第3話

あのこ、もうだめらしい、と。


たまに、人づてに聞くことがある。そうして、それを聞いた数日後には私たちの人数が減る。

あのこ、がいなくなる。

けれども私たちはそれをあまり気に留めない。薄情だと思われるかもしれないけれども、でも、私たちは直ぐに元の生活へと戻る。喪失は直ぐに立ち去る。だって、私たちの毎日は喪失でできているのだから。私たちとペルセポネの日常は、お互いの喪失で成り立っているのだから。だから、私たちは麻痺しているのかもしれない、と偶に思うときがある。

いのちという言葉に。

そうして、死という現象に。


朝焼けに目を細める。地平線が、徐々にしろく明るく染まっていく。

私の今日が終わっていく。

寮に戻る途中で、冷蔵庫のお茶が切れていたことを思い出す。今から給湯室に行ってお茶を作るのも面倒なので、一階の自販機に寄ることにする。明け方とはいえまだ薄ぼんやりとした室内、廊下の突き当りで自販機が弱弱しく光っているのが見える。

一番上の段に並ぶペットボトルのお茶の中から、直感に任せて適当なもののボタンを押す。がこん、と鈍い音がしてペットボトルが落ちてくる。冷えたペットボトルを額に当てると、火照った体に気持ちよかった。


部屋に戻ると、花茣蓙はまだ起きていないみたいだった。私はなるべく物音を立てないように注意して、ベッドの下の引き出しからタオルと下着を出してシャワーを浴びる準備をする。二月とはいえ、シャツの張り付く背中は汗でしっとりと濡れて徐々に冷えてきていた。

窓際に干したままになっていた洗濯物を引き出しの空いたスペースに押し込み、無理やり引き出しを閉める。けれども思ったよりも勢いよく滑り出した引き出しは、気づいた時には、こん、と静かな部屋にはよく響く音を出していた。

「…………おかえり」

頭上からまだ眠たげな声が降ってくる。私は慌てて立ち上がり、カーテン越しに声をかける。

「ごめん、花茣蓙。起こしてしまって」

ぼんやりとした影がゆっくりと起き上がる。白い指がすうっとカーテンを裂いて、花茣蓙が顔を覗かせた。

「もうそろそろ起きる時間だし、大丈夫だよ」

「や、でも、……」

「そんなことより、今日もお疲れ様」

花茣蓙が私を安心させるように柔らかく笑う。私はその笑顔に緊張が解けて、途端に眠気が襲ってくる。小さな欠伸をかみ殺すと、花茣蓙はまたくすりと笑った。

「シャワー行って早く寝なよ」

二段ベッドの上から温かな手が伸びてきて、汗で少し湿った私の頭を撫でる。その心地よさに目を細める。

「うん、そうする。ありがとう」

花茣蓙の細い指が、つい、と頬を撫でて去っていく。私はカーテンの向こうの影が見えなくなるのを待ってから、床に置かれたままになっていたタオルと下着をとる。そうして、再び眠りについた花茣蓙を起こさないように気を付けながら、静かに扉を開けて浴場へと向かった。



脱衣所のロッカーを見ると、鍵が二つほど閉まっていた。いつもよりも遅い時間だからもう誰もいないと思っていたけれど、中に誰かいるみたいだった。私は手早くシャツを脱ぐと、浴室へと向かう。曇り硝子の扉を開けると、左端のシャワーで髪の毛を洗っていた小紫が顔をあげ、泡の着いた手をひらひらとふった。それに合わせて、いくつか小さなシャボン玉が散っていく。

「おつかれ」

私も小紫におつかれ、と返す。湯桶をもって隣のシャワーのところへ座ると、髪の毛を洗う小紫の手元からいくつか小さな泡が飛んでくる。

「今日、遅いね。あの後何かあったの?」

蛇口を捻ると冷たい水が出てきたので、温度調節の蛇口を回して少し熱めの設定にする。けれども、水温はなかなか上がらない。

「ちょっと、花茣蓙と喋っていたから。それで」

「花茣蓙、もう起きているんだ。早いね」

「ううん、うっかり物音をたててしまったからそれで起きたみたい」

「そっか。野分はまだぐっすり寝ているよ」

最近疲れているみたいだから、と小紫が少し心配そうに付け足す。

「朝って、最近そんなに大変なの?」

「うん。先月と今月で立て続けに二人駄目になったみたいだから」

先月、黒い特別な制服を着て出たことを思い出す。立て続けに着ることなんてあまりないから、不思議だな、と思ったはずだ。

「…………それに、一人目の子は特にひどかったって聞いた」

「どんな?」

「精神的に限界だったのかな…………泣き叫んで暴れて、それで急に落ち着いたと思ったら、最期は恍惚とした顔をしてペルセポネに自ら喰べられに行ったみたい」

ひゅうっと息を呑む。その情景はありありと目に浮かぶ。

私も、何度か見たことがある。たまにいるのだ。心を壊して、ペルセポネに自らの身を捧げる子が。

それは、残された私たちには重く残る。いつか自分もああなってしまうのかと恐怖を感じると同時に、煌々とした表情を浮かべて、苦悩から解放されていくようにも見える彼女たちを羨ましくも思う。気を張っていないと、自分まで引っ張られていってしまいそうになるほどに。

「なんにしても……、続くのは気が塞ぐね」

「もうすぐ春だから、」

ざあっと、シャワーから流れ出た水の音が小紫の言葉を遮る。シャワーの水に押されて、小紫の頭に絡みつく白い泡が指の隙間から零れる髪の毛と共にぐるぐる流されていく。私は体を洗う手を止めて、蛇口を捻る。

今度は直ぐに、熱いお湯が出た。

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