愚策士アクシオンと戦略家ロキアス ~その敬意は、墓場まで持っていく~

ジョウジ

第1話:90点の正解と死の匂い

 Ⅰ. 詰みの盤面


 城塞都市ベルンの夜気は、肺腑を凍らせるほどに鋭い。 北の山脈から吹き下ろす風には、雪の匂いと、微かな鉄錆の臭気が混じっている。石積みの城壁に立つ私の頬を、見えない鞭のように風が打ち据えた。


「……詰んでいるな」


 眼下に広がる闇へ、白く凍った吐息と共に言葉をこぼす。 風が吹くたび、几帳面に撫でつけた銀髪が乱れ、視界を遮るのが疎ましい。私は苛立ちを指先に込め、縁なし眼鏡のブリッジを強く押し上げた。


 雲の切れ間から覗く、病的なまでに青白い月光。それが照らし出す平原の彼方で、巨大な影の群れが蠢いている。 帝国の誇る「黒竜騎士団」。その数、およそ一千。 対するこちらの盤上の駒は、かき集めても五百に満たない。しかもその半数は、鍬を槍に持ち替えただけの義勇兵や、膝の震えを隠せない老兵だ。


 戦力差は二倍だが、質の違いは絶望的だ。 黒鉄竜の鱗は矢を弾き、吐き出すブレスは石壁を飴細工のように溶解させる。あれは生物ではない。空飛ぶ攻城兵器だ。 頼みの綱である対空魔導砲は沈黙している。よりによってこの開戦前夜に魔導回路が焼き切れ、復旧には一週間を要するという。神に見放されたとしか思えないタイミングだ。


「連隊長、予備兵力の配置が完了しました。……装備は、その、槍と革鎧のみですが」


 背後から声をかけてきた副官は、もはや死人の顔色だった。彼も理解しているのだ。予備兵力など、竜の餌になるためだけに並べられた案山子だと。


「ああ。……兵には、眠れる者は今のうちに眠っておけと伝えろ。恐怖で消耗するのが一番の無駄だ」


 努めて平坦な声を出す。指揮官の声色が揺らげば、戦う前に軍が瓦解する。 ロキアス連隊長。「若き天才戦略家」。 世間が私に貼ったレッテルだ。白磁の肌に、感情を殺した蒼い瞳。埃一つ許さない完璧な軍服の着こなし。それらすべてが、私の潔癖で融通の利かない気質を物語っていると、陰で囁かれていることも知っている。


 天才? 笑わせる。 私は魔法で天変地異を起こせもしなければ、祈りで奇跡を呼ぶ聖人でもない。 ただ配られた手札の中で、確率と論理を突き詰め、感情を切り捨てて「最もマシな手」を選び続けてきただけだ。冷徹な計算機。それが私の正体だ。


 そして今、その計算機が弾き出した解は、過去最悪のものだった。 勝率、限りなくゼロ。全滅確率、九割九分。


「天才が聞いて呆れる」


 自嘲は風にさらわれ、誰の耳にも届かない。私は逃げるように、防衛設備の点検へと足を向けた。


 Ⅱ. 汚れた鐘楼


 城壁の北端、亡霊のようにそびえる古びた鐘楼。 ここならば敵の布陣を俯瞰できるかもしれない。そんな藁にもすがる思いで螺旋階段を登りきった私は、思わず顔をしかめた。


「掃除をした者はいないのか!」


 私の怒声に、同行していた兵士が弾かれたように直立する。 石造りの床は分厚い埃の絨毯に覆われ、さらにその上には乾燥した白い糞が散乱し、鼻をつくアンモニア臭が澱んでいる。私は反射的に白い手袋で鼻を覆った。生理的な嫌悪感が背筋を這い上がる。


「も、申し訳ありません! 予算も人手も回ってこなくて……」


「言い訳は聞きたくない。……なんだ、あの白い塊は」


 私が指差した先。巨大な鐘を吊るす太い梁や天井の窪みが、白いカビに覆われたように蠢いていた。 目を凝らせば、それは鳥だ。丸々と肥え太った鳩ほどの白い鳥たちが、数千羽という単位で身を寄せ合い、鐘楼全体を埋め尽くして眠っている。


「チッ……『閃光鳥(ルミナ・エイビア)』か」


 私はハンカチを取り出し、口元を強く抑えた。 魔力を持たぬ無害な鳥だが、野生の個体は極度に神経質だ。少しの衝撃や音に過敏に反応してパニックを起こし、体内の魔力器官を暴走させて発光する。 その光は一瞬だけ強烈に輝くが、照明代わりにもならない。ただ目が眩むだけの、無意味な防衛本能。


「こんな臆病者が巣食うようでは、見張り台としても機能しない。鐘を鳴らそうものなら、こいつらが暴れて収拾がつかなくなる」


 苛立ち紛れに、足元の小石を蹴り飛ばした。 カツン。乾いた音が石壁に反響する。 それだけで、頭上の白い絨毯が一斉に波打ち、数千の小さな心臓が怯える気配が伝わってくる。


「……役立たずが」


 吐き捨て、私は踵を返した。 この場所は死んでいる。戦略的価値など欠片もない。ただの巨大な鳥小屋だ。


 Ⅲ. 血の味がする正解


 指揮所に戻った私は、地図上の赤い防衛ラインを睨みつけていた。 どう線を引いても、数分後には黒いインクで塗り潰される未来しか見えない。 敵の竜騎士団は、夜明け前の一番暗い時間――人間の集中力が最も途切れる「魔の時間」を狙ってくる。一気に本丸へ降下し、司令部を焼き払うのが定石だ。


 思考が冷え切り、一つの「解」へと収束していった。 感情という夾雑物を濾過し、数字だけを残した時に浮かび上がる、唯一の選択肢。


「……撤退だ」


 鉛のような声が出た。 軍も市民も共倒れになるより、軍だけでも生かすべきか? それでは軍人の本分はどうなる。市民を見捨てて何が王国の盾か。


 だが、脳内の計算機は止まらない。 ――東区画の市街地を囮にする。 あそこは古い木造建築が密集し、路地が入り組んでいる。住民を残したまま敵を誘引し、密集したところで街ごと火を放つ。 猛烈な炎と煙は上昇気流を生み、竜の視界と嗅覚を奪う強力な煙幕となるだろう。 その隙に、本城の機能と主力を北門から脱出させる。


 数千の市民の命を薪にして、軍という組織を温存する。 それが、論理的に導き出された「90点の正解」。


「…………クソッ」


 口の中に、鉄錆の味が広がった。無意識に唇を噛み切っていたのだ。 滴り落ちた血が、地図上の東区画を赤く染める。まるで、これから起こる虐殺の予言のように。


 まただ。また私は、誰かを見殺しにする「正解」を選ぶのか。 吐き気がした。自分の無力さに。論理という名の悪魔に魂を売った自分自身に。 だが、指揮官が迷えば全員が死ぬ。悪魔になってでも、誰かを生かさねばならない。


 震える指先で、通信用の魔導具を掴む。冷たい金属の感触が、死神の鎌のように思えた。


「……全隊に通達。これより『作戦プランD』へ移行する。東区画へ……」


 苦渋と共に命令を下そうとした、その時だった。


「やめなよ、ロキアス。君の『正解』はいつも血の味がするねえ」


 緊張感のない、間延びした声。 心臓が跳ね上がる。その声の主を、私は嫌というほど知っていた。

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