捨てられた最弱のトカゲ、実は神話級の古龍へ至る唯一の進化系統でした。脱皮のたびにステータスが万単位で跳ね上がり、気づけば自分を捨てた勇者パーティが絶望するほどの【歩く天災】へ成り上がる

旅する書斎(☆ほしい)

第1話

「おい、カイ。お前はもういらないんだよ」


勇者であるアリスが、俺の顔を覗き込みながら言った。

その整いすぎた顔立ちには、長年連れ添った仲間への同情など、これっぽっちも浮かんでいない。

あるのは、道端に転がる石ころを見るような無関心と、選ばれし者特有の隠しきれない優越感だけだ。


俺の視界の端では、後ろに控えている聖女エリナも、氷のように冷たい視線をこちらに向けていた。


「どうしてそんなことを言うんだ、アリス」


俺は背負っている巨大な荷物を、必死に支えながら聞き返した。

肩に食い込む革のベルトが、皮膚を裂かんばかりにきしんでいる。

この荷物には、彼らの予備の武器、一ヶ月分の保存食、野営道具、さらには道中で採取した貴重な素材の全てが詰まっているのだ。

重さは優に百キロを超えているだろう。

並の人間なら一歩歩くことすらままならない重量を、俺は文句一つ言わずに、ここまで運んできた。


「言葉通りの意味さ。お前はただの荷物持ちだろう?」


アリスは、腰に差した装飾過多な聖剣の柄を、カチカチと指で鳴らした。

勇者王の血を引くアリス。

それが彼の二つ名であり、絶対的なプライドの源泉だ。

彼は整えられた金髪を指で弾き、俺を見下ろすように鼻で笑った。


「俺たちは勇者王の血を引く選ばれしパーティだ。これより、人類の到達限界点である第四十階層、通称『世界の底』を超える」


「世界の底、か」


確かにギルドの資料では、四十階層より下は未知の領域とされている。

過去に何百という冒険者が挑み、誰一人として帰還しなかった絶望の淵。

そこへ挑むために、俺のサポートが必要なんじゃないのか。


「だからこそ、俺の力が必要なんじゃないのか。誰が荷物を持つんだ」


「勘違いするなよ、無能。お前の代わりなんていくらでもいるんだ」


アリスの言葉に合わせるように、戦士のゲイルが巨大な戦斧を肩に担ぎ直しながら割り込んできた。

筋肉の塊のような巨体が、俺の前に立ちはだかる。


「そうだぞ、カイ。お前みたいなハズレスキルの持ち主が、ここまで来られただけでも感謝してほしいものだな」


俺は唇を噛み締め、奥歯を鳴らした。

ハズレだと言われている俺のスキル、『収納』と『耐久強化』。

戦闘には役に立たないと嘲笑されてきたこの力のおかげで、お前らは手ぶらで戦えていたんじゃないのか。

食料の管理も、武具の手入れも、野営の準備も、全て俺が完璧にこなしてきたからこそ、お前らは万全の状態でボスに挑めたはずだ。

俺がいなければ、お前らは十階層も進めずに撤退していたに違いない。

だが、こいつらにはそれが理解できないらしい。

生まれた時から才能に恵まれ、挫折を知らない彼らにとって、裏方の苦労など存在しないも同然なのだ。

汚れた仕事は全て俺が処理し、彼らの目に入らないようにしていたのだから。


「アリス、考え直してくれ。ここから先は未知の領域だ。俺の『収納』がなければ、物資が尽きるぞ」


「いいや。お前には、もっと重要な役目を与えてやる」


「重要な役目?」


「魔物を引きつけるための、囮になってもらう」


アリスがそう宣言した瞬間、視界がぐらりと揺れた。

ゲイルの剛脚が、俺の腹部に深々とめり込んでいた。


「がはっ」


肺の中の空気が強制的に吐き出される。

防御すら許されない不意打ちだった。

俺の体は、背負ったままの重い荷物と一緒に宙に浮いた。

背後にあるのは、底の見えない巨大な穴だ。

第四十階層に口を開けた、奈落への入り口。

人類が誰も踏み入れたことのない、死の世界への片道切符。


「あ、あああああああ」


視界が反転し、遠ざかっていくアリスたちの顔が見えた。

ニヤニヤと笑っている。

厄介払いができて清々した、と言わんばかりの表情だ。

アリスが口元に手を当て、嘲るように何かを叫んでいるのが聞こえたが、風切り音にかき消されて意味をなさなかった。

俺は暗闇の中へと、猛スピードで吸い込まれていった。


強い衝撃が全身を襲った。

体中の骨が一斉に砕け散るような、凄まじい痛みと破砕音。

岩盤に叩きつけられた衝撃で、意識が飛びそうになる。

だが、俺の意識は奇妙なほどはっきりとしていた。

ここは、何階層だ。

四十階層から落ちて、どれくらいの時間が経った。

俺は暗い地面の上で、ピクリとも動けずにいた。

目を開けることすらできない。

全身の感覚が麻痺し、指先一つ動かすことができなかった。

熱い液体が体から流れ出していくのが分かる。


「ひどいな、あいつら」


声を出そうとしたが、喉から溢れてくるのは大量の血液だけだ。

アリスたちは、俺が死ぬことを前提でここへ捨てた。

囮というのは建前で、単純に戦利品や名声を独占したかっただけだろう。

俺はこれまで、彼らの栄光を影で支えるために、泥水をすするような思いで働いてきた。

それなのに、最後は魔物の餌扱いか。


「ふざけるな」


誰が死んでやるものか。

俺は、あんな奴らに使い潰されて終わるような安い命じゃない。

あいつらを見返してやる。

俺を捨てたことを、骨の髄まで後悔させてやる。


「死にたくない。まだ死にたくないぞ」


意識が遠のいていく中で、俺の生存本能が激しく警鐘を鳴らした。

魂の底から湧き上がる執念が、消えかけた命の灯火を激しく燃え上がらせる。

その時だ。

頭の中に、感情のない無機質な声が響き渡った。


【個体名、カイ。生命維持が困難なため、再構成を開始します】


なんだ、この声は。

幻聴か。いや、違う。

脳髄に直接語りかけてくるような、明確な意志を感じる。


【適合する遺伝子系統を選択中……エラー。人間種の枠組みでは修復不可能です】

【検索範囲を拡大……神話級、古龍の種子を発見しました】


古龍だと。

おとぎ話に出てくる、あの最強の生物か。

なぜ俺の中にそんなものがあるのかは分からない。

だが、生き延びられるなら何だっていい。

悪魔だろうが怪物だろうが、俺は受け入れてやる。


【肉体の変換を開始します。進化のパズルを起動しました】


俺の体の中で、何かが激しく作り変えられていく感覚があった。

砕けた骨が溶け、筋肉が引きちぎられ、細胞の一つ一つが別物に書き換わっていく。

激痛ではない。

これは、歓喜だ。

弱かった肉体が捨て去られ、強靭な器へと昇華されていく過程だ。


「ああ、熱い、体が燃えるみたいだ」


叫ぼうとしたが、自分の口から出たのは、聞いたこともないような甲高い鳴き声だった。

手足が短くなり、皮膚が硬質化していく。

背骨が伸び、長い尻尾が形成される。

視界の位置が、地面スレスレまで下がった。

世界が巨大になり、匂いや音が鮮明に飛び込んでくる。


【変換完了。種族、アビスリザードに転生しました】

【現在のランクは、Fです。これより捕食による成長を開始してください】


システムの声が告げると同時に、俺の意識が鮮明になった。

目を開ける。

そこは、先ほどまでの暗闇とは違っていた。

暗視能力のおかげだろうか、周囲の景色が昼間のように明るく見える。


俺は自分の手を見た。

そこには人間の手ではなく、鋭い爪が生えた小さな前足があった。

碧色に輝く美しい鱗が、びっしりと覆っている。

爪先は鋭利な刃物のようで、わずかに動かすだけで空気を切り裂く感触がある。


「俺は、トカゲになったのか」


不思議と、悲しい気持ちはなかった。

むしろ、人間だった頃の貧弱な体が消え失せ、強靭な生命力を手に入れた喜悦の方が大きかった。

今まで背負っていた重荷も、理不尽な命令も、ここにはない。

あるのは、純粋な力への渇望だけだ。


【スキル、遺伝子パズルが解放されました】

【魔物を捕食することで、その能力をパーツとして獲得できます】

【パーツを組み合わせ、自分だけの最強の肉体を作り上げてください】


頭の中に、奇妙な画面が浮かび上がった。

無数の空白のマス目が並んでいる。

パズルだ。

今はまだピースが一つもなくて、真っ白な空間が広がっているだけだ。


なるほど、そういうことか。

俺はこの力を使って、最強の存在へと成り上がれということか。

面白い。

俺を捨てたアリスたちが絶望するほどの力を手に入れて、見返してやる。


「まずは、何かを食べないと話にならないな」


腹の底から、猛烈な空腹感が突き上げてきた。

人間だった頃の空腹とは質が違う。

魂そのものが、エネルギーを渇望しているような感覚だ。


俺は四つん這いになり、岩場を駆け出した。

速い。

信じられないほどのスピードだ。

トカゲの体は、驚くほど軽快に動く。

壁を垂直に登ることもできるし、天井に張り付いて移動することも簡単だ。

これなら、どんな場所でも自在に動ける。


俺は天井に張り付きながら、眼下の様子を伺った。


ここは第四十一階層、あるいはそれより深い場所なのだろう。

空気中の魔素濃度が異常に高い。

人間なら、呼吸をするだけで肺が焼けるかもしれない。

だが、今の俺にとっては心地よい酸素でしかない。

この体は、この過酷な環境に適応している。


「あそこに、何かいるな」


俺の視線の先に、一匹の異様な生物が這っていた。

体長は一メートルほどあるだろうか。

紫色の甲殻に覆われた、巨大なムカデだ。

無数の脚が、カサカサと不快な音を立てて地面を掻いている。


ポイズンセンチピード。

ギルドの図鑑で見たことがある。

猛毒を持ち、熟練の冒険者でも苦戦する魔物だ。

人間だった頃の俺なら、悲鳴を上げて逃げ出していただろう。

だが今の俺は、あのムカデが極上の御馳走にしか見えない。

恐怖など微塵もない。

あるのは、捕食者としての純粋な闘争心だけだ。

不思議と、勝てるという確信がある。

俺の奥底に眠る古龍の本能が、あんなものは虫けらだと告げている。


「逃がさないぞ」


俺は音を立てずに、獲物の頭上へと移動した。

トカゲの足裏にある吸盤が、天井の岩肌に吸い付く。

全身の筋肉をバネのように収縮させる。

狙うは、頭部と胴体の繋ぎ目。

あそこが唯一の急所だ。


俺は天井から身を躍らせた。

空中で体をひねり、弾丸のようにムカデへと突っ込む。

ムカデが反応するよりも速く、俺の牙がその首元に深々と突き刺さった。

バリッという硬質な音がして、甲殻が砕け散る。

口の中に、苦くて鉄臭い液体が広がった。

生物の命の味だ。


「ギチギチギチッ!」


ムカデは激しく暴れ、俺を振り落とそうと胴体をのたうたせた。

毒の足が俺の体を締め上げる。

だが、無駄だ。

俺の顎の力は、見た目からは想像もつかないほど強化されている。

一度噛みついたら、肉が千切れるまで離さない。

毒の尾が俺の背中を打つが、硬い鱗が全て弾き返す。


「効かないな」


お前の毒など、俺の消化液の前ではスパイスにもならない。

俺はさらに強く顎に力を込め、首を強引にねじ切った。

ブチブチと筋肉が千切れる音がして、ムカデの動きが停止する。


「勝った」


呆気ないものだ。

俺は獲物の亡骸の上に乗り、勝利の余韻に浸った。

静寂が戻ってきたダンジョンに、俺の荒い息遣いだけが響く。


【敵個体、ポイズンセンチピードの殺害を確認】

【経験値を取得しました。遺伝子片の抽出を開始します】


システムの声が聞こえると同時に、俺はムカデの肉を貪り食った。

不味いと思っていたが、意外と悪くない味だ。

濃厚な魔力が、肉と共に胃袋へと収まっていく。

食べ進めるうちに、体の中心がカッと熱くなっていくのを感じた。

これが、進化の糧か。

細胞の一つ一つが歓喜し、さらなる力を求めている。


【遺伝子片、麻痺毒の牙を獲得しました】

【パズルのスロットに配置しますか?】


頭の中のパズル画面に、紫色のピースが出現した。

鋭利な牙の形をしている。


「もちろんだ、やってくれ」


俺が念じると、紫色のピースがパズルの空白にはまった。

カチリ、という小気味よい音が脳内に響く。

瞬間、口の中が熱を持った。

牙の根元が疼き、新たな器官が形成されていくのが分かる。

鏡がないので確認はできないが、俺の牙はより鋭く、より凶悪な形状に変化したはずだ。


試しに近くの岩を噛んでみる。

ガリッという音と共に、岩が豆腐のように砕けた。

しかも、噛んだ断面が紫色に変色し、溶け始めている。

強力な麻痺毒だ。

これなら、俺より格上の魔物相手でも、一噛みすれば動きを止められる。


「素晴らしい力だ」


人間だった頃は、剣を振るうことすら許されなかった俺が、今や猛毒を持つ捕食者だ。

もっとだ。

もっと強い奴はいないか。

俺は自分の力を試したくて、たまらなくなった。

全身に力が満ち溢れている。

アリスたちへの復讐は、まだ先の話だ。

あいつらが「世界の底」だと思っているこの場所で、俺は頂点まで登り詰めてやる。

まずは、この階層の魔物を全部食ってやる。


俺はトカゲの瞳を爛々と輝かせ、次の獲物を探した。

地面を這う感触が、今はとても心地よい。

俺は壁を駆け上がり、天井の隙間に身を潜める。

上から見下ろすと、迷宮の複雑な構造が手にとるように把握できた。


「あっちに、もっと大きな気配があるな」


俺は舌をチロチロと出し、空気中の匂いを分析した。

脂の乗った獣の匂いと、冷たい水の匂いが混じっている。

空腹を満たすために、俺は影の中を滑るように移動した。

足音は全くしない。

気配も完全に遮断できている。

これなら、どんな魔物も俺の接近には気づかないだろう。


岩場の陰に、大きなネズミのような魔物がいた。

シャドウラット。

影に潜んで獲物を襲う、狡猾な魔物だ。

目は血のように赤く、鋭い前歯がナイフのように突き出している。

サイズは俺の三倍はあるだろうか。

だが、負ける気はしなかった。

図体がデカいだけの雑魚だ。


俺は天井から、ネズミの真上へと音もなく落下した。


「キュイッ」


ネズミが何かの気配を感じて顔を上げたが、もう遅い。

俺は新しく手に入れた麻痺毒の牙を、その無防備な喉笛に深く突き立てた。

毒が瞬時に血管を巡り、ネズミの体から力が抜けていく。

痙攣する獲物を押さえ込みながら、俺は冷酷に牙を食い込ませた。

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