第8話

「許されないことよ」

「必要なことだった」

「あなたがわからない」


 甲板の中央で、焚豊とレイカンが声を抑えながら言い争いをしている。

 木箱や樽を運んだり、欄干から真鍮の一眼鏡で遠く眺めたり、何か大きな紙を開いて話し込む学徒たちの姿が見えるが、忙しそうな彼らには聞こえていないかもしれない。波音がかきけしているのだろう。

 縄でぐるぐる巻きに拘束された状態で、欄干を背に座り込む開多には聞こえていた。

 深呼吸してみた。心を落ち着かせると、緩やかな波音の奥に二人の言い争いが聞こえる。

 金髪色白の男に抱えられた、ちえの姿を思い出した。意識が途切れる前に見た光景だ。頭の中で、ちえが遠ざかっていく。胸焼けしたように喉の奥底が重くなった。開多は胸を何回か強く叩いた。ぐっと強く目を瞑って、頭に血を上らせたところで力を抜く。。落ち着いてくると、出会った日から傍にあった、ちえの声と姿で頭の中が満たされた。船員たちの出す雑音はとうに散っていた。開多は今、広いプールの中に潜っていた。籠もる耳、鮮明な思考、静けさ。雑音は遙かに遠くにある。


「落ち着いたか」


 邪魔者が邪魔をした。邪魔者が邪魔をするのは辺り前だ、邪魔者なのだから、と次々に無意味な言葉が頭に溢れる。

 現実に引き戻されると、目の前に焚豊が立っていた。


「刃物で滅多刺しにされても死なないとはな。流石に驚いた」

「これ、解いてもらえませんか」


 突き刺すような視線を向けて言った。


「暴れるだろ」

「暴れません。そもそも暴れてません。普通に歩いてただけじゃないですか。暴力を振るったのはそっちでしょ」

「彼女を助けに行くとか無謀なことを言い出すからだ」

「俺は死なない」

「耳絶ちが効かない程度のことで図にのるな。お前を取り押さえるのは簡単だ。殴ればいいだけだからな」


 だからその様だろ、とでも言うように、焚豊の眉がくいっと上がる。


「単身で勝てる相手じゃない。俺たちの力が必要なはずだ」

「かもしれませんね」


 開多には案がなかった。ちえを助け出すにもどうすればいいのかわからない。焚豊のいうとおりだ。


「まずは話を聞け。この船は花樹園に向かっている」


 ウォールハーデン島の西湖岸から出発した木造船は、西の対岸を目指し航行していた。


「見捨てるつもりですか」


 落ち着いているというふうに見えるが、開多は口調はただ暗いだけだった。


「話を聞けと言っている。彼女は見捨てない」

 

 開多は黙り込んだ。


「聖域職にも色々ある。なかでも羅官という役職が厄介でな。彼らは耳絶ちが使えない一方で、耳絶ちを配分する際の、中継器のような役割を担っている。つまり羅官が近くにいる間、連中は耳絶ちが使えるってことだ。領土の外でもな」


 何も知らなかった。ということは、いつでもあの町を襲えたってことじゃないか。情けなさがにじみ出る。


「懐胎券は知っているな」

「それのせいで昔、親に殺されそうになりましたから」

「だいたいそれが蓋魔の末路だ」

「ちえも多分そうです。深くは訊きませんでしたけど」

「あの子は蓋魔じゃない」

「同じことですよ、他人にとっては。耳絶ちが芽吹かないと人間じゃないんだ。姥捨照にいたころ思い知りました。あいつらは耳絶ちのことしか考えてない。俺の親なんかがそうでした。健康診断の日が近づくと機嫌が悪くなる。配分率のことばかり気にして生きてるから。俺だけいつまで経っても配分率が分からなかった。蓋魔だと分かると、首吊り自殺に見せかけて殺そうとした。俺は助かりましたけど友心が……」


 しまった。開多はびっくりしたように目を開く。顔は俯いたまま。唇の端を血が出るほど強く噛んだ。


「ゆみ? 気を失う前にもそう言ってたな。誰なんだ? その、ゆみ、っていうのは」


 覚えていない。開多の真顔で瞳だけが揺れる。張り詰めた表情を見られまいと顔を隠す。


「器の少女のことを言ってるのか? 確か、あの子の名は、ちえ、だったろ?」

 

 はっきりしない声でぼそぼそと、


「幼馴染みです。むかし、死んだ」


 死んだことまで話す必要はなかった。そう悔やんだときには答え終わり、口は閉じていた。

 焚豊が黙り込む開多の隣に腰をおろす。


「俺も妹を亡くした」


 ゆっくり切り出した。やけに落ち着いた声色で、


「火葬場で対面したのが最後だった。山に裸の状態で遺棄されていたことをあとになって知ってな。まだ七歳だった。八歳だった俺にはわからなかったが、物心がつく頃には、妹が何をされたのか理解したよ。父親がなぜ狂ったのかも」

「狂った?」


 俯いたまま、開多は横目で焚豊の表情を覗きみた。


「近所の中学の男子児童を攫って、山かどこかで殺してばらしたんだ」

 

 ばらした、の意味がすぐに頭に入ってこなかった。


「ある日、通学路の一番目立つところに、木で作ったT字の骨組みが建ててあった。天辺に少年の頭、左右の角から、案山子みたいにして、手首と手がさしてあった。切断した足が、靴紐でぶらさげたブーツみたくして吊るしてあった。胴体の皮は剥いでベストのようにして、T字中央に、ハンガーへかけるみたいにしてあった。子供だった当時は読めなかったが、ベストの背面に〈強姦魔〉と鋭く彫られていた」


 口の中が乾いていた。開多は唾を飲む。


「父は早朝、子供たちが小学校や中学校へ登校する時間帯を狙って、いちばん目につく場所に置いたんだ。今でもその光景を、昨日のことのように覚えてる。脳裏に焼き付いてる。最初は怖かったが、意味を知ってからは愉快な思い出になった」


 声がぴたりと止んだ。間があり、


「すごくよく似てるんだ、妹に」

「……え?」

「似てるなんてもんじゃない。瓜二つだ。歳はだいぶ離れているがな。そのゆみって子も、あの子に似てるんじゃないのか?」


 脂汗が頭と首筋、背中から吹き出るのがわかった。焚豊の横目が開多を覗きみていた。瞳孔が開いている。

 怖くなって、首ごとゆっくり逸らした。顔が熱い。呼吸が重い。

 考えたくなかった。考えてしまうと、何かがわかりそうな気がした。知りたくない。

 拘束していた縄が切れる。太股の上に何か柔らかいものが落ちた感触があり、顔を上げると立ち上がる焚豊の姿が視界に入る。ズボンのポッケに折りたたみ式の小型ナイフを入れながら、


「着ろ。アカデミックガウンだ」


 背中が離れていく。



 沖に停泊する本船から小舟の群れが流れていく。岸へ乗り上げると、階段教室一つ分を埋めるほどの学徒たちは、列を作り森へ入っていった。若者と年長者が混じっているが、どれが生徒で職員で、教職者なのか、開多には区別がつかない。すべての学徒が同じアカデミックガウンを身につけている。

 アカデミックガウンは、黒で統一されており、首元から裾にかけて、中央に濃赤色の太い線が縦に入っている。背中に垂れた口の広いフードとガウン全体の裏地はサテンで、色は同じ濃赤色だった。胸元に、開いた厚い本と箒のマークが縫われている。

 上陸する際に湖水に浸かった足で、開多も倣い同行する。辺りは樹海である。

 しばらくすると、進行方向に耳の尖った色白な男が立っているのを見つけた。列が止まり、開多も倣った。

 沈黙が続いた。エルフは軽く品定めするように、一行の前から後列の方までを観察し、「焚豊殿」と頭を傾けた。


「文書が届いているはずだ。長と話がしたい」

「こちらへ」


 溜めて言うと、エルフは一行を招いた。

 絶壁の真下の岩壁に穴が開いている。まるで地下墓地への入り口のようだと開多は思った。入り口の両側にエルフが二人立っており、学徒たちが腰に携えるロングソードを基盤とした形状の刃物とは、違った形状のものを抜いていた。開多は一目でそれを刀だと予想した。実物を見たのは初めてだが、友心が教えてくれた〈浮遊城〉に登場する刃物の説明と一致する形状だと思った。

 縦横の幅が馬車二台分ほどの、岩壁に囲まれた通路を抜けた先には、大きな空間が広がっていた。天井から道なりの奥の方まで、真っ暗で果てが見えない。黄緑色の火を灯す燭台が道の両側に続いており、それらに従い奥へ進む。

 天井から樹木が伸びていた。果てが確認できず、根は見えない。垂れた樹冠が見下ろしている。


「あれは?」


 と開多が隣の焚豊に訊ねた。


「局地樹だ。ココの樹だよ」


 目が慣れてくると坑道のあちこちの壁に、突き出すように自生する局地樹の姿が確認できた。



   ※



 数段高い広々と幅を取る台座の上に、玉座があった。玉座の目の前に円卓があり、左にエルフの長──沙汰彦さだひこ、右に焚豊が座っている。通訳者のように、沙汰彦の隣には彼の妻と思しき女性の姿があった。焚豊の隣にはレアが椅子に腰を下ろしている。円卓から距離を取り、左にエルフ、右に学徒が周囲を囲っている。開多は丁度、エルフと学徒の境目に混ざっていた。長と焚豊、双方の顔がよく見えた。

 玉座の左右、円卓中心、集まるエルフと学徒たちの外側に燭台があり、暗い坑道が黄緑色の火によって照らされている。


「それだけでは協定が破られたとは判断できない」

「民間人を攻撃してきたんですよ?」

「その岩の塊だが、蓋ノ国側の攻撃かわからないじゃないか」


 焚豊は黙り込んだ。


「蓋ノ国は、局地樹紡績産業で成り立っている。楯蓋の原材料は局地樹だ──ココの樹を繊維化して作っている。その製造方法は聖域が独占している。楯蓋だけではない。蓋ノ国は繊維を東陸へ輸出している。花樹園が輸出を止めたとしよう。すると蓋ノ国の七四〇〇万という人口から、おおよそ三〇〇〇万人の失業者が生まれる。国民は飢餓に苦しみ、そうなる前に暴動が起き、内紛へと発展していくだろう。聖域の機能は失われる。東陸の国々も黙っていない。ココの繊維はあらゆるインフラ整備に利用されている。エルフブリッジなどがその例だ。あれはエルフ大戦以前、島の西側を統治していたエルフが建てたものだ。蓋ノ人との友好の証として。ウォールハーデンの防壁にも使われている」

「詳しいですね」

「ジョルジュが言っていたことを、そのまま伝えただけだ」

「では、取って代わるというのはどうですか?」


 焚豊の言葉に辺りのエルフがざわついた。学徒たちからは私語一つ聞こえない。


「どういう意味だ?」

「ダックリバーを奪うんです。かつて蓋ノ守が北部人から奪ったように」

「耳絶ちに勝てると? あれは強力だぞ。かつて我らはあれに一網打尽にされた」

「あなた方が恐れたのは蓋ノ人ではなく、むしろ北部人の方でしょ。咀嚼卿を恐れたんだ、島の西側を簡単に明け渡してしまうほどに」


 沙汰彦の表情と言葉が詰まったようだった。


「多くの〈フェイ〉が犠牲になった。否定はしない。蓋ノ守が咀嚼卿をせん滅してくれたおかげで、フェイの犠牲はなくなった」

「その対価として、蓋ノ国は局地樹をもう一度手にすることができた。上手い話ですね」

「われわれが操られていると言いたいのか?」

「そうは言いません。蓋ノ守も、北部人が何者なのか、最初は知らなかったのでしょう」

「なんの話だ?」

「ともかく、楯蓋を失えば連中は耳絶ちを使えません。連中から局地樹を奪えば済む話なんです」

「耳絶ちだけが脅威ではない。他にも警戒すべきことがある。その最たる例が蓋ノ守だ」

「すべての源泉は耳絶ちです。治安維持衛生局へ入り、蓋ノ騎士の推薦枠を勝ち取ってから一〇年、聖域の中を見てきました」

「庭園の警備をしていただけだろ? それと地下墓地だったか。肝心の〈子宮城〉へは──」

「耳絶ちを配分しているのは蓋ノ守です。奴を殺せば、蓋ノ人は何もできなくなります」


 沙汰彦は深いため息をつき、


「和平協定を反故にするほどのこととは思えんな。器の少女のことだが、話を訊く限り、ウォールハーデン側が拉致したというふうに受け取るのが自然だ」

「はい?」

「その子は姥捨照の蓋ノ人なのだろう? 成人ならまだしも、未成年が自ら希望してウォールハーデンへ逃げた、とはならないだろう。未成年なのだから」

「蓋ノ騎士は命令を受けていたんです、少女を捕らえろと。瓶夫の蓋魔ではなく、少女をです」

「記録に残らない命令だろ? 彼女が器かどうかは蓋ノ国側の問題であって、我々には関係がない」


 沙汰彦が開多の方を見た。開多が硬直している間に焚豊へ視線を戻し、


「君たちに奪われたものを取り返しにきた。ただそれだけのことだ。岩の塊は何かの事故。そう受け取るのが自然だ」

「ですから」

「でなければ蓋ノ人とやってることが変わらん」

「どういう意味ですか」

「蓋をすることのもっとも恐ろしいのは、善悪やモラルといった個人の価値観で他者を裁いてしまうことだ。時代によって簡単に、無責任に、気まぐれに形を変えてしまう、その流動的な価値観でな。それでは魔女狩りと同じだ。だからこそ蓋ノ国には法律があるし、ウォールハーデンには条例があるんじゃないのか。すぐに熱狂するような動物には、規範が必要だ」


 沙汰彦が席を立つと、彼の妻が、焚豊へ気を遣った笑みを含ませながら立ち上がる。


「少女は本当に、親に殺されそうになったのか、どうなのか。それはわれわれの知るところではない。今の時点では、衛生局も蓋ノ騎士も、ただ少女を保護したかっただけとしか思えん」


 焚豊とレアもしたがって席を立つ。


「そろそろ食事ができあがる頃だ。少し休憩しよう。久しぶりに娘が帰ってきたんだ。ゆっくり話がしたい」


 レアに似た美形な顔立ち。小麦色の艶のある長い髪が、黄緑色の灯りを受け、シャトルーズグリーンを帯びている。

 沙汰彦の柔和な表情がひるがえし、横顔がなびいた髪で見えなくなる。集まったエルフたちが道を開けた。フィーナディーアと共に背中が離れていく。

 瞬きのない、動きの止まった焚豊の眼球が、周りが捌けたあともその背中を力強く追っていた。

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