木機怪械(キキカイカイ)

夜澄大曜

【第一章】遭遇 (作戦決行50日前)

第1話

 熱い。

 酷使している足が、早鐘を打つ心臓が、何より喉からこぼれ出る息が熱い。


 柴沢天於しばさわ ておは、霧が漂う夜明け前の街を駆けていた。

 短髪がよく似合う、精悍な顔立ちをしている。中背だが筋肉質な身体を持ち、走り方がとても力強かった。高校の制服――白シャツと紺のスラックスはずいぶんくたびれていて、汚れが目立つ。

 手押しで運ぶショッピングカートに、食料や雑貨が大量に積まれている。


 もうひとつ、大きな荷物があった。

 少年が積み荷の上に腰掛けている。

 10歳になったばかりで顔にあどけなさが残っており、栗色のくせ毛が印象的だった。


「天於、あれ……!」


 指を差した先に、『靖国通り』と書かれた標識があった。

 天於はどうにか呼吸を整え、得意げに言った。


「ほら、もうすぐ駅だ。楽勝だっただろ、春人はると


 春人と呼ばれた少年が、強張った顔で首を横に振る。


「すっごく怖かった。こんなに霧が濃いところ、もう二度と――」


 春人は急に言葉を切り、顔を上げて東の空を見た。

 霧の向こうにそびえるビルの輪郭に、じわりと朝日が滲む。

 暴力的なまでに明るい光が霧の一部を払い、あたりを照らし出した。

 そこは都市というより、亜熱帯の樹林の中だった。

 建物の壁という壁が植物で覆われている。窓を突き破った枝葉や根、道を挟んでビルからビルへ渡る巨大な太い枝。アスファルトはあちこちひび割れ、隙間から草木が伸び放題だ。


「天於、何かあるよ!」


 春人が天於に注意を呼びかけたときだった。

 カートの車輪が、地面に横たわる太い根を踏んだ。

 カートが大きく跳ね上がり、春人の尻の下から積み荷がこぼれ落ちる。

 天於は背筋を伝う汗を急に冷たく感じた。

 周囲の緑が震える。

 まるで、街そのものが悶えているようだ。


「……来るぞ」


 天於はカートを停めてあたりを見回した。

 それは、雑居ビルの壁に垂直に張りついていた。

 天於たちが踏んだのは、怪物の尻尾……いや、根だったのだ。

 高所にあった頭部がゆらりと壁から剥がれ、重力に身を委ねて落下し――


 ズンッ……!


 重い地響きを立てて、長い胴体が十字路に着地する。

 その姿は巨大な竜を想起させた。太い胴体は四本の脚に支えられ、長く伸びた首の先に、大きな頭が乗っている。粗くひび割れた表皮は、年を経た樹木の幹のようだ。


草獣そうじゅう! こいつ、竜みたいだ……!」


 春人が声を震わせて言った。

 天於たちが出会ってきた中でも、かなり大きな部類に入る。

 竜に似た草獣がノソリと頭を持ち上げ、青みがかった燐光を放つ眼を天於たちに向けた。

 大きく開いた口からは、粘度の高い液体がひっきりなしに垂れている。

 カートに乗る春人は、さながら皿の上のご馳走だ。


「春人、降りろ。ゆっくりな……」


 ささやく天於に春人が無言でうなずいて応え、そっと足を伸ばしてカートを降りる。

 と、竜が目にも止まらぬ速さで首を伸ばしてきた。


「――!」


 天於は春人に飛びついて押し倒した。


 バクン!


 一瞬前まで春人の頭があった空間を、竜の大きな牙が抉る。

 天於は機敏な動作で身を起こした。


「危ねっ……!」


 ショッピングカートの下の籠に差し込んでいた瓶を引き抜く。

 密閉されていた瓶の蓋を開けると、油の臭いが鼻をついた。


「天於!」


 春人が身を起こし、震える手で天於にライターの火を差し出す。

 天於はうなずくと、ポケットから取り出した布を瓶にねじ込み、オイルの染みた先端を炎にかざした。

 火が付いた瓶を、竜の頭を目掛けて勢いよく投げ込む。


 ボウッ!


 火炎瓶は竜の頭に命中し、渇いた表皮に炎が燃え広がった。

 竜が苦痛の叫び声を上げ、頭を天於たちから遠ざける。

 天於は脇道を指しながら春人に言った。


「あの角を曲がれば、三丁目駅の入り口が見える。生き残っている人たちがいるはずだ」

「天於は……?」

「あのバケモノと、ひとっ走りしてくる」

「だめだよ。死んじゃうよ……!」


 少年の目に、これまでに見た死の影がいくつも映っている。

 天於は優しい顔で、春人のくせ毛の髪を荒っぽくかきまわした。


「おれの足の速さ、知ってるだろ? あんなノロそうなやつ、余裕でブッちぎって、すぐにおまえに追いつく」


 足元に落ちていたカップ麺を拾うと、春人に押しつけた。

 先ほどカートからこぼれ落ちたものだ。


「おれの大好物をおまえに託すからな。大事に持っててくれ」


 真っ赤な蓋に、『辛味増し増しマキシマム』とある。

 春人が顔を大きく歪ませた。


「……なにこれ、まずそうすぎる」

「と、思うだろ? 意外にまろやかなんだよ」

「……天於と一緒に食べたい。だから絶対……絶対に死なないで」

「ああ!」


 天於は力強くうなずいてみせた。

 竜が吠えた。顔を覆った炎はもう消えている。

 口の脇が黒ずんでいるのは、わずかに火が表面を炙っただけのようだ。


「春人、行けっ!」

「……待ってるからね!」


 胸にカップ麺を大事そうに抱えて、少年が走り出す。

 竜が頭を巡らせ、逃げる獲物を背後から襲おうとする。

 その首は太い節を持つ茎に似ており、不気味に蠕動ぜんどうを繰り返していた。


「おい、こっちだ! おれと追いかけっこしよーぜ!」


 天於は声量が大きく、声がよく通る。

 注意を引くことに成功し、怪物の頭がゆっくりと旋回して天於を正面に捉えた。

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