髪の少女が、脚立に乗って一生懸命にそれを消そうとしているようだった。
アイナはそのすぐそばにサイドカーを止めると、脚立の上の少女に呼びかける。
「メアリーさま、新入りを連れてまいりました」
ゴウは違和感を感じた。
確かメアリーというのは魔王の名前だったはずだが、もしこの少女がそれであるならば、どうして自らこのような面倒くさい作業に従事しているのだろうか。
不思議に思いながら眺めていると、メアリーと呼ばれた少女は、振り返って情けない表情を浮かべた。
「じゃあ、もうこれは消さなくてもいいか?」
「ダメですよ。ちゃんと綺麗にして、あのライトも撤去して下さい」
笑顔で告げるアイナ。敬語を使っているところを見ると相手の方が立場が上のようなのだが、突きつけられた言葉にメアリーはガックリとうなだれた。
「まったく……せっかく頑張って今流行りのキラキラにしたというのに」
「何をどうやれば一晩でこんなことができるのかはしりませんが、一晩でやったことなら一晩で片付けてください」
「ムチャを言うな。書くのと消すのとでは労力が違う。こういうのはサビーネにやらせたら全自動ですむのに」
「ダメですよ。自分がしでかしたことなんですから、自分で片づけて下さい」
「せめてライトアップは残さないか? コルテーゼも綺麗だって言ってたし」
メアリーの言葉を聞いてアイナは少しだけ黙考したようだった。
「分かりました、ではひとまずライトは消すだけでいいです。どうするかはあとでみんなと話し合いますので」
「その話し合いで魔王に発言権は?」
「ありません」
笑顔でピシャリと言われてうなだれるメアリー。
信じ難い話だが、やはり銀髪の少女はこの魔界の魔王のようだった。
ずいぶん立場の低い魔王もいたものである。
「まあ見てのとおりの状況だ。悪いが新入り、ひとまず城で待っていてくれ」
メアリーはゴウに告げると、再びモップで壁をこすり始める。
それを見てゴウは手を挙げながら発言した。
「オレも手伝います。手伝わせて欲しいっす」
「え……? マジで」
振り返って意外そうな顔をするメアリー。
ゴウは近くに予備のモップがあるのを見つけると、小走りに近寄って手に取った。獣染みた手ではあるが、人間の手と同じ働きが可能のようだ。
アイナは困ったような笑みを浮かべたもののダメとは言わず、やはり近くに転がっていた別の脚立を開いて壁にかけてくれた。
「すみませんね。美味しいものを用意しておきますので、疲れたら今日はそこで切り上げて入ってきて下さい。案内はメアリーさまがしてくれますので」
アイナの言葉を耳にしてメアリーがすかさず訊ねる。
「疲れた。もう切り上げてもいいか?」
「構いませんけど、明日はお一人でやることになるかもしれませんよ?」
「うぐっ……もう少し頑張るとしよう」
やり込められて掃除に戻るメアリー。
「では、頑張って下さいね」
アイナは爽やかな笑みを残してサイドカーで城の中へと入っていった。
それを横目で見送ると、ゴウは一心不乱に壁をこすり始める。
手伝いを申し出たのは魔王にごまをすろうとしたからではない。今は身体でも動かしていないとどうにかなりそうな気分だったからだ。
何も考えたくはない。
セリオスのことも、聖女のことも、自分が手にかけた仲間のことも。
それでも、どんなに考えまいとしても涙があとからあとが溢れ出て止められない。
メアリーもそんな彼の様子にはすぐに気づいたようだが、何も訊いては来なかった。
星の光が降りそそぐ静かな夜の世界にシュッシュッと壁をこするモップの音だけが響く。
「なんで記憶があるんすかね……」
いつの間にか愚痴がこぼれ始める。
「全部忘れさせてくれたなら、いっそ……」
返事は期待していなかった。そもそも相手は魔王だ。不用意に話しかけて良いものかどうかも分からない。
もちろん、ここまでの感じではひどいことにはなりそうになかったが。
「それについては世界の摂理だとしか言いようがないが、お前が望むならば記憶を消すのは簡単だ」
意外なことにメアリーは言葉を返してきた。
せっせと壁の落書きを消しながら、視線を向けてくることなく続ける。
「けど、本当に忘れていいことなら、そんな熱い涙は流さないだろう。何があったのかは知らんが、お前の頭にあるのは嫌な記憶ばかりではあるまい」
胸に染み入る温かい言葉が記憶を揺り起こす。
フラッシュバックするのは死の直前に押し殺してしまっていた仲間たちと交わした笑顔の記憶だった。
魔王城を目指す旅路は命懸けで苦難の連続ではあったが、思い返してみればつらいだけの日々ではなかった。
どこか斜に構えて皮肉屋を気取っていたせいで聖女には避けられていた気がするが、今にして思えばそれほど邪険にはされていなかったのかもしれない。少なくとも傷を負えば、すぐに癒やしの術をかけてくれたし、ピンチの時は必ず支援してくれた。
偏屈な魔術師はゴウの立てる作戦に一々ケチをつけていたが、いざ戦いが始まると完璧に与えられた役割を果たしてくれた。
寡黙な重戦士とは会話自体がなかなか成立しなかったが、一度だけゴウが口にした冗談で大笑いしたことがあった。
勇者セリオスにいたってはゴウが生まれて初めて得た対等の友人だった。戦場では躊躇いもせずに背中を預けてくれたし、他の冒険者からは軽視されがちだったゴウの意見や作戦を積極的に取り上げてくれた。
彼に信頼されているのだと感じたとき、どれほど胸が熱くなったのか……今さらになってそれを思い出していた。
「……そうっすね。忘れていい思い出なんてひとつもなかったっす。命がけで苦しい毎日だったけど、あいつらといると、それだけで気持ち良かったんすよ……」
「なら、そのつらさもお前の財産だ。大切にするといい」
「でも……オレは仲間を裏切って、この手にかけたっす。まだふたりは残っていたっすけど、魔物の領域の奥深くから、あいつらだけで戻れたかどうか……」
うつむくゴウを見ると、メアリーは軽やかに脚立から飛び降りた。手にしたモップをバケツに漬けると、無邪気な笑顔で手招きしてくる。
「小休止だ。水筒にお茶が入ってるから、一緒に飲もう」
「はい……」
うなずいて、ゴウがゆっくりハシゴを降りると、メアリーは城壁沿いの石段に腰掛けて、スカートのポケットから水筒とコップを取り出した。
どう考えても、そんなところに入るはずがなく、魔法か何かだと思えたが、それにしたって人間にできる芸当ではない。さすがは魔王といったところだろうか。
「ほれ」
メアリーが差し出してくれたお茶を受け取ると、バカ丁寧に頭を下げる。
「いただきますっす」
軽く一口啜ると、目覚めてから何も口にしていなかったことを今さらながらに思い出した。急に喉の渇きを感じて、そのまま一気に飲み干す。
「美味しいっす」
「まだまだあるぞ」
水筒を差し出されて遠慮なくおかわりをする。
「もしかしてオレ、夢を見てるんじゃないっすかね。死の間際に見る長い夢っす。だって常識的に考えて、こんなやさしい魔王さまなんて、この世にいるわけがないっすよ」
しみじみと語るゴウにメアリーは微笑を向けている。銀髪に紅い瞳は魔性の存在を思わせるものだが、今のゴウには天使のように見えていた。
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